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[102] 最も重要な掟とは? Date:2010-11-06 (Sat)
「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

これが最も重要な第一の掟です。


第二も、これと同じように重要です。

自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。

律法全体と預言者の教え(真理)は、この二つに基づいているのです」

以上マタイによる福音22章より(マルコ12章、ルカ10章)

イエスは、この二つの戒め(掟)が、すべての戒め(掟)の中で最も大切なもので、この二つを守る事がすべてを守ることになると言っています。

これは、真の愛が、すべての正しい行い(掟)の基になることを意味しています。

ここにはイエスの教えを知るうえで最も大切なことが示されているのです。

神(創造主)を心から(心、魂、思いを尽くして)愛すること、さらには隣人を自分のように愛すること(真の愛、慈愛)がイエスの教え(真理)の基にあることが説かれているのです。

たとえ、どのように掟を守っても、真の愛がなければ偽善となる事をも表しているのです。

この地上に生きている以上、人間は罪からまったく逃れる(掟を守りきる)事は出来ないでしょう。

イエスは、人の行いの善悪の評価には、表面上の行為や結果より、その人の心(意志、真の愛)が最も重要である、大切(必要)なものであると説いているのです。

[101] 夢のまた夢 Date:2010-11-02 (Tue)
若い時にクンダリ二―覚醒を目指して、約半月ぐらいで覚醒体験をしました。

自分自身で、その火の蛇と言われているクンダリ二―を上げてしまいました、。

それから悟り(見性)を全寺で二日間で開かせて貰いました。

クンダリ二ー覚醒体験は日本でもはるかインドでも珍しいと言われるものです。

その凄まじいクンダリ二―覚醒体験は筆舌には言い尽せないものでした。

クンダリ二―覚醒を起こして、失敗したなら、その火の蛇によって、死か?廃人になるか?

言い表せない不安にさい悩やされました(涙)


もし、失敗だったら、頭が焼きただれて死んでしまうのか?

あるいは内臓が焼きただれて、死んでしまうのか?

その当時にはそう言った体験者の残した書物もあまりなく、絶望の中で途方に明け暮れていたと言う感じでした。


自分は一体何者なのか?

沢山の修行者がいて、クンダリ二―覚醒体験するのは、いつの時代か定かではないが、

前世修行したから、今世で覚醒できる可能性があると有名な巨匠さんに言われた事がありました。


光のかけ橋の項目にもクンダリ二―覚醒の事を書いていますが、

スピリチャルな世界でも珍しくクンダリ二―覚醒体験をしています。

クンダリ二―覚醒者は日本でも珍しくはるかインドの国でも聖者の類と言われていますけどね。

スピリチャルな世界でも珍しいと言われているクンダリ二―覚醒や悟り(見性)を通して、

正道の香りや菩薩の輝きを伝えるのが自分の思い(役目、使命)と言うのはあまり言いたくはありませんが、

そういった感じがありました。

それとクンダリ二覚醒は聖人でもないし、如来・菩薩でもないんです。

体験はあくまで体験だと自分は思っています。

若い時に自分は如来か菩薩の生まれではないのか?

傲慢な気持ちが湧き起こった時に禅寺の和尚さんペシャンコにされましたよ(笑)


今まで体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

他の宗教関係の主催者などは、クンダリ二―覚醒は聖人や如来・菩薩と言っている方がいますが、

自分はそれは進化の過程であって、決して菩薩や如来ではないと言っているんです。

その違いがあるだけなんですよ。

実はこんな事をばかり言いますから、脅迫もありますし、脅しもあるんですよ(涙)

でも、自分は止めない(笑)


キリスト様やマリア様の或るいはマザーテレサなど愛の人と言われていますが、それは高い聖性を身につけているから、

聖人や菩薩と言われても良いと思いますが、自分にはその霊性が身に付いてないんです。

体験があっても、キリスト様の深い愛もなく、お釈迦様の慈悲も身についてはいません。

それには何回もいいますが、ハ正道を行ったり、聖書の中にある真理の実践をしないと霊性が身に付かないと思っています。

ただ、如来・菩薩様の教えがありますが、その教えを今の時代で、少しでも伝えたいと思っています。

一般の方でも沢山の伝道者がいますよね〜

その一般者の中の伝道者の一人にすぎません。


スピリチャルなティチャ―さんからは、○○太子・○○菩薩・○○○ヨハネ・1300年前ぐらいに悟りを開いた者・

神界からやって来た知恵を持った者または妖精とか今まで沢山の事を言われてきました。


たしかにミクシーブログでも、クンダリ二―覚醒や悟りと言って、開祖が通った道を通った感じのティチャ―はあまり聞いた事がありません。

殆どのティチャ―さんは能力的なものが主みたいな感じですね。

自分とはまったく違った道だとつくづく思いました。

でも、それはそれでいいんですよ〜どちらかが優れているとかはないんですよ。

ただ、そういったものよりもキリスト様やお釈迦様に菩薩様や女神様の霊性が身についているかと言う事が大切なんです。


自分は良く言われてる、菩薩の本体ではないと思っています。

あえて言うのなら、分身かグループソールと言われているものかもしれませんね。

キリスト様やお釈迦様或いは開祖が残した正法・正道を少しでも多く伝えたい気持ちがとても強いんですよ。

どうにかこうにか生きて来れたけど、どうして自分は他の方にない生き方しかできないんだろうか?

でも、今のままでは、こんなもののままでは死んでも死にきれないものがありますね。

もっとキリスト様や釈迦様の正道・正法を伝えたいと思っています。

能力的なティチャ―さんのように能力を持って、普通の生き方に家庭を持ち、

それでいて霊性を高く身につけていけたら、どんなに良いのだろう〜

自分には、これも夢のまた夢ですかね。


日記の更新が少し遅くなります。

母が入院中なので、ごめんなさい。

[100] 死別の後の悔みをなくす方法 Date:2010-10-28 (Thu)
江原さんは書物の中で、人生はとかく短いものだと言っています。

ぼやぼやしているとあっという間に死んじゃいます。

毎日、思いを込めて生きていかないといけない。

会っている瞬間にどれだけ思いを「込める」かをつねに意識して人と付き合う事が、

死別の後の悔みをなくす唯一の方法だそうです。


この地球では、背反する二つの二元論(原理や基本的要素から構成されていると思っています。

陰陽思想では、世界は陰と陽の二つの要素から成り立っていると考えられているみたいですね。

光と影、昼と夜、男と女、剛と柔などにそれぞれ陽と陰の属性が対応すると考えられた。

この場合二つは必ずしも対立することを意味せず、むしろ調和するもの、調和すべきものと捉えるみたいです。


自分の考えですが、ネガティヴなものやポジティヴな感情もコインの表裏のように、

表裏一体なものだと思っています。


どっちに転んだとしても貸借対照表のように自分の行った思いと行いが対照表に表れると思います。

もし、善よりも悪と言われる生き方をして来たと思われる方は、後悔してもくよくよ考えも仕方がない事だと思います。

過ぎた過去は変えられないけど、軌道修正して今度は違うものを選択すればいいと思います。

その為には、悔い改めや反省という物差しで軌道修正したらいいと思っています。


今まで生きてきて、いっぱい悪い事をして来たのなら、今度はいっぱい良い事をして見る。

やってみると、今まで解からなかった外の世界が、解かってくるかもしれません。

まず、善いと思うことは、とりあえずやってみることが良いのではと思います。

[99] 真理への道 Date:2010-10-20 (Wed)
釈迦は初めての説法で修行者たちに次のように説いたと言われがあります。

釈迦は真理への道をたどろうとするならば極端を離れて 「中道」 を歩むべきだと説いています。

右にも左にも偏らず、極端な思考や生き方をせず、中道の生き方が大切だとお釈迦様は説いています。


今、心の時代といって、瞑想ブームがおきています。

自宅で瞑想とかしている方が沢山いますが、自己流は癖がついてしまいますので、お勧めはしません。

ちゃんとした指導者の下で、坐る事をご指導されたほうが良いですね。


それと調和とやすらぎのない生活をしていれば、低級霊に憑依されかねません。

心が空っぽになっている時などは、低級霊などは簡単に入ってきます。

うらみ、ねたみ、そしり、怒り、情欲、足ることを忘れた欲望、思いやりがない、その他もろもろ執着の想念が、

こうした不調和を作ってしまいます。

そうした執着を善なる己に嘘をつけない心でその歪みを修正し、心の曇りを晴らさないといけません。

反省やまたは悔い改めを行い、調和とやすらぎの生活を取り戻して行かないといけません。


高橋信次氏などは、波長の原理によって、心が暗くなるから魔が近寄ってくると言われています。

病気や不幸のどん底にあってどうしても心を明るくできるか解からないと言う人は、

子供時代の幸せであった事などをありありと思い出して瞑想することから始めれば良いと言っています。

そうして、美しい、調和された光の中に、美しい粧われている自分の姿を瞑想する事です。

魔や悪魔があって、油断をすると自分を傷つけるかもしれないと言う恐怖心を、あなたの中から一掃して、

「我は力なり、われはひかりなり、我は常に祝福されているこれからよい事ばかり現れてくる」と信じる事をしなさい。

そうすれば魔に支配される事は絶対にありません。


高橋信次師のことば、
園頭広周 正法出版


中道とは次の8つの正しい道(八正道) だと示したのである。

◎正見 ( しょうけん ) = 正しく物事を見る

◎正思惟 ( しょうしゆい ) = 正しい心の持ち方

◎正語 ( しょうご ) = 正しい言葉を話すこと

◎正業 ( しょうごう ) = 正しい行いをすること

◎正命 ( しょうみょう ) = 正しい生活を送ること。

◎正精進 ( しょうしょうじん ) = 正しい努力を重ねること

◎正念 ( しょうねん ) = 正しい自覚を持つこと

◎正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすること



[98] 六波羅蜜  Date:2010-10-20 (Wed)
六波羅蜜 (ろくはらみつ) という言葉があります。

(波羅蜜はパーラミターから漢字にあてた言葉で彼岸に渡ることを意味しています。)


彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸

では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から

彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。

彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸

では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から

彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。


この七施のうちで1〜6までは、日常生活の中で、実行は可能ではと思います。

見かえりを求めないで、実行すると言う事が大切だと思います。

七施のうちで1〜6を行っていると、天の蔵に徳を積む事にもなるかもしれませんね。

それには見返りを求めない事が大切ですね。


布施 ふせ (人に善い事をほどこす たとえば和顔施はおだやかな笑顔を向ける事 心施 財施 法施 無畏(むい、恐れを除く)施等)

自戒(持戒) じかい (不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不飲酒 殺さない、傷つけない 盗まない 邪な性行為をしない 嘘をつかない 悪い言葉を使わない 酒や薬(心を乱すもの)に頼らない、心を奪われない等、自分を戒める)

忍辱 にんにく (耐え忍ぶべきことを耐え恨みを残さない)

精進 しょうじん (努力すべきことを一生懸命に続ける)

禅定 ぜんじょう (自ら精神を正しく安定させる)

知恵 ちえ (正しい知恵を得ることを目指す)


無財の七施
1.眼施(がんせ)

慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。

2.和顔施(わげんせ)
  
和顔悦色施ともいいます。いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接する行為です。喜びを素直に顔の表情にあらわしましょう。

3.愛語施(あいごせ)

言辞施(ごんじせ)の別称もあります。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行いをいいます。

4.身施(しんせ)

捨身施ともいいます。自分の体で奉仕をすること。身体で示すことをさし、自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切です。

5.心施(しんせ)

心慮施。他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持。

6.牀座施(しょうざせ)

たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることをいいます。

7.房舎施(ぼうしゃせ)

風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。





[97] マザーは、祈りについて、こう言っています。 Date:2010-10-20 (Wed)
ただほんの少しだけ心を神に向けるだけで良いのです。

大げさに考えなくても、誰でもおこなうことができます。

妨げることは何もないのです。


仕事の最中でも、祈ることはできます。

仕事は祈りを妨げないし、

祈りもまた、仕事を妨げることはないのです。

ただほんの少しだけ心を神に向けるだけで良いのです。

愛しています、お任せしています、

信じています、神よ、私は今あなたが必要です。

こんな感じでいいのです。

これはすばらしい祈りです。

マザー・テレサ日々のことばより

[96] マザー・テレサ愛のことばより Date:2010-10-20 (Wed)
大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、

どれだけ心をこめたかです。

人を責めるのは簡単にできます。人を恨むことも、憎むことも簡単にできます。

そして、怒ることも、許さないことも、感情的に人を裁くことも簡単にできます。


しかし、人を許すことは簡単にはできません。

特に自分に対して、また自分の仲間(家族、友人、仲間等)に対して罪(害)をなした人を許すことはとても困難です。

一面においては、人は、気づいているか気づいていないかに関わらず、

何らかの罪(害)を犯さずに生き続けることはできません。

自分が当然の事として行っていることが、人を傷つけているかもしれません。

時には良かれと思うことさえも、人を傷つけているかもしれないのです。

人には、自分が許されなければならない事もあるのです。


困難ではあっても、お互いに許しあわなければ、平和に暮らす事はできません。

マザーは、真に人を愛するためには、人を許すことが必要であると語りました。

人を許すことは、非常に困難で簡単には出来ないことです。

彼女は、真に人を愛するためには、許すことを知らなければならないと言っています。

もしほんとうに愛したいと願うなら、

許すことをしらなければなりません。


[95] ネガティヴな思考に陥った場合の対処法 Date:2010-10-18 (Mon)
怒ったりしたらこれは怒りだと、怒りと一つにならずに怒りを解放してあげないといけないと言った事があります。

それも一つの方法だと思いますが、

自分にあったキ―ワードを見つけて、自分自身で調整するコツを掴まわないといけません。

その為には、早く冷静さを取り戻すようにする事が大切ですね。


そのキーワードになるものは、南無妙法蓮華経・南無阿弥陀仏・南無大師遍照金剛でもいいし、

ホ・オポノポノなどは、メカニズムを説くとともに、このたった4つの言葉を唱えるだけで、

私たちがどれほどのミラクルを起こすことができるのかを書かれています。

ごめんなさい。
許してください。
愛してます。
ありがとう。

そういうキーワードを1つ持つことが大事なんですね。

このキーワードというのは、自分を取り戻すキーワードなんですね。

ほほえみの首飾り(美輪明宏)にも記載されていますね。

自分の心に一番しっくりするものを見つけて使ったら良いと思います。

困難な環境の中でも、繰り返される癖と言うかパターンを意識的に変えていく事が大切な事だと思います。


※朝起きてから寝るまでの間に常に何かを思い感じながら生活をしていると思います。

我々は想像する自由を常に与えられていると思いますし、

消極的な生きかたまたは積極的な生きかたもみな平等に選択できます。


人はどんな事でも自由に思う事ができますし原因・結果の法則によりどんな思いでも実現してしまいます。

思いは現実、結果は化けてくると師匠に聞かされた事があります

一瞬、一瞬、無数に流れてくる思いを無意識に普段行動してると思います。

この繰り返される癖と言うかパターンを取捨選択しながら、意識的に変えていく事が大切な事だと思います。

意識的に観察者になると心の中の魔物の餌食になる事はなくなると思いますし、

その瞬間に気付けば変わると思いますし気が付かなければなかなか変われないと思いますよ。


ある書物にの中に記載されていましたが、エマーソンはアメリカの哲学者と言われた人みたいでした。

とても面白い事を言っていました。

全ての現象は偶然に起きるのではなくて、後ろから押し出されてくると言う事と言われていました。


そういってみれば、運命の台本を書くのは自分です。

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で選択もできると思います。

こう言ってみれば、自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。


お釈迦様の言う八正道の中に最初の3つがありますね。

正見 (正しく見る) 正思 (正しく思う)正語 (正しく語る)

その入る時や出る時をしっかり押さえておくのも、自分のよりよい未来を作るのに大切な事だと思います。



[94] 光のかけ橋 (項目) Date:2010-10-18 (Mon)
心ない教祖やまやかしの団体にそれにネガティブなオカルト信者によって、宗教と言う名前に手垢が付けられたと思いますが、


本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。

仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への事を教えていると思います。


人間は皆神の子なんです。本質が同じで、同じ能力・資質を持っています。

例え神の子で、本質が同じで能力も資質を持っていても原石のままでは光輝く事はできません。

それがもしそうであるならば、人間完成に近づいて行ける為には何をしなければならないと、自ずから解かって来ると思います。


お釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿って行ったら必ず体験できると思います。

一回きりの人生なら、何もしなくても良いかもしれませんが、輪廻転生があるのであるならば、今がその時だと思います。

自分にも言える事ですが、永遠の今を目覚めて生きてほしいものです。

[93] 自分の波動をあげる必要 Date:2010-10-16 (Sat)
人間としてこの地球に生きている限り、ありとあらゆる感情を持っています。

普通はポジティヴな感情は問題にはならないと思いますが、

厄介な問題なのは、ネガティヴ(怒り・批判・恨み・嫉妬・憎しみ)感情を持つと言う事です。

それは人間として、喜怒哀楽を持っているんですからね。

仕方がない事だと思います。

そこでネガティヴな思考に陥った場合、どうすれば良いのか対処法を考えないといけません。


光のかけ橋の日記にも書いた事があります(アセ)

怒ったらいけないと教えとかあると思います。

でも、人間だから怒りはありますよ。

毎日の生活の中で、怒った時などは一瞬怒ったらいけないと思うでしょ。

でも実際は怒りはあります。

怒りを使わないと目標をたてて努力していても、怒りは突然湧き上がってきます。

そこでしまったと思ったりしますが、後のお祭り


自分が思うんだけど、怒りを抑えていたりしたら、火山の爆発みたいにいつかは爆発すると思いますね。

それをしまったと、自分を駄目だとくよくよしても人間だから怒りもあります。

それをいつまでも気にしていたり、しまったと思っていると、枯れていく花に水をあげるのと同じ事だと思いますね。


枯れていく花には自然に任せていたほうが良いと思います。

毎日の中で、怒ったり悲しんだり、苦しんだりする事もありますよ。

怒ったりしたらこれは怒りだと、怒りと一つにならずに怒りを解放してあげないといけないと思っています。


スピリチャルな事を目指している方などは、聖なるものを見つめすぎますと、自分の影ばかりが浮き彫りになると思います。

だから影も使ったらいいんですよ。

自分はあえて影を使えと言っているんではないんです。

影を持つ事もありますよ。それは生きているんだから仕方がない事もありますよ。

その影によって、自分を責めたり悔やんだりしても、もっと影を増やしてしまうと思います。

花には根っこもありますし、花ビラもありますよ〜

全体を使って、トータル的に生きていけたらいいんだと思います。

ネガティヴなものやポジティヴな感情もコインの表裏のように、表裏一体なものだと思います。

聖なるものをあまりにも見つめすぎますと、自分の醜さ・愚かさに苦しむようになって来るかなと思います。

それには、ダメな自分も良い自分も抱きしめながら、自分を向上できるようにして行ったらいいんだと思います。

だから全体を使って完成できたらと思っているんですよ。




[92] 有名な占い師の願望達成術? Date:2010-10-13 (Wed)
『スパモク!! ザ・運命カウンセラー』(TBS系列)

番組に登場した占い師5人の中で、ひときわ存在感、異彩を放っていたのが、波動占星術師の諸喜田清子さんと言われている方です。


諸喜田清子さんの成功波動・幸福の波動の書物の中に願望達成術について書かれています。

その願望実現の方法は、次のように書かれています。

わたしも、こうなりたい、こうしたい、とイメージを鮮明に描く

ことからスタートします。それを不安なく疑いなく瞬時に行い、

次の瞬間にさっとイメージを消すことができたら、

それはすぐに現実のものになります。

イメージをさっと消すことがポイントなのでしょうね。

これを実践するのによいのは、寝る前に行うことだそうです。


床に入ってから、今日一日のことを感情を抜きにして、

一瞬でパッと思い出し(ああすればよかったとか悔やまないこと)、

次に「今日はありがとう、明日は今日よりもっといい日がくる」

と、これまた一瞬だけさっと思って、忘れて寝てしまうという

のを10日ぐらい繰り返すと、確実に実現するそうです。


反対に、「明日いいことがありますように・・」とあとを引きずりながら寝ると、

いいことはけっして起こらないと断言されています。


※潜在能力は寝る前や寝起きの時にアルファ波やシター波が良く出ていると聞きます。

暗示も入りやすいと思います。

それとイメージを鮮明に描く事から始め、それを続ける事も良いかもしれないし、

さっと消すのも良いかもしれませんね。

ただ、植え付けられている種を眼が出ているか?

根ぐされはしていないか?

掘り起こさない事だと思います。


それと自分の本当の夢を見つける事が大事だと思います。

自分の天職や使命を思いだし、その思いと合致していれば、

もっと早く簡単に実現が訪れるかなと思います。


自分の見解は、大きな意味でいう願望実現は思いと行いが天に叶っているか?

この世はあっと言う間に過ぎ去ってしまうものです。

裸で生まれて来て、裸で死んで行きます。

次の世界に持って帰れるものは、心に刻んだ体験だけだと思います。


この世は合格・不合格はないと言われています。

そういう意味では失敗はないんだから、例え失敗だったとしても、

失敗体験は成功に至るスティツプでもあり、右もあれば左もあるし、

上があれば下もある、また善もあれば悪もある成功、挫折も二面的なもので、

調度コインの裏表みたいですね。両方(裏表)を使って完成すると思います。


自分の中で消化されないものがあるから何度も生まれて、

同じ事を繰り返したり何度も同じ境遇がやってきたり、そこで得られる理解を得たら今度は別のものを渇望して、

体験するように自分を駆り立てると言われますし、もう二度と体験する必要がなくなれば、

ここにいる必要がなくなるかもしれませんね。


どうも、自分は線香臭いところがあって、こちらのお話にそれてしまいますね。

少し話が飛躍しましたね(笑)

エンジェルティチャ―のようにお洒落なところから、話を持っていかないといけませんね(アセ)


要するに。自分の本当の夢を見つける事が大事だと思います。

それが解かれば、早く簡単に願望実現しそうですね。

[91] 解脱への道として八正道  続編 Date:2010-10-07 (Thu)
釈迦は初めての説法で修行者たちに次のように説いた

「苦行で身体を痛めつけ続ける者は、疲労と衰弱で精神の集中が妨げられ、通常の思考すら、

ままにならなくなる。そんな状態で、どうして真理への道を歩いているといえるだろうか」

釈迦は真理への道をたどろうとするならば極端を離れて 「中道」 を歩むべきだと説きはじめた。

お釈迦様のお話の中に、琴の音色の事について話しています。

弦の緩みがあれば音はなりません。

弦を張り詰めると、弦は切れてしまいます。

琴の音色の音を出そうと思えば、丁度良い張りかたがあります。

右にも左にも偏らず、極端な思考や生き方をせず、中道の生き方が大切だとお釈迦様は説いています


中道とは次の8つの正しい道(八正道) だと示したのである。

◎正見 ( しょうけん ) = 正しく物事を見る

◎正思惟 ( しょうしゆい ) = 正しい心の持ち方

◎正語 ( しょうご ) = 正しい言葉を話すこと

◎正業 ( しょうごう ) = 正しい行いをすること

◎正命 ( しょうみょう ) = 正しい生活を送ること。

◎正精進 ( しょうしょうじん ) = 正しい努力を重ねること

◎正念 ( しょうねん ) = 正しい自覚を持つこと

◎正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすること


八正道こそ中道の道〔高橋信次・心の指示〕

高橋信次先生の説いた八正道こそ中道の道

八正道は、人間をして、中道を歩ませる規範であります。天国に繋がるかけ橋です。

左にかたよらず、右に曲がらぬ中道への道、つまり神性、仏性への道、正覚への道なのです。

[90] 解脱への道として八正道 Date:2010-10-06 (Wed)
彼岸にいたる者は少なく、此岸にある人々は、ただ岸にそって走るのみ。

   法句経

解脱して彼岸(永遠のいのちの世界)にいたることこそが仏教者の目標になります。

それはすばらしいもの、どうしても手に入れたいもの、この身に体得したい真に価値あるものなのでしょう。

仏陀はそこに至る者は少ないと言っています。


多くの人々(ほとんどの人々)が彼岸に渡ることなく、この此岸の側にいるという事でしょう。

この世に生きているわれわれにとっては、此岸(現世を含む人霊的輪廻再生の世界)のほうがらくで、

一見楽しくて、さも喜ばしそうなものに見えるのでしょう。


しかし、仏陀の教説のように、ひとまずこの世は苦の世界(人間[人霊]としての輪廻再生の中)と知らなければならないのでしょう。

仏陀は29歳前後に出家しその後解脱したとされています。仏陀の生きた当時の社会慣習として、

求道者は、生涯の内に林住期[バーナプラスタ]として家を捨て宗教的な求道生活をすることがありました。


仏陀が求道生活に入ったのが、若すぎるとは言い切れません。

仏陀が80歳まで生きたというのは、当時としては非常に長命であったのです。

この世の命(肉体)を、大切に生きたといえるでしょう。

晩年その身体を、こわれそうな荷車にたとえて、補修しながらやっと動かしているのだよ、と言ったと伝えられています。


多くの人々がもっと若くして亡くなっていたのです。

求道生活に入ったからといって、いつ満足のいく成果(悟り)が得られるかわかりません。

求道を志した人にとっては、まさに、志を持ったその時に求道生活に入ることが望まれるのです。


したがって、仏陀の出家は、家族にとっては唐突であったのですが、ある程度当時の社会の慣習にそったものでした。

当時の社会環境においては、出家を果たした人々(求道者)は、乞食(こつじき)によって食を得る事が可能でした。

したがって、彼らは、真の法を体得する(求める)努力をする為の、質素な生活が可能であったのです。

(彼らは、物を生産する事は無く、財産を持つ事も無かったのです)


時代も環境も違う現在の私たちが、同じような出家を果たす事は、非常に難しいでしょう。

その精神と同じような生活をする事は、まったく不可能ということでもないのでしょうが、

困難な事と言わなければならないでしょう。

現在の求道者(信者)にとっては、執着するものはより多く存在します。


仏陀当事の人々は、出家により社会的地位も、社会的人間関係も、名誉も、財産も、家族も事実上棄てることになったのです。

求道のためにそれらへの執着から離れる事を目指しました。

それはまた、この世の自分の命への強い執着から離れることをも意味しました。

現在の私たちが、仏法の体得を目指す場合には、少なくともそれらに対する強い執着から少しでも離れる事が、

第一歩と言えるのではないでしょうか。


激しい苦行によっても私は通常の人や法を超越した最高の知恵に到達することが出来なかった。

悟りにいたる真の道があることに気づいた。

   中部経典

道の人よ、道を学ぶ人が実践してはならない二つの極端がある。

一つは、もろもろの欲望のままに楽しみにふけることである。いま一つは、みずから身体を苦しめさいなむことにふけることである

人格を完成した人はこの両極端に近づかないで、中道(適切な正しい道)を悟ったのである。

   相応部経典

道の人とは、仏道(仏法)を学ぶ人に対して語られたものです。

道を学ぶ人は、二つの極端な生活をさけるようにとしています。

一つは、享楽の生活にふける事です。

これは生活に楽しみを持つなということではなく、享楽にふけることなく節度をもつことが大切という事でしょう。


もう一つのさけるべき極端な生活とは、自らの身体を苦しめるような苦行生活のことです。

以上の極端な二つの生活はさけるようにとしています。

まさに、仏陀自身が二つの道を体験した上での言葉なのです。

王子として、すべてのものに恵まれて、享楽にふける、ぜいたくな生活において、

真の満足は得られなかった(精神においては苦悩していた)のです。

また、苦行生活においても、真の満足は得られなかった(心は安定しなかった)のです。

そこからは、解脱への道として八正道(適切な正しい道)が示されています。


k-style (引用)

http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index.html#x3






[89] イエス・キリストの言葉 Date:2010-10-05 (Tue)
イエス様の真理を伝えたいと思うと同時に、何故真理の実践が出来ないのか?

信仰心のなさと自分の弱い心を嘆んでいます。

良くオリジナルのエネルギーを扱っている方や能力の封印解除を行ったりしているティチャーがいますが、

沢山の方に知って貰いたいと思っていると聞いた事があります。

自分はたった一人でも良いと思っています。

正道を歩んでいる方にこの日記を見て、感じるものがあれば、

それだけでいいと思っています。

禅の和尚さんさんなどは、禅者は機関車に乗せて貰うのではなくて、

機関車を操縦する方だと言っていました。

その操縦する方とこの日記の中で出会い巡り会う事こそが、自分の望みでもあります。

自分の心の根底には、お釈迦様やイエス様に開祖と言われている方が説いた正道や真理を少しでも伝えたいと思ったのが始まりでした。



こちらでは新約聖書(各福音書)からイエス・キリストの言葉を見てゆく事にします。

さて、一人の男がイエスに近寄って来て尋ねた。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればいいのでしょうか」


イエスは答えた。

「なぜ、善い事について、私に尋ねるのか。

善いかたは神お一人である。もし永遠の命を得たいのなら、神の掟を守りなさい」

この男が、「どの掟ですか」と聞くと、イエスは答えた。

「『殺すな。姦淫するな。盗むな。偽証する(嘘をつく)な。

父母を敬え。また、隣人(他の人々)を自分のように愛せよ』という聖書の掟である」


その青年は、「それらはみな守ってきたがまだなにか欠けているのでしょうか」と問い、イエスは答えた。

「もし完全になりたいなら、家に帰って持ち物を売り払い、貧しい人々にあげなさい。

そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしについて来なさい」

青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。


イエスは弟子たちに言った。

「はっきり言っておくが、金持ちが天の国に入るのは難しいことだ。

重ねて言っておくが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがやさしい」


弟子たちはこれを聞いて非常に驚き「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、

「人間には出来ないが、神は何でもおできになる」と答えた。

イエスのこの言葉には、この世の存在者としての人間と、真の存在者としての神が簡潔に示されています。


イエスはたびたび完全なのは神だけであると説いています。

この世に生きている不完全な存在者としての人間が真に頼りにできるのは、

完全な存在者(神)だけであることが説かれているのです。


弟子のペテロが、「自分達は何もかも捨てて従って来ているが何を得る事が出来るのですか」

と聞いたのにたいしてのイエスの答えには次のような言葉がみえます。


「わたしのために、家、兄弟、姉妹、父、母、妻、子供、畑、財産を捨てた人は皆、

その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。

しかし、先にいる多くの人があとになり、あとにいる多くの人が先になる」

以上マタイによる福音19章より(マルコ10章、ルカ18章)

この言葉は、弟子の質問に対する答えとして語られました。




[88] この世は合格、不合格はない? Date:2010-09-25 (Sat)
修業をしてる時よりもせぬ時の方が大変と言ってる師匠もいますね。

この世は合格、不合格はないと言ってた禅の和尚さんの言葉を思い出します。


修業とはなにか?お寺で座禅したり水篭りしたり、または山に篭ったりするだけが修業ではありません。

毎日の生活の中で自分が間違ってる事を認めることが出来ずにいたり、

プライドだったり他人を許す事ができなかったり、

乗り越えて行きにくい壁が誰にもあると思いますよ。

それを正面からごまかさずに逃げずに取り組む事が大切だと思います。

実はこちらの方が大変なんですよ


この世は合格、不合格はないと聞きましたが、

この世に生まれてくる時に人生の中で不運、挫折を味わいこれ以上ない苦難によって、

魂が目覚める体験を設定して生まれてきた者もいます。

失敗体験は成功に至るスティツプでもあり右もあれば左もあるし、

上があれば下もあるまた善もあれば悪もある成功、挫折も二面的なもので、

調度コインの裏表みたいですし両方(裏表)を使って完成すると思います


偉大なる覚醒者が言うのには自分の中で消化されないものがあるから何度も生まれて、

同じ事を繰り返したり何度も同じ境遇がやってきたり、そこで得られる理解を得たら今度は別のものを渇望して、

体験するように自分を駆り立てると言われますし、もう二度と体験する必要がなくなれば、

ここにいる必要がなくなると言っていました


沢山の方が眠っていると言われます。

これ以上ない人生の苦難によって、魂が目覚め真理、生き方の方向性の向きを変えて、

消化されていないものと向き合わせになり、自分が何者かと知る時がきっと来ると思います。

今世でないかもしれないし、来世かもしれませんねぇ〜


[87] 知らずと知れているホ・オポノポノですね。 Date:2010-09-25 (Sat)
ホ・オポノポノでは、目の前に起こってくる全ての問題は、自分自身にその原因があるとしています

さまざまな問題は、自分の潜在意識からの記憶が、現実の世界に投影されるから起こるのであるという考え方をします。

問題は自分の潜在意識の過去の記憶(恐れや不安、心配など)を消去することで消えていくのだと説いています。

そのような記憶を消去するため「クリーンするため」のマジック・ワードがありると言われています。


ごめんなさい
許してね
愛してる
ありがとう


この4つの言葉を繰り返し唱えることによって、自分の内側が浄化されていき、

それと共に潜在意識に残る記憶が消去され、0「ゼロ」の地点へ戻ります。

そうなると抱えていた問題が消去してしまうのです。

ヒューレン博士はその著著の中に「ハワイに伝わる癒しの秘法・みんなが幸せになるホ・オポノポノ」にて、

詳しくホ・オポノポノのメカニズムを説くとともに、このたった4つの言葉を唱えるだけで、

私たちがどれほどのミラクルを起こすことができるのかを書かれています。


ホ・オポノポノもそのものに成り切ると言う事が大切なんだと思います。

二つ分かれる以前に立ち返る事が大切なんだと思います。

実在しないものを消滅させることに、実在が現れてくると思います。

その実在が現れるには、その幻想を取り除く事なんだと思います


人生にはさまざまな不運や悲惨な出来事に遭遇する事があると思います

その悲惨な出来事に影響されることなく、源である自分に立ち戻り自己実現をさせる事が大切なんですね


ルカの福音書には、自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、

あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。

そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。

なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからといいます。


いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いといいますから、

自分に良い事をしてくれる方に良い事をお返ししても、罪人たちでさえ、同じことをしています。  

それでは、罪びととなんら変わらないものだと思います

ルカの言っているように、敵を愛しなさい、

彼らによくしてあげなさいといと、高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いといいますから、

あなたの片方の頬を打つ者にも、奪い取る者からにもすべて求める者には与えなさいと、


I'm sorry 
Please forgive me 
I love you 
Thank you 


ウニヒピリ ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」 [単行本]
イハレアカラ・ヒューレン (著), KR女史 (著), 平良アイリーン (著)


[86] ―― マザーテレサ ―― Date:2010-09-25 (Sat)
親切で慈しみ深くありなさい。

あなたに出会った人がだれでも前よりも、もっと気持ちよく明るくなって帰れるようにしなさい

親切があなたの表情にまなざしに、ほほえみに温かく声をかける言葉にあらわれるように

子どもにも貧しい人にも苦しんでいる孤独な人すべてに、いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい

世話をするだけでなくあなたの心を与えなさい。
                     

[85] イエスの言葉 Date:2010-08-29 (Sun)
神様に呼びかける時、一人で祈るときは「わたしの天のお父さん」と、

同胞と共に祈るときは「わたしたちの天のお父さん」と呼びかけることができるでしょう。

どのように祈ったらよいのでしょうか。イエスの言葉があります。

「あなたたちの天の父は、あなたたちに何が必要か、祈る前にすでにご存知なのです。

ですから、こう祈りなさい。


『天におられるわたしのお父さん、

御名(みな)が、あがめられますように。

御国が、来ますように。

御心が、この地上でも行われますように。

わたしに、必要な糧(かて)を今日与えてください。

わたしが自分に負い目のある人をゆるしましたように、わたしの負い目をゆるしてください。

わたしを、誘惑におちいらせず、悪から救い出してください。

アーメン』」

イエスは、第一に天の父の御名(みな)をあがめること(尊いと思うこと)をあげています。

それは、天の父(神)にたいする真実の心の思いを表現しているのです。

第二に、御国について、イエスは、その永遠の命の世界を、神の国とか天国と言っています。それを求める祈りです。

第三に、この地上では、多くの御心に反することが行われているため、御心が行われますようにとの祈りです。

イエスは、この地上に人の子として生まれ、御心(真理)を説くために来たと言っています。

第四は、日々の糧(かて)についての祈りです。

イエスは、今日を生きている人にとって、何よりも今日の食べ物(糧)が大切(必要)であることを祈りにあらわしています。

イエスにとって、食べ物(糧)とは、霊的食べ物(糧)をも意味していました。

それは、天の父の言葉(真理)によって、霊的糧を得て、霊的に生きる(成長する)ことを意味します。


イエスが、神の教えを説き始める前に、荒れ野において悪魔(邪悪な心の象徴)の誘惑を受けた時、

次のように申命記8;3(旧約聖書)の言葉を引用しています。

『人はパンだけで生きるものではない。

神の口から出る一つ一つの言葉で真に生きる』

第五は、罪(過ち)のゆるしのための祈りです。

この地上に生きている限り、人は、その時に気づくか気づかないかによらず、数々の負い目(過ち)をおかしてしまいます。

その負い目(過ち)をゆるしてもらうためには、心からの悔い改めをイエスは説いています。

さらには、自分に対して負い目(過ち)のある人をゆるしましたように、と人をゆるすことを前提にした祈りをするようにと説かれているのです。

この世の中においては、人をゆるさないために多くの事が起こります。

人をゆるすことは、だれにとっても非常に困難です。


しかし、イエスは人の過ち(罪)をゆるすことが、自分も過ち(罪)をゆるされるために必要であると言っています。

「もしあなたたちが、自分に対して過ち(罪)を犯した人をゆるすなら、天の父もあなたたちの過ち(罪)をゆるしてくださいます。

しかし、あなたたちが人の過ち(罪)をゆるさないなら、天の父もあなたたちの過ち(罪)をゆるしてくださいません」

第六は、悪におちいらない為の祈りです。

この世の中においては、人間は弱く、様々な誘惑はさけられないとイエスは説いています。

しかし、誘惑は罪(悪)をさそい、わたしたちに過ちを起こさせます。

イエスは、誘惑におちいることのないように、罪(悪)から救い出して下さいと天の父に祈ることを説いています。

それは罪(悪)、過ちを自らも避けるという謙虚な心の表明でもあるのです。

アーメンという言葉は当時のユダヤの人々にとっては、天の父に唱える(呼びかける)非常に大切な言葉とされて来ました。

天の父の、その名を呼ぶのに等しい最大の尊厳を持って使われるべき言葉なのです。

旧約聖書の時代から使われていますが、この言葉は神をたたえ呼びかけるように使われる時の言葉なのです。神を賛美する時に使われるのです。

イエスも使っています。


アーメンという言葉は、その音自体が、天の父に呼びかける大切なものとされて来た言葉なのです。

この言葉をその本来の意味において使うことが正しい事と言えるでしょう。

(しかしこの言葉に伝統的な馴染みのない現在の日本人は、この言葉につまづかない為には、

ひとまずはこの言葉にあまりこだわりを持たなくても良いのではないかと私は考えています)

こちらでの主の祈りは、正しい信仰の為にかかせない大切(必要)なものである祈りとして、

イエスは当時のユダヤの人々に模範となる一つの祈りを示したのです。

イエスは、天の父は隠れたところから見ておられ、隠れた事はどんな事でもご存知であると、たびたび言っています。

祈るときの、その心の中の真の思いが、なにより大切なものといえるでしょう。

イエスは、天の父はすべての人間一人一人の隠れてする祈りも知っておられる、心の中で思う事をもすべて知っておられると説いています。

ですから一面においては、祈りの言葉の一言一句に細かにこだわる必要はないとも言えるでしょう。

その自分自身の心(思念)を正しく持つ事、その心からの誠実な言葉を表明する事がなにより大切な事(祈り)となるでしょう



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[84] マザー・テレサの言葉(愛と祈り) Date:2010-08-24 (Tue)
私たちは、祈ることで誘惑に打ち勝つ強さを得るでしょう。

なぜなら、少しでも神に近づいた人間は、まわりにいる人たちに楽しさと愛を広めるからです。

この言葉は、なによりもマザー自身の体験をとおしての、祈りの果実を示しています。

それはとてもシンプルなものなのです。


私たちすべてが必要としているのは、祈ること、そして、他の人をもっと愛し始めることなのです。

マザーは、祈る事と人を愛する事が、すべての人に必要なものと言っています。

そして、祈るときに必要なものとして、沈黙をあげています。


だれにでも、沈黙し、黙想する時間が必要です。私はいつも沈黙のなかで祈りをはじめます。

神は静寂の友です−私たちは神の声に耳をかたむける必要があります。

祈りは魂を満たしてくれます。そして、人間は、祈ることで神に近づくことができるのです。

祈ることで、あなたは清らかで純粋な心を与えられるのです。

マザー・テレサ語る より


マザーは、心の静けさ(真の内面的な静寂)を得るために、次のようなことを上げています。

他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)

ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)

暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、

私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)

うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、

祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)

すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、

私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

マザー・テレサ 愛のこころ最後の祈りより

マザーは、心の静けさを保つことによって、神の声を聞く特権が与えられると言っています。


k-styleのマザー・テレサの言葉(愛と祈り)引用
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[83] マザー・テレサ 『愛と祈りのことば』 Date:2010-08-24 (Tue)
私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです。

祈るために、仕事を中断する必要はないのです。

仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。

自分のことへの思い煩いでいっぱいだと、他人のことを考えるひまがなくなってしまいます。


一緒に働いている人たちにいつも言っていること。

「余った物、残り物は要りません。私たちが仕えている。

貧しい人たちは、あなた方からの憐れみも、見下すような態度も必要としていないのです。

彼らが必要としているのは、あなた方の愛と親切なのです。

今や、貧しい人々について語ることが一つの流行になっています。

しかし、残念なことに、貧しい人々と共に話すことを人はあまり好みません。


大切なことは、たくさんのことをなし遂げることでも、何もかもをすることでもありません。

大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。


私の考えは間違っているでしょうか?

いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、愛が原因で間違った方がいいと思っています。


世界の平和は、まず家庭の平和から始まります。


平和は、ほほえみから始まります。


一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、

あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。

「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。


k-styleのマザー・テレサの言葉(愛と祈り)引用
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[82] 占星術の方からときどきメールが届きます。(続編3) Date:2010-08-21 (Sat)
占星術の方からときどきメールが届きます。(続編3)

料理人はお客様に作った料理を差し出します

お客様はその料理が気に食わなかったり、口に合わなかったら

差し出された料理を食べずに口にしないで受け取らない事もできます。

その食べなかった料理は結局作った料理人の所の戻ります


自分の周りでも不倫に限らず都合のいい女性扱いされている方を随分見て来ました、。

相談もされる事もありますが(汗)

結局なんだかんだと言っても本人が決める事です。

鳩のように優しく機敏であれという言葉があります。

その鳩のような機敏さでじっくりと相手の方を見てほしいですね。

何事もするのにも選択する自由があると思いますよ。


ほんとDr.ロマンチックアルフレドさんが言うように

妻子ある男性との危険な恋に溺れ、

そのロマンスの夢が覚めたときには、

婚期を逃し孤独なオバサンになっていた・・と言う事にもなりかねません。


それと適当な相手がいないから、適当な相手とのお付き合いをするのは本当の運命の人と出会うステップだと思わずにいてくださいね

不倫や遊び相手とお付き合いをしている方に限ってそのような事をいいますね。

人生で一番煌めく時期を大事に大切にしてほしいです

運命は自分で選択できると言いますから、本当の方を探してくださいね






ソウルメイト博士のDr.ロマンチックアルフレドです。(引用)



今から、最低の話をします。



もし、あなたがこの先を読んでしまったら、

あなたは怒り出すかもしれません。



なぜなら、サイテーの話だからです。



もし、あなたが「怒り」という感情と

関わりたくなければ、

ここから先を読むのをお控えください。



やめておいた方がいいです。




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彼にはレイナという名の愛人がいた。

しかし、いつもレイナは不満だ。



彼女の不満が一番大きくなるときは、

彼に結婚を迫るときだ。



「早く奥さんと離婚してよ。いつになったら奥さんと離婚するのよ。本当にわた
しと結婚する気あるの?」


「妻がなかなか離婚に同意してくれないんだ」



彼はウソをついていた。

彼は妻の前で離婚を口にしたことなど、

これまで一度もなかった。



なぜなら、彼は、

現状の生活に満足していたからだ。



優しい奥さんは、

彼のために、

尽くしてくれる。



さらに、ベッドでは

若い愛人との「お楽しみ」があるとくれば、

不満などあろうはずがないのだ。



「妻と愛人がいて、オレの人生は最高さ!」

彼はいつもそう思っている。



ただ、彼には、

愛人のレイナと結婚するつもりなど、

まったくなかった。



家庭を捨ててまで、

愛人のレイナと結婚することなど

ありえないことだった。



愛人とは、名ばかりで、

彼が本当に愛しているのは

レイナではなくレイナの体なのだ。



つまり、彼が

愛人と別れられない唯一の理由は、

彼女とのセックスだった。



彼がレイナに求めているものは、

レイナの体だけだった。



「あの腰のくびれと豊かな胸! なんて若々しくて美しいんだ!」



今夜、彼女の家にやって来たのも、

セックスが目的であり、



レイナとセックスさえできれば、

他のことはどうでもよかった。



早くレイナとベットインしたくて、

たまらなかった。


------------------------------------




あなたは、この話を読んで、

どんな感想を持ちましたか?



この話は、

作り話ではありません。



これは、実際によくある

不倫の典型的な実話です。



不倫の80〜90%は、

このケースだという専門家もいます。



わたしの長年の経験では、

既婚者の男性と独身女性が不倫の末、

結ばれて結婚したというケースは、

ほとんど聞いたことがありません。



妻とは離婚すると言いながら、

何年たっても離婚せず、



独身女性の方は、

都合のいい女として、



妻以外の女性とセックスを

したくてたまらない既婚男性に、

もてあそばれ婚期を逃すという

お決まりのパターンです。



このメルマガをお読みの方で、

現在、不倫をしている女性は

相当いるのではないかと思います。



もし、あなたが妻子持ちの男性と

不倫をしていて、



相手の男性が、

「妻とは離婚するから」と言いながら、

なかなか離婚しないようであれば、



まず、彼は奥さんの前で、

離婚を口にしたことなど一度もない

と思ってまちがいありません。



彼は、家庭を捨ててまで、

結婚するつもりなどまったくない

と思ってまちがいありません。



もし、あなたがそういう状況にあるのであれば、

「都合のいい女」 扱いされている可能性が

極めて高いということです。



妻子ある男性との危険な恋に溺れ、

そのロマンスの夢が覚めたときには、

婚期を逃し孤独なオバサンになっていた・・・・・・

というように、



不倫にはまってしまい、

結婚という人生の次のステップに

進む機会を失ってしまった

悲しい相談をこれまで何度も受けてきました。



あなたにふさわしくない相手と恋愛をしていると、

たとえ一時的に幸せな時間があったとしても、

その幸せが長続きすることは、まずありません。



いずれ思い悩むことが多くなり、

精神的にとても不安定になり

苦しむことになるのです。



「都合の良い女」から

抜け出せなくなるのです。



その代表的な例が、

不倫の恋です。



不倫のカップルが

最終的にハッピーになったという話は

聞いたことがないくらいです。



現実は、結局、奥さんとは別れられず、

中途半端な関係のまま

ズルズルと時間だけが経過し、



気づいたら婚期を逃した孤独なオバサンに・・・・・



それだけで済めばいいですが、



不倫相手の奥さんが雇った探偵に尾行され、

浮気現場の証拠を押さえられ、

そして法的に訴えられて、

多額の慰謝料を請求されたり、



最悪、相手の奥さんにナイフで刺されたり、



最終的にはトラブルに巻き込まれ

人生が狂ってしまうケースが

多々あるのです。



結果的には、

誰かを傷つけ、

相手の家庭を崩壊させ、



自分自身の人生も壊れてしまう

というケースが多いのです。



裏切られた奥さんの

怒りや悲しみは強烈なものです。



それは、カルマとなって、巡り巡って、

いずれ自分が奥さんの立場になったときに、

天罰として巡ってくるものです。



自分の夫が独身女性と、

浮気をするようになり、



夫に裏切られた妻の怒りと苦しみを

味わうことになるのです。



この地球という星では、

人を苦しめた分、その苦しみが、



いずれ自分にも

巡ってくるという法則が

機能しています。



実り多い幸せな恋愛を

求めるのであれば、



やはり独身男性と、

深いパートナーシップを築くことが、

賢明な選択であるといえます。



これは、これまで数え切れないほど多くの

叶わぬ不倫の恋で苦しむ女性たちの悲痛の声を

聞いてきた経験から言えることなのです。



もし、あなたが「ニセ運命の人」と

恋愛をしているならば、




その相手とは縁を切らなければ、

あなたが本当の運命の人と出会うステップへと

進む機会が訪れないのです。



本当の幸せとは、

独身男性との恋愛で

はじめて味わえるものです。



あなたにふさわしくない相手を見分け、

そのような人と恋愛はしないこと。



これは運命の相手とめぐり逢って、

結婚をするためにとても大切なことです。



もし、妻子持ちの男性から誘われたら、

NOと言える勇気を持ちましょう。



ハッキリ断ることで、

本当の運命の相手との

結婚の機会が開かれるのです。


*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*   *・゜゜・



[81] 八正道の大切さ。 Date:2010-08-20 (Fri)

若い時に密教やヨガに禅寺などで座禅をしていた事があります。

そりゃ〜足がへし折れるぐらい坐ったりしていました。

自分が馬鹿の一つ覚えみたいにどうして八正道の事を強く言うのは?

正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすることを、禅寺で坐っていたら、

おのずと他の7つが必要になってきます。


禅や瞑想をしている方は、正定以外の他の7つの大切さが解かると思います。

お釈迦様は人生について悩み29歳の時に出家した釈迦は、6年間の修行の末

35歳の時に、真理に目覚め悟りを開いたと言われがあります。


釈迦は初めての説法で修行者たちに次のように説いた。

「苦行で身体を痛めつけ続ける者は、疲労と衰弱で精神の集中が妨げられ、通常の思考すら、

ままにならなくなる。そんな状態で、どうして真理への道を歩いているといえるだろうか」

釈迦は真理への道をたどろうとするならば極端を離れて 「中道」 を歩むべきだと説きはじめた。

お釈迦様のお話の中に、琴の音色の事について話しています。

弦の緩みがあれば音はなりません。

弦を張り詰めると、弦は切れてしまいます。

琴の音色の音を出そうと思えば、丁度良い張りかたがあります。

右にも左にも偏らず、極端な思考や生き方をせず、中道の生き方が大切だとお釈迦様は説いています。


中道とは次の8つの正しい道(八正道) だと示したのである。

◎正見 ( しょうけん ) = 正しく物事を見る

◎正思惟 ( しょうしゆい ) = 正しい心の持ち方

◎正語 ( しょうご ) = 正しい言葉を話すこと

◎正業 ( しょうごう ) = 正しい行いをすること

◎正命 ( しょうみょう ) = 正しい生活を送ること。

◎正精進 ( しょうしょうじん ) = 正しい努力を重ねること

◎正念 ( しょうねん ) = 正しい自覚を持つこと

◎正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすること


八正道こそ中道の道〔高橋信次・心の指示〕

高橋信次先生の説いた八正道こそ中道の道

八正道は、人間をして、中道を歩ませる規範であります。天国に繋がるかけ橋です。

左にかたよらず、右に曲がらぬ中道への道、つまり神性、仏性への道、正覚への道なのです。

すなわち、一、正しく見ること、一、正しく思うこと、一、正しく語ること、一、正しく仕事をなすこと、一、正しく正しく生活すること、一、正しく道に精進すること、一、正しく念ずること、一、正しく定に入ること、の八っです。
この八つの規範の1つが欠けても、中道の道は歩めないし、正覚を得ることも不可能であると説いています。

また、こり以上であってもいけない。たとえば戒を守れとか、瞑想のみの生活を送れとか、苦行せよ、といったようなものです。

それは釈迦自身が、いろいろな経験を通して得た中道への道は、八正道以外にないと悟ったのであり、

八正道こそ、真理に繋がり、この世に人間が生存するかぎり、その真理は生き続けていくものであるからなのです。


☆正法を照らし続ける高橋信次シリーズは三法出版から出ています。


三宝出版 高橋信次

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html

[80] 若き日の思い出 Date:2010-08-12 (Thu)
悟りを言っている宗派がありますよね?

小さい時に冗談で、お寺の階段で座禅の姿をして悟りを開くと言って真似た事がありました(笑)

その空想や物語りと思っていた悟りを開く事になるとは思ってもみなかったです。

でも、その宗派では悟り、悟ると言う事を言っていますから、悟りでもいろいろな段階がある事は事実です。

自分個人では、悟りの一ページだと言うようにしていますが、この宗派の言っている悟りは今の時代では至難の技と言われる部類だと思います。

日本の古代の開祖が残している書物の中の体験ですからね。

それをインスタントみたいにすぐに悟れる事はありません。

何年も何十年も厳しい辛い修行を通しても無理かもしれないし、今世では無理かもしれません。


では、なぜ古庵が日本古代の開祖が言う奇跡的な悟りを開く事が出来たのでしょうかね?

多分、他のティチャ―は○○の生まれ変わりだから、そんな体験ができたと言うでしょうね。

でも、古庵はインテリータイプではありません。

若い時はやんちゃもしましたし、音楽バンドもしていた事もあります。

だから決して、見た目ではそのような体験できるタイプでは見えないと思います(汗)


キリスト様のみたいに片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさいと言うタイプではありません。

右ほっぺたを殴られたら、両方のほっぺたをなぐるかもしれません(笑)

そんな何処にでもいるような一人の男がこれ以上ない挫折や不運、絶望にさい悩まされていました。

もう〜最後にお寺で悟れないのなら、死のうと決心して、お寺に行ったのが始まりかもしれません。

午前2時頃に起きて、山頂を目指して行く途中では気合いを何度なく入れて、体がほとばしるぐらいの気合いでした。

その時にこの何日間で悟れないのなら、この世を終わると言う決心がついていましたから、

お寺の道場ではなみならぬ思いと集中が凄かったと今でも思います。

今ではもう〜その時のような精神は残ってはいません。


師の恩恵なくしてはとても開く事は出来なかったと今でもしみじみ感じます。

それと正道を歩んでいる悟った師でないと悟りを開く事は無理だと思います。

絶妙なタイミングで師匠の恩恵によって、開く事ができました。

立って、立つのも忘れて、座って、座る事も忘れて、意識が限界に達した時に、

この恐怖から逃げだそうとしたところ師の恩恵によって、開く事ができました。


この意識をのり越える時にエックスシーの体験は筆舌では伝えられない限界があります。

根底が寛がされるほどの強いエックスタシ―が湧きおこり、

意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

まさにテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。

日本古代の開祖が悟りを伝えている体験をして、人間とは何か?何者なのか?

つくづく考えさせられました。


ある宗派の悟りという言葉を使うのなら、今までの心境がまったく変わった体験だとか、

それまでの自分を前後遮断したような状態の心境みたいになって行きます。

今まで生きて来た自分が新たな自分に変わったような感じ?

修行していると本来の自分が現われて来ると言われています。

良く本性を現すとか言われていますよね。



自分の中の仏を見て、自覚して、それを悟ると言うか?

今までの自分が無くなり、新たな自分が現われるような感じです。

でも、今までの自分も自分で、新たに現れる自分も自分ですよ。


自分は道場での修行に、今までの自分が無くなり新たな自分が現われたらと少し不安でした。

ほんと初めの段階ではこんな無知な感じでしたよ。


でも、それまでの自分が無くなる感じがしてね。

内心は不安でした。

それはある宗教家の方が言っていた事が脳裏にありましたからね。

自分の中にあかの他人がいると言う事を言っていたました。


でも、自分は自分でした。

何も変わらない自分でしたよ。

まぁ〜、それはエゴでしたよ。

本質的な自分は変わらなかったですよ。


それと師と言う者はとても有難くて、何処が間違っているのか?

ご指導してくれます。

魔境と言って、自分自身が天狗のように傲慢になる時期があります。

それもペシャンコに師は打ち砕いてくれます。

ちゃんと時期を見計らって、指導してくれます。

これなどではセミナーやセッションではなかなか出来ない体験ですね。

師なくして、成長もなく悟る事は難しいと、自分はつくづく思いました、。


それと能力開発を目的にした方と心を空っぽにして現れる自分を体験した者とはまったく違うと思います。

枠が取れて、意識がそれまでの自分とは見るもの感じるものが全く違うと思いますね。

あえて、その世界の言葉を使うのなら、顔面に飛び込んでくる風景や田んぼで泣くカエルの声が、

今までの自分の聞こえ方や見るものの見方が違って見えると言うことです。

だから修行の進んだ本物の巫女さんや修行僧は現実的な社会で、生きて行くのにはとても辛くて苦労するかなぁ思いますよ。

何しろ意識が洗われてきますから、素で見たり聞いたりしていますから、

直視できないような事に遭遇するととても苦しむと思います。


自分の事を言うのはおこがましくて、言うのはためらいがありますが、

ほんと今までの自分を生きて来て、生きて行くのにはとても大変ですよ。

何しろ見るものや感じるものが諸に飛び込んで来る感じがしますし、

枠が無くなったぶんだけ、鎧がなくなり裸どうでんのようになりますからね。

本来はみんなそうだったと思いますが、子供ような純粋な心に立ち返るようなものだと思います。

悟りを現す言葉にテッペンかけたか?と言うようなものだと思います。

芭蕉も道元禅師もそのような体験をして、それを乗り越えて行ったのでしょうね。

その足跡を辿って行く以外にないのでしょうね。




[79] 副音書の実践 Date:2010-08-11 (Wed)
霊性が高いと言われています菩薩や聖人は聖書の中の真理を身につけています。

霊性が高い言っている方や思っている方はこの福音書をいくつ身につけられていますか?

自分はインドでもこの日本でもあまりいないと言われているまれな奇跡の体験をしていますが、

それはあくまで体験であって、副音書にあるような真理の実践は出来ていません。

自分には団体も持っていないし弟子もいませんから、誤魔化す必要はありませんからね。

実践できていないと正直に話せます。

この副音書を心の指示にされたら良いと思います。



ルカの福音書6章27−38節  「あなたがしたように、あなたにもされる。
 

luk6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。

luk6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。

luk6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

luk6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。

luk6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

luk6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。

luk6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。

luk6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。

luk6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

luk6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

luk6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

luk6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

[78] 約2通り求め方 Date:2010-08-11 (Wed)
スピリチャルな事を目指している方は沢山いると思います。

大まかに分けて、色分けすれば約2通りあると思います。


道場である一定の規律の中での修行をしている修行僧や巫女さんとセミナーやセッションの中でのティチャ―から教えを受けて、

能力的なものを開発して行こうとする方に分れるかなぁ?と思います。


沢山のティチャ―を見まして、殆どの方はセミナーやセッションを通して能力重視で伸ばすほうに目指していたみたいと思いました。

自分はどちらかと言いますと、チャネリングなどの能力的なものではなくて、何も求めない瞑想(座禅)を主にしていました。

それから縁あって、セミナーやセッションなど受ける事ができましたから、その両方の良いところも解かりますし、

良くない所と言えば語弊がありますけどね。


ただ、セッションやセミナーではなかなか悟る事はできないと思いました。

悟るという言葉を自分は使っていますが、夢物語りではなくて、開祖が通って言った悟りの事を自分は言っています。

自分個人の考えでは、ある一定の規律の中での修行をしていて、

その上で?(併用)セミナーやセッションとか受けられたら良いと思いました。


正道を歩んでいて、悟った師でないと、何処が間違っているとかも解からないし、

堂々巡りでメイロの中にいていつまでも出られなくなると思いました。

まぁ〜チャネリングなど習って能力開発を目的にしているから仕方がないのかもしれません。


また、能力活溌を目的にしていなかった自分には、聖人と言われているクンダリ二―覚醒や悟りと言われている

お釈迦様の悟りを開かれたと言う、物語りと思われている悟り(見性)体験をしました。

それにカルマ(解消)と言われていて、カルマのパンドラの箱を自分は開けています。


これも能力開発を目的にせず、正道を学んでいたからこそ体験が出来た事だと思います、

能力開発の目的などしなくても、仏教なら仏教、キリスト教なら純粋なるキリスト教を学んだら

開祖の通った足跡を辿っていけるものだと思います。


自分の見解は良くティチャ―の方などはチャネリングをして、天使や聖人をコンタクトしているから、

天使や聖人と同等の霊格が身につけていると言っている方がいますが、まったくの勘違いだと思います。


少なくても、開祖が通って行った、悟りの香りも伝える事はできないと思います。

自分は沢山のティチャ―がいっぱいいますが、自分のような体験をしたと聞いた事はありません。

ある団体などは、聖人や菩薩、如来の再来だと言う方もいますし、

インドでもなかなか体験している方はいないと言われていますが、その体験している自分が言うのですよ〜


体験したから霊性は身についているのではありません。

体験はあくまで体験です。

その体験をしても何もならない、その体験しても何にもならないのならと思われる方がもっと何にもならない方だと思っています?


心の思いや行いがキリスト様やお釈迦様とそれに菩薩と言われている聖人と同じような霊性になってはいないんですよ。

マザーテレサのような大きな愛やそれにキリスト様のような聖書の中の真理を身につけてこそ、

聖人や菩薩と言われるレベルに達する事になるかもしれません。

自分の心の中は、乗り越えていけれない壁をなかなか乗り越えれない自分にもどかしさがあります。

いくら奇跡の体験をしても、それはあくまで体験であって、キリスト様の霊性を身につける事はできません。

決して、謙虚に言っているのではないし、良く思われたいから言っているのではないんですよ。

自分は聖書の中の真理を身につけてないから、菩薩や聖人になってはいないといいます。

カリスマ性を持っている宗教家の創始者などの方はクンダリ二―覚醒は聖者だと言っていますが、

自分はそうではなくて、体験はあくまで体験であって、ルカの福音書などの聖書の中の真理を身につけてこそ、

聖者だと思っている違いがあるだけです。


スピリチャルな事を目指している方は、もっと本来の仏教やキリスト教を学んで、

仏教や聖書の中の真理を身につけてこそ本来のスピリチャルな事を目指す目的ではないんでしょかね。

その為には六波羅蜜やハ正道を実践して行きたいと自分は思っているだけなんです。


あまり仏教やキリスト教と言われている宗教に拘らない方は、世間で言われているスピリチャルな事と言われているものを目指さなくても、

自然に沿った生き方をして、心の成長を目指していけたらそれでいいんだと思います。




[77] 内なる教師 Date:2010-08-08 (Sun)
神との対話の中で、記載されています。

いちばん偉大なる教師は外にいる者ではなく、あなたがたの声である。

それがわたしが使う第一の声だ。

あなたがたの心の声はわたしのいちばん大きな声だ。

なぜなら、あなたがたにいちばん身近な声だから、

心の声はすべてについて、あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、

正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる。

それに従う気になりさえすれば、針路を決めるレーダー、船の舵、旅の道案内となる


※静かなる声と対話する事で、コンタクトが始まるかもしれません。

でも、それには思いと行いを正して、ハ正道を実践して行かないといけません。

自分の中の静かなる声に問うてみてくださいね


神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ) [文庫]
ニール・ドナルド ウォルシュ (著), Neale Donald Walsch (原著), 吉田 利子 (翻訳)



[76] 一生の目標 Date:2010-08-07 (Sat)
般若心経は、我々に悟りを開くための修行法を教えてくれていると言われます。

またあらゆる苦しみは、自分の心がつくりだしたにすぎないのだと思います。

自分が作った苦しみは、自分でなくす事ができると思います。

苦を滅する道、それが八正道だと思っています。


自分は若い時から、目標に持ちずっとその道を歩んで来ました。

今まで生きて来れまして、決して間違っていなかったと確信しています。


目標を持ちながら十善戒(じゅうぜんかい)六波羅蜜や八正道を実践修行する事により、

乗り越えていかなければならない壁を、なかなか乗り越えられない自分を抱きしめながら、愛しながら
 
この生命が終わるまで、続ける事しかないものだと思っています。

一生の目標です。



十善戒(じゅうぜんかい)


不殺生(ふせっしょう) 殺さない

不偸盗(ふちゅうとう) 盗まない

不邪婬(ふじゃいん) 異性をもてあそばない

不妄語(ふもうご) うそをつかない

不綺語(ふきご) きれいごとやお世辞をいわない

不悪口(ふあっく) 悪口や荒々しい言葉はいわない

不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使わない

不慳貪(ふけんどん)  むさぼり欲張らない

不瞋恚(ふしんに) 怒らない

不邪見(ふじゃけん) 愚痴や誤った考えをもたない


空の心かたよらない心、

こだわらない心、

とらわれない心、

広く広くもっと広く

これが般若心経

空の心なり

空の心…何事にもこだわらない自由な精神

般若心経は、我々に悟りを開くための修行法を教えてくれていると同時に

あらゆる苦しみは、自分の心がつくりだしたにすぎないのだと、説いています。





[75] 釈迦の教え Date:2010-08-06 (Fri)
こころの図書館


釈迦の教え 「いのちの真理」引用

人生について悩み29歳の時に出家した釈迦は、6年間の修行の末

35歳の時に、いのちの真理に目覚めました。悟りを開いた釈迦の教えである

いのちの真理 とは 「四諦八正道 ( したいはっしょうどう ) 」である。

釈迦は初めての説法で修行者たちに次のように説いた。

「苦行で身体を痛めつけ続ける者は、疲労と衰弱で精神の集中が妨げられ、通常の思考すら、

ままにならなくなる。そんな状態で、どうして真理への道を歩いているといえるだろうか」

釈迦は真理への道をたどろうとするならば極端を離れて 「中道」 を歩むべきだと説きはじめた。


中道とは次の8つの正しい道(八正道) だと示したのである。

◎正見 ( しょうけん ) = 正しく物事を見る

◎正思惟 ( しょうしゆい ) = 正しい心の持ち方

◎正語 ( しょうご ) = 正しい言葉を話すこと

◎正業 ( しょうごう ) = 正しい行いをすること

◎正命 ( しょうみょう ) = 正しい生活を送ること。

◎正精進 ( しょうしょうじん ) = 正しい努力を重ねること

◎正念 ( しょうねん ) = 正しい自覚を持つこと

◎正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすること


「そして、人の世が四苦八苦に満ちていることを見極めなければならない。

生まれることが苦の始めであり、年を経て老いていくこと、病を得て弱っていくこと、

最後に死んでこの世から消えることが、まず四苦。

愛する者と必ず別れなければならない。愛別離苦 ( あいべつりく )。

憎しみや恨みを抱く者と必ず会わなければならない怨憎会苦(おんぞうえく)。

求めようとするものがどうしても手に入らない求不得苦 ( ぐふとっく )。

執着 によって起こる心と体のさまざまな悶えの五蘊盛苦 ( ごうんじょうく )。

これらをあわせて四苦八苦 ( しくはっく ) と称するのだ。


5人の修行者たちは、腰を抜かさんばかりに驚いた。自分たちが長い年月をかけても

到達できなかった真理の道が、溢れる泉のように現れ出てくるではないか。

澄んだ清水が渇ききった砂漠に吸い込まれるように、

彼らの心の中には救いの教えが注ぎこまれていった。」

最後に釈迦は、偉大な悟りの道筋を4つにまとめて締めくくった。


◎苦諦 ( くたい ) = 生まれてきたわれわれの世の中の様相は「苦」であると見極めること。

◎集諦 ( じったい ) = 「苦」を引き起こすのは欲望と執着を集めることと見極めること。

◎滅諦 ( めったい ) = 見極めた「苦」の原因、人の世の「欲望と執着」を捨て去って滅すること。

◎道諦 ( どうたい ) = それを導く具体的な手段の「八正道」を日々怠りなく実践すること。


これらの教えを 「四諦八正道(したいはっしょうどう)」 といい、

仏教の根幹の教義として確立したのである。

そして与えることの大切さ、そして 慈悲の心 を持つこと 即ちすべての人に

「深い 友愛の心 (慈無量心じむりょうしん)」を持つこと。すべての人と

「共に悲しみ苦しむ心 (非無量心ひむりょうしん)」を持つこと多くの人々の

「幸せを見て喜ぶ心 (喜無量心きむりょうしん)」そして、あらゆる 執着・我意識を捨てて

多くの人々に 施す心 を限りなくもちなさい。人生は四苦八苦「迷い」や「執着心」を断って

「考えすぎな い」のが一番だと悟りました。

苦から抜け出るには 八正道を実践 しなさいと説かれました。



http://www.tamano.or.jp/usr/tosinobu/book/indexself.html

[74] 約チャネリングする方の80%は 憑依されている? Date:2010-08-02 (Mon)
ある有名なスピリチャルティチャ―が言うのには、

憑依体質の方は 知らずにチャネリングをしているそうです。

そして、約チャネリングする方の80%は 憑依されていると言っています。


天の声を聞きたいと思うエゴがあるから その声を聞かせる 

低い波動の存在(蛇や龍)が来て

貴方は選ばれた存在です。人類を救う使命があります。

人類を救いなさいなどと囁き

本人を騙して 低い波動の存在が乗っ取りや誘導があると言われます。

聴こえてしまうので 信じてしまう方も多いでしょう 。

高い存在は 【人類を救いなさい】などと基本的に言いません 。

人類にあまり介入しないのが 宇宙の法則でもあるからです

素晴らしい部分は受け入れても100%の言葉を受け入れることはないそうです。


一念三千どこに心が向いているか?たえず、自分の心をいつも見張らないと魔に支配されます。

一番始末が悪いのは、本人は騙されている事がまったく気づかないし、反省や悔い改めも顧みないのです。

心の不調和の時など瞑想したり、心がからっぽの時などは特に注意をしないと憑依さね兼ねません。

天使が入って来たと思っても、実は蛇の動物霊だったと言う事にもなりますからね。

本当に天使のメッセージか?それとも魔のメッセージがよくよく本質を見ないといけないと思っています。。


魔と言う者はいつの間にかうまくこちらに入り込んでくる。

虚栄心ある方にはあなたは特別な存在だ、あなたはミカエルの生まれ変わりとか、高次の名前を使ってくるのです。

あらゆる手を使って、少しずつ隙間から入り込んできます。

またはメシアであって、この地球を救う運命を持っているとかあります。

スピリチャルなものを求める方は普通の方よりも、イエス様やお釈迦様の正法を常に行じてゆくように心掛けないといけないと思っています。。




■ 六波羅蜜

彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸

では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から

彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。

彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸

では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から

彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。


この七施のうちで1〜6までは、日常生活の中で、実行は可能ではと思います。

見かえりを求めないで、実行すると言う事が大切だと思います。

実行していくと、いつかは自分の癖として身に付いているかもしれません。

七施のうちで1〜6を行っていると、天の蔵に徳を積む事にもなるかもしれませんね。

それには見返りを求めない事が大切ですね。


無財の七施
1.眼施(がんせ)

慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。

2.和顔施(わげんせ)
  
和顔悦色施ともいいます。いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接する行為です。喜びを素直に顔の表情にあらわしましょう。

3.愛語施(あいごせ)

言辞施(ごんじせ)の別称もあります。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行いをいいます。

4.身施(しんせ)

捨身施ともいいます。自分の体で奉仕をすること。身体で示すことをさし、自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切です。

5.心施(しんせ)

心慮施。他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持。

6.牀座施(しょうざせ)

たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることをいいます。

7.房舎施(ぼうしゃせ)

風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。



■八正道・人間の八つの正しい道

中道の道を歩むための、心と生活の基準である中道の生き方を教えるもの。

八正道・八つの正しい道とは何か

正見 (正しく見る)

正思 (正しく思う)

正語 (正しく語る)

正業 (正しく働く)

正命 (正しく生活する)

正進 (正しく人と調和する)

正念 (正しい目的意識を持つ)

正定 (正しい反省と瞑想、禅定(ぜんじょう)する)

正見、正思、正語はこれらの中でも最も大事な基本である。この八つの規範に当てはめて毎日を生活すること。

正道の目的

生老病死の迷いを消滅させ、恵みを与え悲しみを取り除く慈悲の心で、

他を生かし助け合う愛の行為を自然に行えるようになることであり、八正道を学ぶことは即ち法を学ぶこと。

それは又、中道の心の具現にあるのである。


八正道にそった生き方

善を思い、善を行う生活をすることである。慈悲の心で愛の行為をすることが、八正道にそった生き方となる。

なぜ中道でなければならないか

自然界の生命を育む条件というものは、自然界そのものが常に右にも左にも片寄らない中道の道を歩んでいるからで、

空気、水、太陽の熱、光…等、全てのものが外れることなく調和されている。

気温は暑すぎても寒すぎても生きてはいけないし、空気の組成が少し変わっても生きてはいけない。

全て、ほどほどでなければならない。このように人間もこの自然界を構成する一つに過ぎないのだから中道でなければならないのである。

自然界の調和にみる中道

人間を含めた大宇宙は常に相互に関係し合って動いている。太陽系一つをとっても、

太陽を中心に九つの惑星が相互に関係し、太陽系という体を形作っている。地上の生活にしても動・植・鉱の相互関係がなければ成り立たない。

その相互関係は何に起因するのだろう。

それは大自然の意識(心)なのである。秩序整然とした意識の働きがあればこそ、大宇宙も、地上の生活環境も、調和されている。

地球という球体が出来上がったのは、今から三十三億年前(高橋信次)のことである。

その頃は火の玉であり、太陽のように燃えさかっていた。生物が住めるようになったのは今から約六億年前のことである。

そして,その軌道は昔も今も変わりない。偶然にしては余りにできすぎていると思うのは当然である。

大宇宙には意識(心)が存在する。客観的にこれを説明すると、太陽の熱・光に強弱がない、空気に増減がない、

一日に昼と夜があって、決して一方に片寄らない。

例えば太陽の熱・光が強くなったり、弱くなったりしたらどうなるだろう。地上の生命は生きていられないだろう。

空気が増えたり減ったりしても同じことがいえる。我々の生活態度も食べ過ぎれば腹をこわし、

惰眠をむさぼれば体力に抵抗力を失い、もっと体に影響を与えるものは心である。心配事があれば食欲は減退し、

睡眠はさまたげられる。どなったり、腹を立てれば血行は悪くなる。人間の体も無理はいけないし、怠惰もいけない。

人間は大宇宙、大自然界の中で生活している一構成員に過ぎない。

このように、大自然の心は、私達に中道という調和ある秩序を教えているということになり、大自然は調和という中道の心を教えているのである。

人生の目的は何か

人生の目的は魂(霊、生命、意識、心)を成長させることにある。すべての宗教は何かあると、

調和しなさい感謝しなさいと、「調和」と「感謝」を教義にするが、調和と感謝が人生の目的ではない。

人生の目的は人間は神と一体である神の子であるという自覚を、頭で知ることではなく身体全体で、

魂のどん底で自覚すること、つまり大宇宙と一体となる「宇宙即我」(うちゅうそくわれ)に到達することなのである。

この宇宙即我に到達していくには、その人の心の段階があるといって良いが、

この宇宙即我を体験する唯一の方法が禅定(ぜんじょう)である。

調和し感謝したときの安らかな心の状態で禅定しないと本当の禅定にならず、宇宙即我への道を進んでいけないからである。

調和と感謝はただその入口に立っただけで、人生の目的は宇宙即我への道を歩み到達することである。

つまり、神の心の継承者である神の子の私達は、本来、宇宙と同じ大きさの心を持っているのだが、

それを小さく自己限定してしまうところに苦しみ悩みが始まるのだ。人生の目的は、それは人生の目的を知ることにある。

決して人間は、金銭欲、名誉欲、地位欲、支配欲、ましてや、食欲、性欲などを満たすために生まれてきたのではない。

肉体の欲望はみたされても、心の渇きは癒されない。心の渇きを癒すものこそ人生の目的とするのであり、

人生の目的を知るために人は生きなければならないのである。

(宇宙即我は「宇宙即我に至る道」園頭広周著 正法出版社を参照)






[73] 御めでたい日 Date:2010-07-29 (Thu)
今日は新しい仏壇の納品日でした。

御爺ちゃん御婆ちゃんの代からの祖先代々の仏壇でした。

もう〜随分古くなりましたので、新たに購入したのです。

実家は日本築の建物ですから、平均的な仏壇より少し大きいかもしれません。


でも、新たに購入したのですが、お仏様は今までのお仏壇に入って貰いました。

だから仏壇は新しいのだけど、仏様は今まで御祭りしている仏さんだから、

何も変わらない気がして、とても嬉しいです。

かなり年期の入った仏様です。


毎日、祖先供養と感謝を行っていますが、これからも続けて行います。

昔は何千回の祈願とかしていましたが、もう〜それをも囚われる事無く祖先供養を兼ねて行います。

ちなみに自分は祈願とかあまり最近ではしないんだけど、祖先の供養と感謝だけを行っています。

それに御経の最中に自分のゆかりのあった御婆ちゃん御爺ちゃん、そして親戚筋や御世話になった方がひとりでに浮かんできます。

特に気になる方は強く感じてしまいます。


今はこちらの世界から、見ているんだけど、いつかはあちらからの世界から見る時が来ると思います。

祈願もご利益も何も望まず、感謝だけは持つようにしています。

これからも何も変わらず、祖先供養と感謝だけは続けていけたらいいなと思っています。





[72] 実現されると言う法則 Date:2010-07-18 (Sun)
仏教の経典にアラヤ意識というものがあると言われます。

アラヤとというものは物をしまって貯蔵しておく蔵の事みたいです。


DVDの中には沢山のデタ―が入っていると思いますが、そのデタ―には沢山のイメージやビジョンが入っています。

そのDVDみたいに、デタ―を貯蔵しているおく蔵の事をアラヤ意識と言うのかもしれませんね。


深層意識の中にインプットされれば、それが未来において実現されると言う法則があると言われます。

ネガティブなものも、ポジティヴなものも深層意識にもろに飛び込んで来て、

自分の未来の元を作る事になると思います。


アラヤ意識の事を記憶種子とも言うみたいですね。

自分の深層意識に沈んだ記憶種子はいつかは異熟して行くと思います。

丁度、お米やこうじをいれたお酒を作る時にも似ています。

いくつかの原料を混ぜてポコボコと異熟されて行くと思います。


ある書物にの中に記載されていましたが、エマーソンはアメリカの哲学者と言われた人みたいでした。

とても面白い事を言っていました。

全ての現象は偶然に起きるのではなくて、後ろから押し出されてくると言う事と言われていました。


そういってみれば、運命の台本を書くのは自分です。

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で選択もできると思います。

こう言ってみれば、自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。


お釈迦様の言う八正道の中に最初の3つがあります。

正見 (正しく見る) 正思 (正しく思う)正語 (正しく語る)

その入る時や出る時をしっかり押さえておくのも、自分のよりよい未来を作るのに大切な事だと思います。


常勝思考を実践されている方や光明思考の実践されている方も沢山いると思います。

光明思考には自分の心を曇らさずに、光明思考光一色になれば心の曇りもないと言われる方もいました。

それはその方が心の調和に叶った方だからそう言えると思いますが、

凡人には何処が間違っているのかさえ解からなくなり、とても危険な事もあります。

まぁ〜それはその方の思想でありますから、全ての方が光明思想に適しているとは限らないと思いますよ。

暴走するタイプの方には常勝思考や光明思考は適さないと思います。

大切な事はお釈迦様の言われるような、右にも左にも片寄らない中道の道を歩んで行く事が大切ですね。


そうは言っても、自分も常勝思考や光明思考と言われるものも使ったりしています(笑)

ネガティブな思考になっている時などは特に使ったりします。


自分自身は仏教の反省やキリスト教の悔い改めを重んじています。

常勝思考や光明思考一色ではなくて、反省や悔い改めを主にしています。

でも、良く脱線していますが(涙)


自分個人の見解は、自動車にはアクセルやブレーキがあります。

そのアクセルやブレーキがあって初めて走れます。

ブレーキのない車なんて、とても危険で走る事はできません。

人生の中には良い時もあれば悪い時もあります。

その都度、自分を向上するようにしたら良いと思いますよ。

ありのままの自分でいる事も良いと思いますが、

駄目な自分も良い自分も抱きしめながら、成長していけたらいいんだと思っています。






[71] ■ チベットの占い導師ゲンギャウ Date:2010-07-15 (Thu)
チベット人高僧による占いイベントが開催されています。

クレイラさんのサロンにはチベット文化と精神性の素晴らしさを知って頂く為に

遠方の方にはスカイプを導入して来月2日もチベット占いイベント開催するみたいです。


こちらの占いパルデン・ラモ・レマティーと言う弁財天の憤怒形でダライ・ラマ法王の御法尊でもあり、

未来を予言する力を持つ女神と言われているそうです。

この占いをして下さるのは、北インド・ラダック地方ザンスカール出身のゲンギャウ導師さんなのだそうです。


ぜひお問い合わせ下さいね

http://blog.cleyera.net/?eid=856426

徒然なるまま開運日記

[70] あけの明星 Date:2010-06-29 (Tue)
あけの明星とは金星は自ら光っているわけではないのだけど、

地球から見るとどの恒星よりも明るく輝いていると言われています。

「一番星」「よいの明星」「あけの明星」などの名で親しまれていますね。


これから自分がいうあけの明星は金星の輝きやまたたきの事を言っているのではありません。

お釈迦様や弘法大師空海が残している経典のあけの明星の事についてです。


スピリチャルな事をしている方や沢山のティチャ―がいますね。

でも、誰もあけ明星の事を言う方はいません。


宗教団体の創立者や総帥と言われている方でも、あまり言う方はいませんね?

それとどうして沢山のティチャーやマスターと言われる方がいっぱい居ても、

誰もあけの明星の事について言っている方はいないのでしょうね?

多分、それはチャネリングを通して、霊能力をもつ事を目的にしているからかもしれませんね。、


お釈迦様は今からおよそ2500年前南インドにて、12月8日の暁、

菩提樹の繁みの下であけの明星のきらめく頃、悪魔を退け悟りを開かれた言われています。

お釈迦様の絵や像を見た事があると思いますが、

お釈迦様の額に、小さなボタンのようなものがついていると思います。

これは白毫と呼ばれているものです。

これは眉間にアジナチャクラ(サードアイ)が現れたものだとされています。


この日本でも体験した記録がありますね。

すでに1000年前に高名な弘法大師空海が阿波の大滝に登り、土佐の室戸埼で、求聞持法の修業に励んだところ、

谷はこだまし明星があらわれたと言われがあります。



霊眼の芽ばえとかはチャクラの開花を指すみたいですが、チャクラを開くとか開いているとか良く聞きますね

確かに瞑想とかしていたり、ボディーワークとかしていたら、サ―ドアイにかかっているブロックとか取り除かれチャクラが活性化され、

チャクラが開かれるみたいですね。


でも、自分の言うあけの明星のまたたきは霊眼の芽ざめです。

お釈迦様や弘法大師空海が修行され、あけの明星がまたたいたと言うものです。


あけの明星のまたたく前には、光点が現れると思います。

入浴時に湯船につかって居る時やリラックスしている時などはポツリと出現したりします。


深い澄み切った瞑想状態に入る前には悪魔とか蛇、サソリやいろいろな魔境が現れると思います。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には、悪魔がきれいな女の姿で出て来て盛んに誘惑したり、

恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたことなどが伝えられています。

心の進化の途中では必ず邪魔をする魔が現れます。


魔の対処の仕方は、この魔はいつかは滅びるもの、どんなに怖くても恐ろしくても、

アワヅブのような存在しかないし、いつかは消えていなくなるものと平気でいる事が大切です。


自分もあけの明星のままたきの前には、蛇や大蛇、サソリとか得体のしれないものが現れましたね。

そしてとても澄みきった状態になっていたその時に、暗闇から紫色の光が眉間の中央に注入して来て、光がまたたき始めました。

この説明は筆舌に尽くしがたいですね。


例えていうと、この紫色のまたたきは、生きているアメーバ―のように少しずつ変化しながら、形が変わって行きました。

そして密教などの曼荼羅の絵がありますが、その曼荼羅の絵と同じような感じです。

密教などの曼荼羅絵は宇宙観を表しているのでしょうかね。

その曼荼羅絵のような明星のまたたきは、自分の眉間の奥からはもう〜二度と消える事はありませんでした。


それと渦をまく第三の眼いつも見えますし、自分の一部になっています。

それと自分は耳がいつも鳴りやまない音になっています。

ドリーン・バ―チュなどはメッセージの集合体が衝撃となって神経組織に伝わる時に発せられるものだそうです。

天界からの指示やアドバイスは、こうした音でダウンロードされ伝えられるみたいですね。

これもいつでも、どこでも自分の一部の音として鳴り響いています。


チャネリングしている方などは、静かなる心の声や頭の中で聞いていると言われていますが、

こう言った鳴りやまぬ音を通して、天からの声を聞いている方も少なからずいると思います。


自分は有名だと言われているスピリチャルなティチャ―とかの面識とかあります。

有名どころのマスターやティチャ―もいますし、イエスキリストなどの書物関係に携わっている世界的に有名な方もいます。

その中で、自分の体験を書いている日記をみまして、勉強になったと言う方がいます。

そのような体験とかはあるのですか?

スピリチャルティチャ―と言われている方でも、驚いていますとか良く言われます。


そのスピリチャルティチャ―と言われる方でも、

明けの明星やクンダリ二―覚醒また悟り(見性)などしていると言う方は今まで自分は聞いた事がありません。

このクンダリ二―覚醒体験は何処かの団体やインドなどでも聖者とかの類だと言われています。

それに悟り(見性)と言って、今の時代ではなかなか開けないものも体験しています、

それとあけの明星のまたたきの体験も他にあまり聞いた例はありません。

自分は他の方から師の中の師と言われる事もあります。


自分から言わせれば、沢山の方がチャネリングを通して能力を身につける事が目的なっていると感じます。

瞑想中にイメージに囚われたり、または想像していて何かを得ようとしているから、

その段階が結果として現れるのではないでしょうか?

何かを得ようとするのではなくて、掴むのでもなく、思い解放して成りきる事も大事だと思います。


日本宗教の開祖が書物を残していると思いますが、その伝わっている書物の中身と同じ体験だと思います。

これは自分が○○の生まれ変わりだから、そう言った体験が出来ると言う方もいますが、、

お釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿っていったからこそ、体験できたと思います。

この古庵を特別な存在だと言われる事もありますが、それは勘違いです。

体験はあくまでも体験です〜体験をしたから高い霊性が身に付いているのではないんです。

誰であろうとも、キリスト様やお釈迦様の残した正法を学べは、きっと同じような体験は出来ると思います。

そのためには子供のような無垢な素直な気持になって、正法を信じて行ってくださいね。、


聖書にあるようにキリスト様はとても高い霊性を身につけているでしょ?

高い愛を自然に実践できてこそ、高い霊性が身に付いているんです。

自分の体験した事はほんの悟りの中の、は入り口ぐらいですよ。

この古庵はキリスト様のように高い愛を身につけてはいませんし、

マザーテレサのように大きな愛もありません。

いつかは高い愛・霊性を身につけていけたらと思っています。


この世に生まれて来るのは、悟りを開くためやカルマを解消する為に生まれてくると言われたりしていますけど、

そう言ってみれば、自分は目的に沿った行き方を見つけたかもしれませんね?

自分はなかなか開けないカルマと言うパンドラの箱をあけています。

そのカルマに翻弄されながら、今まで生きてこれました。

師の恩恵や天のご加護なくして、生きては来れなかったのです。

これからも何も変わらず、お釈迦様やキリスト様の通って行った正法を学び正道を実践して行くだけです。



光のかけ橋 (項目)

心ない教祖やまやかしの団体にそれにネガティブなオカルト信者によって、宗教と言う名前に手垢が付けられたと思いますが、


本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。

仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への事を教えていると思います。


人間は皆神の子なんです。本質が同じで、同じ能力・資質を持っています。

例え神の子で、本質が同じで能力も資質を持っていても原石のままでは光輝く事はできません。

それがもしそうであるならば、人間完成に近づいて行ける為には何をしなければならないと、自ずから解かって来ると思います。


お釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿って行ったら必ず体験できると思います。

一回きりの人生なら、何もしなくても良いかもしれませんが、輪廻転生があるのであるならば、今がその時だと思います。

自分にも言える事ですが、永遠の今を目覚めて生きてほしいものです。








[69] 再々婚について、 Date:2010-06-23 (Wed)
再々婚については「2回目もダメっていうのは情けない。結婚は考えたくないと女優の方が言っていました。

知り合いの方などは、一回目ならお互いに原因があると思ったりするんだけど、

二回目になるとそうはいかないみたいと言っていました。

非は自分にあると思うようになって、ダメ人間で失格者だと思うようになって、鬱になったと言っていました。


二回目の×と言う事は、かなり精神的にはキツイみたいです。

役所の書類に張り付けてあるのを見たら、自己嫌悪に陥ったみたいでした。

その彼女は精神的なダメージを負って、鬱になり長く精神安定剤を続けているみたいでした。

子供の出産の前後何年かは精神安定剤を止めなければならないと、医者に言われてるそうです。

自分は精神安定剤がないと生きていけないようになるから、止めた方が良いと何回かいいましたけど、

その彼女は現実にかえると落ち込んで、鬱になるから薬は止めれないと言っていました。


鬱状態から、精神異常をきたす事もありますから、心の切り替えをして見たら良いと思います。

それと暗示に掛からないようにしてくださいね。

世間では対象する存在がいて、自分とを見比べて自分の価値観をはかる見たいですが、

世間の評価などは、実際自分のフイルターを通して評価しているのです。

自分の見かたを変えれば幻想はなくなり、現実の絵は変わって行きます。


世間が何を言ったから全て鵜呑みにするのではなく、受取りをキャンセルする事もできます。

お店などは、料理人が作った料理をお客さんに差し出します。

お客さんは、その料理が口に合わないから受け取らなければ料理人の所に返った行きます。


だから、受け取る時には取捨選択しながら、ネガティブなものを取り込まない事が大切だと思います。

深層意識に種を蒔いたら、いつかは踊り出て来ますからね。

日常の考えで強く意識された表層意識は、潜在意識に沈み蓄えられます。


阿頼耶識などは粗一切種子識とも呼ばれているみたいで、そこに沈んだ思念はやがて開化し、実を結び実現するのです。

実現するものは、望むものか、望まないに関わらず現実に躍り出て影響を持ちます。

未来は不幸・幸福は自分が委ねている事みたいですね。

この阿頼耶識は、人の運命を左右する根元であると古い仏典には説かれているみたいです。

結局は自分が創りあげているのですね。

八正道の中の3つ正しく見る・正しく語る。正しく思うがありますが、

入る時と出る時をしっかり押さえる事が大切だと思います。


[68] ミカエルの剣 Date:2010-06-20 (Sun)
ティチャ―さんから譲り受けて、

ミカエルの剣と言う水晶で出来ている剣が手元にあるんです。

およそ40pぐらいあります。

ティチャ―さんが言うのには、貴重なもので、何年かに数本しか手元に渡ってこないものだと言っていました

そのティチャ―さんが創造主と水晶とミカエルに聞いて指名された者だけが、手にすると聞きました。

剣が持ち主を指名するために選ばれた方しか連絡がないとも言っていましたね。

恐らく人間が地球に存在する前から存在し始めたのではないかと、思われるような力強いパワーを持った水晶の剣で、

神は愛をもって届けなさいとティチャ―に言われてみたいです。

万能選手で、ミカエルいわく[あなたの意思通りに使って]とありました。


実はねぇ〜自分はグッズとかこういったツールとかはあまり拘ったりしていないんですよ〜

自分はどちらかと言いますと、能力的なものよりも心の法則とかに重点をおいていますし、

思い行いを目標においていますから、実はグッズとかモノとかに拘りたくないんです。

ただ、ミカエルの剣とはどんな物か?

気になって、一応エントリーさしてもらったんです。

エントリー中は自分に指名があったらどうしょう?

こんな水晶は見た事はないし、高価なものだから、予算はないしね。

内心ビクビクしていました。

そしたら、剣があなたの所にと指名されたと言われたんですよ。

神は愛をもって届けなさいとティチャ―に言われたそうですから、大幅に安くしてくれたみたいです。


エントリー中はどうか、自分はグッズとか必要はないですし、心の法則とか伝えたいから、

どうか?必要な方に渡してあげてくださいって、祈りました。

でも、持っておきなさいと??

ほんとバチ当たりな自分ですね(笑)

それに自分の手元に来たと言う事は、それなりの意味もあると思いますし、

万能な剣みたいだから、自分以外にも使って行きたいと思っています。





[66] ツバメが眼の前に落ちていた。 Date:2010-06-18 (Fri)
今日、実家の外にツバメが自分の前に落ちていました。

一瞬何?

もう〜虫の息と言うか?

眼を摘むって、もう〜無理だろうと思って、布切れを持って来まして、そっと布切れの上に置きました。

このままでは、猫やカラスに襲われそうだから、部屋に持って入りました。


前にも雀が同じように、眼の前に落ちていた事もありましたし、子猫もそうなんだけど、

実家は田舎だから、良くこう言った事はあるんですよ。

雀の時には、お水を手の指に載せて、口先にお水の付いて手をあてたところ、急にこちらを見て、その後息をひき取りました。

不思議な感覚でした。自分の手の上に居て、なんて思うんだろう?

悪魔に見えたかな?

それとも天使に思ったのだろうか?


部屋に持って入った、ツバメは眼をつむっていて、もう〜あまりもたないだろうと思いました。

丁度、自分はレイキエネルギーもありますし、

天の叡智やガイドに、このツバメをもう一度、空を飛べるようにしてくださいと手かざしをしながら祈りました。

手でツバメを囲みながら、両手で手かざしをして、○○○に聞いてみました。

このツバメはもう一度、元気になれるでしょうか?

心配ない。元気になれると聞きました。

○○○が言うのだった、全てうまく行くだろうと思いましたけど、内心はどうだろう?

それにガイドは準備は良いか?と前に聞いていますから、自分の願い祈りました。

何名かの天の叡智に祈りました。

自分としては、今、眼の前にいるツバメが助かったなら、誰であってもいいんです。


そしたら、少し経ってから、あれだけ眼をつむっていて、虫の息だったツバメが少しずつ元気になっていくではないですか。

まぁ〜こう言った現象や霊的な事は、自分はあまり言いたくはないんですよ。

実際はどうでもいいんですよ〜眼の前にいるツバメが何とか良くなってくれればと思います。

自分が一番したいのは、開祖や如来・菩薩が説いてある正法や正道を少しでも伝えたい気持ちの方が強いですからね。

ただ、偶然がかさなったのでしょうね。


でも、ツバメが少し良くなって良かったですが、今度はどうやって餌をやればいいんだろう?

取りあえず、蚊がいたから、蚊を取って、ツバメの横に置いて置きました。

せっかく調子が良くなりつつあるのに、今度は餌を食べないで死んでしまいそうです。

どうして良いか困っているところです。


それから親戚のおばちゃんが、来たからどうして良いのか?

相談したら助けてもらいたいから、あなたの所に来たのでしょうと言いました。

でも、せっかく良くなりつつあるのに、結局死なせてしまう〜

こんなんはどうして良いのか?

それに良く見てみると、肩足がない。

自然の野鳥を捕ると犯罪になるし、このままではやっと助かった命も、餌を食べないから死んでしまいそう。

ほんとどうして良いのか?困ってしまいます。


[65] 六波羅蜜 Date:2010-06-17 (Thu)
彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸

では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から

彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。


この七施のうちで1〜6までは、日常生活の中で、実行は可能ではと思います。

見かえりを求めないで、実行すると言う事が大切だと思います。

実行していくと、いつかは自分の癖として身に付いているかもしれません。

七施のうちで1〜6を行っていると、天の蔵に徳を積む事にもなるかもしれませんね。

それには見返りを求めない事が大切ですね。


宇宙が進化するように、人もまた進化していくと言われています。

世間一般では悪い事もしないけど、良い事もしてないと言うのが大勢しめているかもしれませんが

宇宙が進化して行くのに、悪い事もしないけど、良い事もしてないと言う事は現状維持なのですかね?

結局何もしないと言う事は、宇宙が進化しているのに留まると言う事は後退を意味するのではないですか?


今まで生きていて、いっぱい悪い事をして来たのなら、今度はいっぱい良い事をして見る。

やってみると、今まで解からなかった外の世界が、解かってくるかもしれません。

まず、善いと思うことは、とりあえずやってみることが良いのではと思います。




六波羅蜜

Oh My Buddha(おう まい ぶっだ)
新規コーナー「よくわかる悩みを知っ得ゼミナール」 引用


一.布施

他人の喜や楽を知ること


何故、仏教では布施という行為を勧めているのでしょうか?

布施という行為は、相手を想定しています。

例えば、相手が落ち込んでいるような場合に、我々はどのような態度で接するでしょうか。

きっと、相手の性格や、日頃の付き合いの深さなどによって、その対応も千差万別です。


例えば、相手を気遣い、見守ることも布施であり、何らかの言葉を掛けることも布施の一つになります。


ところが、布施とは一般的には、他人(殆どは僧侶ですが)に金品をあげることだと思いがちです。

そのために布施というのは、仏事という特殊な状況においてのみ行なうことであると誤解されてしまっています。

しかし、本当はそれは布施の一例に過ぎず、自分の財産を他人に施し与えてしまう財施(ざいせ)という行為です。

つまり、これらの布施をすることによって、自分が一度所有してしまったものを、もう一度手放すという訓練をしているようなものです。


道元禅師は、「修証義」において以下のように述べています。

「一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世(しせたせ)の善根をも兆す」(ここから引用)

要するに、例え小さなお金や小さな物であってもいいから布施しなさい、その小さな布施が、きっと将来の役に立つであろうということです。


また、親鸞聖人の言葉として、「歎異抄」に次のようにあります。

「かつはまた檀波羅密の行ともいひつべし。

いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなばその詮なし。」

訳は、「しかし一方では、この寄付の行為は、檀波羅密の行といって、仏教では重んぜられています。

しかし、どんなに宝ものを仏前に投げ、師匠僧侶に施したからといっても、

信心がなかったならばその価値はありません。」(梅原猛「梅原猛の歎異抄入門」PHP新書)


もちろん布施とは、自分の財産を相手に分け与えるということだけではありませんし、

まして、その布施の大小に価値がある訳でもありません。

つまり、基本的には、布施した当人が布施を行なえたことを感謝できれば、本来の布施と言えるでしょう。


他人の喜びや楽しみを知るということは、逆に言えば自分の喜びや楽しみを知ることにも繋がります。

例えば他人が喜んだり、楽しんだりすることをしてあげることができた時、

そのことで返って自分自身も喜んだり、楽しんだりできるという経験をすることがあります。それはきっと布施だったのでしょう。


財産などなくても誰でもどこでもできてしまう、「無財の七施」という布施があります。(ここから引用させていただきました)


無財の七施
1.眼施(がんせ)

慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。

2.和顔施(わげんせ)
  
和顔悦色施ともいいます。いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接する行為です。喜びを素直に顔の表情にあらわしましょう。

3.愛語施(あいごせ)

言辞施(ごんじせ)の別称もあります。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行いをいいます。

4.身施(しんせ)

捨身施ともいいます。自分の体で奉仕をすること。身体で示すことをさし、自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切です。

5.心施(しんせ)

心慮施。他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持。

6.牀座施(しょうざせ)

たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることをいいます。

7.房舎施(ぼうしゃせ)

風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。



Oh My Buddha(おう まい ぶっだ)
新規コーナー「よくわかる悩みを知っ得ゼミナール」

http://www8.ocn.ne.jp/~ohmybud/index.html





[64] マイミクさんがガイド見をしてくれました。 Date:2010-06-11 (Fri)
縄文時代のまゆを束ねているような古風な方みたいと言う事でした。

剣を持っているようで、準備は出来ているか?と言うメッセージ。。

多分、日本の神様だと思いますが、自分は実際はどちらでも、誰でもいいんですけどね。

誰であろうと祈っていれば、いつでも天使とかガイドをして貰えますからね。

ティチャ―やマスターだけが特別なものではないんですよ。

だから皆さんも勘違いしないで、天使にガイドして貰ったり、守って貰うように祈ったらいいんですよ。


一念三千どこにでも心の波長の原理によって、魔も天も通じますから、

心の不調和の時など瞑想したり、心がからっぽの時などは特に注意をしないと憑依さね兼ねません。

天使が入って来たと思っても、実は蛇の動物霊だったと言う事にもなりますからね。

一念三千どこに心が向いているか?たえず、自分の心をいつも見張らないと魔に支配されます。

だから龍や天使・高次元だと言われて、セミナーやセッションを受けたりしていると思いますが、

数万円〜数十万を支払い、ネガティブなエネルギーを持った存在や光を表現していない存在を憑(つ)けてもらって違和感を、

浄化中だとか勘違いをする事も起こり得る事だと思います。

憑依されない為には八正道を実践をして、日々、心の調和とやすらぎを見出していかなければなりません。



それとガイドさんに連れて行ってもらったところで、

現れたのが白く輝いているオラ―の中に人らしきものがいたような感じでして、眩しく輝いていました。

いつも自分が祈っているから、ガイドさんも連れて行ってくれたようでした。

その光輝くオラ―の方は、あなたがいつも私に祈っているからと言う事でした。

そのオラ―にあなたは誰なの?と言ったら根源だと言っていました。


良く創造主とか根源とか言うティチャ―もいます。

創造主に繋がるシターヒーリングとかもありますからね。

自分は創造主や根源と言うよりも、自分のオバーソウルか?と思いましたが、また聞いてみたいですね。


自分の心の中は、現象よりも、正法や正道を伝えたいと言う気持ちが強くあります。

菩薩や如来とか言われる方が説いた正法や正道の輝きを伝える為に生まれて来ていると良く言われたりしますが、実際は妄想の世界ですからね。

まず、常識的な判断も持ち合わせていないといけないと思ってはいます。

魔と言う者はいつの間にかうまくこちらに入り込んでくる。

虚栄心ある方にはあなたは特別な存在だ、あなたはミカエルの生まれ変わりとか、高次の名前を使ってくるのです。

あらゆる手を使って、少しずつ隙間から入り込んできます。

またはメシアであって、この地球を救う運命を持っているとかあります。

一番始末が悪いのは、本人は騙されている事がまったく気づかないし、反省や悔い改めも顧みないのです。


それにそんな事を言っていると、禅寺の和尚さんに一喝されますよ(笑)

坐禅というものは正しい坐相を、骨組みと筋肉でしっかりとネライ、しっかりと守るいう事みたいです。

瞑想や座禅とかしたいと思われたなら、禅寺をお勧めします。

思いを手放しをすると言う事ですから、能力ばかりを追い求めている方には向いてないかもしれませんけど、

正法を通して、正道の道とは何か?能力は副作用と思われるように変わっていくかもしれませんね。


それと根源と言う事であれば、自分のマイミクさんにもシターヒーリングのプロクティシヨナーが何人かいますが、

このヴァイアナさんの本によると自分で、上昇して第7層の創造主に繋がる事もできるみたいです。

実際、この本を見て、自分も第7層に繋がるように行ってはいますが?

それにはやはりちゃんとしたシターヒーリングのプロクティシヨナーを受けられる事をお勧めします。


シータヒーリング [単行本(ソフトカバー)]
ヴァイアナ・スタイバル (著), シータヒーリング・ジャパン (監修), 山形 聖 (翻訳)




[63] 超作 Date:2010-06-07 (Mon)
世界的な著名な国際宗教・超心理学会(IARP)本山博と言う先生は覚醒者の立場から語られ、

科学的に検証して、霊の存在や心理学としても卓越された先生でもあり、博士でもあります。

その著名な本山博先生にご指導して頂いたのがなりよりの自分の誇りです。




結果を求めずに行為する「超作」という修行

超作とはひとつひとつの行為を結果を求めないで最善をつくして行うことであるみたいです。



本文より抜粋

1章「超作」の意味

3 私の言う「超作」

私が今まで実際に行をしてそして皆さんに説いてきた超作というのは、或る行為をする場合、結果を求めない行為というのは勿論無い。

だから結果を求めて行為をするけれども、行為をする時に、

その結果がどうであるかということを忘れてしまう程に行為そのものになりきるということです。

いつも何かを気にしながら行為をするのでなくて、行為そのものになりきると、

その時には自然に、行為の結果を求めて行為している自分というのは消えてなくなる。

これが一つ。

もう一つは行為をする前に、自分がこの行為をすることによって少しでも他の人が助かるように、

あるいは他の人に役に立つようにと念じるということなのです。

4「超作」の基になるもの −愛と智恵と社会性―

くり返すと、超作とは、まず、行為をする時に、結果だけが基準になって行為をするのではなくて、

行為をする時には、もう夢中になって行為をする。結果を求めている自分を忘れてしまう程に夢中になる。

するとその夢中になった時に自己否定が起きる。そして、より高い状態、より高い次元に進んで行ける準備ができるということです。

それともう一つは、行為の動機が、その行為の結果生じたものが人の役に立つようにということ、それを念じるということです。

こういう超作においては、人の役に立つようなものを作る、あるいは行為をするということ、つまり「愛」が一つの基盤になっている。

それから、目指しているものが完全にできるようにするには智恵が要る。愛とか智恵というものが超作の根底にあるのです。

そして人を助ける、人の役に立つということが一つの目標になって行為をする時には、そこに自ずから社会性というのができてくると思うのです。


http://www.iarp.or.jp/moto.html

IARP 国際宗教・超心理学会
http://www.shukyoshinri.com/index.html

[62] 若き日の思い出 Date:2010-06-07 (Mon)
自分が若い時にクンダリ二―覚醒体験を起こして、再起不能や絶望の中で、たった一冊の書物の出会いにより、

やっと生きる望みや再生する光明を得ました。


そのグルはゴーピ・クリシュナと言う世界的に知られていたヨーガ行者・そのグルはゴーピ・クリシュナ

その事が切っ掛けとなり、この日本でも知らないものはいないと言われるクンダリ二―ヨガの講師で、

世界的な著名な国際宗教・超心理学会(IARP)会長 本山博と言う先生がいる事が解かりました。


その本山博先生を良く知っていると言う養老の○の本部の専務に会いに行き、小田原の根府川道場の門をたたく事になりました。


そのトップクラスの先生にご指導をして頂き、今では懐かしく思います。。

何日か泊まりがけのセミナーではいろんなヨガの修行している方もいれば、超作と言って心の進化・成長を目指している方もいました。

その中に再起不能に陥り生きる望みもなく、絶望の中でもがき苦しんでいる若者の自分がいて、

超作をしていると言う岡山県存在の親切な方にとても良くして頂きました。


そのセミナークラスの中に自分がいても、この自分は異質な存在であったみたいでした。

そのセミナークラスいる方の談話によると、クンダリ二―覚醒はあまりいないとの事でした。

自分がクンダリ二ー覚醒体験で、もがき苦しんでいると解かると、頭上からなかなか下りていかないクンダリ二―のエネルギーを

下ろしてくれるという事もしてくれたり、いろんな相談もしてくれました。


そして、セミナーの中盤に本山博先生に個別の部屋に呼ばれて、クンダリ二ー覚醒の事を相談しました。。

縁というものはほんと不思議なものです。

自分が住んでいる所は広島県ですが、その実家の田舎に先生は若い時に居た事がある言われました。

その先生は亡き父と歳もあまり変わらないような感じでした。

父を説得して、道場に連れて行って貰う前に説得には大変でしたよ。

浄土真宗の宗教に普通の家庭に育ち、普通の両親の間に、どうしてそんな者が生まれて来たのか?

それも世界で著名なトップクラスの先生の所に出向くのだから、なんかの間違いだと言っていました(笑)

そのトップクラスの先生にご指導をして頂き、今では懐かしく思います。。

もう随分時がたって、今では父に巨匠のもとに連れて行ってもらったことが懐かしい思い出になりました。






本山博(もとやま ひろし、1925年 - )は日本の超心理学者・心理学者・宗教家・哲学者・カリフォルニア人間科学大学院大学学長

・国際宗教・超心理学会(IARP)会長・玉光神社宮司。


林新聞店

ー高次の霊覚者・本山博氏ー

本山博氏は世界的に著名な方で、

多くの論文は内外で高く評価されており、

著書「超感覚的なものとその世界」は

ユネスコ哲学部門優良図書に推薦されています。

本山博氏は、アメリカの超心理学研究のメッカであるデューク大学に学んだ超心理学者で、

その名は国際的に広く知られている。アメリカ、イギリス、インド、カナダ、ブラジル、イタリア、フランス、オランダの各国で、

大学の客員教授、研究機関の客員研究員、国際学会で特別講演者などもつとめ、ユネスコから、世界の著名超心理学者10人に選ばれている。

立花 隆「臨死体験」より



稲盛和夫私は本山先生とはもう長いおつきあいになりますが、日頃より先生のバイタリティーあふれるご活躍を拝見するにつけ、

大変大きな感銘をうけております。先生は立派な宗教家、哲学家であるばかりではなく、素晴らしいサイエンティストであり、

また霊能的資質をも備えた傑出した人物でいらしゃいます。そして最近では、既成の学問の分野にとらわれず、

宗教、哲学、心や身体などの独自の研究を目的とした大学院大学を米国に設立されるなど、

その活動範囲をますます広く大きなものとされておられますし、また、出版活動を通じても多くの人々に影響を与えておられます。

私は、先生がこれらの活動を、世界の平和と人々の幸せを願って行われていることに、深い感銘を覚えるものです。

これからもどうか健康には十分ご留意され広く人々を善導されますことを心より祈念いたします。

京セラ(株)元会長



http://www.iarp.or.jp/moto.html

IARP 国際宗教・超心理学会
http://www.shukyoshinri.com/index.html

[61] ゴーピ・クリシュナ Date:2010-06-07 (Mon)
覚醒・至高体験の事例集に記載されていました。


ゴーピ・クリシュナ

ごく一部の研究家やヨーガ行者のあいだでしか知られていなかったクンダリニーの教説が、

世に広く知られるようになったのは、ヨーガ行者ゴーピ・クリシュナの『クンダリニー 』という著作が1967年に英語で出版されて以来である。

この著作でゴーピ・クリシュナは、自分自身のクンダリニーが覚醒していく過程をつぶさに、

かつ具体的に語り、その身体的・精神的な変容の有り様を克明に記録した。

この著作は、東洋の行法に関心をもつヨーロッパやアメリカの若者たちに広く読まれ、クンダリニーを覚醒をめざしてヨーガ行法を行うものが続出したという。


ゴーピ・クリシュナは、1903年にインド・カシミールに生まれた。父が世捨て人同然の修行者となってヒマラヤに入ってから、

母の期待と愛情を一身に受けて大学に進学。しかし読書に夢中になりすぎて、専門課程への進級試験に落第してしまう。

その挫折を契機にして熱心なヨーガの行者となり、昼はカシミール州政府の中級官吏として黙々と堅実な生活を続けながら、

毎朝早く休むことなく瞑想の行を続けるのである。


それから17年目、34歳の時、突如として予期せぬクンダリニーの上昇を体験する。

それは最初、筆舌につくし難い至上の幸福感をともなったが、しかし直後に死と隣り合わせの危険と辛苦に満ちた体験に変わる。

クンダリニーがシュスムナ管以外のナディ(管)、特に脊髄の右側にあるピンガラから誤って上がると、

心身にきわめて重大な混乱がおこり、制御できない体内熱のために時には死を招くことさえあるという。

彼は、その最悪の場合を体験をしのだ。「体内の器官や筋肉が花火で焼き切られるような、

無数の灼熱の針が身体中を走りまわっているような」苦痛が数週間も続いた。精神錯乱の一歩手前までいったとき、

ふと正気にもどった彼は最後の賭けをする。もしクンダリニーがシュスムナ管の右側のピンガラを上ったのであれば、

その左側の気道イダを開くこどでピンガラの焦熱を中和できるのではないか。


彼は、最後の気力をふりしぼって一心にイダの気道が開くように念じる。すると、それを待っていたかのように奇跡が起こったのである。

 「パチンと気道に音がしたかと思うと、銀色の流れが白蛇の這うがごとく脊髄をジ グザグ状に動いて昇り、

最後に生命エネルギーの光り輝く滝となって脳髄に降りそそいだのである。

それまで3時間あまりも私を苦しめていた火焔にかわり、至福の白光 で私の頭はみたされた。

少し前まで私の神経組織をはせめぐっていた火の流れが、このように突然変わったことに驚き怪しみながらも、

私は苦痛がやんだことに深い喜びを感じていた。」


こうして危機を脱したのちも、クンダリニーの光は、彼の中で不断に発光し続けた。

それはもはや、焼きつくすような熱気ではなく、すべてをいやす快い温かさをともなっていた。

その光によって彼の脳や神経組織は再調整され、意識は、確実に覚醒に向かって拡大していった。彼は、自らの意識の変化をつぎのように語る。


「私は、子供の時から慣れ親しんできた自我に統御された一つの意識単位から一挙に拡大し、光り輝く意識の輪となり、

最大限のところまでずんずん大きくなっていった。『私という感じ』は以前と変わらないものの、

それはもはや一つの小さく固まった存在ではなくなった。私は四方八方の広大な次元に通達する光り輝く意識の球体の中に包みこまれていた。

適切な比喩もないが、しいていえば、小さな明かりから出発した私の意識はしだいに大きな光の海に成長し、

気がついてみると、自分のまわりを近くからあるいは遠くからとりまく歓喜を放射する大きな意識の中にひたされていた。」


それは、「認識主体がより広大な視野を獲得」し、「以前より大きくなった表層意識に世界が映しだされる」ような体験だった。

その後、瞑想中の喜悦のなかで自己の限界を超えたエネルギーの噴出を許してしまい、再び灼熱のクンダリニーに苦しめられるようなこともあったが、

そうした経験を経て彼の意識の座が限りなく広がっていくのも事実だった。彼はつぎのようにもいう。


 「肉体と環境に束縛されていたはずの自分の存在が、名状しがたい形で、とてつもなく大きな人格として拡大し、

自分のまわりにある宇宙が不思議にも内在する感じがして、意識そのものといえる大きな宇宙と自分が、自分の内部ですぐさま直接に接触できるのであった。」


こうしてゴーピ・クリシュナの意識の場は拡大するが、同時に彼は、

「自分の内と外に知覚するものがゆっくりと輝きをまし始めていたこと」に気がつくのである。たとえば彼は、その知覚の変化をつぎのように語る。  

「眼前にある景色は私がよく見慣れていたものであったし、またある意味で、その出来事以前から私がなじんでいたものであった。

しかし、私が現に見ていたものは、私を驚きのあまり棒立ちにささるほど異常なものであたった。

この世のものとも思われない、何かおとぎの国のような風景が私の前にあった。  


古めかしい風雨にさらされた建物の正面には別にこれという飾りもなく、その上に青空が拡がっていた。

さんさんとした陽の光の中で、建物も空も美しい、しかも荘厳味あふれた銀色の光沢に輝いていて、

それがまた、筆舌につくしがたい驚くほど微妙な陰影効果をかもしだしていた。

驚き怪しみながら別の方向に目を転ずると、そこで もまたあらゆるものが美しい銀色に輝いていた。

あきらかに私のクンダリニー開発は 新段階に到達していたのである。私がどちらを向いても何を見ても知覚したあの銀色 の光沢は、

物体から発していたのではなく、あきらかに自分自身の内部にある光が投射されたものにほかならなかった。」

 こうした意識と知覚の変化ののち、46歳になった彼に突如として詩人としの才能があらわれた。

素晴らしい詩句が、インスピレーションのようにひらめくようになり、その詩集の発行などによって彼の名は全インドに知られていった。


http://www.geocities.co.jp/noboish/case/ki-yoga/kurisyuna.html

[60] 全カルマの解除? Date:2010-05-30 (Sun)
天に唾吐けば己に降りかかり、天に石を投げれば己に帰って来る。

捲いた種は自分で刈り取らねばならない。           
 
蒔かぬ種は生えぬ。自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う事は自然の論理ではないでしょうか?

それに自分が行ったものはブーメランの如く山彦のように自分に返って来ます。

それは今世の中で返って来るか、来世で返って来るか解からないですが、

これも真実だと思います。


イエス様も神理の中に、因果の法を語られています。

循環の法則を示されているのではないでしょうか?

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり

汝ら人を裁くな、審かれざらんためなり

汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝ら免し給わん


教祖が信者の代わりに業をかぶる。人の罪を背負うと言う事を聞いた事があります。

はたしてどうだろう?

人の悲しみが自分の苦しみに繋がる場合もあるかもしれません。

人の罪を背負って犠牲を払う事もあるでしょ。

人の悲しみや苦しみや罪を背負ったとしても、肩代わりはできないと思います。

自分を救うものは自分しかないと思います。



地球での輪廻転生中、今まで積み重ねてきたすべてのカルマを解除するみたいな目的のワークがありますね。

全カルマ解除浄化ワーク?

今まで地球上に転生してきた分、そして今世の「今」の時点までの、

全てのカルマを解消・消滅させることを可能にするテクニックだと言われているものがあります。

はたして本当だろうか?

高額な金額によって、全カルマの解除ができて、お金のない方は全カルマの解除ができないの?

そんな事を天は示されているのでしょうか?

自分が創ったものは自分で刈り取ると言ったキリスト様は偽りだったのでしょうか?

それとも時代が変わり、今はそれが出来る時代と言うことですかね?

アセッションの時代に近づいていて、地球が四次元に突入して波動が高くなっていくから

今は地球規模のカルマ解除が出来ると言っている方もいますが、

自分あらゆるカルマ解除を行って来ましたが、そんなインスタントみたいなものはなかった。


滅罪行〔罪障消滅〕仏教系では一定期間を般若心経などお経を唱えて罪障消滅を修法して、

自分の罪障を除法してくださいと願う滅罪行や神道系でも祈願法と言って、同じように一定期間に祝詞をあげて罪障消滅を修法すると言うものがあります。


インドではシヴァやアガスティア聖者などによって、カルマの解消があります。

カルマの解消を行えば、10あったものが、カルマの解消を行ったら2〜3ぐらいになるとか、

大けがになる予定だったのが、カルマの解消を行えば、打撲程度になると聞きました。

  
今世で輪廻転生持ち越したアセンションプロセスと言って、アメリカで行われているセッションがあります。

それによるとカルマが50パーセント75パーセントが浄化されると言われいます。

殆どの団体や聖者などは他の方に代って、全解除ができるとは言っていないようです。


バーソロミューの中に記載されています。

カルマなどというものはありません。

ただあるのは、過去の瞬間の記録として人がこの瞬間に持ち込むものだけです。

あなた方は人生を体験する為に創造しているのですから、どうぞ充分に体験してください。

カルマの一時的なものです。

過去の行為にもとづいてカルマを創りたければ、この瞬間、どのような状態でも好きなものを確実に創る事ができます。

あなたはあらゆる瞬間に(自分)を創造しているのです。

あなたは一瞬にして機嫌を直して愛を受け入れ、現在の瞬間に意識を置く事ができます。


こうみてくると業はかぶるものではなく、自分がつくるものだと思います。

信者の業を教祖が肩代わりし、

その為に教祖が人の悲しみや苦しみや罪を背負ったとしても、肩代わりはできないと思います。

信者が業を肩代わりして貰って、安心して安らぐ事ができると言う事は、真実や現実からかけ離れているのではないでしょうか?

結局は、自分を救う者は自分しかいないことだと思います。




[59] 真理追求の厳しさ Date:2010-05-28 (Fri)
山頂を目指して、登るのにどの方角から登っても結局は同じ山頂にたどりつけると思っています

真っ直ぐに登りつける者やいつまでも道に迷っている者やそれに間違っている道だと気がついて引き返す者

それでもいつかは同じ山頂に登りつける事ができると思います。


心ない教祖やまやかしの団体にそれにネガティブなオカルト信者によって、宗教と言う名前に手垢が付けられたと思います。


本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。


このキリスト様やゴーダマ・ブッダの真理を伝えたい気持が強くありますが、

自分はまだ正道を実践出来てないからこそ、もどかしさを感じています。

宗教はもう〜古いしそんな時代ではないと言っている方もいますが、

真理はいつの時代になっても変わる事はないと思っています。


仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への事を教えていると思います。

自分はどの宗教も属していませんが、その仏教やキリスト教とか言われているエネルギーに属しているから仕方がないと思っています。

線香臭いと言われようが宗教に入っていると勘違いされようが、

開祖が通って行った道を、少しでも伝えられたら自分が生まれた来た目的に近づいていけるかなと思います。


この地球に生まれ、誰もが皆一列でスタートしたと思います。

宗教に限らず、どの分野にしても人間完成に近づいて行けるものと思います。

輪廻転生を繰り返しながら、魂が渇望するまで、あらゆるものを体験し続ける事になると思います。


それには自分が何者か言う事を思い出す事が大切だと思います。

人間は皆神の子なんです。本質が同じで、同じ能力・資質を持っています。

例え神の子で、本質が同じで能力も資質を持っていても原石のままでは光輝く事はできません。

それがもしそうであるならば、人間完成に近づいて行ける為には何をしなければならないと、自ずから解かって来ると思います。


ルカの副音書6障あるような真理を実践出来てこそ、山頂に辿りつけると思っていますが、

それも夢のまた夢かもしれません。

まだ往くたびも輪廻転生をかさねながらいつかは、山頂に登りつけれるかもしれません。

それにはまず真理の実践です(汗)




ルカの福音書6章27−38節  「あなたがしたように、あなたにもされる。
 

luk6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。

luk6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。

luk6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

luk6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。

luk6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

luk6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。

luk6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。

luk6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。

luk6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

luk6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

luk6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

luk6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

[58] 神様が造られた宇宙の法則であり、約束です。 Date:2010-05-27 (Thu)
求めなさい、積極的に探しなさい、どんどん門をたたきなさい。

求める者は受けられ、探す者は見つけられ、門をたたく者には開かれるのではないでしょうか?
 

求めなさい。そうすれば、与えられる。

探しなさい。そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。

魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。

まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

(マタイによる福音書7章7〜11節)


 







[57] 魔にまけるな。 Date:2010-05-25 (Tue)
チャネリングとか通して、沢山の方がリ―ディングのメッセージを貰ったりしていますが、

本当に天使のメッセージか?それとも魔のメッセージがよくよく本質を見ないといけないと思っています。。

ガイドか?それとも闇の存在か?

魔と言う者はいつの間にかうまくこちらに入り込んでくる。

虚栄心ある方にはあなたは特別な存在だ、あなたはミカエルの生まれ変わりとか、高次の名前を使ってくるのです。

あらゆる手を使って、少しずつ隙間から入り込んできます。

またはメシアであって、この地球を救う運命を持っているとかあります。


一番始末が悪いのは、本人は騙されている事がまったく気づかないし、反省や悔い改めも顧みないのです。

一念三千どこにでも通じる心の波長の原理によって、魔にも天も近よってくるみたいですね。

心の不調和の時など瞑想したり、心がからっぽの時などは特に注意をしないと憑依さね兼ねません。

天使が入って来たと思っても、実は蛇の動物霊だったと言う事にもなりますからね。

一念三千どこに心が向いているか?たえず、自分の心をいつも見張らないと魔に支配されます。


欲が生じたり、おごる、金儲けの手段に使いますと守護霊はその方についていれず離れていきます。

そのすきに動物霊や魔王が入ってくるのです。

そのおごる気持が動物霊や魔王と同通するのです。

スピリチャルなものを求める方は普通の方よりも、イエス様やお釈迦様の正法を常に行じてゆくように心掛けないといけないと思います。


その低次元からのメッセージだと見破る為には判断できる方法があると言われています。

高次元のメッセージには愛の香りがすると言われています。

愛だけしか使わないと言われています。判断基準は愛だけみたいです。

それに引き換え、低次元の存在は虚栄心。不安、恐れ、強制など使って来ます。

ネガティブなものがメッセージに入って来た場合は相手にしない事が大切です。


自分の事を言うのも気がとがめますが、今まで沢山のティチャ―やマスターとの面識がありますが、

スピリチャルティチャ―から良く言われます。創造主からあらゆる神仏や天使がそうぞろいして、お仕事をしなさいとか?

自分はお役目とか使命と言う言葉の響きが好きではありません。

これからも誰に言われようが、自分のしたいようにするだけです。

でも、そう言っても正道を伝えたい思いは、とても強く心の中で掻き消せないものがあります(汗)


○○太子・○○菩薩・○○○ヨハネ・1300年前ぐらいに悟りを開いた者・神会からやって来た知恵を持った者または妖精とか今まで沢山の事を言われてきました。

それも同じように虚栄心を満足させられるものは充分にあると思います。

もしそれが本当であったとしても、何事も囚われたり、執着しないと言う事が大切です。

こう言ったところから自分の理性が負けて、魔に支配される事になると思います。

そうならない為らは思いを手放すと言う事が必要になってきます。


チベット仏教のダライラマさんが、観音様の生まれ変わりだと言われていますが、

その影響力は計り知れないぐらい大きくて、世中を駆け巡っていると思います。

松下幸之助さんはキリストの弟子の一人、ルカと言われていた方と言われてます。

世の中の為に社会全体に影響力があって、貢献した方ばかりです。

凡人には到底達成できる事ではないと思いますが、自分ら凡人は身の回りから少しずつ思いと行いを通して、社会に貢献したいものです。

お金持ちはありあまる大金の中からほんの少しをイエス様に渡されたけど、

マグラダのマリア様は何もあげる事がないから、自分の髪を切って、これで油代にしてくださいと言われたといいます。

女の命と言われるとおとい髪を切って、キリスト様に差し上げたと言われがありますからね。


過去世を知って、悪い業(カルマ・心の傾向性)を修正することは、人生修行の目的でありますが、

過去世がどのような人であろうと、今生(こんじょう)は今生であり、大切であることを忘れてはならないと思います。 

永遠の中の今を生きているんだから、永遠の今を見つめていかないといけませんね。


自分はクンダリ二―覚醒や悟り(見性)と言って、スピリチャルな世界でも珍しいと言われる体験をしています(汗)

インドでも聖者の類と言われている体験をしていて、如来とか菩薩の再来だとだと言われていますが、

でも、ほんと今まで体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

それには右にも左にも偏らず中道を通して、八正道を実践出来てこそ、本物だと言われるかもしれませんね。


八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃていますね。


実際この八正道を実践していけば行くほどとても困難な事に気が付きます。

サイの河原と言う例え話がありますが、積み重ねられた石が一瞬にて崩れてしまいます。

この自分も積み上げられたと思ったら、また崩れ落ちてしまったと言う繰り返しなんです。



正法が流布される時には、必ず魔が競い立つと言われています。

魔はお釈迦様の教団内に暗躍を重ねて、弟子達の心の中に入り込み、手を変え、品を変え、ゆさぶり続けたと言われています。


イエス様の時代もそまざまな妨害がイエス様の身辺に起こり、常に薄水を踏む毎日であったみたいです。

またモーゼ様の場合でも、外部から直接攻撃があったと思うと、今度は内部から動揺が起こり、神様を信じる人々の心の動揺が広がったと言われがあります。

それらを考えますと、とても自分などの凡人はひとたまりもなく呑み込まれてしまいます。


魔にとって、正法は大敵であって、地上に浸透してき、人々の心をあやつり、地上の欲望を果たしていくみたです。

一念三千の心はどこへでも通じるように出来ています。

人はみな、天使と悪魔の両方を併せ持っているみたいですからね。

魔は良く自分の心にある、内から外へ。外から内に向かって、常に揺れ動くものです。

魔に支配されそうな人は金銭欲、地位名誉、権力、虚栄心を満たそうとする人々です。

[56] 魂の友の続編 Date:2010-05-23 (Sun)
若い時に、ふと思ったことがありました。

自分のソウルメイトは、ある地域でこんな職業している方ではないかと思った事がありました。

まぁ〜ふと思った幻想だから、気にもとめませんでした。

それはまだ見ぬソウルメイトでした。

それが後から現実になろうとは夢にも思えませんでした。


ある実家の近くにあるお店に行った時に、その方と偶然出会ったのが始まりました。

それからというものは幻想に悩まされましたね(笑)

それから偶然、近くの○○に○を連れて行った時に、偶然その方がいました。

その方が職業を変えていたのか?偶然また出会ってしまいました。


その後にその方の勤めている○○に母を連れて行かないといけない事態が発生しました。

現在の母と前世の母が二人前に居て、それに自分がいました。


この女性の事は一切解からない状態でしたが、後から解かった事なんですが、

なんと住んでいる所と職種も昔、ふと思った事が偶然同じでありました。

それと自分の友達関係から、出会うのではないかなぁと思っていましたが、やはりそのようでしたね。

夢の中に意識が保たれた時に炎の鏡を見たら、この方はソウルメイトだと気づきました。

その方が今、時空を飛び越えて自分の眼の前に姿を現している。なんとも不思議なものでした。


今から考えますと、とても妙な出来事だったと思います。

この方には一切気づかれる事もなく、悟らせないように充分気を付けていました。


多分、シヴァの予言の検索に出ていた運命の方かもしれませんねぇ〜

二人の該当者であった、その中の一人かもしれません。

でも、もう〜遠い昔の思い出になりました。


実際、自分の前世の母だったんではないかと思っています。

前世の母とあって、強く引きつけられるものがありました。

自分の心の中にあるものや理想像とか言うものをこの方には持っていました。

もう〜彼女は嫁いでいますしね。

今だから言えることなんだと思っていますが、、自分だけの秘密の宝物と思って封印していました。

そりゃ〜なんの根拠もない妄想の世界ですのでね。


はるか何百年の時空を超えての出会いであったと自分は思ってます。


縁と言うものはほんと不思議でもありますね。

前世のゆかりの方(前世の母、恋人、子供も妻)と今世で出会って、電気が走るほどの衝撃を受ける事があります。

前世での繋がりが親子であったり、夫婦だったりした場合は現世でも同じような関係を繰り返すと言われています。


つまり前世で母親だったのが現世では妻だったり、娘が現在の妻だったりして、

同じソウルグループ同士がお互いの役割を通しながら学び、成長していくみたいですね。

前世のゆかりの人に強く引かれる要素はあると思いますが、

その時の意識レベルが相応しい方を決めて行くのだろうと思います。


前にも言った事がありますが、運命の相手は決まってるのかと良く言われますが、

ある程度は決まっていると言えるかもしれませんね。

遊園地に入ると決まっている時に、ジェットコースターから乗るのか?

それともメリーゴーランドや観覧車から?

乗る順番は自由ですが、遊園地に入ると決まっているのは変わりがないですからね。


それとどれから乗るのか?乗る順番は自由意識にまかされるだろうと思いますが、

それも偶然ではなくて、乗る順番も必然かもしれませんね。

犬が鎖に繋がれている範囲の自由があると言えると前の日記にも書いています。


もしかしたら自分の乗る順番が違っていたらどうなっていたのでしょうかね?

でも、相手も自由意識がありますし、選択次第で結果は随分変わっていただろうなと?思いました。

観覧車を乗ろうと決めていたけど、何らかの事情でジェットコースターを乗らずにおれないものだったらどうだろう?

乗り間違えたのではなくて、選択したものがそのような結果を招いたことかもしれませんが、

あくまでもこれも運命だったのでしょね〜(汗)



運命のは決まっているわけではなくて、これも自分の魂レベルに合う人が引き寄せられて、

その自分の波動に近い人が運命の人になるのではと思います。

どう言う体験をすれば最初も自分らしく成長できるのかと言うことが一番大切だと思いますね。


どうやら自分の意識レベルの近い人が運命の人になりそうですね。

結局は自分が出している波動次第で、自分が運命の相手を手繰り寄せて行くのでしょうね。

類は友を呼ぶ法則がありますからね。

縁と言うものはほんと不思議でもあります。

[55] 信念体系領域 Date:2010-05-21 (Fri)
ラムサのホワイトブックの書籍に記載されています。

地獄とは何のことだか知っているだろうか?

それは古代ユダヤ王国において、地面を浅く掘っただけの墓の事を指すのに使われた言葉だ。

ラムサは言う。

この燃えさかる火の海なるものを見つける為に、あなた方の世界の奥深く、つまり地球の中心を覗き込んだ事があるが、

そんなものはなかった。


この責苦を受ける場所を見つける為にあなた方の宇宙の端まで行ってみたが、そこには何もなかった。

同じ場所でも悪魔も探してみたが、どこにもなかった。

そして戻った時に、悪魔や地獄を信じる人間達の心の中にそれを見つけたのだ。

しかしそのような場所があるわけではない。


神との対話にも記載されています。第一に、彼は(ヒトラー)彼は地獄に行っていない。地獄と言うものがないからだ。


結局は地獄や天国は自分が作りだしているみたいですね。

人間は神の子と言われています。

その神から同質のものを持っていて、想像を与えられたと聞きます。

非物質界では、想像したものが現実すると言われていますから、自分の信念によって、創りだされる現実は真実となるのでしょうね。

思いは幻想、結果は化けてくると言った老師がいましたが、まさに自分の信念が創りだして結果が現れてくるみたいです。

天国も地獄も自分達の信念によって具現化してしまいます。


この三次元では荒い波動だから、結果はすぐに現れないみたいだけど、非物質界では一瞬にて思った事が現実になると聞きます。

非物質界では人を殺しても、強姦していると想像しても現実になるみたいです。

思ったことが一瞬で現実になるんだからね。


この三次元では荒い波動だから結果はすぐに現れないみたいだから、すぐに反省して、修正すれば浄化できると言われます。

でも、心の中で人を殺めることを想像したら、殺人と同じだと聞きました。

この三次元世界では荒い波動の世界に住んでいるんだし、人間だから喜怒哀楽を持っているのだから仕方がないかもしれません。

二面的なものがある世界だから、自分で選択して、望む現実を再構築していけたら良いと思います。

今までの自分の常識的な信念だと思っていた信念を一度見直して、掴んでいる信念を手放して想像しなおすのも非常に大切だろうなと思いますけどね。

それには心の指示が何処に向いているかが大切だと思います。


宗教の世界では亡くなったら、生前良い事をしていたら天国に行くよと良くいいます。

その反対に犯罪とか悪い行いをしていたら、地獄に行くといいますよね。

その自分達の信じた信念がそういうところを具現化してしまいます。


ある老師のお話に、人は死ぬ間近に悟って、自分の通って来た人生は間違っていたと反省したら天国に行けるかと言う問いがありました。

実際死ぬ間近に悟って、人生の間違いに気が付いたら天国にいけるかもしれないけど、

その死ぬ間近に悟れる事は絶無にないだろうと言われました。

殆どの方が生前の犯した過ちの罪の大きさにおし潰されると言っていました。


間違っていたら、ごめんなさい。小さい時に聞いた覚えがあります。

親鸞聖人の言葉の中に罪びとは、自分の犯した罪が解かっているから、一言助けてほしいと言うことで救われると聞きました。

善人と思っている善人は自分が正しいと思っているから、決して間違っていなかったと反省しないし、

一言助けてほしいと言わないから救われないと定かではないですが、こんな事を覚えていた記憶があります。

確かにその善人は間違った事をしなかったかもしれませんが、良いことをしたかといいますとどうだろうか?

宇宙が進化するように人もまた進化して行くでしょ。

この世に生まれて、間違った事をしなかっても、良いことをしなかったら、これは後退を意味するのではないでしょうか?



確かに悪いことをしていなかったから天国に行けると思っていたら、信念によって地獄にはいかないものと思いますが、

死んだら幻想が剥がれていきますから、真実が現れて来ます。

その時におのずと自分の行くべき場所が解かって行くのではないでしょうか?

神様から人間は想像を与えられていると言われますから、その想像によって現実になるんだと思います。


お墓には私はいませんと言う歌がありましたね。

昔の方は死んだら、お墓に入るとかお墓に眠ると良く言いますよね。その信念によってお墓に行くでしょうね。

私はお花畑が好きだから、死んだらお花畑に行くと言っている方は一杯あるお花畑けに行くと思います。

死んだらサイの河原に行くと言う方もサイの河原が具現化してくると思います。

自殺した人や、自分には罪があり地獄に落ちると思っている霊も同じくその信念によって、自分が創りだした世界に行くのでしょうね。

死んで、幻想から目覚めるのではなくて、生前のうちに幻想から目覚める事が大切だと思います。



[54] ソウルパートナー Date:2010-05-21 (Fri)
ソウルメイトだと思っても結ばれる相手とは限らない。

輪廻転生の中には何百回や何千回の転生があると言われていますからね。

この世と言う大きな人生の舞台で、誰もが主役演じています。

人生と言う大きな舞台には悪役もいれば、脇役もいると思います。

お互い役割を通しながら学び、成長して行くだろうなと思います。

学びが終われば自然に離れて行き、また別の課題をクリアする為に出会いがあり、人生を織りなして行くのでしょうね。

どう言う舞台を演じて、最初も自分らしく成長できるかと言うことが大切だと思います。


ある有名な占星術師などは30本前後ぐらい運命の相手がいて、赤い糸の中にはいくつかの種類があると言っています。

[3〜5本ぐらいは濃いくて太い運命の赤い糸]で、それと細い運命の赤い糸は20本前後存在しているみたいです。

細い赤い糸とは前世縁があったのみたいですが、特に縁が濃いとはいえない関係にあった人達みたいです。

だから、充分忙しく過ごせるだけの相手はいると思って、自分の理想に近づける自分でありたいものです。

自分の波動を高めていれば高い人が現れるでしょうし、自分の波動が低ければ、同じような相手が引きつけられるものと思います。

70億人の中で自分の運命の相手はたった一人しかいないと考えるのは可笑しいんです。


自分のマイミクさんの日記にも書いています。

≪結婚する人というのはあらかじめ決まっている”なんてことも言われますけど、それは本当なんですか?

「まあ、ある程度はね…。でも結局は本人の意思に委ねられるところも大きいね」

あう〜〜〜〜! じゃあ“運命の人”をみすみす自分から逃していたってこともあるわけですね…。

「結婚したいという強い意識のエネルギー同士が、そういう縁を引き寄せるのだよ。

だから口では結婚したいと言いながらなかなか結婚できない人もたくさんいるだろうけど、

そういう人は本音のところでは、そんなに結婚したいと強く思ってはいないのではないかな。

まだ自由でいたい。もっと遊びたい、いろんな異性と付き合ってみたい、という気持ちが心のどこかにあって、

なにがなんでも結婚したいという意識が、口で言うほどは強くないのかもしれないね。自分にその自覚がないという人もいるかもしれないだけで、≫


光のかけ橋の項目にも載せてあるんですよ(汗)

本当のパートナーは年収とか学歴とかではなくて、

愛のみしか必要でないので、それを引き寄せるには愛が大事なポイントになってくると思います。

本当のパートナーとは、心・魂で、感じているものであると思います。

魂に響くような出会いをするためには、自分のハートに、開く事が大切なんだと思います(汗)

それには、自分を愛するということが前提にないと、それ相応な相手と巡り会う事になると思います。

バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けてていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、その関わりある期間中はソウルメイトみたいですね。

それとエクトンの書物にもありますが、ソウルレベルでは深く繋がっていると実感できる相手は数十人はいるそうです。

輪廻転生があると言う定義でお話をしますと、ソウルイトは結構いると言われています。

だから70億人の中で自分の運命の相手はたった一人しかいないと考えるのは可笑しいんです。

充分忙しく過ごせるだけの相手はいるそうです。


それと出会い別れは誰もが同じように必然で訪れます。

地球には生まれた以上逃れる事ができないものの一つだと思います。

運命の相手は決まってるのかと良く言われていると思いますが、

ある程度は決まっていると言えるかもしれませんねぇ〜

遊園地に入ると決まっている時に、ジェットコースターから乗るのか?

それともメリーゴーランドや観覧車から?

乗る順番は自由ですが、遊園地に入ると決まっているのは変わりがないですからね。

それとどれから乗るのか?乗る順番は自由意識にまかされるだろうと思いますが、

それも偶然ではなくて、乗る順番も必然かもしれませんね。

犬が鎖に繋がれている範囲の自由があると言えそうです。


運命のは決まっているわけではなくて、これも自分の魂レベルに合う人が引き寄せられて、

その自分の波動に近い人が運命の人になるのではと思います。

どう言う体験をすれば最初も自分らしく成長できるのかと言うことが一番大切だと思います。


どうやら自分の意識レベルの近い人が運命の人になりそうですね。

結局は自分が出している波動次第で、自分が運命の相手を手繰り寄せて行くのでしょうね。

類は友を呼ぶ法則がありますからね。

縁と言うものは不思議でもあります。


前世のゆかりの方(前世の母、恋人、子供も妻)と今世で出会って、電気が走るほどの衝撃を受ける事があります。

前世での繋がりが親子であったり、夫婦だったりした場合は現世でも同じような関係を繰り返すと言われています。

つまり前世で母親だったのが現世では妻だったり、娘が現在の妻だったりして、

同じソウルグループ同士がお互いの役割を通しながら学び、成長していくみたいです。

前世のゆかりの人に強く引かれる要素はあると思いますが、その時の意識レベルが相応しい方を決めて行くのだろうと思います。


自分のおかれた課題がクリアして、学びが終われば自然に離れて行き、また別の課題を克服する為に新たな出会いが待っていそうですね。

それと世代ごと、それぞれの役割が変わって行くのでしょうね。




[53] 霊道を開いた人の危険性 Date:2010-05-18 (Tue)
光のかけ橋の項目にもクンダリ二―覚醒の事を書いていますが、この自分はスピリチャルな世界でも珍しくクンダリ二―覚醒体験をしています。

クンダリ二―覚醒者は日本でも珍しくはるかインドの国でも聖者の類と言われています。

スピリチャルな世界でも珍しいと言われているクンダリ二―覚醒や悟り(見性)を通して、

正道の香りや菩薩の輝きを伝えるのが自分の思い(役目、使命)と感じていました。


クンダリニー覚醒や霊能は心の進化の過程であって悟りの第一歩だと自分を戒め、

次のステップに進むように心がける事がとても大切な事なんだと思っています。。

それにはお釈迦様や高橋信次先生の言うように八正道を実践する以外はないと思います。

末法の時代に正道の香りや菩薩の輝きを少しでも引き戻したい、伝えたいと思いがあります。

今はそのような時代ではないと言われそうですが、それでも本来の正法を伝えたいと思う気持ちに変わりません。


それとクンダリ二ー覚醒体験を世の中に伝えようと思ったのは、クンダリ二―覚醒者は如来とか菩薩の再来だとかあるいは聖者だと言われていますが、

今まで体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

クンダリニー覚醒や霊能は心の進化の過程であって悟りの第一歩だと自分を戒め、次のステップに進むように心がける事がとても大切な事だと思っています。。

それにはお釈迦様や高橋信次先生の言うように八正道を実践する以外はないと思います。


お釈迦様の慈悲やキリスト様が道を示している正道を実践してこそ霊性が具わって行くと思います。

末法の世には何が正しくて何が間違っているのかさえ解からなくなっています。


菩薩の七光と言われる光線にも医療、芸術、音楽、宗教とか色々分かれていると言われていますから、

どの分野でも宗教に関わらず霊性を高めて行くのが大切だと思います。


犯罪を犯す宗教団体やとんでもない一部の霊能力者によって、本来の宗教が歪められた感じかしてなりません。

それには右にも左にも偏らず中道を通して、八正道を実践してこそ本物の能力も出てくると思います。

八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃる理由がまさにここにあります。



次に、高橋信次師の〃ことば〃を聞いてみたい。 

「過去世を知って、悪い業(カルマ・心の傾向性)を修正することは、私達の人生修行の目的であるが、

過去世がどのような人であろうと、今生(こんじょう)は今生であり、大切であることを忘れてはならない」、と。  
        

 高橋信次師は、次のことが言いたかったように見える。     

魂は永遠不滅なもので、人間は地上界に何度も何度も生まれて人生の修行をして行くものであり、

人生はこの世限りではないことを教えるための一つの方法、方便として過去世を明かし、

その人が生きていた当時の言葉を喋らせ、「ほら、その当時はこんな言葉で喋っていたではありませんか」と、

人々の面前で公開して教えたのである。無霊魂論と、人生はこの世限りという考えにに凝り固まった現代の人々に、

あの世の存在や来世や過去世を理解させるためには、このような方法を取る以外にはなかったと思われる。

しかし、高橋師の霊能にのみ憧れて、人生を誤る人々が多くいたことは残念だった。

高橋師の後を受けて、正しい心の持ち方と人生の生き方を教えた「正法」を、護り伝える使命の園頭広周・元国際正法協会会長は、

霊能的なことは一切やられなかったが、その理由は、正法の生き方を遵法する人には二次的に奇跡は起こるからだと言われている。           

                 

     <人は過去世をナゼ思い出せなくなったか>

                  

 人はそれぞれに過去世を持っているのに、ナゼそれを想い出せないのだろう。

神の子である人間はその能力を皆持っていたのだが、永い歴史の中で「愚痴」「怒り」「足ることを知らぬ欲望」という暗い想念(心)をつくり出したために、

神が与えたその力を閉ざしてしまった。今を正しく生きるために、人はその能力を奥深く潜在してしまうことになったというのである。

その力を有していた人間が、自らその能力を閉ざしてしまったので、方便により信次師の力で過去世を強制的に思い出させたのである。 

                                 

    <過去世を思い出す謎と、霊道を開いた人の危険性>     

                                 

 人の心は、オギャ−生まれると、九十%が潜在され十%の表面意識と想念帯の働きでこの世を渡って行く。

この世に肉体を持った光の天使の「光」で厚い想念帯に窓(穴)が開かれるために、

九十%の潜在された意識が外に流れ出て今世では習ったこともない当時の言葉を喋り出すことになる。  

しかし、光の天使の「光」によって強制的に開かれた想念帯の窓は、欲望が生じたり、威張ったり、おごる気持ちが生じると、

守護霊(自分の過去世、魂の兄弟)の慈悲と愛の身上とは合わず守護霊の働く場がなくなるので守護霊は離れてしまう。

守護霊は離れる時にはその窓をふさいでしまうが、そのスキに動物霊や地獄霊、魔王が入ってくるために

、霊道を開いた人が普通の人より余計に正道を踏みはずして間違ってゆくことになる。      

                                 


   

[52] 本体一人と五人の分身 Date:2010-05-18 (Tue)
<生命の仕組み、魂の兄弟・本体一人と五人の分身> 


次に、高橋信次師の〃ことば〃を聞いてみたい。   

人間は、大自然の中の一つの構成員にすぎない。植物が、核(本体一)を中心に、その周囲に原形質膜、液胞、細胞膜の四つから構成されていて、本体一、分身四の関係となる。    

動物の場合は、核(本体一)を中心に原形質膜、ミトコンドリア、ゴルジ体、中心体、脂肪粒の五つから構成され、

つまり本体一、分身五の関係になる。同様にして、鉱物の場合は原子番号に核を加えた数が本体と分身の数になり、

例えば炭素の原子番号の場合は六、核が一つに陰外電子が六ということで本体一、分身六の関係となる。              

このように人間も動物だから本体一、分身五の関係には違いないのだが、実は人間の場合は、

この大宇宙が神の大意識を母体に熱・光・電気・磁気・重力という五つのエレメントからできているので、

人間の生命体もこれに合わせて本体一(大意識)、分身五(五つのエレメント)の組合せになるのだ。


人間を称して小宇宙というのも、生命の成立が大宇宙の構成と同じようにできているように、

生命も物質も三つのプロセスからできている。

地球に生命が宿るのは太陽、月、そして地球という三位一体の構成。地球(地上)は気圏、水圏、岩圏から成っており、

原子は陰外電子、中性子、陽電子からでき、電気は陽性(+)、中性(N)、陰性(一)から、細胞は大きくわけて原形質、

細胞質、核の三つから構成されている。物質の成立は、宇宙の大意識をまず出発点として、

第二に熱・光・電気・磁気・重力のエネルギーが組み合わさって、物質という第三の現象化が行なわれている。

生命もこれと同様に、まず第一に宇宙の大意識から、第二に個としての生命が、あの世すなわち実在界に誕生し第三に現象界(地上界、この世)に姿を現わすのである。             

                                 

一度、現象界に出た生命体はこの世とあの世の転生をくりかえし、この世に生まれ出る時は両親という媒体(縁)を経て、姿を現わす。 

つまり、大意識から離れた生命はあの世、両親、この世というプロセスを踏みながら、循環の法のなかで生きるように仕組まれている。     

                                 

   〈人間の生命体の三つの系列〉                

                                 

 人間の生命体である一本体、五分身については、人間の生命体は三つの系列からできており、その構成は次の通り。             

     一の系列=男本体一、男分身五

     二の系列=女本体一、女分身五

     三の系列=男本体一、男分身二、女分身三

          女本体一、女分身二、男分身三

 つまり、本体が男性で、分身が五人すべて男性の場合        

     本体が女性で、分身が五人とも女性の場合         

     本体が女性で、分身の二名が女性、三名が男性の場合    

 そして、本体が男性で、分身の二名が男性、三名が女性の場合である。

 これらは、具体的に言うと次の通りである。  
          

常に男性として現れ、肉体は男性であっても意識、心、精神的には女性的なるものも完全にマスターして、

神の子としての全人格を完成してゆく人達で、例をあげると釈迦、キリストのようにいつの世も男性として現われる人。


また、常に女性として現われて、男性的なるものもマスターして女性としての生き方の模範となる人で、

例えば釈迦の母マヤ夫人やキリストの母マリヤ様などのいつの世も女性として現われる人である。 
    

そして、ある時は男性としてある時は女性として肉体を持つ人であるが、一般大多数はこの部類に属して順序は男性と女性が交互に転生する。

つまり男性・女性・男性・女性…。または女性・男性・女性・男性…、となるが、一の系列から、三の系列を含めて、男女の数は同じである。

また男女のみの系列と、混合の系列があるのは、人類全体の調和を目的としているからで、

もしも一と二の系列、二と三の系列のみとすれば、この地上の男女の均衡は破れる恐れがでてくることになる。

だから高橋信次師は、「この世とあの世を通じて男女の数は同じで一定不変である」と説いたのである。                      

                                 

  <生命体(魂)の輪廻転生の順序>               

                                 
魂の転生輪廻はそれではどういう順序で行われるかといえば、原則的には順ぐりでAが出れば次がB、Bの次はCというように、

A(一本体)BCDEF(五分身)が次々に現象界(この世)に出て修行する。

だが、転生輪廻の過程で修行を積む者と横道(地獄界)にそれてしまう者もあって全体のバランスを崩すことがあるので、

こういうケースは比較的少ない。図にすると次の通りである。



このように、人間は或る時は男性に、或る時は女性に生まれてくる人がいる。

現代は男性の肉体を持っている人でも、女性が守護霊となって教える場合は、男性であっても女性的な考え方をするようになる。

その反対の場合は、女性であっても男性的な考え方をするようになる。

その男性的なるものと女性的なるものを、輪廻転生によってどのように勉強したかによって男性的要素と女性的要素の割合が違う。

男性でありながら女性らしい男が、また女性でありながら男性らしい女がいるという原因はここにもある。

「…という原因はここにもある」と余韻を残した述べ方をしたが、例えば「男っぽい女性」を例にとって説明すると、

今度の子供はどうしても男の子が欲しいと切望していたのに希望に反して女の子が産まれた。

すると、両親や周囲の希望が胎児に印象されて、産まれて来た子供は、女の子でありながらケナゲにも、

それに答えるべく男っぽく育つということが起こるのである。こうした周囲の環境によって「

男っぽい女性」や逆に「女っぽい男性」が世の中にはいるという一つの理由になる。

また、男性ばかりの兄弟の中にポツンと女の子が産まれた。その環境から「男っぽい女性」その反対の場合は、

「女っぽい男性」がいることを経験されている人も多いと思うが、思春期にはいったら途端に女の子らしくなったとか男の子らしくなって直ってしまったという場合は、

環境的な原因であり、この場合は一時的なことが多いのである。                   

                                 

    <本体と分身の使命と役割〉

                                 

本体を中心として五人の分身は、それぞれ容姿は異なるが、その性格的長所や欠点については同じような特徴を持っている。

本体の役割は、現象界に生まれて分身の造り出した業(カルマ・心の傾向性)まで修正する使命を持っているが、

分身は自分の業の修正のみでその目的は果たされ、従って本体の使命は重大である。それにひきかえ分身は、

この現象界に出るとき、なるべく容易に悟れそうな環境の、生活にあまり不自由のない中流階級以上を選ぶ場合が多いと高橋師は言っている。

そして、肉体を持って修行している分身に対しては、本体やその友人、分身の友人が守護霊をしたり指導霊をして、間違いのない一生を送らせるように協力している。

本体は分身と違って自分で自覚せねばならないので、特に正しい想念と行為が一体となった生活をすることが最も重要なのである。

これより高橋信次師の講演、「天使の再来」から聞いてみよう。   

                                 

本体という核を中心として、五人の分身から人間は成り立っています。即ち肉体をもってこの現象界にその一人が出ているとすれば、

残る本体や分身は実在界において、現象界にいる人間に対して守護・指導霊として見守り、指導しているのであります。

現象界に肉体を持っている本体あるいは分身の心は、次元の違ったエネルギーの世界、

つまり実在界における五人の分身、本体に通じており、それは霊子線という光の糸でつながれていることを知らねばなりません。

その霊子線は、皆さんの正しい心の調和、正しい神理、正しい行ない、つまりこの三相の心の中に生活を送っていれば、

皆さんは霊子線を通して神の光をストレートでうけることになるのです。

それが、不調和を起こして怒ったり、誹(そし)ったり、罵(ののし)ったりして、自分の心というものを掴めないならば、

その人達は即地獄の姿となり、霊子線の光が消えて、動物霊だの、あるいは、他のよからぬものに憑依されてしまうのであります。」                            

                                 

  〈魂の先祖と肉体先祖〉

                                 

 肉体先祖は、現実の親子関係を通した俗にいう家柄、血筋である。これまでの観念は肉体先祖のみで、

遺伝的なつながりの中で顔、姿、かたちが似ていると言われるのが肉体先祖である。

この人生航路を渡る肉体舟を与えて下さったのが肉体先祖というのであるが、同じ親子であっても魂はみな違い、

肉体は遺伝されても魂までは遺伝されず、魂にも肉体とはちがった先祖があるのである。

魂の先祖とは自分自身の過去世であり、つまり、五百年前、千年前、一万年前‥‥ にどこかに生まれ生活してきた自分自身の過去世の生活記録であり、

それは親から受け継がれたものではないのである。次にに具体例を示そう。                           

 <肉体先祖>                       

 

高橋家→ 父

→ 高橋信次 (十人兄妹の二男)

○○家→ 母

        

                    

    <魂の先祖>

 

 

 

三億六千五百年前の真のメシヤエル・ランティ
 

 
 
三千数百年 前のモーゼ
 

 
 
二千五百年 前の釈迦

 

 
 
二千年前の イエス
 
現代の

高橋信次


 

                                  

「私達の肉体先祖の悟っている人々が、子孫のため協力している場合もある。

心の眼が開かれた時には、この事実を自らの力で知ることができるであろう。」(高橋信次)                      

次に、昭和四十八年夏、長野県熊の湯の自主研修会の高橋師の講演を聞いて見よう。 
                          

「それでまた、これは本当かな、と思ってあっち(天上界)へ行って聞くわけです。すると、イエス・キリストを名乗る人が何人もいるんです。

 髭をこう生やした人、それから、少し面長な人とね。声も違うし、アクセントも違うんです。

それで本体と分身の関係がわかってきた。それから「細胞を学べ、細胞を学べ、五体の形成はどうなっているかを学べ」と言われた。

だから、なぜ、どうして、と突っ込んで結論が出てきた。だが、一般の人は突っ込めないんですね。

こういうことを僕は十歳から四十二歳まで、そんなことばかりやってきた。」            

 次に、魂の兄弟達の例について具体的に説明したい。

                                 

 <イエス・キリストの生命〉                   

  本体イエス・キリスト                     

  分身@ クラリオ・BC四千年頃エジプト            

  分身D マグネチオ・BCニ千年頃エジプト           

  本体  イエス・キリスト紀元前三十二年イスラエル       

  分身B フォアイ・シン・フォアイ・シンフォー・AD四百年頃中国

  分身D アントニオ・アグパオア(昭和五十七年死亡)フイリッピン

                                 

高橋信次著『心の発見』には、「現在、分身Dが、フィリッピンで肉体舟に乗って修行している。

クラリオ(分身@)が守護霊をしており、指導霊は、イエスの友人であるモーゼの分身が担当している。」と、

記述しているが、分身Dの有名な心霊手術者の通称トニ−が若くして昇天した。分身Dの次は本体の出生の順番となるわけだが、

信次師は「これから百五十年後(昭和四八年に百八十年後と)には、アメリカのシカゴにイエス・キリストの本体が出生する」と言い残したが、

そこで世界政府を樹立するというのだ。                           

                                 

  〈釈迦・ゴーダマ・シッタルダーの生命〉

                                 

  本体、ゴーダマ・シッタルダー(釈迦牟尼仏)

釈迦の前の生命はリエント・アール・クラードと呼ばれ、南米のアンデス山脈の麓に生まれ、さらにその前の生命は、アトランテス帝国時代のアガシャー大王として神理を説かれた方だった。

  分身D 中インドに王様の子供として生まれた人

  本体  釈迦BC五百年、インド

  分身@ 不空三蔵 北インド

  分身A 天台智ぎ  中国

  分身B 伝教(最澄) 日本八世紀

  分身C 空教

  分身D 木戸孝允(桂小五郎) 日本十九世紀

 釈迦から二千五百年の流れをみると宗教家五人に対し、政治家一人である。                               

   「不空三蔵」                              

 北インドに生まれたが、その後中国に入り密教を伝える。 
     

不空三蔵の弟子である恵果は、それまでの密教を止揚して金剛界、胎蔵界の両界曼陀羅を説き、この両界曼陀羅を弘法大師に伝えた。      

信次師が憑依霊、動物霊を取り除く時に「不空三蔵、この霊を連れて行きなさい」と言い、

「不空三蔵があの世の修養所へつれて行きました」と述べているビデオテープが多く残っている。              

これについては講演の中で高橋師は、                

「養老堂の若いお婿さん、浅草駅の傍に大きな楽器店があるんです。そこの娘婿さんが首が曲らないのですよ。

私の所にたずねて来ましてね。十年も曲らないんです。医者に見てもらってもだめ、車を運転する時はこうなんです。

「貴女だーれ」と聞いたら、「ちえ子と言ってるよ」「ちえ子って誰れ」と聞いたら、十年前に亡くなった奥さんだったのです。それで僕は奥さんに、「あなたのご主人は、あなたが亡くなってから‥‥。行きたくないなら、私がしっかりと教えてあげるから、まず離れなさい」と。それで懇々と教えて、彼女を連れて行ってもらったのです。その時に、私の守護霊・不空三蔵に助けてもらい、連れて行ってもらったのです。そうしたら、首が直ったのです。「そうでしたね」「そうです。直りました」、 十年も医者にかかって直らないのが直ったんです。だから、私がやっているんじゃないのです。私は教えを受けているのです。だから、光を入れるのも自分ではないと言っているのもそれなんです。」         

このように、いつも高橋師は謙虚であった。             

                                 

   「天台智ぎ」                                 

 仏教がインドから中国に渡ったのは二世紀頃であり、五世紀になって広がった。天台宗を開いた天台智ぎ(ちぎ)という人は、

法華経を南岳慧師のところで学ぶ。南岳慧師は毎晩夢の中でミロク菩薩から教えを受け法華経を伝授されていくが、

そうしてその伝授されたものを陳少年、のちの天台智ぎは、仏教は行いである。行為のない神理は神理ではないとして、

三十七歳のとき、天台山というところに移り法華経を説いて行く。



天台大師智ぎ(兵庫・一乗寺 国宝)

 

当時、経文は声魂(こえだま)を通して、己の心を調和しようとしたもので、つまり韻声(いんせい)という法を採用したのである。   

 八世紀になると最澄(伝教大師)が中国に留学し、天台山で八カ月ばかり学び、比叡山延暦寺に天台宗を開いた。

分身Aの天台智ぎが開いた天台山に、日本に生まれた分身Bの最澄が法華経を学ぶために中国に留学するとは不思議である。

一九七四年(昭和四十九年)福岡県二日市での講演会で信次師が韻声によって法華経を朗々とあげる場面がビデオに残されているが、

台本のまったくない〃そら〃で、古代中国の言葉で法華経をあげている。

信次師のその時のお経は何かしら心が洗われるようで何度テープを廻して聴いても良いものだ。 



◎古庵は個人はここにある宗教、団体とか一切関係はありません。

◎経済的にお困りの方や身体障害の方にはヒーリングを無償で行いたいと思います。
お気軽に問い合わせください。


三宝出版 高橋信次

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Youtube-GLA関西本部

http://www.shoho.com/




[51] 光の経文 Date:2010-05-17 (Mon)
※経文の意味を理解し実践している者が唱える言葉は言霊(ことだま)の発する言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。



心行」について

「心行」は、大宇宙の相互間系と人間関係、そして、すべてのものが循環され、この循環が大宇宙の心、中道を軸にして回転

し、人間の魂もまたこうした正しい循環の過程の中で育まれ、調和という目標に向かって転生輪廻を重ねて行く永遠の生命体

であることを、きわめて平易に、端的に文字で表したものである。


「心行」の柱となるものは

1、大自然という神の心2、永遠の生命体を維持する循環の法3、慈悲と愛の三つである。この三つが「心行」を形作り、私

達を生かし続けているものであり、「心行」はそれゆえに心の教えであり生活の規範である。

したがって、これは暗記するも

のではなく、これを理解し実践して行くものだ。実践の過程を通して大宇宙の中道の心に調和され、真の安らぎが体得できる

ものである。


言葉は波動である経文もただ読み上げるだけでは意味を持たないが経文の意味を理解し実践している者が唱える

時はその言葉の波動はあの世の天上界まで通じ人々を感動させる。

言葉は言霊(ことだま)と言って光の粒子からできており、言葉を発する人の心の在り方いかんでは、言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。

人の話に感動する、ないしは笑いや怒りが出てくる場合は、話す側の心と、これを受け取る人の精神状態によっても違うが、

しかし、純な心で話す場合は、これを受け取る側に邪心があっても、消えてしまう。

また、話はスジが通ってわかるが、サッパリ気持ちが付いていかないということもあるであろう。

これは話す人の心の在り方が聞き手に大きな影響を与える。


純な心は光であり、わだかまりがあると光が黒い塊となって相手に伝わって行くので、反作用を起こすことになる。

ちょつとした寺には釣鐘があるが、常日頃心の研鑚を怠っていなければ、鐘をツク人の心の在り方によってはゴーンという鐘の音の波動もあの世の天上界にまで

達し、その人に返ってくるばかりか、その鐘の波動は人々の心を浄化してくれる。

経文の朗読もこれと同じで、正しき心と行為をしている者がすると心の統一、安らぎを尚一層助長していく。


「心行」の朗読はそうした意味では大切であり、しない限り良いということになるが、書かれている意味もわからず、拝めばご利益があるということでは駄目である。

般若心経はどこでも読まれているありがたいお経であるとされている。

写経も良し読経もまたご利益があると伝えられている。

しかしその意味も分からず行為のないものが朝晩あげても光は届かない。


今日の仏教は、経文をあげたり写経自体にウエイトがかかり、日ごろの想念と行為については問題にしていないところに問題がある。

「心行」は真意をよく理解して、それを現実の生活の上に現し、その心で朗読されるならば、一の言霊はニになり、三になって心の安らぎは増していくであろう。

「心行」の意味を理解され、夜眠る前に床の上で静かに朗読されその日一日の想念行為を反省し、過ちを正し中道の心に一日も早く修正されることを

望むものである。

「心行」は宇宙の神理、人間の心を言霊によって表現したものである。それゆえ「心行」は読むものでも、暗記するも

のでもなく、これを理解し行うものである。正法は実践の中にこそ生命が宿ることを知れ。


 


心行         高橋信次



《心行は 宇宙の神理 人間の心を

言霊によって表現したものである

それゆえ心行は

拝むものでも 暗記するものでもなく

これを理解し 行うものである

正法は 実践のなかにこそ

生命が宿ることを知れ》



われいま見聞し

正法に帰依することを得たり

広大なる宇宙体は

万生万物の根元にして

万生万物相互の作用により

転生輪廻の法に従う

大宇宙大自然界に意識あり

意識は大宇宙体を支配し

万生万物をして調和の姿を示さん

万生万物は広大無辺な大慈悲なり

大宇宙体は意識の当体にして

意識の中心は心なり

心は慈悲と愛の塊にして

当体・意識は不二なることを悟るべし

この大意識こそ

大宇宙大神霊・仏なるべし

神仏なるがゆえに 当体は大神体なり

この現象界における太陽系は

大宇宙体の

小さな諸器官のひとつにすぎず

地球は

小さな細胞体なることを知るべし

当体の細胞なるがゆえに

細胞に意識あり

かくのごとく 万物すべて生命にして

エネルギーの塊りなることを悟るべし

大宇宙体は大神体なるがゆえに

この現象界の地球も神体なり

神体なるがゆえに 大神殿なるべし

大神殿は 万生 魂の修行所なり

もろもろの諸霊 みなここに集まれり

諸霊の輪廻は 三生の流転

この現象界で己の魂を磨き

神意に添った仏国土・ユートピアを

建設せんがためなり

さらに 宇宙体万生が 神意にかなう

調和のとれた世界を建設せんがため

己の魂を修行せることを悟るべし

過去世 現世 来世の三世は

生命流転の過程にして

永久に不変なることを知るべし

過去世は 己が修行せし前世

すなわち

過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり

現世は生命・物質不二の現象界

この世界のことなり

熱 光 環境 いっさいを含めて

エネルギーの塊りにして

われら生命意識の修行所なり

神仏より与えられし

慈悲と愛の環境なることを感謝すべし

来世は次元の異なる世界にして

現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり

意識の調和度により 段階あり

この段階は

神仏の心と己の心の調和度による

光の量の区域なり

神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち

実在の世界にあって

諸々の諸霊を善導する光の天使なり

光の天使 すなわち

諸如来 諸菩薩のことなり

この現象界は

神仏よりいっさいの権限を

光の天使に委ねしところなり

光の天使は慈悲と愛の塊りにして

あの世 この世の諸霊を導かん

さらに 諸天善神あり

諸々の諸霊を いっさいの魔より守り

正しき衆生を擁護せん

肉体を有する現世の天使は

諸々の衆生に正法神理を説き

調和の光明へ導かん

この現象界におけるわれらは

過去世において

己が望み 両親より与えられし

肉体という船に乗り

人生行路の海原へ

己の意識・魂を磨き

神意の仏国土を造らんがため

生まれ出でたることを悟るべし

肉体の支配者は 己の意識なり

己の意識の中心は心なり

心は実在の世界に通じ

己の守護・指導霊が

常に善導せることを忘れるべからず

善導せるがために 己の心は

己自身に忠実なることを知るべし

しかるに 諸々の衆生は

己の肉体に 意識・心が支配され

己が前世の約束を忘れ

自己保存 自我我欲に明け暮れて

己の心の魔に支配され 神意に反し

この現象界を過ぎ行かん

また 生老病死の苦しみを受け

己の本性も忘れ去るものなり

その原因は煩悩なり

煩悩は

眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根元なり

六根の調和は 常に中道を根本として

己の正しい心に問うことなり

己の正しい心に問うことは反省にして

反省の心は

己の魂が浄化されることを悟るべし

己自身は孤独に非ず

意識のなかに己に関連せし

守護・指導霊の存在を知るべし

守護・指導霊に感謝し さらに反省は

己の守護・指導霊の

導きを受けることを知るべし

六根あるがゆえに 己が悟れば

菩提と化すことを悟るべし

神仏の大慈悲に感謝し

万生相互の調和の心が

神意なることを悟るべし

肉体先祖に報恩供養の心を忘れず

両親に対しては 孝養を尽すべし

心身を調和し 常に健全な生活をし

平和な環境を造るべし

肉体保存のエネルギー源は

万生を含め 動物・植物・鉱物なり

このエネルギー源に感謝の心を忘れず

日々の生活のなかにおいて

己の魂を修行すべし

己の心・意識のエネルギー源は

調和のとれた日々の生活のなかに

神仏より与えられることを悟るべし

己の肉体が苦しめば 心悩乱し

わが身楽になれば 情欲に愛着す

苦楽はともに正道成就の根本に非ず

苦楽の両極を捨て 中道に入り

自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし

いっさいの諸現象に対し

正しく見 正しく思い 正しく語り

正しく仕事をなし 正しく生き

正しく道に精進し 正しく念じ

正しく定に入るべし

かくのごとき正法の生活のなかにこそ

神仏の光明を得 迷いの岸より

悟りの彼岸に到達するものなり

このときに

神仏の心と己の心が調和され

心に安らぎを生ぜん

心は光明の世界に入り

三昧の境涯に到達せん



《この諸説は 末法万年の神理なることを悟り

日々の生活の師とすべし》



◎古庵は個人はここにある宗教、団体とか一切関係はありません。

◎経済的にお困りの方や身体障害の方にはヒーリングを無償で行いたいと思います。
お気軽に問い合わせください。


三宝出版 高橋信次

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html

  


[50] 聖者アガスティアの予言 Date:2010-05-17 (Mon)
アガスティアの葉とは、聖者アガスティアが5000年くらいに昔にシバ神やガネーシャを拝んで神の声を聞き、

個人の未来を書き残した個人レベルの預言書と言われているものです。

知り合いにナヴラグラハのプ―ジャの祈願を依頼した時に、聖者アガスティアが残した個人の予言書と言うものがあると聞きまして、

ナヴラグラハプ―ジャとついでにアガスティアの検索も依頼したら、安くなると言う事でしたので、アガスティアの葉の代行もついでに依頼しました。

もう〜随分昔の事だし、今更言うのもどうかなぁと思いましたが、今だに検索を代行して貰っている方が沢山いるみたいですね。

良心的な料金ならともかく高額な金額を請求される、ナディリダーもいると思いますので、多少参考になれたならと思っています。


知り合いの代行者から連絡がありまして、第13室の救済法(カルマの解消)は○○○○年○月○○日(金)に完了しました。

○○さんは日本にある仏教のお寺に行って、自分の年齢と同じ数だけのロウソクを立ててお祈りをしなければならないと言うことでした。

アガスティアの予言の事は一番下の欄に詳しく検索画像がありますので、そちらを見てください。


自分の知り合い関係に天台宗の住職がいるから、この方に事情を説明してカルマの解放祈願して貰う事になりました。。

この住職さんはテレビに出ていたみたいでしたが、霊能力とかは持っていませんでした。

それなのにテレビ出ていて、徐霊を行っていたのはお教の力だったのかなぁ?思います。


お寺ではアガスティアの葉の第13章のカルマの解消分の自分の年齢のロウソク数だけを供えて、祭壇に祭って祈願して貰いました。

祈願が済み話に花が咲いて、とうとう自分が作って持って行ったロウソク立ての土台にロウソクの炎が移ってしまい。

そのお寺の教台まで燃やしてしまった。

ほんと火事になりそうなぐらいの火の大きさに驚いて、住職と二人が慌てて外に教台持って出まして、そのまま海に投げ込みました(笑)

自作で作ったヘボな手作りのロウソク立てだから、仕方がなかったと反省もしましたが後の祭り。

結局祈願料と燃やしてしまった教台分の料金を渡して、帰る事になったんですよ(涙)


そりゃー教台が燃えるのも解かりますよ。

話が長いんだものねぇ〜祈願が済んでも熱く語りあったのがいけなかった。

でも、第13章のカルマの解消は無事に終了する事になりました。


このアガスティアの検索に言われているようにカルマの解消を行う事によって、災難は過ぎ去り人生の向上、発展になるであろうと言う事みたいです?


めでたし、めでたし。




<第1室>


救済法を行うことによって、人生の向上、発展があるであろう。(救在法を行う事が前提みたいですね。)

数え年○○〜○○歳の時に、人生で何か良いことがあるであろう。


○○の財産<本人が財産と思うものは何でも>から何か恩恵を得るだろう。

その○○が、この者にもっと恩恵をもたらすだろう。

○○のことは何も問題はないだろう。


数え歳○〜○のとき、女性から幸福がもたされるだろう。

数え歳○〜○のとき、〜

数え歳○〜○のとき、〜

数え歳○〜○のとき、〜

数え歳○〜○歳の、楽しい人生を送るであろう。そして、数え歳○○歳以上生きるだろう。


以下省略




<第7室>

聖者アガスティアは神の足元にひれ伏し祈りを捧げた後、この者もの[第7室]内容を語りはじめる。


神の恩恵によって、数え年○歳のとき、良い事が起こるであろう。

また、女性から望みどおり愛情や友情に恵まれるだろう。

その後、自らの努力によって結婚するだろう。そして家庭を持つだろう。(自らの努力よって?努力なしでは何も発展はないそうです。)

本来の妻は、良い体型をしていて、身長この者と同じぐらいだろう。

彼女家は、この者の家から見て○から○○の方向にあるだろう。(自分の生まれた実家の方角から見ての事です。)

この者の家から彼女の家までは○時間半くらい距離があるだろう。
(5000年前のインドから見て、今の乗り物は解からないし、インドでは徒歩の可能性もあると言うことみたいです。)

彼女の家のある通りは○○に走っているだろう。

家の付近には、家から良く見える所に神社や工場があるだろう。

彼女は、父親か母親のサポートや援助を得ているだろう。

彼女は○子ではない。

彼女の右手[右手指先から右腕の付け根]か顔には目立つ○があるだろう。(大体もアガスティアの検索にはこのような内容の事が出ていると思います。)

彼女の名前は現代風な○だろう。

そして、名前のどこかに、[○行]の文字があるだろう。

この者は、このようなホロスコ―プを持つ人とは結婚し、二人は長生きするだろう。

そして、良い家庭を送るだろう。



アガスティアの葉に記された名前の発音はタミール語の知識がいるみたいです。

カ行はハ行

ア行はヤ行

サ行はサ行 ジャ行はサ行、ガ行はカ行 バ行はハ行

日本語のハ行の音がなくカ行になったりすると言われています。


(例)例ひろみときろみは同じように聞こえたり、インド的にはひはイの発音に近いと知り合いの方は行っていました。

結局第13章の救済法(カルマの解消)を行って、自ら努力によって、発展、向上が起こるであろうと言うことみたいですね。
(起こるであろうと言うことですが、断定はしてませんねぇ〜)

努力なくして、発展・向上は無理と言う事なんだと思います。

ちなみに自分はこのカルマの解消を行いましたが、それらしい人物とは出会ってなかったです?

自らの努力がなかったかもしれませんね(笑)


財が少し好転したのは事実ですが、これも併用して、マハ―ラクシュミー・ヤントラの小さな祭壇を自分の家に祭った影響もあると思います。

でも、くれぐれも気を付けてくださいね。

何十万も支払っても良いと思われる方以外はお進めできません。

自分は知り合いの方がいて、ナヴラグラハプ―ジャーと併用して、とても安くしてくれたから行う事ができました。

まぁ〜何でも体験したい好奇心と心の渇きが満たされるものならば、抑えきれない自分がいます(汗)


※この知り合いのアガスティアの代行者とは議論を結構しました。

彼女が言うのにはたぶん、今は意味がわからないだろうし、

偽物しかないとお考えのようですが、

そのうち、時間がくれば分かると思います。

ただ、今は準備段階であり、時とタイミングを見ている時間。

○○さんが二章開いて、いい勉強が出来たといいますが、

本当はこれから一番いい勉強ができるチャンスが訪れる事でしょうと言うことでした。



カルマは必ず向かい合わなくてはならないと聞きますが、今世ではなくて来世にでも巡り巡って来るのでしょうかね?
偽物とか本物とかよりも学ぶ体験が自分には必要であったと思っています。
彼女の言うようにあれから随分時も経ち、一番いい勉強ができたチャンスが訪れたかもしれませんね。

ちなみにシヴァの検索内容とアガスティアの検索内容はまったく正反対の内容でありました。
どちらが本物か?偽物か?それとも両方とも本物?偽物?
自分の見解は・・・



アガスティアの葉の検索画像

http://www.youtube.com/watch?v=2-8DHorK3pY

http://www.youtube.com/watch?v=EMx5TPQ8B6I


アガスティア・シヴァの葉」、そして「インド占星学」について、研究をしているみやぢさんのHPです。
http://gazone.jp/agaga01.htm











[49] 光を入れる実際の方法」  園頭広周師指導 Date:2010-05-16 (Sun)
光を入れる実際の方法」    園頭広周師指導

病気はその人の歪められた心の現われであり、心の持ち方を変えればかわるものである。病気という動かすべからざる頑とした存在がそこにあるのではない。

だから、動かし難い病気というものが、その人の肉体の中にあるという固定的な観念を持ってはならないのである。

 
一、光を入れる前に瞑想、禅定して心を調和させ、愛で心を満たす。

 
二、相手を仰臥させ、額に手をふれる。また坐ってやる場合は前頭部と後頭部に手をあてて、次の祈願文を唱える。

 
「大宇宙大神霊、仏よ、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。

実在界の諸如来諸菩薩、光の天使、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。

守護、指導霊よ、この人がこの肉体を持って生まれてこられました使命を充分に果たすことができますように、心の内より正しくお導き下さい。」

(このように、天上界からの導きを祈るのである。祈願文を唱える理由は前述した通り。)

                        三、肉体を支配している本人の意識(霊)に向って次のように説得する。

「肉体を支配しているこの人の霊よ。あなたは罪の子ではない。あなたは神の子です。あなたはこの肉体を持って霊の修業のために現われた霊であることを自覚して下さい。あなたは完全にこの肉体を支配して、この世に生まれてきた使命を果たさなければならないのです。」


(このように念じて、その人が完全に肉体を支配している状態を思念する。)

 

四、ついで患部に手を当てる。

例えば胃が悪い場合、一方の手を胃の上に、一方の手を背に当てる。

仰臥している場合は、一方の手だけ胃の上に当ててもよい。この時に、「ここに悪い胃がある」と思ってはならない。

「既にそこが光に満たされて健全である」と思念する。そして、手を当てて次のように念ずる。

「胃の細胞よ。あなた達も神の子である。あなたたちは神の子として、この人が霊の修業のためこの肉体を持つ時に、あなた達はこの人の肉体の細胞となって、この人がこの世にあらわれた使命を十分に果たすことができるように、この人に協力するために現われてきた筈です。あなた達はそこにおいて、このように不調和を来してはならない。あなた達はあなた達として使命を自覚して、神から与えられた使命を自覚して本来の機能を回復しなさい。」

この言葉の通りでなくても、自分の心にもっともぴったりとくる言葉で念ずればよい。

胃を病気にしたのは本人なのですから、この時本人は、心の中で次のように念ずることである。

「本来、健全であったあなた達を自分の不調和、不心得によって知らず知らずのうちにあなた達(胃の細胞)を不調和にし、申し訳ありません。私は今、反省しました。私は今、健全な調和された心になりました。だから、あなた達も光を受けて早く健全になって下さい。」

そのように念じて既に胃が健全である状態をアリアリと心の中に描く。

手を当てている人も、既に胃が完全であることをアリアリと心の中に画いて、息を吸う時に、単に空気を吸うと思わないで「神の光」を吸うと念じて下腹に一杯息を吸う。

下腹に一杯吸った時に、自分の全身が光に満たされて輝いている状態を想念する。

息を吐く時に、自分の体内に満ち満ちていた神の光が、手を通してその人に流れ入り、その人の患部が癒され、全身が光に満ち満ちている状態を想念する。

この時にその人の体内の悪いものは、体内が光に満たされてゆくと同時に、足の爪先からみな流れ出ると想念する。この場合、大事なことは、何度も言うように自分がしているのであるという心にならないことである。

神がすべてのものを生かし、愛さんとしているその神の愛の完全な通路になることで ある。

強力に光を送らなければと力む必要はないのである。光を入れる 

時間は一日三十分位が良い。


Youtube-GLA関西本部

http://www.shoho.com/
 




[48] 体外離脱を体験する方法 Date:2010-05-12 (Wed)
体外離脱は、完全にリラックス状態にする事が大切だと思います。

思考状態も受け身にして、完全にリラックス状態にすればバイブレーションを引き起こす事になれると思います。

弛緩法と言って、ヨガなどは屍のポーズで一番体の力が抜けた姿勢が一番リラックスした状態になれると思いますが、

どんな方法でも自分あったやりやすい方法を使って、身体の隅々までリラックスさせる事が大切です。

体に余計な力が入らないように完全なリラックス状態に持って言ってください。

最後には受け身であると言う事が思要なポイントだと思います。

リラックスゼーション用CDを利用したり、へミシングの体外への旅サポートのCDや(ゲートウエイ)など使用する事が一番簡単な近道だと思います。

それと呼吸法など使ってみる事も大切だと思います、。

自分はグリーンの色を使って、全身をグリーン状態にして、オラ―全体にグリーンが浸透するようにしています。

良くエメラルドグリーンはラファエルのエネルギーと繋がると言われていますし、体の健康も兼ねて行っています。


最初は緩いバイプレーションが始まるかも知れませんが、怖がらず期待しないで思考状態も受け身にして、

徐々にバイブレーションが高まるまで続けてください。

バイブレーションが弱いうちに無理やり離脱しょうと試みても失敗すると思いますので、

ビジアアライゼーションを使って、高めて行く事が体外離脱を引き起こす事にもなりそうです。

そして、その激しいバイブレーションが強くなったら、自分の意識を使って起き上がるまたは寝返りをうって見ると言うイメージをしてください。

そしたら、いつの間にか転げ落ちている自分に気が付き、体外離脱できた自分に気が付くと思いますが、

くれぐれも自分の身体に気を囚われないでくださいね。

思った瞬間に身体に引き戻される事になると思います。

出来るだけ身体の事は考えないで居た方がより多く離脱した世界におれる事になりそうです。

体外離脱出来たら自分の意識を使って、後は自由に動き回ったらいいと思います。

自分の見解は体外離脱とクラウンチャクラから抜き出て、幽体離脱した時の感覚がまるで違った感覚があります。

体外離脱の方はそほど興味があまり湧きませんが、何故かいつも同じパターンで、

ベットから転げ落ちてお辞儀している(よつんばえ)みたいなスタイルになっています(笑)

それから部屋のドアを手で開けたり、またはドアからそのまま抜けたり(笑)

玄関のガラスごしに行って、そのガラスからグンニャーと(虫眼鏡を段々近づけて見るような感覚に見えます)

外に出て行ったら、後はブュ―ンと物凄いスピード飛んで行きます。


夢の場合は体外離脱と少し違って、リアル感覚は少し落ちている感覚があります。

でも、夢の中でいつまでも意識を保つのは難しいと思いますし、そのうちに寝を落ちする事が多いと思います。

クラウンチャクラから抜ける幽体離脱の方は筆舌に表せない感覚があります。

重力をまるで感じられず、とても軽く爽快そのものでしたし、身体全体が光輝いているみたいでした。

多分、死の瞬間やって来る離脱と同じものかもしれませんね。

この離脱は体外離脱と違って難しいんですよ。また、この体験を自分のものにしたいとは思ってはいますが〜






とみなが夢駆 体外離脱するサラリーマンの書籍など参考にしたら良く理解できると思います。 

ハート出版

http://www.rakuten.ne.jp/gold/heart810/index.html

とみなが夢駆 体外離脱するサラリーマン 

VOICE http://www.voice-inc.co.jp/index_book.php

ロバートピーターソン


[47] シヴァの葉の検索 Date:2010-05-11 (Tue)
若い時に自分はインドにとても興味がありまして、

知っている方に星の改善にナヴラハマホ―マやプ―ジャーとか頼んだ事がありました。

その知り合いの代行者にインドにて星の祈願を頼みました。

星の改善ができると言う祈願のナヴラハマホ―マは良心的で、2500円で自分と家族の星の改善祈願をして貰いました

他の代行者に頼んだら3万ぐらいかかるみたいでした。

この差額は一体なんだろうか?

こう言った悪徳なビジネスが横行しているのでしょうね?


その知り合いの代行者によると日本でもマスコミに取り上げられたアガスティアの葉と言って、

聖者アガスティアが残した個人の予言書と言うものがあると聞きました。

ナヴラグラハのプ―ジャーのついでにアガスティアの検索も依頼したら、安くなると言う事でしたので、

アガスティアの葉の代行もついでに知り合いの方に依頼しました。


アガスティアの葉とは、聖者アガスティアが5000年くらいに昔にシバ神やガネーシャを拝んで神の声を聞き、

個人の未来を書き残した個人レベルの預言書と言われているものです。

このアガスティアの葉の検索内容はまたいつかお話をしたいと思っています。



話は変わりますが、そのアガスティア葉の予言よりもさらにグレードアップした別のシヴァの予言書があると聞きました。

そのアガスティア葉の予言よりもシヴァの葉の予言書の内容が濃いくて、もっと多く情報が載せられていると言う事みたいです。

シヴァの館では膨大な葉っぱの中から個人の葉っぱを探し出すのに親指の指紋を取り、はい,いいえ形式の質問を受けるみたいです。

予言は約5千年前に書かれ、そこに読みに来る人だけの予言書が存在しているという。

両親の名前、自分の名前、仕事などを言い当てられ自分の葉っぱに行き当るそうです。

文字は古代タミル語で書かれていて、それを専門に読み取るナディーリダ―がインドでは居るらしい。



この予言書も因縁解消の祈願をインドにて行うとそのように良い結果が現れるであろう?と言う事みたいです。

自分の見解は高額な金額まで出して、インドの寺院にして貰わなくても、日本でも因縁解消の祈願はできると言う持論を持っています。

一応、カルマ解消は行う事はしませんでしたが、その当時は第1室と第7室を知り合いに依頼しました。

知り合いの代行者に頼んだ検索の内容に該当すると思われる人物2名を知り合いの方が割り出してくれました。

会ってお茶でもしてきなさいと言っていましたが、ご期待に背きそのままにしていました(笑)

もう〜随分昔の事でしたから、今更いろいろ言うも可笑しいですが、もし興味があってインドにて検索を行って貰おうと思っている方がいましたら、
自分はお勧めはしたくないんですよ〜

何十万も出しても良いと言う方は別にして、弱みに付け込まれない為にも自分の気持に負けないようにしてくださいね。

因縁解消(神への捧げものや恵まれない方に施しをして、沢山の方が喜ばれるから、その徳によって、罪が軽くなると言っていました。)

その為には高額な金額を請求されると言う事になると思います。

日本でも同じように祈願したら良いかなぁと?自分は思います。

ちなみに自分のカルマ解消の請求金額は何十万でした。

インドで検索するナディーリーダがそのような金額を提示していました。

その中の一部の料金が代行者に入るみたいなんです。

あまりにも高額だったのでカルマの解消祈願はキャンセルさして貰いました。



それとカルマの解消は他の方に変わって貰えないものと思っています。

何故なら今まで沢山のセッションとか行ってきましたが、カルマは徐々に浄化してはいっています。

でも、一遍に無くなりはしませんでした。

それは潜在能力の枠を開けている自分が一番良く解かっているからです。


良く全カルマの解除とかセッションを行っている団体とかありますが、自分は疑問に思っています。

自分はカルマの巣と言って、パンドラマの箱と開けています。

その想念体に亀裂が入って、その枠の中からカルマのエネルギーが湧き上がって、頭頂から解放されて行きます。

そのエネルギーの強さに為すすべもなく、現実を翻弄されながら今まで生きて来ました。

その体験がありますから、本当にすぐに無くなるのなら、是非行ってみたくて団体に問い合わせしたところ返事は貰えなかった。


もし全カルマの解除が偽りだったなら、受取りはその方に帰って行くものと思います。

それに該当すると思われる方がもし仮にあったとしても、運命の相手やソウルメイトだったとしても、

決まったものではないと思っています。

まぁ〜こう言った事をいっていますから、今だにシングルと言われそうですね(笑)

でも、自由放浪的な性格があるのでしょうか?

○○の生まれ変わりと言われるゆえんの事ですかね(涙)

それでなくても、クンダリ二―覚醒や悟り(見性)で普通なら山里にしか生きて行くのが難しいと言われているぐらいです。

でも、普通の生活や幸せをどんなに望んでもなかなか自分には難しくてね。

ほんと生きると言う事はとても大変で、もう〜二度々生まれて来たくない気持ちもあります。

ごく普通のように家庭を持って、生活をして行く上で霊性を高めて行くのが理想と思ってはいるんですけどね。



シヴァの葉の予言は該当者と思われる方の運命を変える事はしたくないので、解からないようにしました。

随分、昔の事だしもし仮にその該当者らしき方がいても、今は嫁いでいます。

そのような真実かどうかも解からない事に自分が運命を変える事はしてはならないと思っています。

検索結果は○の個所ばかりでごめんなさい。

当時この検索の事はあまり囚われないようにしていました。

それに何千年前にカシの葉に残したと言われるものですから、真実を証明するものもないし参考にしていただければと思って書きました。

ポイントは文章の中に殆どがあろうと言う事です。(断定はしていませんね)

そう言った流れになるかもしれないと言っているだけにすぎません。

(インド寺院にてカルマの解消祈願をすれば良い影響になるであろうと言う事みたいです。)

カルマの解消と言って、弱みに付け込まれない為にも、常識的な考えを持って貰いたいと思ってあえて検索結果を公開しました。

それに悪徳な商法者もいますし、何らかの参考になれればいいなと思っています。

でも、自分の検索結果を公開すると言う事はほんと勇気がいりますね(汗)




○○の検索結果

○○―○○歳の間に
> 彼の結婚は行われるであろう。

訪れるであろう花嫁となる人物は、神への帰依心と好ましい性格の持ち主である。

はじめに、彼は彼女を好きなり、後に結婚をするであろう。

彼はこのような女性と結婚をするであろう。

その花嫁となる者の家は彼の家から「北」 または 「北西」の方角にあるであろう。(生まれた場所から見た方角)

彼女の家までの道のりは2時間程であろう。(これは徒歩や鉄道、車の可能性もあるし、インドでも良く解かっていないとの事でした。)

彼女は神への帰依心の持ち主である。

彼女は仕事についている。彼女は神への帰依心を持ち、好ましい態度の人物であろう。

彼女の顔にはおそらくマークやMOLE(しみ・ほくろ・あざ)などがあるだろう。

彼女の手、足、首にはマークやMOLEなどがあるだろう。

彼女は○○の子供ではないであろう。彼女の両親は存命である。

彼女には3人以内の兄弟姉妹がいるであろう。

彼女良い収入を得ているであろう。

彼女の家は 「東西」の通りに位置しており、○向きの家であるだろう。

彼女は神への帰依心を持つ人物である。

彼女の家に行く途中には、4つの通りが交差した場所であるだろう。(生まれた場所からの位置)
(確かに自分の生まれた場所から4つの通りが交差している場所はあります。)

彼女家に行く途中には、寺院、学校などがあるだろう。

彼女の家は、 「市街地」 にあるであろう。(インドから見た日本の田舎でも市街地だそうです。)

始めに彼は、その好ましい女性との間に交友関係を持ち、

それから結婚をするであろう。

彼女の名前は 「○行」  で始まるかもしれない。そして次の文
字と最後の文字は 「○行」 または 「○行」 または 「○行」 または 「○
行」 または 「○行」 または 「○行」 または 「○行」 のいずれの文字が
来るかもしれない。彼女は現代的な名前と、ファミーり苗字をもつであろう。

彼女のホロスコープは彼女のラグナは木星、または、金星から数えて、「1番目」 または 「4番目」

または 「7番目」 または 「10番目」 の部屋に位置するだろう。太陽、水
星そして、金星はひとつの部屋に位置しているか、

隣り合った部屋に位置するだろ

う。土星はやぎ座に位置するであろう。

木星はうお座に位置するであろう。

このように彼はこれらの条件にふさわしく、ほとんどが一致するような好ましい娘と恋愛結婚をし、

平穏な生活に恵まれるであろう。(これは何回も言いますが、インドにてカルマの解消祈願すれば、こう言った流れになるであろうと言う事みたいです。)

http://www.youtube.com/watch?v=2-8DHorK3pY

アガスティアの葉の検索画像





[46] 釈迦様の手のひらの中のちっぽけな存在 Date:2010-05-08 (Sat)
クンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でもごくわずかだと言われても、

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになった意味も、

鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったその意味が解かったとしても、

覚醒や悟り(見性)体験しても、、

○○の生まれ変わりだと言われても、

体験したから霊性が高いと言う事ではありません、。

体験はあくまでも体験です

思いと行いが天の心に叶っていて、イエス様の愛やお釈迦様の慈悲を実践してこそ霊性が高くなるかもしれません。

それには八正道を実践する以外はないと思っています。

その八正道が出来てこそ、霊性が高いと言われるかもしれません。


自分が今まで体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

西遊記の話の中に孫悟空が雲に乗ったりして遠く走り、そこで見つけた柱に自分の名前を書いて得意になって

帰ってきて報告をしたらそれはお釈迦さまの指に書いた名前だったと言う話がありました。

所詮威張ってみても、やってることは小さいと諭した話がありました。


自分の今まで体験した事は西遊記の話の中のように、お釈迦様の手の中のちっぽけな存在です。

ほんの短い人生で、とても満足どころか〜心の渇きも潤せない。

どんなに思ってもそれをひっくるめての自分があります。

八正道は小乗であって、小さな悟りと言われているそうですが、正法には大乗も小乗もないそうです。

八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃる理由がまさにここにあります。





[45] 八正道は天国に繋がるかけ橋です。 Date:2010-05-08 (Sat)
自分は迷ったり悩んだりした時には必ず正法書物を手に取っています。

ある有名な禅の老師などはたった一人でも良い。

大河の一滴があのガンジス河の流れになる。

一人でも良いから正道を伝えるこそ意味があると言っていました、その老師の言葉が聞こえてきます。

自分の原点に立ち返れる数少ない正法書物です



光のかけ橋の項目にもクンダリ二―覚醒の事を書いていますが、この自分はスピリチャルな世界でも珍しくクンダリ二―覚醒体験をしています。

クンダリ二―覚醒者は日本でも珍しくはるかインドの国でも聖者の類と言われています。

スピリチャルな世界でも珍しいと言われているクンダリ二―覚醒や悟り(見性)を通して、

正道の香りや如来や菩薩の輝きを伝えるのが自分の思い(役目、使命)と感じていました。

末法の時代に如来や菩薩の輝きを少しでも引き戻したい、伝えたいと思いがあります。


本来なら宗教の事について言うのはリスクが伴うかもしれません。

でも、自分にはそう言ったエネルギーを共有していますから、仕方がないと思っています。

線香臭いと言われそうですが、少しでも光の指導霊や天の叡智のかけ橋になれたなら

自分の生まれた来た目的に少しでも近づいて行けるかもしれません。

クンダリニー覚醒や霊能は心の進化の過程であって悟りの第一歩だと自分を戒め、

次のステップに進むように心がける事がとても大切な事だと思っています。。

それにはお釈迦様や高橋信次先生に園頭広周師の言うように八正道を実践する以外はないと思います。




Youtube-GLA関西本部から高橋信次師と園頭広周師の正法の世界が載せられています。

正法のhomepageへようこそ!
高橋信次師と園頭広周師の正法の世界


人間の正しい生き方の基本

八正道・人間の八つの正しい道

中道の道を歩むための、心と生活の基準である中道の生き方を教えるもの。

八正道・八つの正しい道とは何か

正見 (正しく見る)

正思 (正しく思う)

正語 (正しく語る)

正業 (正しく働く)

正命 (正しく生活する)

正進 (正しく人と調和する)

正念 (正しい目的意識を持つ)

正定 (正しい反省と瞑想、禅定(ぜんじょう)する)

正見、正思、正語はこれらの中でも最も大事な基本である。この八つの規範に当てはめて毎日を生活すること。

これ以下でもこれ以上あってもいけない。


八正道の目的

生老病死の迷いを消滅させ、恵みを与え悲しみを取り除く慈悲の心で、

他を生かし助け合う愛の行為を自然に行えるようになることであり、八正道を学ぶことは即ち法を学ぶこと。

それは又、中道の心の具現にあるのである。


八正道にそった生き方

善を思い、善を行う生活をすることである。慈悲の心で愛の行為をすることが、八正道にそった生き方となる。

なぜ中道でなければならないか

自然界の生命を育む条件というものは、自然界そのものが常に右にも左にも片寄らない中道の道を歩んでいるからで、

空気、水、太陽の熱、光…等、全てのものが外れることなく調和されている。

気温は暑すぎても寒すぎても生きてはいけないし、空気の組成が少し変わっても生きてはいけない。

全て、ほどほどでなければならない。このように人間もこの自然界を構成する一つに過ぎないのだから中道でなければならないのである。

自然界の調和にみる中道

人間を含めた大宇宙は常に相互に関係し合って動いている。太陽系一つをとっても、

太陽を中心に九つの惑星が相互に関係し、太陽系という体を形作っている。地上の生活にしても動・植・鉱の相互関係がなければ成り立たない。

その相互関係は何に起因するのだろう。

それは大自然の意識(心)なのである。秩序整然とした意識の働きがあればこそ、大宇宙も、地上の生活環境も、調和されている。

地球という球体が出来上がったのは、今から三十三億年前(高橋信次)のことである。

その頃は火の玉であり、太陽のように燃えさかっていた。生物が住めるようになったのは今から約六億年前のことである。

そして,その軌道は昔も今も変わりない。偶然にしては余りにできすぎていると思うのは当然である。

大宇宙には意識(心)が存在する。客観的にこれを説明すると、太陽の熱・光に強弱がない、空気に増減がない、

一日に昼と夜があって、決して一方に片寄らない。

例えば太陽の熱・光が強くなったり、弱くなったりしたらどうなるだろう。地上の生命は生きていられないだろう。

空気が増えたり減ったりしても同じことがいえる。我々の生活態度も食べ過ぎれば腹をこわし、

惰眠をむさぼれば体力に抵抗力を失い、もっと体に影響を与えるものは心である。心配事があれば食欲は減退し、

睡眠はさまたげられる。どなったり、腹を立てれば血行は悪くなる。人間の体も無理はいけないし、怠惰もいけない。

人間は大宇宙、大自然界の中で生活している一構成員に過ぎない。

このように、大自然の心は、私達に中道という調和ある秩序を教えているということになり、大自然は調和という中道の心を教えているのである。

人生の目的は何か

人生の目的は魂(霊、生命、意識、心)を成長させることにある。すべての宗教は何かあると、

調和しなさい感謝しなさいと、「調和」と「感謝」を教義にするが、調和と感謝が人生の目的ではない。

人生の目的は人間は神と一体である神の子であるという自覚を、頭で知ることではなく身体全体で、

魂のどん底で自覚すること、つまり大宇宙と一体となる「宇宙即我」(うちゅうそくわれ)に到達することなのである。

この宇宙即我に到達していくには、その人の心の段階があるといって良いが、

この宇宙即我を体験する唯一の方法が禅定(ぜんじょう)である。

調和し感謝したときの安らかな心の状態で禅定しないと本当の禅定にならず、宇宙即我への道を進んでいけないからである。

調和と感謝はただその入口に立っただけで、人生の目的は宇宙即我への道を歩み到達することである。

つまり、神の心の継承者である神の子の私達は、本来、宇宙と同じ大きさの心を持っているのだが、

それを小さく自己限定してしまうところに苦しみ悩みが始まるのだ。人生の目的は、それは人生の目的を知ることにある。

決して人間は、金銭欲、名誉欲、地位欲、支配欲、ましてや、食欲、性欲などを満たすために生まれてきたのではない。

肉体の欲望はみたされても、心の渇きは癒されない。心の渇きを癒すものこそ人生の目的とするのであり、

人生の目的を知るために人は生きなければならないのである。

(宇宙即我は「宇宙即我に至る道」園頭広周著 正法出版社を参照)

 



八正道の各論

正見(しょうけん、正しく見る)

常に第三者の立場に立って、自我の思いを捨て正しく見る努力をすること。正見の反対は邪見。

既成観念を白紙に戻し、物事の真実を知るようにすること。

まず感謝の心を持つこと。

神の天地創造のことわりを知り、人間は神の子として天孫降臨し、調和を実現することが人間の目的であることを知り、

その眼ですべてを見ていくことをいう

「わが心をよく知る,知って自由自在にコントロールできる」という力を持つことが、正見できる唯一の条件。

事象の一切の原因は人の想念、心にあって現われの世界は結果である。

正思(しょうし、正しく思う)

正しい思いとは慈悲と愛しかない。これ以外の思いは、すべて自我からきている。

正語(しょうご、正しく語る)

言葉は,意思の疎通に欠くことのできない機能だが、心に愛があ れば言葉以前の言葉が相手に伝わり、

こちらの意思が正しく伝わってゆくものである。冷静、誠実、愛の心をもって語れということである。

正命(しょうみょう、正しく生活する) 

正しい生活は、右にも左にも片寄らない中道にあり、調和ある精神的、肉体的生活を意味する。

つまり、正しい生活とは、それは八正道の目的である中道を物差しとして、己の業(心の傾向性)を修正し、

中道に適った生活をするということである。正命の目的は自分を正すものだが、詳しく述べると次のようになる。

(目的)精神的、肉体的な調和をめざし、業と化したさまざまな原罪(自己保存の想念)を正すことにある。

肉体的な調和をめざして、悪い業となったものを修正して善に替えてゆく生活である。

正業(正しく働く)

地上界のあらゆる生物は、働くように仕組まれている。動物も植物も、そして鉱物さえも、

この地上の生きとし生けるものに、その体を提供している。

人間の場合も、その点は老若男女を問わない。幼児は乳をのみ、眠ることがつとめである。

学生は学校で学問を学び、社会人は社会のために働く。主婦は家庭にあって子供を守り、

夫の仕事が円滑にゆくよう、安らぎの場を与えるものである。働くということは、人間としての義務であり、

同時に、人々に必要なものを提供することを意味し、自らの生活を維持し、人々の生活を支えることである。

そして、各人が人々に奉仕するという愛の心が根底にあらねばならないが、今日の社会生活はそれぞれがその業務を分け合い、

互いにその生活を補い合い、助け合っている。すなわち、分業化によって、それぞれの生活を支えているというのが実状である。

(目的)1.魂の修行 2.地上界の調和 3.奉仕

仕事をし、職業に就くことが愛の行為にも拘わらず、社会がこんなに混乱するのは、

仕事を単に金儲けの手段と考え、人はどうでも自分さえよければいいと思うのがその原因である。

正進(しょうじん、正しく人と調和する)

正進の目的は人間関係の調和にある。正命の目的が自分を正すものだから、その次にくるものは、

人々との調和なのである。人間関係とは夫婦、親子、兄弟、友人、隣人、そうして個人と社会の関係である。

正念(正しく念ずる、目的意識を正しく持つ)

念というものは、こうしょう、ああしょう、こうありたい、という目的意識であり、意志の決定であり、

行為である。念はエネルギーであり、心の中の創造行為を形に具象化して行くものである。

正定(しょうじょう、正しく反省する・禅定する)

正しく定(じょう)に入るとは、今日一日をふりかえり、八正道の正しさに反した想念と行為がなかったかどうか。

あったとしたら、どこに、なぜ…というように静かに反省し検討することである。

そして正道に反したことは神に詫び、明日からは絶対に二度と再び同じ過失をくりかえさないように努力することである。

つまり、正定の第一歩は禅定という反省的瞑想から始まり、

第二は反省後の心の統一、第三は守護、指導霊との対話‐‐‐第九は釈迦、イエスモーゼの瞑想である。

座禅の目的は心をカラにし、その空の中から己を見い出そうとし、一般的には無念無想になることが仏を見性することになるという。

ところが、釈迦が教えた瞑想はそうではなかった。

釈迦の瞑想の目的は反省にあって一日二十四時間の、正しい生活をめざすものであったと高橋信次師は教えた。

瞑想のための瞑想ではない瞑想的反省は、こうした心のゆがみを修正して本来の丸い豊かな心にするためにあるのである。

反省する場合に大事なことは、まず自分の善い所、長所をしっかりと知り、

自分にはこういうよい所があることを確認した上で、悪い所欠点はないか、ということを反省することである。

そのような反省をすると、欠点を長所に置き替えることが楽になる。

ところが反省というと、悪い欠点だけを探そうとするから、反省することが苦しくなり、

自分がいやになる。そして、悪い所だけ、不満足な点だけを見つけて探し出しているから人生が暗くなり、

自殺者が出たりするのは、そういう反省をするからであると知らねばならない。

 

Youtube-GLA関西本部

http://www.shoho.com/

 

 




[44] 開祖の道のり Date:2010-04-29 (Thu)
※バーソロミューの書籍に記載されています。

もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。



お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこりほほ笑まれました。

※正しい道を通って、実践していればおのずから、その境地が現れるものだと思います。
正法を学び正道を通して、開祖の歩んだ道のりを辿って実践して行く事が大切だと思います。
先仏の行持を手本にして、後仏がそれをまなぶーまねぶーならう事が学道と言う事だそうです。

[43] 座禅は悟りそのもの姿 Date:2010-04-29 (Thu)
お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこりほほ笑まれました。

今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、時空を超えて、人の心から心にと伝わったと言われがあります。

瞑想とかしていると、想念体に亀裂が入り、無意識の葛藤とかカルマ(因縁)とかのエネルギーが上がってきます。

サイダーの泡如く上がってきますから、それを解放する事が大切だと思いますよ。

この因縁カルマの解放とか洗いなおしとか言われていますが、苦を滅する道があるとお釈迦様は言っています。

それがハ正道だと思っています。

禅で昔話に、禅の達人がいて、座禅の姿で死んでいると伝えられていましたが、

ある高僧はそんな馬鹿な事があるか、悟っても病気にならないと言うのは嘘であるし死なないと言う者も嘘だと言っていました。

本来仏と悟って、自分を仏だと自覚していても、悟りというものは広大無辺なものと思っています。

悟って、何かを得ようとかしたら、それは外道だと言われます。

悟っても悟らなくても、何にもならないと思いますよ、

本来は仏ですからね。

その何にもならないと思っている者は、もっと何にもならない者だと思います。

何かを得ようとするのではなく、座禅の姿が悟りですからね。

ただ、ひたすら座禅を修行しないと現れるものではありません。

本来の自分が、自分をする座禅は悟りそのもの姿だと思います。


※座禅そのままの姿が悟りなら、悟りを開く必要はないのではと言った方がいましたが、仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと思います。

修せざるには現れずと言う事だと思います

[42] 魂の友 Date:2010-04-27 (Tue)
自分がソウルメイトとか恋愛の事について語るのは心苦しいばかりです(笑)

一番ふさわしくない男性かもしれません(汗)

若い時にフッと思った事がありました。

自分のソウルメイトは何処にいるのだろう?

実家の田舎にある地域の○○○の仕事している方ではないかと思った時がありました。

ソウルメイトとはごく身近にいて、仕事関係や友達関係とか親戚筋を通して?出会うと言われていますよね。

自分は友達関係から出会いがあったりするのではないとか思っていた時がありました。

本当のパートナーは年収とか学歴とかではなくて、

愛のみしか必要でないので、それを引き寄せるには愛が大事なポイントになってくると思います。

本当のパートナーとは、心・魂で、感じているものであると思います。

魂に響くような出会いをするためには、自分のハートに、開く事が大切なんだと思います(汗)

それには、自分を愛するということが前提にないと、それ相応な相手と巡り会う事になると思います。


バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けてていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、その関わりある期間中はソウルメイトみたいですね。


それとエクトンの書物にもありますが、ソウルレベルでは深く繋がっていると実感できる相手は数十人はいるそうです。

輪廻転生があると言う定義でお話をしますと、ソウルイトは結構いると言われています。


だから70億人の中で自分の運命の相手はたった一人しかいないと考えるのは可笑しいんです。

充分忙しく過ごせるだけの相手はいるそうです。

それとカルマが影響していて、家族関係やソウルメイト同士の関係がとても困難になる場合があるみたいです。

一つの転生から別の転生に繰り返し、その相手が自分の人生に現れてて、お互いに葛藤を続ける場合もあるそうです。

その相手が自分の家族の一員に現れる事が多いみたいですね。


自分の事を言うのはとても恐縮しますが、やはり気になる相手やどうしても強く感じる相手は縁が強かったと思います。

それとシンクロ現象が沢山ありますからね。

心から感じる、魂に響く相手は容姿とか関係ないんですよ。

自分にも言える事なんですが、心を開いて自分を愛する事が大切なんですよ。



[41] クンダリ二―上昇の様子 Date:2010-04-21 (Wed)
脊髄にそって気の流れが上昇し始めてたら、脊髄の中に温度計のように上がったり下がったりする暖かいお湯のようなものを感じたり、

脊髄付近がチクチク痛みがあったりすると思います。

気の熱があまり上がらなくなった時には丁度スヴァディスターナ(下から二番目のチャクラ)のまわりで、

気が萎んでしまいシュシュと水蒸気のようなものが萎んで行く感じがします。

そうなったりしますと、気の熱をまた整えたり性エネルギーを漏らさず、活性化する事が大切だと思います。

暖かい熱エネルギーが上がって行く時に、必死に抑えようとしても、急上昇する時には止める事はできません。


異変を感じて、尾抵付近になにかゴトゴトする感覚と焼き鏝をあてられてる感覚を感じかもしれません。

例えようのない恐怖、胸騒ぎとこれ以上ない心臓の動悸、息切れ地響きではないかと思うぐらい身体の揺れがあったりもする事もあると思います。

または不安や恐怖で髪の毛も逆立ち、もうこれ以上持ちこたえる事が出来ず、意識の限界を感じるかもしれません。

その時には信仰心を試される気持がすると思います。

頭頂からクンダリ二―が抜けて行ったならいいんだけど、クンダリ二―頭頂から抜けていかず、

頭頂に気が集まったらとても違和感を感じて、不安や絶望の中で恐怖を感じるかもしれません。

その時には大周天や小周天をしたりグル(指導者)に相談、指導をお伺いするのが大切です。

それとゲンゴツを叩くのも良いかもしれません。

クンダリ二―覚醒だと思っても殆どは偽の体験に終わった者ばかりと聞きます。

クンダリ二―がハクションしたかもしれないと言う感覚は自分が一番解かってしまうと思います。

準備が整ってないうちにクンダリ二―覚醒をおこしたなら精神異常やクンダリ二―が脊髄を通って、

上に登らず内臓の中に入り内臓が焼きただれて、死にいたる者も今まで居たと聞きました。

インドのヨギ―で素質のあった少女がクンダリ二―覚醒で焼きただれて死んでしまったと言う話も言い伝えられています。

やはり経験豊富な指導者やグルの下で、指導されることを望みます。

それとクンダリ二―覚醒体験は人間のおかされた究極の体験だと思います。

それを乗り越えた者だけが聖者と言われる所以だと思います。




光のかけ橋 クンダリニー覚醒

◆クンダリニー開発のもつ危険性は充分認識しないといけないし、生半可な初学者が独学で実修できるようなものではありません。

◆修業を積んだ経験深い師匠からの明確な指示がない限りこのおそるべき蛇の火の実修を行なうべきではないとされています。

◆宗教(心霊力、超能力)などに興味を持ちクンダリニーを覚醒させようとある種の行法を取り組むことは非常に危険です。

◆必ず修業を積んだ経験深い導師とかに相談することを進めます。

◆なんだかの偶然によりクンダリニーを目覚めさせてしまったなら経験深い師匠に必ず相談してください。

◆この恐るべき蛇の火が目覚めて、コントロールできずに肉体的苦痛や身体組織を損傷し生命さえ奪うこともあるそうです。

◆クンダリニーをおろすことに失敗して高熱を発したまま死んでいった者も随分いると言われていますからヨガの導師や経験豊かな人に指導を受けるようにしてください。

◆このクンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でもごくわずかだと言われていますが、それは世襲的要素が難しく、精神的、肉体的に 資質が関係するように思いますし経験深い師匠がなかなかいないのが実情だと思います。クンダリニー覚醒体験者で、本山博と言う経験深く修業を積んだ巨匠がいますが、必ずそのような経験豊富な修業者に相談する事を進めます。

◆生半可な初学者が(心霊力.超能力)を求めて、修業して摂り返しのつかない事にもなりかねません。

◆修業者は自我を滅して、心の進化させるトレーニングを怠らずに人格者になるように努めなくてはならないと師匠に言われた事があります。

◆自己を練磨して純粋意識を達成するようにせず心霊力、超能力を求める事は非常に危険ばかりか摂り返しのつかない事態が必ず発生するから修業を積んだ経験深い導師、師匠にご指導してもらえるようにしてください。

◆クンダリニー覚醒が起って、如来とか菩薩の再来だと勘違いをし自分を優越感に浸れば本道を踏み外す事にもなりかねません。

◆クンダリニー覚醒は悟りの第一歩だと自分を戒め次のステップに進むように心がけてください。


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[40] 正道の香り 菩薩の輝き Date:2010-04-08 (Thu)
若い時にある一冊の書物を見て、この書物を世に出したい伝えたいと言う衝動に駆られる書物がありました。

その人物はブッタの生まれ変わりだと言われている方でした。

光のかけ橋の名前の由来は、こう言った正道や如来の教えを説いているマスターや光の指導霊の光の輝きを伝えたくて始めました。


光のかけ橋の項目にもクンダリ二―覚醒の事を書いていますが、この自分はスピリチャルな世界でも珍しくクンダリ二―覚醒体験をしています。

スピリチャルな世界でも珍しいと言われているクンダリ二―覚醒や悟り(見性)を通して、

正道の香りや菩薩の輝きを伝えるのが自分の思い(役目、使命)と感じていました。


末法の時代に正道の香りや菩薩の輝きを少しでも引き戻したい、伝えたいと思いがあります。

クンダリ二―覚醒者は日本でも珍しくはるかインドの国でも聖者の類と言われています。

それとクンダリ二ー覚醒体験を世の中に伝えようと思ったのは、

クンダリ二―覚醒者は如来とか菩薩の再来だとかあるいは聖者だと崇めている団体がありそれを目指していて、危険な団体がありました。

人を害することなく危める事なくクンダリニー覚醒はできると言う事を伝えたい。

自分には正道や菩薩の輝きを伝える役目が自分にはあるのかもしれません。


クンダリ二―覚醒と言っても一人よがりの覚醒したと言う方が多数いましたし、

ただ体験したと言っても本当の体験をしたものにしか解からないものがあります。

クンダリ二―は生まれてくる前の約束事だと言う方もいますが、それぐらい奇跡体験だと言われています。

光のかけ橋の項目にも書いていますが、、クンダリ二―覚醒体験したから霊性が高いと言う事ではありません、。

日々の生活の中で、思い行いを通して実践をし、霊性を高めて行かないといけません。

お釈迦様の言うように中道(偏りのない生活を通して)八正道を行ずる事によって悟りへの道が開ける以外はないと思っています。。


本来なら危険な事をあえて言わなくても、そのままの体験を伝えるのが良いかと思いますが、

危険な事をあえてしていたのも、本来の仏教やキリスト教に立ち帰ってほしいと言う気持ちがありました。

それと抑えきれない熱い気持ちが強くて、湧き上がってくる気持をかき消す事ができないんです。


実際は妨害もありましたし、自分の力量をはかる方もいました。

化けの皮をはぐってやると言ったり、あるいは○をかけたと言う者までいました。

スピリチャルな道を目指している駆け出しの方やチャネリングをしている方もいました。

高い次元を伝えていると言う方に愛とか何か?本当に解かって実践しているのか?

キリスト様の教えを忠実に実践していて、愛の実践をしているのか?疑いを持ちたくなりました。

神の声を伝えていると言う方もいましたし、自分に対して罵声をあげたり、非難したり、

仲間内に連絡して、マイミクを切ったりする方もいました。


根底に愛が流れていると言うのが大切だとつくづく思います。

自分は他の方からされたくない事を他に対して為してはならないと言う事をこれからも行うだけです。


お釈迦様の慈悲やキリスト様が道を示している正道を実践してこそ霊性が具わって行くと思います。

末法の世には何が正しくて何が間違っているのかさえ解からなくなっています。

菩薩の七光と言われる光線にも医療、芸術、音楽、宗教とか色々分かれていると言われていますから、

どの分野でも宗教に関わらず霊性を高めて行くのが大切だと思います。

それには右にも左にも偏らず中道を通して、八正道を実践してこそ本物の能力も出てくると思います。

犯罪を犯す宗教団体やとんでもない一部の霊能力者によって、本来の宗教が歪められた感じかしてなりません。



スピリチャルな事をしている方でも宗教団体とか関わりがない方が多数います。

ワークショップやセミナーを受けて、チャネリングをしている方もいますが、お釈迦様やキリスト様の教えてを伝えている本来の宗教を学ぶ事も大切だと思います。

一部の心ない方によって、正道が歪められ宗教全体に手垢がついて拒否反応を持っている方もいますが、

惑わされずに本来の宗教をもっと見直して見てほしいと思っています。

本物の名刀と偽物の名刀を見分けるのには本物の者しか解かりません。

中道を通して、日々思いと行いを実践して行くうちに自ずから解かって行けると思います。


お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、

正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。

高橋信次と言う巨匠がいましたが、八正道とは己の心を中道という調和にひきもどす神の模範であり、

その模範に無理がなく、心が自然についてゆける自分自身になった時に、ひとは初めて菩薩行をなしえるのであると言っています。

そこで正しいと言うのが問題になってきます。八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の言う正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。

正道を通して、実践している沢山の修行者が八正道なくして悟りへの道は開かれないと言われていますから、

日々心して実践したいものです。

本来なら宗教の事について言うのはリスクが伴うかもしれません。

でも、自分にはそう言ったエネルギーを共有していますから、仕方がないと思っています。

線香臭いと言われそうですが、少しでも光の指導霊や天の叡智のかけ橋になれたなら

自分の生まれた来た目的に少しでも近づいて行けるかもしれません。

クンダリニー覚醒や霊能は心の進化の過程であって悟りの第一歩だと自分を戒め、

次のステップに進むように心がける事がとても大切な事だと思っています。。

それにはお釈迦様や高橋信次先生の言うように八正道を実践する以外はないと思います。




三宝出版 高橋信次

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html






[39] 夢の中の現実 Date:2010-02-19 (Fri)
大多数の方が狭義と広義の体外離脱やルシド・ド―ミングを体験していると聞いています。

自分はそれ以外に幽体離脱も体験しています。

どの体験も感動で爽快なものでしたけど、その中でも強烈に心を揺さぶり続けるものは幽体離脱でした。


どうして、自分が広義と狭義の離脱にルシド・ド―ミング以外の幽体離脱の体験できたかと考えますと、

クンダリ二―覚醒もあると思いますが、師の恩恵と天の叡智のご加護により、

たゆまなく瞑想を通して続けられた事があったからこそ体験できたと思います。

誰であろうと体外離脱の情熱がある限り体外離脱はできると思います。

一応、申し上げておきますが、体験したから霊性が高いと言う事ではありません、。

日々の生活の中で、思い行いを通して実践をし、霊性を高めて行かないといけません。

お釈迦様の言うように中道(偏りのない生活を通して)八正道を行ずる事によって悟りへの道が開けると教えています。


正法を通して、実践する過程においての心の進化を目指して行かないといけないと思いますので、あえて線香臭い事を申しあげました。

悟りの過程においては、仏にあって仏を殺すと言った師匠の言葉があります。

思いと行いを通して、日々実践をして行かないと霊性を高めていく事は難しいと思います。

スピリチャルな事を目指している方に良くいますが、逆さまになっていると思います。

心の進化を目指さず能力ばかり追い求めている方がいっぱいいます。

付録のおまけ目当てにお菓子を買って、ほしいお菓子は二度次になっていると思います。

※体外離脱の専門家や体外離脱のセミナーを行っているマスターの師事される事を望みます。



☆光のかけ橋の項目

精神集中から瞑想の段階に入りある程度自分の殻が破れてくると破れた自我からいろんな霊や魔が入ってきやすくなります。

心の進化を始めるとその進化をやめさせようと邪魔をする魔と言うものが現れてきます。

キリストがシナイ山の山頂に座って断食をして、神人合一の状態に達する時にサタンが現れ修行の邪魔をしたという事が伝えられています。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には悪魔が綺麗な女の姿で現れたり恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたなどが伝えられています。

天台小止観の中にも十二支の動物、ネズミやウシやトラなどの化け物が出て人を脅かすと言う事が書かれています。

心の進化の途中で現れる魔の正体とはいったい何なのでしょうか?

仏教の覚知魔事に煩悩魔、陰入界魔、死魔、鬼神魔の四つを挙げているそうです。

その中にひとつに煩悩魔と言うのがあります。煩悩魔は人間の心の中にいるもう一人の自分、地位、名誉、財産や現世的欲望に執着
しょうとする自分の心だそうです。

自分の現世欲望からいろんな現象を作ると言われます。

超能力を開発して自分の欲望を満たしたり利益や欲望の為に使おうとしたらその人は煩悩魔から取りつかれていると言われます。

気違いは自分の事は気違いだとは思ってないのと同じくこの煩悩魔に取りつかれているとは本人も解らないと思います。

お釈迦様の言う無執着がとても大切だと自分はつくづく思いました。

この四つある魔の正体には経験豊富な師匠の指導なくして、乗り越える事は難しいと思います。

知らず知らずのうちに魔が入り込みその修行の邪魔をしたり心の進化の妨害とか必ず出てくると思います。

スびりチャルな事を目指している方もそうでなくて、普通の生活をしている方でも心の進化を目指して、思いと行いの実践されたら良いと思います。



三宝出版 高橋信次

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html






[38] 体外離脱 Date:2010-02-19 (Fri)
体外離脱は何通りのバターンある見たいです。


☆幽体離脱
人間の肉体から魂や意識が、その霊体と肉体との中間に位置する幽体を伴って抜け出すという、心霊主義での現象であるとされているみたいです。

抜け出した非物質超心理学や心霊主義研究の見解によると、幽体」と同じ非物質でできた、
紐か臍の緒のようなものといわれていて、魂の緒(たましいのおで、その本人の肉体と霊魂・幽体・霊体・生霊等などは、
繋がっていると言われており、その魂の緒が切れることによって、
肉体は医学的な死を迎えると考えられていますが、 本当かどうかは医学的に証明されていない。

科学的根拠が無いため完全に定義する事はできていなくて、
体離脱の原理は解明されていないので結局のところは分からないと言うことになっています。


☆ルシド・ド―ミング
身体が眠っている状態から、意識だけ目覚めさせる方法
眠った後に今、夢を見ているんだ。意識をはっきりと保ち、
自分のイメージ通りなんでもでき、体外離脱を体験できると言うものです。


狭義と広義離脱の事は坂本政道氏のへミシング入門に記載されていますので、
詳しくはそちらの書物を参考にしてください。

☆狭義の体外離脱
体外に出た自分に意識の中心があまりす。
肉体内の自分が意識されていないか、あるいは肉体内に自分はほとんど残ってないいと考えられています。

☆広義の体外離脱
主体がまだ肉体内にあると、映画を見ているような感じで、体外にいる自分の視点からの映像が見えて、
主体が体外に移ると、より狭義の体外離脱に近い形での体験になります。


体外離脱は、完全にリラックス状態にしていて、思考状態も受け身するとバイブレーションを呼び起こす事になるかもしれません。
ビジアアライゼーションを使って、バイブレーションを高めて行く事が体外離脱を引き起こす事にもなりそうです。。
このエクササイズを何度か繰り返し、実際にバイブレーションを起こして、身体から離脱させる事ができたという報告もあります。。

※詳しくはモンロー研究所公認のレジデンシャル・トレーナーや専門家のセミナーとかあるみたいですから問い合わせしてください。


ハート出版

http://www.rakuten.ne.jp/gold/heart810/index.html

坂本政道 へミシング入門 とみなが夢駆 体外離脱するサラリーマン まるの日 圭 だれでもへミシング 

[37] 修せざるには現れず。 Date:2009-12-08 (Tue)
仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと言う事みたいです。

お釈迦様は霊鷲山の説法の集まり、何も言わず、蓮の花をすっとお示しになりました。しかし、その意味は誰にも分りませんでした。

その時にそれを見ていた、摩訶迦葉尊者お一人にっこりとほほ笑まれました。

私には正法がある、以心伝心で摩訶迦葉尊者授けたという事みたいです。

また弁道話の中に道元禅師はこう言っています。インドや中国のような文化の優れた所に住んでいる人間は、悟る事ができるでしょうが、

国土も素質も劣った人でも悟る事ができるでしょうかと言う問いに、道元禅師はこう言いました。

人は素質の劣っている人も優れた方でも、区別なく等しく悟る事が間違いなく出来ると言うのです。


仏法伝授する事は本当に悟った人を師匠にとせねばならない。

文字のせんさくに明けくれる学者は、師匠とするには不足である。それでは盲が大勢の盲を導くものようなものです。

[36] 本来は仏 Date:2009-11-19 (Thu)
バーソロミューの書籍に記載されています。

もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。

フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、神の声を全ての中に聴く事だと言います。

死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、らい病の絶望の中に恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。

これらの音と神の声を分けるものは何もない

この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。


※その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。

「無門和尚お話に驀然打発といって、何かの感覚の縁に触れていきなり爆発するときに、真の人、悟った自己すなわち仏を自覚するのである。」

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません。

「道元弁道話の中にも修せざるには現れず、人間はすべてめいめいの上に豊かに具っているもので、衆生は本来仏である。我々の自覚体験しないと攫む事ができないという事です。

修行して、自己を忘れて三昧に時、そのものになりきって、(ものになる)ところに仏本来の自己が現れる

自己を忘れ放しでは、修行も何もありません。
自己を忘れるとは、万法に証せられることだと言うのです。

[35] セッション中止しています。 Date:2009-11-19 (Thu)
只今、セッション中止にしています。

☆聖なる木のクリアリング
☆龍の(セッション)
☆イルカの(セッション)
☆ペガサス・ユニコーン(セッション)
☆キリストヒーリング

[34] 今一度、リセットしたいと思っています。 Date:2009-08-04 (Tue)
コミュでも無償で、龍ちゃん、イルカ、ぺカ゜、ユニコーンこれらの存在とか無償で行っていましたし、天使のヒーリングやチャネリングとかもしていました。
でも、すべて封印して、今一度、リセットする事にしました。




光のかけ橋-
癒しのエネルギーワーク アチューンメント ヒーリング 各種伝授しています☆

・瞑想ワーク
・(内省瞑想、クンダリニー覚醒、霊道法、大周天、小周天)

・霊動健康法(健康のためのワーク、チャクラ活性化)

※只今、エネルギーワーク アチューンメント ヒーリング各種整理中


クンダリニー覚醒者は如来とか菩薩の再来だとかあるいは聖者だと崇めている団体がありそれを目指していて、危険な団体がありますけど、
人を害することなく危める事なくクンダリニー覚醒はできます。
自分が自分になり本来の自分になると思います。


クンダリニー覚醒が起って、自分を優越感に浸れば本道を踏み外す事にもなりかねません。心の進化の過程であって、聖者や如来、菩薩ではありません。


クンダリニー覚醒は悟りの第一歩だと自分を戒め次のステップに進むように心がける事がとても大切な事だと思います。


◎宗教、団体とか一切関係はありません。
◎経済的にお困りの方や身体障害の方にはヒーリングを無償で行いたいと思います。
お気軽に問い合わせくださいね。

[33] 霊道健康法 Date:2009-02-22 (Sun)
霊道健康法は現在では霊道術、霊道法と呼ばれているみたいです。

自分が知る限りでは古代から伝わる布瑠部の術と聞きました。

呪文も道具もいらず簡単に実修できるもので、初心の方でも殆どの方が成功すると思います。

霊道といってもなんだか妖しく思われますが、憑依した霊が発動するのではなく自己の霊が発動し健康や霊道発揮の基本となるみたいです。

霊の憑依現象とかではなく自己内部の衝動の発動によって起こる運動だと思います。

ヒーリングの一部として、霊道健康法を載せました。

自分としては霊道と言う呼び名は妖しくドロドロしたものと思われますが、無意識によくしている貧乏ゆすりみたいなもので、

自分で意識的に内部に起こる衝動を意識的に誘発して、運動せしめるものと思います。(現在ではあまり霊道健康法は自分ではしていません)

◎但し医療行為ではなく、あくまで自己責任・自己判断に従って行うようにしてください。
詳しくは専門家や霊動法専門道場に師事される事を望みます。
あくまで遠隔で(思いと行いを実践する方のみアドバイスを無償で行います)

広島ブログ



[32] 覚醒体験 Date:2008-10-09 (Thu)
接心と言って、集中座禅が12月に良く行われている所がありますが、その道場は月一回は必ず、接心を行っていました。

観音山の麓にある寺で、朝4〜夜8時までの座禅で食事、トイレ以外は座りっぱなしでした。

座禅を始まって、あっと言う間に一日は過ぎました。

残る4日間で悟りを開かないと、自分の生命を断つと決めていましたから、

なんとしても明日は悟りを開かないと、心に決めて早朝4時起きて、座禅が始まりました。

睡魔と足の痛さは限界に達していましたが、命をかけていたから気持ちをしっかりと持って座りました。


少しずつ外の物音が聞こえるようになって、観音さんの仏像が見ていくうちに、

初め見た仏像の時と輝きが違っているのに気が付きました。

そして、それに平行するように、周りの外の音や鐘の合図する時の音はだんだん大きく音がなり響く感じがしました。

今まで、錆ついている心の垢がとれて、見るもの聞くものが、よりはっきり綺麗に見え、聞く音もより聞こえて行く感じです。

これは意識が洗われて言っているんだと思いました。


道場では、いつの間にか師匠と二人きりになっていました。

足が痛くて、意識ももうろうとしている時に、なんと師匠が自分の隣に場所を変えて隣に座りました。

足が痛くて、もう限界に達していた体を動かしていると叱責します。

知らないうちに涙がスーツと一筋落ちて行きました。
この涙は一体なんなのか?

どうして涙が、悲しい事もないのに?後から師匠に聞いたところ真珠の涙と言っていました。

貴重な涙であったんだと、後から思いました。


座禅中には、睡魔に襲われたり、意識がもうろうとして幻想とか見えてきたり、

線香の燃える音まで聞こえてくるようになりました。

これは、魔境と言って、修行者には相手にしなさんなと昔から言われているものです。

意識は限界に達して、足の痛さはもう例えようがないぐらいに痛く、

それでも睡魔も幻想も捨てて、ただ思いを手放しをしていました。

この意識が限界に達している時に、自分は死んだのか?

それとも宇宙にいて、師匠と二人で座っているのかとかの幻覚みたいな感じがしました。

そして、何日経ったとかも今日は何曜日かも解らなくなっていました。


トイレに行く途中で見た山々の山林とかはどうしてこんなに綺麗なのか?

明瞭に美しく輝いて見えます。

座禅中に意思がシャープというか空間がシャープになっているような感じです。

前にこの感情は体験していましたものが、また湧き上がって来ました。


クンダリニー覚醒の前とか、良く心臓にエネルギーが上がって、とても違和感を感じていたものとは少し違うもので、

この感情の感じたものが現れたなら、自分は死ぬとか恐怖を感じていました。

この乗り越えにくいものを、とっさに取放そうとしたところ、

その絶妙なタイミングで師匠の恩恵によって、開く事ができました。

立って、立つのも忘れて、座って、座る事も忘れて、意識が限界に達した時に、

自分はこの感情の怖さ、恐怖から逃げだそうとしたところ師の恩恵によって、開く事ができました。


この意識をのり越える時にエックスシーの体験は筆舌では伝えられない限界があります。

素晴らしい気分になり、意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

まさにテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。

座禅によって、自分の本性を悟る事が大切だと思います。

まず、結果を求めるのではなくて、なりゆきがだと思っています。

量よりも質と言われていますが、自分は量が大切だと思いますよ。

量の上での質だと言ったほうが良いのかもしれませんね。

座禅は思いを手放しにします。 居眠りをせず考えをせぬようにして、生き生きと覚めて骨組と筋肉で、正しい坐相をねらって行かないといけません。

それと何よりも正道を学んでいる師匠の下で座り、師の恩恵にて悟りを開く事ができると思います。


[31] 病気や心の世界の一面 Date:2008-06-25 (Wed)
光のかけ橋のヒーリングの項目にも載せてあるものです。


※まず健康には日頃の思いや行いが大切かと思います。

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの、

(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし

(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、

ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、

出っ放しにしておけば泡もなくなりだんだん弱いあぶくのようになり全て出尽くしてしまえば波のたたない湖面のように穏やかになります。


この深層意識(無意識)いわれるものを意識上にあげるのはなかなか至難の技だと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら想念体に亀裂が入り、

(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

昔、ある師匠が催眠とかは暗示で押し込むからあまり良くないから瞑想とか開放した方が良いと言われました。

この説明は日々の思いと行いの正しさを書きましたけど、病気治しに瞑想、座禅をすれば外道の道になりますし、

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。

自分の体験、言葉は少しでも病気や心の世界の一面を知って貰いたかったからあえて、

タブーだったものをあえて書きました。

これから先、学をもった者が研究されて解明できたらと思っています。


[30] 怒りの対処 Date:2008-05-15 (Thu)
怒ったらいけないと教えとかあると思います。

でも実際は怒る事は人間だから怒ります。

毎日の生活の中で、怒った時などは一瞬怒ったらいけないと思うでしょ。

でも実際は怒りはあります。

しまったと思うと思ったりしますが、自分が思うんだけど、怒りを抑えていたりしたら、火山の爆発みたいにいつかは爆発すると思いますね。

それをしまったと、自分を駄目だとくよくよしても人間だから怒りもあります。

それをいまでも気にしていたりしまったと思っていると、枯れていく花に水をあげるのと同じだと思いますね。


枯れていく花には自然に任せていたほうが良いと思います。

毎日の中で、怒ったり悲しんだり、苦しんだりする事もありますよ。

怒ったりしたらこれは怒りだと、怒りと一つにならずに怒りを解放してあげないといけないと思っています。


それと反省とか悔い改めは暗くなるから駄目と言う思考の考えもあると思います。

でも反省とか悔い改めによって、前後遮断ができると思いますし心の浄化にもとても良いと思いますね。

クリスチャンは悔い改めの大切さを教えていますし仏教でも反省の事について言っています。


どちらにしても自分を向上する為にはとても大切だと思いますね。

キャンパスの絵は光と影によって、完成していると思います。

車はアクテルがあるから走れるんです。

ブレーキだけでは車は走れません。

でもブレーキのない車はとても危険で乗っていられません。

車にはアクセルがありブレーキもあるから走る事ができるんだと思いますね。


光を見つめすぎると、自分の影ばかりが浮き彫りになると思います。

だから影も使ったらいいんですよ。

自分はあえて影を使えと言っているんではないんです。

影を使う事もあるでしょ、それは生きているんだから仕方がない事もありますよ。

その陰によって、自分を責めたり悔やんだりしても、もっと影を増やしてしまうと思いますね。


自分を愛しながらダメな自分も良い自分も抱きしめながら、自分を向上できるように出来たらいいなと思っています。

だから全体を使って完成できたらと思っているんですよ。

こうするべきだとか、ああするべきだとかせずに、ありのままの現実を見たりする事も大事だと思います。

前を向いて歩いて行かないといけませんが、長い旅にはトンネルもありますしスカート気持ちが良い所もありますし眼を覆いたくなる所もありますよ。

旅は長く続きます。
いつまでもトンネルの中にいる事はできません。

遥か彼方の光を見つめながら楽しく旅を通っていきたいものです。。

[29] 自分を捨て、思いを手放し Date:2008-05-13 (Tue)
何年、何十年にかけて、自分を捨て、思いを手放しにし、角が取れてまわるい心が現われてきます。

石の上にも三年と言う言葉がありますけど、黙って、三年、10年は修行しないといけません。

そうでないとモノにはなれません。

師匠のいない者は、道に迷い込んでも、道に迷った事すら解らないし

自分の一人よがりの見方しか出来ず、どこが間違っているのかも解りません。


修行とかしていると、丁度、ジャガイモをごしごし洗われる自分に似ています。

それに玉ねぎとかむいで行く過程にも似ていますし深い海底に潜る事にも似ています。

師匠はそれをじっと見ていて、適切な時だけアドバイスをしてくれます。

卵からかえるひな鳥は、少しずつ殻をくちばしで突いて、卵の殻を少しずつ開けていきます。

それと同時に親鳥は見計らって、ひな鳥の殻を一緒に取り除いています。

親鳥がひな鳥よりも早く殻を取ったなら、ひな鳥は死んでしまいます。

親鳥は自然とその事が解っていますから、丁度良いタイミングで、ひな鳥の殻を少しずつ取り除いています。


一人よがりの修行とか瞑想とかは癖が付きやすいし
どこが間違っているのか解らなくなります。

正道に導いて貰う師匠はとても大切な事なんです。

ある宗教団体とかはイエス様の時代に弟子が裏切った事を教義していて、

自分は如来の生まれ変わりだから、信じなさい〜信じないと光を否定する事になり光を否定するものは無限地獄に落ちてしまうとか言っています。

もう一方では、疑いはこれ以上疑う余地がなくなった時に信じれば良いと言っている者もいます。

疑いがあるなら疑いを使え、何の為に疑いというものがあるのか?

この二つの考えは、知恵が必要だと思います。

なんの為に疑いと言うものがあるのかと思います。

ある巨匠は疑って、もう疑いきる事がなくなったら信じなさいと言っています。

お釈迦様のお話の中に、琴の音色の事について話しています。

弦の緩みがあれば音はなりません。

弦を張り詰めると、弦は切れてしまいます。

琴の音色の音を出そうと思えば、丁度良い張りかたがあります。

右にも左にも偏らず、極端な思考や生き方をせず、中道の生き方が大切だと思います。

それと思いと行いもとても大切な事だと思います。 巨匠、高橋信次氏も言っています。


三宝出版

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html



[28] 宗教体験 Date:2008-04-13 (Sun)
宗教体験

宗教も属してない自分が宗教を語るのは心苦しくてなりません。

山頂を目指して、登るのにどの方角から登っても結局同じ山頂にたどりつけると思っています

真っ直ぐに登りつける者やいつまでも道に迷っている者やそれに間違っている道だと気がついて引き返す者、

それでもいつかは同じ山頂に登りつける事ができると思います。

どの宗教にも属していない自分が宗教体験を話しするのはおこがましくてなりません。

宗教体験を話したいと思ったのは正道を少しでも伝えたらと思いました。


それに内山興正禅師の流れをくむ山寺の和尚さんに座禅を教えて頂き、

正道とは何か修業とは何か生きるとは何かを教えて頂きました。

禅宗でも厳しくて有名な兵庫県にある安泰寺にて、

ただ、座禅するために何十年も過したそうです。

ただ、何も考えず座禅三昧の日々はとても充実していたそうですが、

心の中では遠く残した家族や友人それに同じ年頃の人は給料を貰い結婚したりして、

それに比べて自分はお金も給料もないみすぼらしい坊主
まして、結婚どころか一銭もない。

あるのはこの座禅だけ、

日が昇ればまた安泰寺の修行、思いを手放し筋肉と骨組をもっていきいきと狙うすべてを任せきって、

思いを手放しただ、座禅を行っていたと言われました。


戦後最大の宗教犯罪とか起こした団体もありますし、

それに沢山の若者が覚醒を目指したりあるいはオカルト志向にはしったり、

または超能力信仰にはしったりしています。

その宗教とオカルト志向の違いを少し話しできたらと思っています。

オカルト信仰は超能力を持ち普通ではない自分超人を目指していますが、

正道を通して、宗教体験者は普通の者が普通になるだけみたいな感じがします。

何者になるのではなく本来の自分が現れ自分が自分になるだけだと思います。

正道を通した宗教体験は明るくまんべんなく降り注ぎ偏りのない自分に目覚めます。

それにはやはり師の恩恵がなかったなら悟りは現れないし、

正道を通した宗教体験もできないかと思います。

偏りのない自分に指導してくれる師と言うものは丁度、火鉢に似ていると思います。

近寄らないと温かさは感じないし近づき過ぎると火傷をおいます。


自分の体験を話すのはとてもおこがましいですが、

少しでもライトワーカーや覚醒を目指している者の参考になればと思ってあえて書きました。

自分の心の中にはチャクラの目覚めクンダリニーの覚醒で、
瞑想の達人ぐらいの思いが少なからずあったと思います。

クンダリニーヨガとか密教とかにのめり込み禅と言うのは手足のない抜けがら座禅と思っていました。

それにお釈迦様が一人で悟りを開かれたと言われますからこんな老坊主に頼らなくても悟ってみせると思っていました。

まぁ、老坊主がいて、咳とかしたりして、

禅の警策の変わりにはなるだろうぐらいしか期待はしていませんでした。

クンダリニー覚醒を目指して、丁度20日ぐらいで、クンダリニーが覚醒をし山寺では2日で、悟り(見性)の体験をしました。

自分とは何か自分は何者かとか有頂天になっていた自分に師匠の一括で、目を覚まさせられました。

精神集中から瞑想の段階に入りある程度自分の殻が破れてくると、

破れた自我からいろんな霊や魔が入ってきやすくなります。

心の進化を始めるとその進化をやめさせようと邪魔をする魔と言うものが現れてきます。

キリストがシナイ山の山頂に座って断食をして、

神人合一の状態に達する時にサタンが現れ修行の邪魔をしたという事が伝えられています。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には悪魔が綺麗な女の姿で現れたり、

恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたなどが伝えられています。


天台小止観の中にも十二支の動物、ネズミやウシやトラなどの化け物が出て人を脅かすと言う事が書かれています。

心の進化の途中で現れる魔の正体とはいったい何なのでしょうか?

仏教の覚知魔事に煩悩魔、陰入界魔、死魔、鬼神魔の四つを挙げているそうです。


その中にひとつに煩悩魔と言うのがあります。

煩悩魔は人間の心の中にいるもう一人の自分、地位、名誉、財産や現世的欲望に執着しょうとする自分の心だそうです。


自分の現世欲望からいろんな現象を作ると言われます。

超能力を開発して自分の欲望を満たしたり利益や欲望の為に使おうとしたら、

その人は煩悩魔から取りつかれていると言われます。

気違いは自分の事は気違いだとは思ってないのと同じく、

この煩悩魔に取りつかれているとは本人も解らないと思います。

お釈迦様の言う無執着がとても大切だと自分はつくづく思いました。

この四つある魔の正体には経験豊富な師匠の指導なくして、乗り越える事は難しいと思います。

知らず知らずのうちに魔が入り込みその修行の邪魔をしたり心の進化の妨害とか必ず出てくると思います。

師匠のいない修行者はいつまでも山頂に届かないし道に迷っている事さえ解らない状態が続いていると思います。

美しい澄み切った心の持ち主なら師匠がいなくても自分にうち勝かもしれません。

でも我々は荒い波動の中で生活をしています。仕事の中や家庭又は社会ではいろいろな荒い波動の中にいます。


あのキリストさえ魔が現れ邪魔したとありますし、

お釈迦様だって、魔が現れて、悟りの邪魔をされたと伝えられています。

お釈迦様の言う執着を捨て、自分にうち勝つ事が大切だと思います。

針の穴を通すように自分の想念の管理がとても大切だと思っていますし

巨匠高橋信次氏のように心の思いと行いを指示にして、日々生活をしたいものです。


















[27] 想念パワー Date:2008-04-12 (Sat)
人間は自分とは肉体の事だと思っている、想念の持つパワーを信じていないと言うことだそうです。

いつも考えている事が、自分が受け取る事だと聖フランチェスコは教えてくれているみたいです。

フランチェスコが聖痕を呼び寄せる事ができたのなら自分達も内なるパワーを使って、大いなる光を呼び寄せる事は可能だと言うのです。

フランチェスコが細胞組織の重い物質エネルギーを変容させる事ができるのだったら自分達も創造できるそうです。

最も強力なものの一つはあなたの心だそうです。


※ある一冊の書物にこう記されていました。

エイズウイルスに侵されて、死の淵から生還できたと言う体験が綴られていました。

その女性によると体内の内臓とかに黄色くどす黒いものみたいなものが見えて、その汚いものをどうしても消したくて、

その黄色くどす黒いものをナイヤガラの滝のイメージで黄色くどす黒いものを洗い流したそうです。

そうして、黄色くどす黒いものも見えなくなりエイズウイルスも消え去り死の淵から生還できたと言うのです。


もう一つは友の体験です。C型肝炎ウイルスに侵されて、C型肝炎ウイルスから解放されたと言うのです。

ウイリスの型も難しくて、体内からウイルスを排除できる可能性は少ないと言われたそうです。

それでもインターフェロンの治療はやってみないと解らないと言うのが医師の見解だと言うのです。

そのインターフェロンの治療にウイルス排除の可能性をかけたそうです。

インターフェロンの治療はとても辛くて、食事は喉を通らず、食べて物を全部吐いたり鼻血とか排便の出血とかあって、

医者からは無理だと判断されて、インターフェロンの治療は中止だと宣告されたそうです。

もう一回だけこんな副作用が現れたら中止しますからと医師を説得したそうです。

どうにかこうにかインターフェロンの治療は引き続き行なう事になりました。

それでも副作用はとまらず、絶望の中で、いつしか自分が友に教えてあげたナイヤガラの滝の事を思い出したそうです。

かすかな希望を胸にしめて、人が出来たのに自分は出来ない事はないと、

それからと言うものは取りつかれたようにベッドの上で、ナイヤガラの滝のイメージとかあらゆるリラックスセーションを試みたそうです。

彼によると一週間目の検査で、ウイルスの量が約半分以下になり一か月にはウイルスが消えてなくなったそうです。

そうして、C型肝炎からの解放されて、死の淵から生還できたと言う事だったみたいです。

その当時はC型肝炎ウイルスの排除は難しいとされていました。

今でこそ医学の進歩がありまして、C型肝炎の排除も可能となり殆どの患者が治るみたいです。

これこそが想念パワーを使って、運命を切り開いた例だと思います。

清流の上での綱渡り、運命はあるてん幅があり自分で選択できると言うものかもしれません。


ある聖人が人間には鎖に繋がれてる犬に等しいだけの自由があると言った事を思い出させます。

その鎖に繋がれている自由のなかで、選択を見極める事がとても大事だと思います。

フランチェスコは想念パワーによって、聖痕を纏ったように自分達も内なるパワーを使って、人生を創造したいものです。

いつも考えている事が、自分が受け取る事だと聖フランチェスコは教えてくれているみたいです。






[26] クンダリニー覚醒 Date:2008-03-23 (Sun)
クンダリニーの覚醒は尾低骨のまわりに蛇のようにとぐろをまいている宇宙エネルギーであって、

基底のムーラーダ−ラー.チャクラから上昇をしスシュムナーを通って、頭頂のサハスラーまで、上昇し霊的覚醒が起り超感覚的クンダリニー体験すると言われています。

クンダリニーがスシュムナーを通らず両側にあるイダかピンガラ内のピンガラを通って、上昇した場合に高熱が1週間続いて死んでしまったと言う事があるみたいですから、

気持引き締めて、経験深い指導者の下で、行なうようにしてください。


私の体験として、クンダリニーを覚醒するという体験は、非常に強烈かつ言葉では言い表せない凄まじい体験でした。

その頃は心臓とか内臓の病気を患い生きる望みもなくなり死を見つめるようになった頃、1つの書籍が眼にとまりました。

マニプラチャクラと言って臍の上にあって、太陽神経叢が目覚めれば生死をさまよっても床を立つとかみたいな事を書いてたと記憶しています。

これを見て、どうせ死ぬのならクンダリニーの覚醒をしてからでも遅くないと思いこれが独学での修業の始まりでした。


ある特殊な行法を行なって、調度2週間目過ぎぐらいあたりに異変を感じまして、尾抵付近になにかゴトゴトする感覚と焼き鏝をあてられてる感覚を感じました。

例えようのない恐怖、胸騒ぎとこれ以上ない心臓の動悸、息切れ地響きではないかと思うぐらい身体の揺れで、

もうこれ以上持ちこたえる気持も限界に達して、これ以上ない苦痛と恐怖で、もう自分は死ぬんだなと死を受け入れた時にクンダリニーが轟音とともに登頂に駆け上って行き一瞬気を失ってしまいました。

そして、気がついた時は仰向けになっていて、少し時が経っていたように感じました。

はっと気がついた時に全身のオラーが金色に輝いて、登頂のサハスラーからは金色のオラーが放出してるのが見えて、

これがクンダリニーの覚醒と言うものかとやっと我にかえり助かったと脂汗が流れました。

いつの間にやら眠りについていて、気がついた時は自分の体から抜け出していて、そこに横たわっている自分を見つめていました。

これが死と言うものか俺は死んだんだと思いまして、なるほど、これが死と言うものか、

少ししてからその横たわっている自分を意識したらその横たわっている自分に戻ってました。

なるほど、悟りを開いている導師とか師匠とかは生きてるうちに死にきっているのかと思いました。

このクンダリニーの体験は信仰心が必要だと思えるし死を受け入れ死の恐怖を克服しないと多分、途中でクンダリニーを止めていたかもしれません。

このクンダリニーの覚醒後、何もかも終わったと思い、やっとこれで助かり生きれると感じましたが、

この出来事以来から大変な苦痛の始まりでした。

眼を瞑れば真っ赤な風景に真っ赤な神社とか見えたり、耳からは精妙な音が聞こえたり、リンリンと鈴の音や太鼓やフルートとかまたはブンブン蜂の群がる音とか聞こえてきました。

それ以来は泣き止まぬ音として、自分の一部になっています。その当時は自分も若くて、精力旺盛な時期でしたが、

一時的に性を抑制しこの修業に打ち込みました。

その結果この性エネルギーは捌け口がなくなりどこにもいけず、脊髄のところを調度温度計みたいに上がったり下がったりしているみたいな感じがしましたし、またある時は心臓まで上がり心臓の動悸して、

非常に不快感を感じました。またある時は下腹の付近にシュッシュッと音をたてて、

水蒸気が立ち上っている感じがしましたし、またある時はジューとしぼんで行く水蒸気みたいにも感じがしました。

クンダリニー体験者は異常な灼熱体温をあじあうとか伝えられていますが、

自分も焼きただれてしまうぐらい異常な体温になりある時は、頭にこの熱が集まり眼をつぶれは眼の中の細胞とか真っ赤に見えたりして、

氷で頭を冷やすのに5センチぐらいの厚さの氷があっという間に溶けてしまいました。自分もクンダリニーが覚醒して、イドかピンガラ内のピンガラを通って、

上昇したのかと思い高熱が続いて焼きただれて死んでしまうのかと、どん底に突き落とされ絶望の中でこの熱がおさまるのを待ち続けました。

これは味わった事のない者には解らず、一晩中恐怖と絶望の中で身体は熱でぐったりし夜が明けるのを待ちました。

いつの日か覚えてないけど、夢の中で、おまえは失敗だったと修業者みたいなお人に指摘されその事がきっかけになり、経験豊富な巨匠の門をたたいた事が今では懐かしい体験であったと思えます。

もう随分時がたって、今では父に巨匠のもとに連れて行ってもらったことが懐かしい思い出になりました。


◎クンダリニー覚醒は悟りの第1歩です。必ず次のステップに進んでください。

心の進化を怠ると弊害があり非常に危険ですし摂り返しのつかない事態に陥ってしまいます。

必ず、修業を積んだ経験深い師匠に相談してください。超能力を得ることだけが目的ではありませんし自我を滅して、心の進化を怠らないように努めてください。


◎光のかけ橋のクンダリニーワーク(瞑想修業)は準備が整い次第新着情報にてお知らせしたいと思っています。

主に心の進化を目的にして、瞑想(特殊な行法は行ないません。)を行ないたいと思います。

いかなる宗教、団体とも関係ありません。個人、古庵は大師でもなくクンダリニー覚醒の師匠でもなく、ごく普通の人間です。

自分より優れた心の持ち主は沢山いますしそれを目標にしています。

普通の人間が普通に生きているだけで、特別な者ではありません。ただ、悟りの中の第1歩だけ進んだだけに過ぎません。

自分が目指しているは高潔な人格者になり少しでも人の為になれたらと思っています。





[25] 聖フランチェスコ Date:2008-03-21 (Fri)
バーソロミューと呼ばれる高い次元の叡智のエネルギーが語ったものみたいで、

大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージに書かれています。

そこにはこう記されていました。

聖フランチェスコは自分達と同じ情欲や金銭欲な持ち
自分達と同じように酒や女や快楽を持っていたと言われます。

自分が求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたフランチェスコは、

ますます激しく快楽的生き方に走ったと言われます。

自分の罪深い行いをして欲望を極限まで探し求めたみたいです。

そして、自分の意識を克服しなければならない障害について見つめるようになりました。

フランチェスコは意識の深いレベルで、死の現実と対決することを決心したのです。

非常に重い病気を選び、ほとんど死にかけていた状態だったそうです。

その病床の中で、心の境界線が少しずつ狂い高熱の状態のなかで、ある悟りを得たといいます。

善であることと神の愛が同じであると信じようとしていたところその二つは同じ事ではないと理解しました。

善い人でなくても神への愛を持たない人もいます。

フランチェスコは神への愛は神を愛したい思いによって決定されると言うことを理解したそうです。

自分の間違いに気づいたフランチェスコは、その人生にとってこの上もなく重要なものであったと言われます。

高熱の中で、フランチェスコは、どうしたら神を愛する事ができるのだろうか?

神を愛することなくして、生きていく事はできない、

どうしたら愛せるか解らないとジレンマに陥ったみたいです。

そして、これは非常に喜ばしい意識状態だった。

何日も苦しみが続き熱も上がり、不安が増し絶望が募りました。


ついにある朝に、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。

フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、

神の声を全ての中に聴く事だと言います。

死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、らい病の絶望の中に、

恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。

これらの音と神の声を分けるものは何もない

この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。


それまで、自分を混乱におとしめた世界と自分との分離はもはや存在しないと理解し一人旅にでたそうです。

神は全ての中に存在すると言う真理を悟っているフランチェスコは、

多くの人々には変わり者に見えたそうです。

兄弟である風や空について語り鳥や動物や虫などに語りかけ、多くの人々は彼を見てきちがいだと思ったそうです。

フランチェスコは、人生の多くの時間をただ一つの事を祈るためについやしたのです。

最愛の人の人生を完全に再体験できるように・・・・十字架にかけられたキリストでした。

肉体的な苦痛であるばかりか混乱した社会において聖痕を身にまとうことは非常に辛い事である事も知っていました。

それにも関らず毎日祈り私にもあのう苦痛を味わせてください。

フランチェスコは神々しさをまわりに示したいのではなくて、自分の心とキリストの心が最終的に一つになる事を祈ったみたいです。

自分達と何も違わない普通の体を持った男が昼も夜も祈りつづけ断食をして、泣き叫んび待ち続けたそうです。

そして、とうとうついに、ある日、山の上で、聖痕と呼ばれるものが体に現れました。

大いなる広大無辺なエネルギーが山から動いて行き、それが近づいてきた時、

その大いなる光が体中に入ったら自分は再び同じではありえないと疑いなく理解しました。

気ちがいになるか目が見えなくなるか耳は聞こえなくなるかもしれない、

体か焼きただれて二度と動けなくなるかもしれない。

そして、大いなるパワーがやってきて、交信がなされたそうです。

大いなる声が(私の心に完全に入る意思があるか)と尋ねて、フランチェスコはありますと答えたそうです。

フランチェスコはその瞬間が全て根底から変容されうるものだと、暗闇や苦痛、

そして光と自由の世界に変容される事を知っていました。

それでもフランチェスコはいいます。


(私はあなたのものです。あなたなしでは生きていけません。あなたのしたいようにしてください.......。)

フランチェスコの臨終を迎える時に仲間の修道士達が悲しみました。

あなたが居なくなると寂しくてなりません。

するとフランチェスコはこう答えたそうです。

あなた方はまだ学んでないのですね。

すべては一つ生も死も一つです。神が風の中にいるのなら死の中にもいない事はない、

この空間が満たされているのならあなたが空になる事があるでしょうか?

あなたが全ての一部なのなら何を失うなどどうしてありますか?

フランチェスコが亡くなった後、修道士の親しかった者数人がその意味を理解し始めたみたいです。

風の音を聞くと、フランチェスコを思い出し風の音とフランチェスコは同じ事だと気づきました。

暖かい陽射しあびると、フランチェスコを思いだし太陽とフランチェスコは同じだと思いました。

フランチェスコの死によって、深遠なる教えが果たされました。

その教えは自分の苦しみが何を訴えようとも決して自分の愛するものからへだてられるものはない。

ただひたすら愛してください。愛の中にあってはあなたから奪われるものはない。


※人間は自分とは肉体の事だと思っている、想念の持つパワーを信じていないと言うことだそうです。

いつも考えている事が、自分が受け取る事だとフランチェスコは教えてくれているみたいです。

フランチェスコが聖痕を呼び寄せる事ができたのなら自分達も内なるパワーを使って、大いなる光を呼び寄せる事は可能だと言うのです。

フランチェスコが細胞組織の重い物質エネルギーを変容させる事ができるのだったら自分達も創造できるそうです。
最も強力なものの一つはあなたの心だそうです。







[24] 無心で見て聞く Date:2008-02-24 (Sun)
道元に「聞くままに、また心なき身にしあらば、己れなりけりの軒の玉水」と言う歌があります。

自己を忘れて、無心に聞く時、軒の玉水がそのままで自己であったと言うのです。

芭蕉が松島を見たとき、「松島や あ、松島や松島や」
松島以外の言葉がでていませんでした。

「花は紅、柳は緑」といいます。きのうなずなの花を見、柳の木を見ていたのですが、きょうは全然違って見えたというのです。

白秋は「ばらの木にばらの花咲く何事の不思議なけれど」
歌っています。

「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、
同じ月が、まったく違って見えるみたいです。

自己を忘れて、無心になずなの花を見て、軒の雨ざれを聞いて、自己がそのものになった。

花や軒のあまざれになりきる三昧のとき自己を悟られされると思います。

心も妄念とかある間は見るものも歪んで写ります。

人の心も同じようで、風がふいて波が立つとそこに写っている対象物もぐにゃぐにゃに揺れると思います。

妄念や雑念に支配されなくなるとちょうど、月が湖面に映し出されるように空にもお月さんが浮かんでいるように心そのものだけが現れてくると思います。、

本当の自分をはっきりとつかめないとしてもうっすらぼんやりとかいま見る事ができるかもしれません。

道元や芭蕉のように無心で見て聞く極致になってみたいものです。

[23] 思いと行いの大切さ Date:2008-02-13 (Wed)
まず健康には日頃の思いや行いが大切かと思います。

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなりだんだん弱いあぶくのようになり全て出尽くしてしまえば波のたたない湖面のように穏やかになります。

この深層意識(無意識)いわれるものを意識上にあげるのはなかなか至難の技だと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

昔、ある師匠が催眠とかは暗示で押し込むからあまり良くないから瞑想とか開放した方が良いと言われました。

この説明は日々の思いと行いの正しさを書きましたけど、病気治しに瞑想、座禅をすれば外道の道になりますし、

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。

自分の体験、言葉は少しでも病気や心の世界の一面を知って貰いたかったからあえて、タブーだったものをあえて書きました。
これから先、学をもった者が研究されて解明できたらきっと幸せになれるのだと思います。



[22] クンダリニーの開発のもつ危険性 Date:2008-02-08 (Fri)
クンダリニー開発のもつ危険性は充分認識しないといけないし

生半可な初学者が独学で実修できるようなものではありません。

◆修業を積んだ経験深い師匠からの明確な指示がない限りこのおそるべき蛇の火の実修を行なうべきではないとされています。

◆宗教(心霊力、超能力)などに興味を持ちクンダリニーを覚醒させようとある種の行法を取り組むことは非常に危険です。

◆必ず修業を積んだ経験深い導師とかに相談することを進めます。

◆なんだかの偶然によりクンダリニーを目覚めさせてしまったなら経験深い師匠に必ず相談してください。

◆この恐るべき蛇の火が目覚めて、コントロールできずに肉体的苦痛や身体組織を損傷し生命さえ奪うこともあるそうです。

◆クンダリニーをおろすことに失敗して高熱を発したまま死んでいった者も随分いると言われていますから、

ヨガの導師や経験豊かな人に指導を受けるようにしてください。

◆このクンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でもごくわずかだと言われていますが、

それは世襲的要素が難しく、精神的、肉体的に資質が関係するように思いますし経験深い師匠がなかなかいないのが実情だと思います。

クンダリニー覚醒体験者で、本山博と言う経験深く修業を積んだ巨匠がいますが、

必ずそのような経験豊富な修業者に相談する事を進めます。

◆生半可な初学者が(心霊力.超能力)を求めて、修業して摂り返しのつかない事にもなりかねません。

◆修業者は自我を滅して、心の進化させるトレーニングを怠らずに人格者になるように努めなくてはならないと師匠に言われた事があります。

◆自己を練磨して純粋意識を達成するようにせず心霊力、超能力を求める事は非常に危険ばかりか、

摂り返しのつかない事態が必ず発生するから修業を積んだ経験深い導師、師匠にご指導してもらえるようにしてください。

◆クンダリニー覚醒が起って、如来とか菩薩の再来だと勘違いをし自分を優越感に浸れば本道を踏み外す事にもなりかねません。

◆クンダリニー覚醒は悟りの第一歩だと自分を戒め次のステップに進むように心がけてください。

[21] 心霊エネルギー Date:2008-01-06 (Sun)
神霊エネルギー

超神霊エネルギーを駆使して、神霊治療(浄霊)をしている巨匠がいます。

大霊界シリーズでも有名な隈本確氏です。

想念の世界でなされる神霊治療は想いの技法さえマスターすれば、

すぐにでも誰でも神霊治療(自己治療)が可能と言われます。

難病で苦しんでいる病人何万人の多く方が、他者治療や自己治療を求めて日本神霊学研究会(長崎道場、東京道場)に出向いていると言われます。

隈本確氏によると会員も職員も隈本確氏の守護神の霊流を受ける事によって、

最高の神霊治療能力を発揮しているそうです。

この大霊界シリーズの本書を通じて、しっかりと心のチャンネルを合わせ本書のカ バー、トビラに載っている、

隈本確氏の写真を通じて会員や職員同様、偉大な神霊の働 きを身に受ける事ができるみたいです。

この隈本確氏の心霊治療と言うのは一体か二体の霊魂救済ではなくて、

体全体に憑依している何十、何百の祖先霊、因縁霊、そこらでひろってきた霊の救済を行っているみたいです。

この道場では病気心霊治療の他に守護神の出現または力を与える事、

全身心の浄霊(先祖供養・因縁解除)病気自己治療、身心の向上の指導などしているそうです。


世の中にはお金儲けの為に人を惑わしたりしてる偽霊能者がいっぱいいます。

生き神様を崇める事は少し戸惑う者もいるかと想いますが、

自分の知る限りこの巨匠は日本広しとしてもそうそう居る心霊能力者ではないと思っています。

何万人の者がわらをも縋る思いで、この道場に出向いている意味が良く解ります。

その何万人を受け止められる魂の持主なんて、日本広しとしてもなかなか居る者ではないと思います。

キリストを通して、神を見よと言う事を聞いた事がありますけど、この巨匠にも当てはまる感じがします。

若き頃の体験上この巨匠の言うように枯れ葉の如く何十体の霊が体から離れて、上に舞あがって行くのが見えました。

この神界の波動の中で、琴の音色と共に潮さいが曳いては満ちて、

この波動の中で平伏せずには居られないような波動の中で、

神様が現れてくださったと熱い涙かいつまでも止まらなく流れていきました。

無意識の中で、もう〜何もいらない自分の人生どうか人の為になれるようにしてくださいと光輪に祈っていました。

この波動の中で見たものは暗い湖に焼け石を投げ込んだ時のように中心から広がって行くような輝く光輪に見えました。

この隈本確氏の出会いによって、今まで修行して来て、知らず知らずのうちに傲慢さや 悟ったような自分に酔いしれていたと思いました。

修行して行くのにはグルや師匠なくして、師の恩恵や指導あらゆる面で、必要不可欠だと思いました。

師なくして、悟りには至らないとつくづく思い知らされました。

そして、我にもう一度、原点に戻ろうと思いました。

この巨匠の言うようにしっかりと大霊界シリーズの本書を通じて、

心のチャンネルを合わせ本書のカ バー、トビラに載っている隈本確氏の写真を通じて偉大な神霊の働 きを身に受ける事ができると言われる事は事実であったと申し上げておきます。


大ロングベストセラーズ大霊会・弘文出版から出ています。

http://www.nisshinkai.net/

日本神霊学研究所長崎道場
日本神霊学研究絵所東京道場



[20] 肉体と地球を結びつけるエネルギー的な技法 Date:2007-11-27 (Tue)
グランディングとは地に足をつけて,しっかり生きることだと思います。

肉体と地球を結びつけるエネルギー的な技法として、肉体の安心感と現実感をもたらし

肉体的レベルから高次元の情報を入手しやすくなると言われます。

椅子に座って、リラックスしながら行なうのが理想的だと思います。

靴下などを脱ぎ、体が硬くならない程度に背筋を伸ばして、椅子に座ります。

目を閉じて、足の裏を床にぴったりとくっつけます。

心地よい深い呼吸〔複式呼吸〕を行ないます。

尾てい骨付近あると言われている第1チャクラから木の根っこが伸びて行くとイメージして、

椅子を付きぬけ、床を付きぬけて、地面に入り込みやがて地球の中心部まで、達して地球の中心と繋がる。

または真っ直ぐな光線が伸びて行って、地球の中心と繋がると思ってください。

グラウンディングを終える時に頭スッキリ気持ち良く目覚めると心の中で思って、

手足を少しずつ動かしゆっくりとグラウンディングを終えてください。


物質世界と精神世界のバランスをとり現実にしっかりと目を開いて、地球との繋がりを大切にして、

今を生きて、肉体・感情・精神・霊性の面から私達を成長にいざなう事がとても大切だと思います。

霊的なエネルギーと繋がることは大切だと思いますが、現実に私たちは3次元の地球に生きています。

地に足をつけることも大切ですし、天と地のバランスが取れてこそ現実に生きる事がとても大切な事だと思います。


[19] 5つのチベット体操〔若さの泉〕 Date:2007-11-07 (Wed)
5つのチベット体操〔若さの泉〕

若さと健康と活力を永遠に保つ古代チベット秘伝「5つの儀式」

この若さの泉をチベット修業僧ラマは数千年にわたり、ラマ僧の1派によって、伝えられたと言われます。

今から50年前にケルダー氏の本によって,初めて西欧社会に紹介されました。

この5つの儀式には食事療法、呼吸法、発生エネルギー学などについて簡単で、素晴らしいエクササイズなどあります。

第1儀式は両手を床と水平になるようにして、身体をぐるぐる回転させる事みたいで、

この回転によるとすべてのチャクラの回転スピードを一気に上げる効果がある。

第2儀式は7つのチャクラの活動をより高めるのが第2儀式です。

第3、第4、第5はケルダー氏の本を参考にしてください。


この不思議な儀式は人里離れたヒマラヤの僧院で密かに伝えられたもののようです。

昔から東洋神秘主義者たちは身体に7つのホルモン内分泌腺に呼応した7つのエネルギー・センターがあると言われてきました。

私達の体は内分泌腺で作れるホルモンで調整されていると言われますし、

最近の研究によれば、老化現象もホルモンによって、調整されてると言われます。

思春期が始ると、下垂体は死のホルモンの分泌も始めると言われますし、

死のホルモンがあるために、私達の細胞は成長ホルモンのような有益なホルモンを活用できなくなるみたいです。

その結果、細胞や組織は少しずつ老化をはじめ、最終的には死を迎えるわけだと言われますし、

老化の過程が_実を結んだと言えることみたいです。

ケルダー氏が言うように〔5つの儀式〕が身体の7つのエネルギー・センターの不均衡アンバランスを正すのなら結果として、

ホルモンの不均衡アンバランスも是正されるみたいですし細胞が若い時のように再生し活性化することも可能かと思います。

このエクササイズ取り組む前に付録に載ってある注意事項を必ず見るように進めます。

また5つの儀式を実践した体験と知識豊富な医師による分析と忠告が述べられています。


※若い頃にある書籍を見付けた事があります。

その書物によるとチャクラが芽生えたら生死をさ迷っても床を立つとかサナギから蝶に変身できるのはホルモンと酸素によって、

また人間はホルモン〔チャクラ〕と酸素によって、超人に生まれ変わると言うものでした。

自分の見解は座禅とか瞑想修業が進んできますと想念体に亀裂が入って、

カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのチャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように月を移す鏡のように綺麗になればチャクラがより活性化されて、

健康や若返りも可能ではないかと思います。

原因不明の病気とか今の科学では立証できないカルマ〔因縁〕エネルギーの解消などを取り組む事がとても大切だと思います。

優れた技法やエクササイズは他にもありますしドリーン・バチューのチャクラクリアリングの本にも多数のエクササイズが載っています。

チャクラの活性化はとても健康に良いし若返りにも影響があると思います。

老いるとは恐怖だと言った女優の事がとても解るようになりました。

若返りの方法とかは永遠のテーマだと思います。

エクササイズは楽しく長く続ける事が大切だと思いますしいつまでも若くありたいものです。



詳しくは5つのチベット体操 若さの泉「」 ピーター・ケルダーやドリーン・バーチューのチャクラクリアリングなど参考にしてください。



[17] 病気の原因は想念行為 Date:2007-10-31 (Wed)

高橋信次の神理問答集の中で病気の事について話しています。

病気とは気の病でありまして、肉体が病むというよりも肉体細胞を司っています。

意識が病むと言うものです。

胃腸には胃腸の意識があり、心臓には心臓の意識があります。

その意識が正常な活動を失い不活発になるために、その部分が痛んだり病んだりします。


内臓器官の各臓器には意識がありまして、その意識が不活発になれば、痛んだり病んだりしますし、

一カ所の臓器とか不活発になれば体全体にも影響が出てきまして、体全体の活動とか弱めてゆきます。

人間の意識をおおきくわけますと魂意識と体の各部分を動かしています。

細胞意識がありますし病気は両方とも病むみたいですし、

原因は表面意識の奥にある想念体意識も含むみたいです。

人間の魂意識は神の子と言われますし、病気になると言う事はないそうです。

意識の中心である心は病むと言う事はないみたいです。

この意味を考えて見ますと心だけを見ると本来は病気はないと言う事になりますが、ところが現実に病気はあります。

病気の原因は怒ったり、そしつたり、争いの思い、対立感情がありまして、想念が原因だと言われます。

お釈迦様は人間のカルマとかイエス様は原罪と呼んでいるそうですし、

こうしたカルマが想念体を病巣を作り肉体の病気となって、表れて行くみたいです。

また、仮に正法の生活を通して、生きた人でも病気ならないかと言うとそうでもないみたいですし、

後天的には立派な人でも先天的なカルマがあれば表面にでてきます。


師の言うのには先天的なカルマは後天的な善によっては五にも三にもなり一にもなるそうですが、

善と悪の相殺作用が働きまして、人は現世で悟ったとしても病気から開放されると言うのは難しいみたいですし、

人間には常にあやまちがついてまわるからそうです。

病気の種類には肉体の消耗や憑依や守護霊による作用それに精神が先走り肉体がついて行けない場合や憑依現象などあり、
この場合自己保存が主な原因でありまして、良く反省して想念行為が 改めないかぎり病気の状態は良くならない。

いずれにしましても病気の原因は想念行為に原因があるみたいです。

☆正法を照らし続ける高橋信次シリーズは三法出版から出ています。
詳しくは高橋信次を慕う会や専門家に問い合わせしてください。





[16] 天台小止観・治病の方法 Date:2007-10-12 (Fri)
天台小止観の中に治病の方法について書かれています。

ある師は、心を落ち着けて病んでいる箇所に心を止めておけば、病は治ると言ってますし、

またある師は、丹田呼ばれる臍下、一寸の箇所に心を止めて、

浮動させずに静かな状態を長く保ち続けていると病はたいがいの場合治ると語っています。

またある師は、心を常に足の裏に止めておけば、諸々の病を治すことができると書いています。

と言うのは人間は四大が不調となると、いろんな病を煩うことになり、心が体の上の部分に向かうと、四大が不調なるみたいです。

心を落ち着けて、体の下部分におくならば四大は自然に調ってきて、もろもろの病はなくなってゆくとあります。

またある師は,諸法は空であって実体のないものとして,病の症状にとらわれず、静かにしていればたいがいの病気は治ると言ってます。


その理由は考え思う事が四大に強く影響し病が起こる事があるのだから心を息めて,和らいだ、喜ばしい気分になれば、

諸々の病は治ると言ったことであるそうです。


また、雑阿含経のなかの治禅病秘法七十二法の中にも書かれています。

また、ある師は、止観を修して、四大に原因を持つ病は本体〓実体を持つものではなく、

さらに心のなかの病も本体をもつものでないことが調べて、

明らかになってくると諸々の病は治そうと努力せずともひとりでに治ると言ってます。

以上紹介したようにいろいろな説があるのであり観を用いて病を治す方法もいくつもあるそうです。

それぞれの説の意味するところを心得れば、病を克服できるのであり、そこには必ず病を治すための道理―治療理論が説かれているのであります。

人々が止観の二法の意味内容を知得すれば、病として、治らないものはないと言うものです。


もしも鬼神によって引き起こされる病であれば、強い心を持って、呪をとなえて、病を治すようにするとよいそうです。

またもしその病が業病であるならばめでたき行ない及び懺悔を加え修すべきであり、

そうする事によって病はおのずから治ってゆくそうです。

この止観と言うふたつの治療のうち、もしも修業者が、

そのうちの一つの意味でも会得すれば、

自分の病の治療のみならず、他の人々の病の治療も可能となるそうです。


まして,両方の意味を知れば到達されないものはなにもないと、

かりにこれらのニ種の治法を全く知らないならば、

病気になっても治すことができないであろう。

そうして態度は正しい教えの退廃を導くのみならず、自分の生命をも危なくさせずにおかないし、

そのようになってしまえば、自分から勤めて、他の人々をも導くことなどまったくできなくなる。

だから止観を修そうと思うならば、内心の治病の方法をよく理解しておかなければならない

※尚、天台小止観には修業者の心持てや禅を修するにあたって、非常に大切な事が述べられています。

ここでは治病の方法について書きましたが、この天台小止観の中に禅修業にとって欠かせない魔事についても書かれています。

天台『小止観(しょうしかん)』とは、中国天台宗の開祖・天台大師(智者大師・538〜597)によってまとめられた本です。

禅の作法書として,今日に至るまでこれ以上に懇切な坐禅の指導書はないと言われています。




[15] 白隠禅師の健康法軟酥(なんそ)の法 Date:2007-09-27 (Thu)
禅僧、白隠禅師は臨済宗の興の祖として知られた人物だそうです。

猛烈な禅修行を始めましたが、頭はのぼせ上り、身体が氷雪のように冷えて、心は疲れ切って、夜も眠ることができず、

幻覚を生ずるようになりまして、頭脳暖にして火の如し」「両眼常に涙を帯ぶ」「食消化なし」「衣に暖気無し」など十二の病状が現れたという。

いわゆる「禅病」であったと言うものです。やがて白隠禅師は山中に棲む白幽という仙人から、

養生と病気の予防について『軟酥の法』を授けられて、やっと克服することができたそうです。

『軟酥の法』
卵ぐらいの大きさの軟酥の丸薬を頭上に乗せたとイメージする。

酥とは牛乳や羊の乳を煮つめた練乳(バターのようなもの)頭全体を潤し、

ヒタヒタと水が浸透するように下りてきて、丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像する。

香りの色や清らかな卵ぐらいの軟酥を頭上に乗せて、それが身体の下部、両肩、両腕、、乳房、胸、肺、肝臓、腸、胃、背骨、尾骨へと流れていくように観ずる。

基本的な考えは頭寒足熱(下腹部から下肢および足の裏まで、

温かくし本来の健康体に近付ける技法だと思います。

自分でアレンジ〔カラーセラピー、呼吸法〕などを組み合わせて行なうのも良いと思いますよ。

この『軟酥の法』健康法は、自己健康法としてもすぐれた健康法と考えまして、ここに紹介いたしました。

詳しくは坐禅和讃の専門書とか専門家に問い合わせしてみてください。








[14] 内臓の機能が良くなる技法 Date:2007-09-19 (Wed)
内臓の機能が良くなる技法

自分は若い時から内臓の機能があまり強い方ではなくて、

幼少の時から標準体重よりもかなり低くて、生まれ付き無意識の影響があったと思います。


まず、複式呼吸を何回かした後に鼻から息を抜きながら下腹に少し圧力をかけ、

内臓に気が集まるように何回かすると内臓全体が温かくなり内臓が活発になります。

それと食後1時間ぐらいはしないようにしてくださいね。

但し内臓が活発になり体重が著しく増えますので、自分で自己管理がいる事もあると思いますよ。

内臓に気ボールを作ると思ってしても良いと思います。

胃とかの内臓に潰瘍がある場合はこの技法は中止して、手、足全体に気を集めた方が良いと思います。

内臓に病気がある場合は係り付けの医師などに必ず相談してください。

作用、副作用も自分の体験上あると思います。

何事も中道が大切な事だしあまりやり過ぎるとホルモンバランスが崩れかねませんので、注意しながらしてくださいね。


良くチャクラの覚醒に集中瞑想とかして、チャクラの目覚めを目的にして、

自己流でチャクラ開発を行なっている人がいますが、

内臓にチャクラ集中するとすい臓とかのバランスも崩れることもありますので、

経験豊富な師匠とかヨガの導師とかそれに医師に必ず指導、相談を受けるようにしてくださいね。

例えば普通の放出量が10だとするとチャクラの目覚めた人は100〜1000という大きな放出量が表れると言われます。

〔クンダリニー覚醒で、その道で知らない者はいないと言われる巨匠の本山博氏などもチャクラを測定したりチャラ覚醒のワークなどしてますから詳

それもひっくるめて、ヨガの導師とか講師とかにちゃんと指導されるほうが良いと思いますので、問い合わせしてください。







[13] 内観瞑想 Date:2007-09-18 (Tue)
内観瞑想

指導者から適切なアドバイスを受けることを進めます。

指導者から提出されるテーマにそって〔お世話になった事、していただいたこと〕〔お返ししたこと〕〔迷惑をかけたこと〕を順々に調べて行きます。

最初のテーマは母親、父親、兄弟、そして、今日まで、接してきた人々に一人ずつ順に追って調べていくと言うものです。

テーマにそって、調べていきますと考え方の癖、自己中心的な思いと行ない、カルマの傾向性とかつまり提出されたテーマを調べて行くと自分がどんな人間なのか客観的に知る事ができるようになりますし心を浄化させる事ができると思います。

客観的にもの事をみるようになると調和された人生になれると思いますし人間関係のトラブルが解消するとか仕事関係が順調になったり病気が改善された事とかいろいろ効果があるみたいです。

それには指導者からの適切なテーマを与えられて、その与えられたテーマの考えを指導者に伝えたりまたは考えかたの方向性が違った場合は指導者からの適切なアドバイスを与えられたりするそうです。

経験豊富な指導者に指導を仰ぐのが良いと思います。
詳しくは内観道場などに問い合わせしてみてください。

[12] 観察者 Date:2007-09-17 (Mon)
日頃何を思っているか、心の中を見つめた事がありますか?

思った事感じた事に流されていませんか?

朝起きてから寝るまでの間に常に何かを思い感じながら生活をしていると思います。

我々は想像する自由を常に与えられていると思いますし消極的な生きかたまたは積極的な生きかたもみな平等に選択できます。

人はどんな事でも自由に思う事ができますし原因・結果の法則によりどんな思いでも実現してしまいます。

思いは現実、結果は化けてくると師匠に聞かされた事があります

一瞬、一瞬、無数に流れてくる思いを無意識に取捨選択しながら普段行動してると思います。

この繰り返される癖と言うかパターンを意識的に変えていく事が大切な事だと思います。

意識的に観察者になると心の中の魔物の餌食になる事はなくなると思いますしその瞬間に気付けば変わると思いますし気が付かなければ変われないと思いますよ。

習慣化した無意識を何度も何度も繰り返し続けています。

その習慣化したものが消化されないものとして、何度も何度も繰り返しながらこの世に戻ってくるのだろうか?

習慣化した無意識に取捨選択されるのがいいのか?

それとも観察者になって現実を想像するほうに取り組むのが良いのか?

我々人間は想像する自由を常に与えられていると思います。





Last updated 2007

[11] 祈り Date:2007-09-15 (Sat)
祈りは神に届いていると言われます。

ドリーン・バチューのエンジェルメッセージの中に祈りの事について書かれています。

※〔あなたがたすべての祈りの言葉は、神に届いています。

神は苦しみ、悩み、答えを求める人々の祈りをすべて聞いています。

そして、ほぼ祈ると同時に答えがもたらされているのです。〕


※〔祈りがもたらすものは、幸福と愛です。それ以外はありません。

あなたの心が打ちひしがれ、不安に翻弄され、孤独感で満たされていたとしても、

つねにわたしたちが癒しをおこなっていることを忘れないでください。

望んだ結果が得られないことに絶望したり通じていないと独断したりして、祈りをやめないでください。

あなたの祈りの言葉は、その一つひとつが神にとって重要なものなのです。

祈りがあなたの願望どおりに実現するためには、さまざまな要素が必要となります。

タイミングやあなたの関わり合う人の思い、そしてあなたが心に抱いている幸福感が完全に調和しなければなりません。

祈りの望みどおりに実現しないときは、このうちの何かが欠けているのです。〕


祈りについて、少しお話ししたいと思います。自分の体験したことについて話すのは少し気がとがめますけど、

自分の体験した事が少しでも人の為になればと思いまして、

過去にあった体験を少しお話ししたいと思います。。

過去に突然のアクシデントから車からほうり投げ出されて、

手首と鎖骨の骨折、打撲により入院した事があります。

その当時は心の殻が開いて、心のエネルギー〔カルマのエネルギー〕が噴出している最中でした。

その影響で随分、苦しみました。普通の事でも大変な事ですけど、

そのカルマの噴出中での出来事は耐えがたい苦しみに伴って、

自分を持ちこたえるのは大変な辛さだったと思います。

それも走っている車からほうり投げ出されてしまいまして、

骨折とか打撲を体験した人なら解ると思いますが、一晩中苦しみました。


自分は毎日の生活過程で、瞑想は欠かせないものになっています。

骨折と打撲でとても瞑想は出来ない状態でしたけど、姿勢を整えて、ナイチンゲール及び天の医師団に祈りました。

身体は激しい熱と痛みに身を任せて、一生懸命祈りました。


下半身から身体の痛みの微熱とまた違った熱が下半身から上にあがって行くのが解りました。

我に返ったときに眉間に今にも消えそうな光を見ました。

自分の意識を少し抜くとその光が消えてしまうぐらいな微妙なものです。


調度、手動の映写機を回してる感じで、力を抜くとスクリーンに写らないと同じような感じでした。

その光の中で、一人の女性が現れて、少し会話をしました。

その波動と言うかステージーと言うかそこには二人しかいなくて、それがすべてでした。

はっと我にかえり気ずくとナイチンゲールだったとその映像から思いました。


よく祈りとかは幻想だと言われますけど、それはそれで良いと思います。

自分には本当の幻想でも偽りの幻想でもどうでもいいんです。

若い時にお世話になった山寺の禅の師匠の教えには思いを手放すと言う言い付けの教えがあります。

それをいつまでも執着せずとらわれず思いを手放しにすると言う事が大事だと思います。

人は祈る事はできますし祈りは神に届いていると思いますし、

瞑想から対象との区別がなくなった状態になればもっと祈りがより身近に感じられるようになれると思いますよ。

人間は神性なるものを持って生まれて来たと言われますし、

より多くの人がそれに気が付かずに眠ったままこの世の幕を閉じるのは勿体無いと思います。

永遠の今を目覚めて生きて行きたいものですね。





[10] 滅罪行〔罪障消滅〕 Date:2007-08-03 (Fri)
滅罪行〔罪障消滅〕

一定期間を般若心経などお経を唱えて罪障消滅を修法して、自分の罪障を除法してくださいと願う滅罪行です。

〔観音懺法〕〔法華懺法〕〔阿弥陀懺法 〕〔吉祥懺法〕などがあると言われます。

これ以外でもあると思いますが、教えの上でも区別や仕方がそれぞれ違うと思いますし、

詳しくはお寺さんなどに相談してください。

神道系でも祈願法とかあるみたいですから神社などに詳しい専門家に問い合わせしてください


[9] 霊道健康法 Date:2007-08-03 (Fri)
霊道健康法

霊道健康法は現在では霊道術、霊道法と呼ばれているみたいです。

自分が知る限りでは古代から伝わる布瑠部の術と聞きました。

呪文も道具もいらず簡単に実修できるもので、初心の方でも殆どの方が成功すると思います。

霊道といってもなんだか妖しく思われますが、憑依した霊が発動するのではなく自己の霊が発動し健康や霊道発揮の基本となるみたいです。

霊の憑依現象とかではなく自己内部の衝動の発動によって起こる運動だと思います。

ヒーリングの一部として、霊道健康法を載せました。

自分としては霊道と言う呼び名は妖しくドロドロしたものと思われますが、無意識によくしている貧乏ゆすりみたいなもので、

自分で意識的に内部に起こる衝動を意識的に誘発して、運動せしめるものと思います。

◎但し医療行為ではなく、あくまで自己責任・自己判断に従って行うようにしてください。

◎光のかけ橋のヒーリングワークは新着情報にてお知らせします。どの種類が適しているのか検討しながら進めたいと思います。必ず注意事項をよく読み理解、判断してお申し込みください。(経済的にお困りの方や身体障害者の方は無償で行いたいと思っています)
※但し宗教、団体とか一切関係はありません。




[8] ヒーリングワーク Date:2007-08-03 (Fri)
ヒーリングワーク

エンジェル・ヒーリング(チャクラ浄化、天使の掃除機、ネガティブなコードのカッティング
経済的にお困りの方や身体障害の方は無償で行いたいと思います。
お気軽に問い合わせください。

★詳しくは光のかけ橋を参考にしてください。HP: http://hikarinokakehasi.ganriki.net/
http://www.rak1.jp/one/user/kose/


[7] 気の滞り Date:2007-08-03 (Fri)
気の滞り
病気を患ってる人に良くみられる事は下半身に気があまり回ってなく、上半身や特に頭に気が集まってると言われます。

・足が氷のように冷たくて、頭付近が温かいと本来の健康体の逆になってる場合が沢山あります。

・臍下約5センチぐらいのところに丹田といって、気の集まりみたいなところがあります。

・臍上5センチぐらいのところにも内臓に対して、大切なつぼがあると言われます。

これらの大切なツボを活性化すればとても内臓の調子がよくなると思います。

★詳しくは光のかけ橋を参考にしてください。HP: http://hikarinokakehasi.ganriki.net/
http://www.rak1.jp/one/user/kose/



[6] クンダリニー覚醒 Date:2007-07-22 (Sun)
クンダリニーの覚醒は尾低骨のまわりに蛇のようにとぐろをまいている宇宙エネルギーであって、

基底のムーラーダ−ラー.チャクラから上昇をしスシュムナーを通って、頭頂のサハスラーまで上昇し、

霊的覚醒が起り超感覚的クンダリニー体験すると言われています。

クンダリニーがスシュムナーを通らず両側にあるイダかピンガラ内のピンガラを通って。

上昇した場合に高熱が1週間続いて死んでしまったと言う事があるみたいですから、

気持引き締めて、経験深い指導者の下で、行なうようにしてください。

◎光のかけ橋HP: http://hikarinokakehasi.ganriki.net/
http://www.rak1.jp/one/user/kose/


[5] 人生はジエットコースターみたい? Date:2007-07-18 (Wed)
マスコミとかメデイアを賑やかし話題になったある一人の女性がいたと思います。

旦那さんが犯罪で捕まり刑務所に入れられているとかで、自分は何も知らなかったと言うことでした。

自分の祖国に豪邸を建てていたようで、この資金が犯罪との関与が合ったとかなかったとかの事で世間を騒がせました。

でも結局はこの豪邸も手放さないといけない状態になり手放したようです。

とても華やかな女性で、祖国に芸能活動とかしてるみたいです。


その女性によると人生はジエットコースター登ると時もあれば下る時だってある。

誰も悪くない、誰も悪くはないよ〜仕方ないと片言で、言ってた言葉に考え深いものを感じました。


報道特集によると小さい時非常に家庭が貧しくて、兄弟家族全員が食べて行けるのがせーいっぱいで、

この女性が身を売って生計を立てていたようだと言ってたような内容でした。

女性と旦那さんの犯罪とかの関与があるかどうか解らないけど、

もし本当に小さい時から身を売って家族を支えて生活をしていたのが真実ならどうしても自分には責める気持にはなりません。

同じ境遇だったなら自分も同じことをしたのかもしれません。

自分は犯罪を正当化しているのではありません。


誰もがある一面しか見てないような感じがしてならないし、この幼い時に受けた大人えの不信感あるいは惨めさに心は砕け散ったと思います。

泣きながら歯を食いしばりきっとお金持ちになってみせると立ち上がった姿を想像します。

彼女の心の底にはあの幼かった頃の大人えの(不信感、惨めさや貧しさ)内なる子供がまだ生きているのかもしれません。

もしかしたら内なる子供が開放したくて、世間に(社会に対して)反逆しているのかもしれません。

もし旦那さんとの間で、関与があれば犯罪者として問われるだろう。

そして、旦那さんとの犯罪によって沢山の人のお金がもし、使用されたのなら責めは自分で負わないといけなくなります。


聖書の中に自分で作ったものは自分で刈り取ると言うことを聞いたことがあります。

輪廻と言う世界に凝縮された今生での影響によってはまた消化されないものとして残るのかもしれませんし、

この女性の魂が体験したかったことかもしれませんし、あるいは祝福の天国からブールプリントを設計して、生まれてきたのかもしれません。

誰もが輪廻の世界でまだ体験していないものを渇望し魂がもう二度と体験する必要がないと、

理解を得るまで魂は体験するように駆り立てられるものかもしれません。

誰もが輪廻という世界に通って行くものならばこの女性と同じ事をしたのかあるいは通ってきた道なのかもしれません。

もしそうであるならばどうしてこの女性をせめられよう。


この世は合格、不合格はないと言ってた師匠の言葉を思い出します。


まず、修業とはなにか?お寺で座禅したり水篭りしたりまたは山に篭ったりするだけが修業ではありません。

毎日の生活の中で自分が間違ってる事を認めることが出来ずにいたり、

プライドだったり他人を許す事ができなかったり
乗り越えて行きにくい壁が誰にもあると思いますよ。

それを正面からごまかさずに逃げずに取り組む事が大切だし自分が成長できるものと思います。

人生の苦難によって魂が目覚め真理、生き方の方向性の向きを変えて、消化されていないものと向き合わせになり自分が何者かと知る時がきっときます。

この社会の中には不運挫折、身体に障害者がある者、また差別されてる者やアフリカのように飢饉で苦しんでいたり戦争とか沢山辛い体験をしてる者もいます。

こう言った人の強さを認めてあげてほしいと思います。

自分もこれから通る道かもしれませんしもう通って来た道かもしれません。

平凡無事の生涯を求めるのは解りますが、平凡無事ではなかなか成長できないと言われます。


でも会えて、不運挫折を選べと言っているんではないんですよ。

戦国時代にある武将が我に苦難を与えたまえと言った武将がいたと聞きますが、

その苦難によってもっと大きな自分になれと願を賭けたと謂れがあります。

旅の途中で、休憩して居る人もあれば暗いトンネルの中に居る者やまた急いで先を行っている者いろいろ
あると思いますが、

全ての方が今のままで、完璧だと言われます。

旅の途中にはトンネルもあれば綺麗な所もあるし見たくない所もあるでしょう。

スカッと気持いい事もあれば眼を覆いたくなる所もあると思いますが、

それでも道はありますし前を向いて歩いて行かないといけないんです。

いつかは皆同じ所にたどり着くのかもしれません。

同じ旅だったら楽しみながら歩いて行きたいですしただ、歩くだけではなくて、

花を見たり花の香りを嗅いだり鳥のさえずり小川のせせらぎと友に歩いていけたらと思います。






[4] 人生を生きぬく Date:2007-07-16 (Mon)
人気番組で易学や占星術とかしてる人が沢山います。

番組では相談者に金切り声をあげたり罵声あげたりしてますが、その事がかえって人気を押し上げてるみたいです。

それはメディアが視聴率を上げようと作り上げているものかもしれません。

その占い師の言う事には○○の○を築き上げるとか出世するとか、

神々の事について話したり観音さんが付いてるとかあたかも天から生まれてきたような事いっている人が沢山います。

墓参りに行ったら運勢がよくなるとか勝負に勝てるとかそんな事ばかりいってますけど、はたしてそうだろうか?


墓参りに行こうか行くまいが心の法則を知ってる人はそんな事は言わないと思います。

墓参りは運勢がよくなるから行くのですか?

祖先の感謝とか置き去りにして、運勢がよくなるとか強調されてるみたいに感じがます。

まるで子供の玩具遊びみたいな感じがします。

砂糖箱に群がるアリのように物足りようと集まってくるアリのようですね。


自分の存在価値を財産、仕事とか他人の評価とか他人との兼ね合いにおいて生きていて、本当の自分を生きているでしょうか?

まして。修業とかしてる者は我を取るのに大変な努力をしてますし、

騙り者は普通の行き方をしてる者よりも欲に対して増長してる感じがします。

修業をしてる時よりもせぬ時の方が大事と言ってる師匠もいます。


まず、修業とはなにか?お寺で座禅したり水篭りしたりまたは山に篭ったりするだけが修業ではありません。

毎日の生活の中で自分が間違ってる事を認めることが出来ずにいたり、

プライドだったり他人を許す事ができなかったり、乗り越えて行きにくい壁が誰にもあると思いますよ。

それを正面からごまかさずに逃げずに取り組む事が大切だし自分が成長できるものと思います。


この世は合格、不合格はにないと聞きましたが、この世に生まれてくる時に人生の中で不運、挫折を味わいこれ以上ない苦難によって、

魂が目覚める体験を設定して生まれてきた者もいます。

失敗体験は成功に至るスティツプでもあり右もあれば左もあるし、

上があれば下もあるまた善もあれば悪もある成功
、挫折も二面的なもので、調度コインの裏表みたいですし両方(裏表)を使って完成すると思います。


偉大なる覚醒者が言うのには自分の中で消化されないものがあるから何度も生まれて、同じ事を繰り返したり何度も同じ境遇がやってきたり、

そこで得られる理解を得たら今度は別のものを渇望して、

体験するように自分を駆り立てると言われますし、

もう二度と体験する必要がなくなればここにいる必要がなくなると言っていました。

沢山の方が眠っていると言われますしこれ以上ない人生の苦難によって、

魂が目覚め真理、生き方の方向性の向きを変えて、

消化されていないものと向き合わせになり自分が何者かと知る時がきっときます。

偉大なる覚醒者が言うのには人生を生きるただ生きる生きるために生きるこの人生を生きぬくことだそうです。


[3] 自分の呼吸 Date:2007-07-15 (Sun)
名声や他人からの評価の為だけに生きていませんか?

彼らの幻の為だけに生きていませんか?

同種類の人間や同じ属する文化に受け入られようと彼らは生きています。

幻の中で生きていても無駄な人生の浪費です。

人との差を感じたり見比べたりしても自分を生きることはできません。

自分を他人に明渡さないでほしいし縛り付けてるものを取り外してください。

ありのままの自分を愛してください。そして自分の力を取り戻してください。

気づき(観察者になって)自由というものを知ってください。

自分の呼吸で生きていってほしいと思います。


[2] 自己催眠、自律訓練法 Date:2007-07-09 (Mon)
自己催眠、自律訓練法と言う暗示を使ったリラックスセーションがあります。

仰向けになるか椅子にかけてリラックス状態に持っていき右手、左手、右足、左足の順に手足が重いイメ―ジを感じ手足が重くなってきたら次に同じように手足が温かいと順々に行なう。

第1腕が重い(左右の腕、どちらかの腕から行っても良い)
第2腕が温かい
第3足が重い
第4足が温かい
第5心臓が楽だ
第6呼吸が楽だ
第7お腹が温かい
第8額涼しい

健康な身体は身体全体がバランス良く機能してますが、不健康な身体は身体全体のバランスが悪く自律神経のバランスが崩れて、

身体に不調をきたしていると言われてます。

現在人は緊張する事になりきっています。

自分で、リラックスしている状態に持っていく事が大切だと思います。

もっと深く詳しく知りたい方は催眠センターやリラックスセーションとかに問い合わせして見ては良いと思います。

[1] ヒーリングワーク Date:2007-07-07 (Sat)
ヒーリングワークを始めました。

何種類かのヒーリングを行い自分でも自己ヒーリングが出来るようにアドバイスしたいと思います。

(経済的にお困りの方や身体障害者の方は無償で行いたいと思っています。)気軽に申し込みください。

但し医療行為ではありませんし注意事項を読みよく理解して、判断してからお申し込みください。


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