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[207] 自己・仏現れる Date:2012-05-01 (Tue)
「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、

いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、同じ月が、まったく違って見えるみたいです。

悟り(見性)とは本来の自己、仏に出会うことだと思います。

これらの体験は開祖などや経典などに残されていますし、

伝説のなかに伝え続けられているものです。

お釈迦様の悟りが時空を超えて、修行僧の心から心へ伝わって行ったものだと思います。

決して夢物語りでもないし、開祖や素質のある者だけが体験できるものでもないと思います?


内山興正禅師も弁道話しにもありますが、

開悟の〔開〕も〔現成公案〕の現も同じです。

現とは、今までなかったものが現れるという意味での現ではない。

どっちへ転んでも陰顕在没にかかわらぬものをいまここでやるというのが現です。

〔開〕も、これまで閉まっていたものが、いま開くいう開ではない。

開悟といっても、迷っていたのがいま悟りをひらいたいうのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

今の時代では悟り(見性)を開くのは難しいかもしれませんが、

正道を歩んでおられる師の下で坐ったり、行をおこない機が熟されたなら、

本来の自己・仏に出会う事になるかもしれません。

[206] 願い事があれば、 Date:2012-04-21 (Sat)
昔、アシュタールのリーディングを受けた時に、アシュタールはこのように言っていました。

私にサポートほしい方は、私を呼んでください。

沢山の方が、アシュタールの姿を見せてくださいと祈ったりしていると言っていました。

ある者は海の向こうに光輝いて、姿を現してほしいと言う方もいます。

またしるしを見せてくださいと、祈ったりしている方もいると言っていました。

私を呼べばできるだけ皆さんのところに行きます。

だから私を呼んでくださいと言っていました。

私を呼べは、どなたであろうとあなたの所に現れますといっていました

宇宙のアセンドマスターだから、えこひいきはしません。

ただ、受け取れるかは、あなた達にかかっているといいました。

根気よく祈ったりしてほしいと言っていましたね


アシュ―タルは自分にサポートしてあげるといいましたが、

日常生活の事は、いっさい祈ったりしません。

姿を見たいとか?しるしがほしいと祈ったりもしません。

また開運や財運を叶えてほしいとかも祈ったりしませんね。

実際はあまり祈ったりする事はありませんが、身近な者が大病していて、

どうしても祈らざるおえないような時には、祈ったりします。

もし、アシュタ―ルに願い事があれば、祈ったらいいですよ。

でも、魂の成長にならないような実現は与えてはくれないかもしれませんね

何しろ11次元のアセンドマスターですからね。

アシュタールに願い事があれば、根気よく祈ったりしてくださいね。

[205] 自分軸を取り戻す。 Date:2012-04-21 (Sat)
日記にも書いた事があるんだけどね。

虐めの対象にされたり、人に尽くすことと、自ら犠牲になることとは違うと言う事を気づかないといけない。

自らの意思で環境や人々との付き合いを決心するまで、運命は変わることがない。

思い当たる方はいますかね?

スピリチャルな事を目指したり、またその道に入ったりしていくと、こう言った壁に突きあたる事があるかもしれませんね。

キリスト様のように、訳隔てなく愛を与えるような器ならいいんですが、

凡人の自分には、心の葛藤がありますね。


男性社会には、なめられたら終わりという言葉がありますが、

世の中には平気で土足で、他人の心に入って行く方もいます。

そんな荒い波動社会にいては、心の苦しみや痛みを伴う事にもなりかねませんね。

何しろ心の進化・成長していく過程には、心の鎧やガードが取り除かれ無防備になったりしますからね。

その都度、感情のバランスを取り、自分軸を取り戻していかないといけませんね。

人に尽くすことと、自ら犠牲になることとは違うと言う事を気づいておかないと

そういった運命から抜け出す事ができませんからね。

[204] ライトワーカーさんのリーディング Date:2012-04-14 (Sat)
随分昔にリーディングをして貰った事がありました。

アシュタールから地球上に26名しか存在しないチャネラーであると言われていて、

日本人では唯一の存在ではないかと思われているライトワーカーの方にリーディングをして貰いました。

本家本元のチャネラーと言われているテリーさんに、

リーディングを依頼される方が殆どだと思いますが、縁があって日本人のチャネラーさんに依頼した事がありました。

リーディングの感想はおおよその事についてはその通りかもしれません

でも、自分にはあまり詳しく語ってくれていないようにも思えました。

チャネラーさんによっては同じアシュタールをチャネラ―していても

もしかしたらキャツチし伝えきれていないのかもしれませんね?

それと自分の問いに、あなた様はブッタやキリスト様と同じ次元にいるアセンドマスターだと言われているんでしょ?

あなた様はキリスト様やお釈迦様の同じ次元にいるアセンドマスターなのではないですか?(笑)

自分が詳しく言わないでも、すぐに解かっているのではないのかとつい言ってしまいました。

これは失礼だと思いますが、はかり知れないものがある次元ですからね。


リーディングの結果は、地球の転生が少ない。

何回ぐらいの転生で地球になじんでない。

どうもあなた自身が不安のお持ちのようです。

あなたの不安・焦りを解除されたなら

あなたは素晴らしい役割りを達成できます。

宇宙が恋しくて不安を持っている。

あなたのチャレンジ精神で魂のレベルアップに来ています。

あなたはビュアな魂をお持ちです。

5次元6次元ぐらいでは○○○○とは別々の魂。

高次元ぐらいでは○○○○の魂になっていく存在かもしれません。


地球にいる事はさどお辛いでしょうが、しかし我々はサポートさせて貰います。

あなた自身は諦めず、愛と光を持ち続け、もっともっと光輝き

素晴らしい魂をもっともっと皆さまに光をわけ与えると思われます。

自分軸を地球に地を張り宇宙と繋がってください。

あなた自身は高いレベルを設定して来ています。

精神性を解除して、瞑想・ハイアーセルフと繋がり、

地球と宇宙と繋がり、あせりが不安が解除できます。

あなたの相応しいレベルを引きよせる事になります。

そしてあなたの役割りが達成できます。


カルマについて聞いてみました。

自分が愚かだったから請け負ったのか?

それともブループリント・心の進化を共有したくて

あえて魂が設定してきたのか?


あなたは多くの方々のためになりたいと愛と光でいたいと信念をお持ちのようです。

そこから考えてください。

あなたは多くの方々を救うためにあなた自身が経験をし、

乗り越えてきた事は心の糧になります。

あなた自身の行動を決して罰することがないようにあなたの人生を認めてください。

そしてあなたのカルマというものに対して、あなた自身がそれをあなたの自身の潜在意識が作りあげている幻想だと気づいてください。

あなた自身が作っている契約をあなた自身で解除すればいいのです。


アシュタール(Ashtar)について
《アシュタールとは》

アシュタールとは、キリストやブッダなどの高次元の存在とともに働く11次元のアセンデッド・マ

スターであり、宇宙連合の司令官、コマンダー・アシュタールとして全宇宙に愛と平和の光をも

たらすことを使命としています。


アシュタールという名前は金星の言葉で「愛」を意味し、地球が愛で満たされた平和な星になる

よう幾人かの地球人をとおして、メッセージを送り続けながら地球のアセンションを見守り、

サポートしています。


《スターシードとは》


はるか遠い昔、アシュタールは青く美しい惑星である地球が、科学文明の発達とともに破壊の

プロセスに向かう未来の可能性を予測しました。そこで銀河の星星から勇者の魂を集め、彼らに

未来に予測される地球の姿について語りました。すると勇者の魂たちは青き惑星を救うために、

地球に転生することを願い出たのです。アシュタールは、そんな彼らのハートの中に契約の証

として「アシュタールの星の種(スターシード)」を埋め込みました。彼らはスターシードと呼ばれて

います。星の種はアセンションが近付くとはじけ、意識が上昇を始めます。目覚めたスターシード

たちは、自然と世界を見る目が変わり、人生に対する意識も変化していきます。まさに今、彼らは

その時を迎えようとしているのです。地球を愛と癒しで包み、宇宙の平和へと繋げていく任務を

遂行するためにー。              

愛と光信念を持っている。



[203] 霊性の高さとは、 Date:2012-04-09 (Mon)
能力開花や覚醒体験しても、霊性や霊格が高いというものではありません。

霊性や霊格は人格に比例すると聞いたことがありました。

実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かなと言葉があります。

謙虚な気持ちにならないと本物ではないのでしょう。

一部の間違った宗教やよこしまなオカルト主義などは、右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」というイエス様の言葉は、耳に入らなくなっているのですかね?

スピリチャルな事をしているティチャ―でも、相手に術をかけたり、力比べをしたりする方がいるといいますが、

ほんとこれなんかは論外ですよ。

イエス様の説いた真理を実践することなく、能力主義を目指したものだと思います。

心の進化の過程では副産物として、それに囚われず手放しにしていかないと

成長することは難しいと思います。

人を愛する心がなければ、立派な人間・人格者とは言えないのではないでしょうか、

何よりもキリスト教の悔い改めや仏教の反省などを実践をして、霊性を高めて行かないといけません。


第一コリント第13章・愛

13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、

たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。


また光の天使とはこのような者だと思っています。

お金持ちはありあまる大金の中からほんの少しのお金をイエス様に渡されたけど、

マグラダのマリア様は何もあげる事がないから、自分の髪を切って、これで油代にしてくださいと言われたといいます。

女の命と言われるとおとい髪を切って、キリスト様に差し上げたと言われがあります。

背中に羽根をもっているとか、天使の生まれ変わりとかよく聞きますが、

光の天使とは、他の方の為に命を差し出すことも出きるのが、天使の生まれ変わりで

自分が目指しているのはこういった霊性の高さです。

それには聖書の中にある真理を実行してこそ霊性が高くなっていくのではないでしょうかね?




[202] 悔いなくすごすべき Date:2012-04-09 (Mon)
ここ週一ぐらい立て続けに葬儀参列していました。

やっと解放されると思いきや二週間目にまた葬儀(涙)

なんだかその次も葬儀が待っているような感じがあります。

これは歳周りだから仕方がないみたいです。

葬儀参列していまして、遺族の悲しみが自分の悲しみのように感じてしまい。

同調してしまう癖がありますから、とても悲しくなります。

これは葬儀に関わらず、誰とも自然に同調してしまうような癖というか?

エンパシー共感と言っている方もいますから、そのようなものなのかなぁと思います

ほんとしんどいですね。


人生というものはとかく短いものだとほんとつくづく思います。

ほんと思っているよりも早いものだと感じています。

人生後半に突入しましたから、なお早く感じます。

自分もいつか旅立つ事になるのかなぁと?

たいした自分ではないけど、よくやったなぁ〜

よく頑張ったなぁと思えるようにしないとね。

いつか訪れる死にたいして、あの世に帰ってシマッタと気ずいても遅いのですから

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。

まずは、良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践していかないといけません。


高橋信次 心の発見(科学篇)引用

多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまっていると言われています。

人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

あの世へ持って帰れるものは財産も地位も名誉も肉親も、また肉体もこの世をさる時に持って帰ることはできない。

すべてが、この現象界を修行していく過程のものにすぎず、これが人生の事実である。

あの世へ持って帰れるものは、人生航路で体験した。一切の善と悪、記憶された想念と行為である。

だから私達は一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきだ。

常に反省する心は、人間を執着から放して行き、魂の浄化にもなるということである。

私達は日常の生活の中から、怒り、そしり、むさぼり、愚かな心を離れ、一切の苦しみの原因を断ち切らなくてはならない。

心の中に悪にとらわれないことが大切なのだ。

心の中の悪にとらわれから離れるということは、利欲、栄華に惹かれる煩悩を捨て、

一念三千の心を常に光の世界すなわち調和の世界におき、利害損得、情欲、地位、名誉、などの執着から離れることである。

すべて、自ら求めることなく、自然な人徳によって与えられる人々は、己に厳しく、常に謙虚であり、誤りのない正法を実践している人々と言える

高橋信次 心の発見(科学篇)
三宝出版

[201] 清浄なる本性 Date:2012-03-11 (Sun)
心の空性は清浄空である本性けっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないと思います。

気体(蒸気)になったり、液体(水)から固体(氷)というように、三つの相に変化する。

気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらないといっています。


水は低温になったら固体(氷)となります。

また水は高温度(蒸気)になって沸騰したら、水蒸気になり、また雨となって地上に

降下によって再び液体(水)や固体(氷)に変わります。

でも、その水の本性は変わらないのです。

またお皿の上におかずの汚れものがあれば、洗えば綺麗になって皿だけになります。

そのおかずの汚れものを取り除く事によって、綺麗な皿だけになります。

そのように原初土台は不純物がたとえ付着したとしても浄化する事ができます。


悪しき習慣や知識や自覚は想念体にあるカルマのエネルギーとなり、

異熟され、実を結び、結果となった自分に返ってきます。

たとえそのような現象が現れていても、清浄なる本性はけっして失われたり、

そこなったり、曇ったりすることはないのです。

人間の心も悪しき習慣やカルマはブーメランのように自分にかえってきます。

でも、その本性である本質土台は変わらないのです。


では、その悪しき習慣の循環原理を終わらせるのにはどうすれば良いのか?

どぶ水はどぶ水で洗っても綺麗にはなりません。

ある師家の方などは、それは血で血を洗うようなものだ。

血は水で洗わなければ、決して綺麗にはならい。

その血を洗い流す水が、無の字なのであると言っています。

そのためには本性の土台に到達することがなによりも大切な事だと思います。

すべての現象は心の中の出来事は現実経験される対象でもあり、現れ続けるみたいです。

悪しき習慣やカルマを 終焉を迎えさせるためには克服する必要があると思います。

それらには三昧境地に自分を溶け合わせる事がなりよりも大事だと思います。

お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。



高橋信次師はこう言っておられます。

水H2Oは、気体(蒸気)になったり、液体(水)から固体(氷)というように、三つの相に変化する。

この変化は、温度の高低によって生じる熱粒子の伸縮度と、H2Oの粒子の相互関係によって起きる現象である。

つまり、熱作用という縁によって、水は固体、液体気体の三つら変化するというわけである。

熱エネルギーという縁によって、H2Oのエネルギー粒子の集中度が三つの相にこうして変化する事ができる。

気体は、H2Oエネルギー粒子相互間が、熱エネルギー粒子の膨張によって空間に分散される姿で、目で見ることはできない。

目で見ることのできない、空に離散している気体(蒸気)も熱エネルギー粒子の縮み、

すなわち温度の隆下によって再び液体(固体)に変わる。

すなわち空の世界から熱の縁によって色つまり物質になる。

また逆に色すなわち物質から空にも変化する。

このように色即是空、空即是色は、自然の法則であり、神理なのである。

しかしたとえ、気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらない。


高橋信次 心の発見 


[200] 八正道の正しい基準は何か? Date:2012-03-05 (Mon)
お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。

八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の言う正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。


また高橋信次師はこうも言っておられます。

八正道とは己の心を中道という調和にひきもどす神の模範であり、

その模範に無理がなく、心が自然についてゆける自分自身になった時に、ひとは初めて菩薩行をなしえるのであると言っています。

[199] 正道の実践の積み重ね Date:2012-03-05 (Mon)
イエスキリストは、イスラエルに生まれたときは、大工という職人の子供としてである。

つまり人は、生まれによって、聖者になるのではなく、正道の実践の積み重ねによって悟り、

他人が聖者と呼称するのだ。

聖者は、偉大なる智恵と勇気によって、最善の努力をし、

すべて足ることを悟り、一切の執着から離れ、

迷える衆生に愛の手を差しのべ、救済して、太陽のように暖かく、

広い大きな心で常に謙虚、人類は皆兄弟だということを悟っているのだ。


そして神の名を語る偽善者に気をつけよ。

彼らは自らの心を悪魔に売り、言葉巧みに人々に近づき、

不調和な霊城を造り出す。

いう事と行うことに大きな矛盾があり、足ることを忘れ、自らの懐を肥やし、

他人にへつらい、増上慢な態度で終始する。

神の罰というおどしで人々の心に足枷をはめ、自由を奪う者達だ。

高橋信次 心の発見

[198] 善なる中道の心 Date:2012-03-05 (Mon)
自らの智恵と、欠点を修正する自らの勇気、日々の努力によって、私達は人生への道高めて行くことができるのである。

その具体的な方法は八正道の実践にある。

八正道を実践するとき、人間は欲望への執着がなくなり、自らから足ることを悟って行く。

人生の目的はより豊かな丸い心を完成し、この地上に、人々の心と心が調和したユートピアを築かなくてはならない、ということだ。

人類はこの世を去るときには、地位もお金も、一切の財産を持ってあの世に還ることはできないのた。

もし持ち帰ったとしたならば、これは執着心である。

自らの欲望のとりことなって心の歪みを造り、暗い曇りにつつまれて、神の光りを遮り、きびしい地獄界で反省の機会があたえられることになる。

私達は、あらゆる国々を転生輪廻して、現在がある。

あるときはエジプトに、イスラエルに、インドに中国にと、人それぞれによって違ってくる。

私達、潜在されている意識のなかには、その記憶がすべて記憶されている。

物質や経済、地位といった肉体的条件を除いて、その人の今思っていることや考えていると、

自分の長所、欠点が、過去世と現世によって造り出されて行く想念の、総計といえよう。

この記憶のテ―プレコーダのスイッチを、私達は自らの誤った生活行為によって入れることができないだけだ。

そして現在の生活環境は、自らの心を豊かにするための学習の場であるということだ。

一秒、一秒の心行いのあり方が、私達の意識の記憶室にすべて記憶されて行く。

やがてこの世を去るとき、私達は、自らの善なる中道の心で、その想念の一切を裁き、未来の国に行く人生の明暗を決定するのである。

高橋信次 心の発見




[197] 中道の心 Date:2012-03-04 (Sun)

高橋信次講演

心行の解説 (10)
(月刊誌、前号より)


人間には、このように光子体というもう一つのボデーを持った意識体というものがあって、

その意識体が肉体を動かしているのであります。

このように人間は、肉体と精神とを切り離して考えることは不可能であります。

肉体的な苦痛は精神的苦痛につながってきます。それは、肉体の苦痛が光子体の苦痛であるからで、

肉体の健康な時は光子体の健康を意味しているのであります。

たとえば、ある仕事を成し遂げるために肉体を酷使して、

毎日夜の二時、三時まで仕事に精を出したとしましょう。

気持ちが張りつめている間はあまり疲労は感じないでしょう。

しかし、肉体には個人差はあってもその肉体を維持する最低の条件があります。

こういうことを続けていると、その人は病気という結果を生み出してゆきます。

肉体には運動と休息というものが必要なのです。もちろん精神も一緒であります。

こうした原理・原則を無視して心が先走って肉体を酷使すれば、

弾性の限界をはみだし、病気という結果を招いてしまうのです。

また反対に、肉体保存にばかり意を注いで、精神活動を疎かにしてゆくと、

精神の進化は遅れて肉体も退化してゆくのです。運動もせずに暖衣飽食をしていると、

肉体に抵抗力がなくなり、ちょっとした風邪をひいても、大病を誘発するようなことになります。


適度の精神運動と適度の肉体運動は、健全な精神と肉体を保ってゆく上に必要欠くべからざるものであります。
また、人は環境によって物の見方も、性格、心の持ち方も変わってまいります。

経済的に非常に苦しかったり、逆に、非常に恵まれた環境の中にあると、

人間はどうしても自己を発見するということが難しいものであります。

金がたくさんあるとつい好き勝手なことをし、反対に、貧乏をして明日のパンにも事欠くような状態であると、

人のことなど構っておれなくなってしまうのです。



ここで中道というものが大事なことになってくるのです。中道とは文字通り真ん中の道であります。

真ん中とは円であれば円の中心、要(かなめ)であり、

それを知るにはまず自我に基づいた考え方を改めなければなりません。

中道の心は自我を離れた客観的な立場に立たなければ見出すことは出来ないのであります。

中道の心とは私心のないことです。神の尺度です。

この神の尺度に立った時に初めて正しい判断が出来、精神と肉体、

環境の調和というものは生まれてくるのです。


「一切(いっさい)の諸現象(しょげんしょう)に対(たい)し、正(ただ)しく見(み)、正(ただ)しく思(おも)い、正(ただ)しく語(かた)り、正(ただ)しく仕事(しごと)をなし、正(ただ)しく生(い)き、正(ただ)しく道(みち)に精進(しょうじん)し、正(ただ)しく念(ねん)じ、正(ただ)しく定(じょう)に入(い)るべし。
かくの如(ごと)き、正法(しょうほう)の生活(せいかつ)のなかにこそ神仏(しんぶつ)の光明(こうみょう)を得(え)、迷(まよ)いの岸(きし)より悟(さと)りの彼岸(ひがん)に到達(とうたつ)するものなり。このときに、神仏(しんぶつ)の心(こころ)と己(おのれ)の心(こころ)が調和(ちょうわ)され、心(こころ)に安(やす)らぎを生(しょう)ぜん。心(こころ)は光明(こうみょう)の世界(せかい)に入(い)り、三昧(さんまい)の境涯(きょうがい)に到達(とうたつ)せん。」


中道の道を歩むためには、では具体的にどうすればよいのか。

それには中道の目的を適える八正道しかないのであります。

正しく見る、思う、語るの三つの精神作用は、人間がこの世で生活する上に最も大事な、

そして基礎的な部分を占めています。煩悩という迷いが生ずるのは、

見たり、聞いたり、話したりすることが多いから起こるのであります。

私はまずこの三つを八正道の冒頭に上げ、「正しく見る」とは、心の眼で見よ、「正しく思う」とは、

頭で考えず心で考えよ、「正しく語る」とは、心で考えたことを語るようにせよ、と言っているのです。


「正しく仕事をなす」ということは、与えられたその職務に対して忠実に、義務と責任を果たすことです。

「正しく生活する」とは、日常の生活のことです。現在の環境、立場、そして生きていられる、

そのこと自体に感謝することです。物一つ求めるのにも多くの人々の労苦があり、助けがあり、

太陽や水の自然の恵みという保護があるのです。

正しく生きるには、まず六根に左右されない自分をつくってゆくことです。

それには自分の短所、長所を正しく見つめ、短所を修正し、長所を伸ばしてゆくことです。

「正しく道に精進する」とは、主として人と人との関係であります。

夫婦、親子、兄弟、友人などは、それぞれの因縁あるいは約束の下に結ばれているのですから、

我欲に基づいた自己主張をせずに、愛・調和ということを目標に、毎日の生活を送ることであります。

”念”の正しい在り方は、中道に適った調和を目的としたものでなければなりません。

念というものは、たいてい自己の欲望をもととしたものが多いのです。

それゆえに、欲望は際限なく発展してゆくものですから、やがては人と人との調和を欠くことになってきます。

欲望はこれでよいというキリがありませんから、常に足ることを知った生活、

祈る心を忘れないことが必要なのであります。


最後に「正定」ですが、これは反省です。これまでに述べた七つの規範というものに照らしてみて、

今日一日の自分の想念と行為に、行き過ぎた点はなかったか、

また気後れがして善事が出来なかったというようなことはなかったか、

このようなことを振り返ってみて、正しくないことがあったら明日からそれを改めるということです。

反省の重要な点は、ただ単に、ああ悪かった、ああ良かったで終わってしまうのではなく、

悪かった点は明日からはそれを二度三度繰り返すことなく改めてゆくことであります。

反省は行為に移してこそ初めて意義を持つものです。

意義とは、精神と肉体がまず健全になり、家庭の調和、職場の調和、

そして社会の調和につながってゆくことを意味するのであります。

正定の基本はまず反省にあることを肝に銘じてください。

このようにして人間の日常生活も、こうした正しい法というものに乗った生活こそ大事なのです。

正法とは、正しい法、万古不滅の神の理、宇宙の法則をいうのであります。

正しき行為は、正しい結果としてその人の人生、健康、環境を整えてくれます。

大自然の運行が、これを如実に示しております。狂いのない自然の運行があればこそ、

私たち人間はこの地上で生活をしてゆくことが出来るのであります。

神仏は存在しております。存在しないと見るのは、心を正しく見ることの出来ない人の言うことなのです。

心を素直に、正しく見ることが出来て、その心で想念と行為を正すように努めるならば、

神仏は誰彼の区別なくその前に現れます。神仏は決して沈黙を守っているのではありません。

神仏をして沈黙させる原因を人間がつくっているために、沈黙せざるを得ないのであります。

三昧(さんまい)の境涯は、人が心を取り戻した時、すなわち神仏の心と己の心が調和された時に、

心の安らぎという無限に響きをもって包んでくれるのであります。

正法は誰のためでもなく、それは皆さま自身のためのものであるということをよく理解して、

日常の生活の中に実践をしていただきたいのであります。

<完>


※この稿は、昭和48年6月10日、GLA関西本部定例講演会での内容をテープより書き起こしたものです。







[196] 高次の存在 Date:2012-02-01 (Wed)
自分は3次元の存在で3次元にいる魂です。

ハイヤーセルフが自分の高次の存在というものです。

5次元6次元ぐらいではアセンテッドマスター○○○○とは別々の魂。

高次元ぐらいでは○○○○の魂になっていく存在というのが適切なものかもしれません。

高次元では○○○○のようになりますよということかもしれません。

人間の生命は本体一、分身五からなりたっていると言っている方もいますが、

またコップは(本体)水が入っていますが、

そのコップに入っている一滴の水が一人の魂とか言っている方もいます。

これは魂の故郷の事を言っていまして、またグループソウルと言っている方もいます・。

自分が思うには○○○○が本体で、分身が自分というよりは、

別々の存在で、高次元ではそのような○○○○の魂になっていくと言うものかもしれませんね。

この三次元の枠におさまって、はかろうと思う自体が無理があるかもしれません


☆アセンテッドマスターとの繋がり(10次元):○○○○というのは、

別々の魂で、サポートされている存在というのが適切なものだと思います。

他にサポートはジーザスやジャーメインもあるでしょう。

でも、サポートは必要だったり、祈ったりすれば誰でも同じようにサポートされると思います。

誤解がないように伝えたいですね。

高次元の自分は○○○○のそのようになって行く存在が一番適切なものだと思います。

自分はアセンテッドマスターではありません。

自分の魂は3次元です。ハイヤーセルフが高次の存在

リネージのリーディングのように高次元ではアセンテッドマスター○○○○の魂になっていく存在というのが適切なものかもしれません。

高次元ではアセンテッドマスター○○○○のようになりますよということかもしれませんね



DNAA+12リネージリーディング結果
Date: 2011-10-18 (Tue)

まいまいさんはDNAA+12リネージリーディングをされている方なのです。
マイミクにさせてもらっている関係で、DNAA+12リネージリーディングを受けてみたくなり、
まいまいさんに見て貰いました。
DNAA+12リネージリーディングを受けて見たいと思われたなら、まいまいさんに依頼したらいいですよ。

※古庵の質問については、第10次元に書いてありますと言う事でした。
この○○○○の事は言わないことにしましょう。
今まで4人のティチャ―にもそんな事を言われました。
この○○○○だと言うよりも、まぁ〜5本の手だとして、その中の一本の指が自分ではないのかな?
と言う事で質問にさせて貰いました。


DNAA+12リネージリーディング結果ご報告
差出人 まいまいねじまき古庵さま☆

まず12のポイントに光を入れていくのですが、
エネルギーはブロックなくどんどん入っていきました。
特に10番目の知恵(WISDOM)はいつ終わるのかという位光が入りました。(笑)

光を入れている時に感じたことを書かせていただきますね。
第2チャクラ(お腹)と第4チャクラ(心臓)がとても疲れやすいと感じました。
他人の痛みや苦しみをオーラ場を通してダイレクトに感じてしまうからだと思います。
聞こえた言葉は
「プロテクションを明確に行ってください。それを悪いことだと思わないでください。
全てを受け入れなければいけないと、思う必要はありません。」
でした☆^^

続いてリネージです。

☆ソウルタイプ:エンジェリックマスター(くっつけて表現させていただきます)

私たちは、
元はひとつの光(愛・ソース・根本創造主・神ともいいますね♪)から生まれたワンネスである存在です。
すべての魂の源は光です☆
そこから私たちは分離を繰り返して様々な個性(色)を持ち、様々なものを創造し、あらゆる星系を旅してきた存在です。
ですから、私たちは例外なく神の子であり、創造主と同じパワーを持っている存在だということを理解したうえで、読んでくださいね☆

とても早い時期に創造神から放たれた光線で、様々な星系を旅していますが、いずれも天使のスピリットとしてなので、肉体を持ったのはごく最近だと思います。
そのため、非常に違和感を感じているような気がしました。
でも地球には、3次元の時間軸では相当長くいるようです。

★エンジェリックソウル
天国の美の世界を創造するエロヒムを助けるスピリット。
天使たちは肉体を伴って生まれる必要はありませんが、人間の苦しみや痛みを癒すために、ボランティアとして人間としての人生を選ぶことがあります。
でもそのような人間界の苦痛を知らないので、まず自分自身が自らの人生で体験しなければなりません。そのため天使たちは困難な経験を与えてくれる家族を選びます。
天使たちが体験するのは自らの苦痛だけでなく、人間意識の中にあるすべての苦しみです。
人間の機能不全と苦しみを体験したあと、天使たちは自らを癒し始めます。
自らを癒すと、天使たちは人間の集合意識を癒し、痛みと苦しみのあらゆるパターンを解放します。

★マスターソウル
この世界に転生するために創られたヒューマンタイプの魂ですが、人間として生まれる前に、スピリットの転生の一つで完全なるマスター性を体験しています。
ですのであなたは、他者に自分自身をマスターする方法を教えることができます。

☆ソウルカラー:グリーン→シルバー
★グリーンについて
僧侶・オラクル・ヒーラー・サイキックのソウルカラーです。
あなたはこどもの頃に選ばれ、生涯奉仕するために訓練を受けてきました。
このソウルカラーは超感覚能力を備えています。
古の道と聖なる母の知識を復活させるために地球に来ています。
★通常DNAアクティベーションを受けると、ソウルカラーはアダムカドモンソウルカラー3色(ゴールド・シルバー・ブロンズ)に変化するといわれています。
古庵さまのソウルカラーには、既にサイキックとオラクルのシルバー に変わっていますが、DNAAは受けたことがあるんでしたっけ?

続いて12のリネージです

☆神としての自己意識(第12次元 )
神、神聖さ、すべてのものと一つです。これはエクスタシーの状態・至福の状態で、区別や分離というものは存在しません。
これは興味深い意識のレベルであり、悟りといわれています。

☆大天使との繋がり(第11次元):ラファエル
ラファエルは、「神は癒す」という意味の名を持つ大天使です。
ラファエルは強い力で人間も動物も癒します。ラファエルの名を呼ぶ人々には、すぐに癒しがもたらされるのです。
ヘブライ語に「RAPHA」という単語があります。「医師」「癒す者」という意味で、ラファエルをリネージにもつ者はヒーリング能力を携えて地球に来ています。
ラファエルは別名「旅の守護者」とも呼ばれています。宇宙旅行もそうですが、ご自分の内なる世界を探求するのも旅といえるということを覚えていてくださいね☆^^
ラファエルがそばにいるだけで、その場に安らいだ空気が流れ、ストレスと不安を和らげます。

古代あなたがスピリットのときから、古庵さまは呼ばれるとその者のそばに行き、ヒーリングをされています。
ですからヒーリングは生まれながらにできていたのだと思います。
今回私は非常に変わったビジョンをみました。
それは、下半身から透けていき透明な体になっていくというビジョンです。
アセンションと関係があるような気がしますが、古庵さまは、アセンションを信じますか?

☆アセンテッドマスターとの繋がり(10次元):○○○○
やはり○○○○でした。何度も尋ねましたが「あっています」との回答でした☆
私が感じた○○○○は、月(女性性の象徴)ととても縁が深く地球のデータバンクを保持しているというイメージでした。そこには人間のあらゆる歴史と感情が映し出されていて、知識を増やす必要はまったくなく、古庵さまはそこからデータを取り出せるといったイメージを受けました。ようするに、神聖なるもの、神秘なるもの、通常では知ることのできないものと古庵さまをつなげてくれるのが、○○○○のエネルギーなのだと思います☆
でも日本神界との繋がりも深いようですよ。
数人のアセンテッドマスターがサポートしてくれています☆^^

☆グループソウル(第9.8次元):アンドロメダ
ワンネスを創造するために結びついた無数のスピリットとソウルで構成された非常に大きいグループを指し、4つに分類されます。
アンドロメダは神の愛のグループソウルです。
これは感情的な愛ではなく、創造の力としての愛です。
芸術家が工芸品を通して表現する愛とよく似ています。
神は偉大なアイデアを持っています。
神はそのアイデアを愛します。そして創造の力が創造物を現実化しはじめるのです。
第8次元は、物質界における水のエレメントを創造するために個別化します。
これらの存在は、愛のマスターたちです。彼らは水のエレメントのマスターたちであり、常に水の近くにいる必要があります。彼らは現実化と豊かさのマスターです。

☆モナド(第7次元):平和(PEACE)のモナド
スピリチャルな家族のことをモナドといいます。モナドは数えきれないほどあり、12の魂に分かれ、それぞれが違う側面(アスペクト)を違う場所で学び、それらを統合するようです。(12の魂はすべて地球にいるとは限りませんし、ヒューマノイドであるとも限りません☆^^)

古庵さまの源とするモナドは「平和」のモナドです☆
平和とは、簡単にいうと対立のない状態のことです。自分の存在の中心にいて、自分にも周囲の人にも対応できる状態のことです。すべての幸福や愛情や豊かさは「平和」から生まれます。「平和」な状態であればこそ、本当の意味で与え、受け取ることができるのです。

古庵さまは、この地球に平和を体現するためにいらっしゃいました。
平和を体現するために行わなければいけないことって、なんだと思いますか?
それは、ご自分を信頼するということなんです。
マインドの限界を超え、永遠の智慧と繋がるためには、ご自分に対する大きな信頼が必要になります。
信頼とは、誠実で、正確で、正直になるよう激励する内なる知性であり、表面的な思考ではなく、古庵さまの内側の奥深くにあるものです。
ハートを開いてください。
古庵さまが偉大な神と再び結ばれ、心に平和を見出すために、ハートを開いてください。
そこには、別離の痛み、怒りと恐怖などといったあらゆる暗い感情が潜んでいるかもしれません。
それでも、それを見て感じ、その葛藤を手放し、ご自分を信頼することで、内なる平和が訪れます。そしてその内なる平和は外にも体現されるのです。
☆As above so below,as below so above☆

☆ハイアーセルフとの繋がり(第6次元):地球に平和(天国)をもたらす
ハイアーセルフは高次の古庵さまのことです。
といっても肉体はもっていませんので、古庵さまに肉体を使って意図を体現させようとしていると考えてください。
今地球人類の集合意識は、テクノロジーの誤用と惑星規模の汚染という生存の恐怖にさらされています。
この恐怖を取り去るのは、心に平和をもたらすことなのです☆
絶対的な現実というものはありません。
今、古庵さまのいる時空の枠組みは、傷を癒し、天地をひとつにするために大きく拡大しています。まず古庵さまが、鏡に映った幻影を通り抜け、大いなる現実の中に入っていってください。古庵さまには○○○○より、真実を見極めるための宝剣が授けられています。まずは古庵さまが、不信感・恐れ・価値判断・感情的問題という人生の鏡を覗きこみ、その剣ですべての実体無きもの切り払ってください。
ご自分を認めて受け入れて、古庵さまの真の姿を歪めて見せているものを解放して許してください。そしてご自分の心に平和をもたらしてください☆
古庵さまが心のブロックを外し、平和に満たされると、必要な方が集まりはじめます。その方々にヒーリングを施し、平和になる方法を教えてさしあげてくださいね☆^^

☆神話とのつながり(第5次元):ドラゴン(龍)
残念なことに、この素晴らしい火の精は西洋の文化と歴史によって魔物へと姿を変えられてしまいましたが、龍は本来自由で本能的な力をもち、豊かさ、根源的な自然のパワーを授けてくれる存在です。龍からのメッセージは「恐怖と向き合い、それが自分の心から生まれていることを自覚せよ」です☆^^
日本や中国には龍族・龍使いの血統を持つ方がたくさんいらっしゃいます。

☆今の古庵さま(第4次元・3次元)

☆エレメンタルとのつながり(第2次元):ローズクォーツ
愛とハートのヒーリングをもたらすのに重要な石です。
ローズクォーツ は悲しみや孤独を抱える人々が使うのに適した石です。
それは私たちが感情的に満たされないときに、穏やかに私たちを助けてくれます。
ローズクォーツ はハートの周りに創りだしている障害を取り去り、真のバランスをもたらす普遍的な愛のスペースに私たちを繋げてくれます。
またローズクォーツは、男性が自分の内側に持っている女性的な質と女神性に繋がり、攻撃的な男性性エネルギーに優しさと穏やかさをもたらすことを助けます。

☆エレメントとの繋がり(第1次元): 嵐(STORM)
嵐は最も大きな変容を引き起こすエレメントです。このエレメントは地・水・風・火のエネルギーがすべて一緒になることで創りだされます。
この4つのエレメントが組み合わされるとき、ただ混ざり合うよりもはるかに強いエネルギーが創造されます。その力は創造と破壊の瞬間を同時に体現しています。嵐は陰と陽が同時に存在し、その周波数は完璧なバランスと両極とを同時に象徴しています。


最後にチャネリングメッセージです☆
☆この地球に平和をもたらすために、あなたは地球に降り立ちました。
殺戮・干ばつ・水による災害、さまざまなドラマを見て胸を痛めていらっしゃるようですが、
どうか、その現象の裏にあるものを見つけてください。
あなたは、ご自分が多次元に存在するということを覚えていらっしゃいますか?
そして、同時に、あなたはアセンテッドマスターであるということをどうか思い出してください。
全ての生きとし生けるものに愛をもって、忍耐をもって、平和の意味を伝えてください☆


ありがとうございました☆

以上でリーディングを終わります☆

[195] 深層意識に沈んだ記憶種子 Date:2012-01-18 (Wed)

深層意識の中にインプットされれば、それが未来において実現されると言う法則があると言われます。

ネガティブなものも、ポジティヴなものも深層意識にもろに飛び込んで来て、

自分の未来の元を作る事になると思います。

自分の深層意識に沈んだ記憶種子はいつかは異熟して行くと思います。

丁度、お米やこうじをいれたお酒を作る時にも似ています。

いくつかの原料を混ぜてポコボコと異熟されてお酒になっていくと聞いています。


運命の台本を書くのは自分です。

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で選択もできると思います。

こう言ってみれば、自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。

この深層意識は一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、

思いは結果、やがて化けて出てくると師匠が言っておられる事にもなると思いますね。

深層意識に沈んだ種子はどんなものでも、やがて開化し、実を結び実現するのです。


カルマなどもこの深層意識にエネルギーとしてあるのです。

直ぐに現れるのなら、自分でも解かると思いますが、熟成期にならないと、

自分では、理解ができないものだと思いますね。

今世で現れるか?来世で現れるかは、その方によって違ってきます。


バシャールは言っていますね。

すべての物事というのは本来ニュートラル(中立的)なものであって、それ自体に意味はないのだといいますね。

ある物事に意味付けをしているのは、ほかでもない、

私たち自身なのだと言っています。

物事は中立なものであったとしても、何回も思念を繰り返していると深層意識に入り込み、

やがて心の奥深い所に宿る記憶の貯蔵庫から熟成されて、現実に踊り出てきます。


[194] 原因不明の病気やネガティヴな未来 Date:2012-01-18 (Wed)
深層意識(コップ)の中にあるデタ―(水の汚れ)をいくら暗示と言うデタ―を入れ替えても

どぶ水、灰色の水、真水になるのには随分時間がかかると思います。

デタ―自体はなくならないと思いますから、その(深層意識)瓶の蓋あけて、(深層意識の中にある水の汚れ)

感情のエネルギーを意識上に解放していけばいいんだと思います。


サイダーには炭酸が入っています。

その炭酸(感情のエネルギー)の入っている瓶の蓋を開けたら

その炭酸が抜けてなくなりゆるやかな水だけになります。

だから深層意識の中にある感情のエネルギーを意識上に解放してあげればいいと思います。

それにはお釈迦様の言われている八正道がありますね。

苦を滅する道がある。

それは八正道だとお釈迦様は言っておられます。

八正道の中の一つに正しく思うがありますが、思うことは考えること、

思う行為は考えることは、想像行為でもあり、自己の運命をよくしたいと思うなら、

まず正しく思う事をしなければならないと高橋信次師は言っておられますね。

そのためにはモノの見方から変えていかないといけません。

八正道の最初に正見があります。

正見の尺度は神の心なのです。

その出発点は第三の立場で、自分を見、相手を眺める

だから八正道の最初に正しく見るから始まっているのでしょうね。

それから正思(正しく思う)、正語(正しく語る)正業(正しく仕事をする)正命(正しく生活)正進(正しく道に精進する)正念(正しく念ずる)正定(正しく定に入ること)と続いています。


[193] バンドラの箱 Date:2011-12-23 (Fri)
バンドラの箱を決してこじ開けたらいけないと言っていたティチャ―がいましたが

このパンドラの箱とは潜在能力の事みたいな事をおっしゃつていました。

自分は決して開けたらいけないと言うパンドラの箱をこじ開けています。

それも別にこじ開けたのではありません(汗)

瞑想や座禅していて、期が熟したなら、その決してこじ開けてはならないと言うパンドラの箱は、

自然に開いて行くものだと思っています。

だからそのような事があるかもしれないと、心にとめていてほしいですね。

またクンダリ二―覚醒や悟り(見性)も期が熟したら同じよう事がおこる可能性があります。


このパンドラの箱というものは、テープレコーダーと同じように、二十四時間テープが回転し、

その方の想念と行為を記憶し続けています。

この想念体には、カルマの巣みたいに、いっぱいのサイダーの泡如くエネルギーが詰まっています。

ここを開けたというのはサイダーの栓を抜いて、その中からいっぱいのカルマのエネルギーがサイダーの泡如くあがってきます。

この宿っているエネルギーはカルマの巣でもありますからね。


その想念体に亀裂が入って?

サイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、チャクラがより活性化されて、

その対応しているチャクラが芽生えていくのだと思います。

チャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

出っ放しにしておけば泡もなくなり、だんだん弱いあぶくのようになり

全て出尽くしてしまえば、波のたたない湖面のように穏やかになります。

そのような状態になって、カルマが少しずつ浄化されて行くと思いますよ。

また原因不明の病気とか科学では立証できないものや

身体のエネルギーバランスなとが改善されていくと思います。

行きはよいよい帰りは怖いとはことわざもあります。

自分の思いと行いには責任が伴いますからね。

日頃の思い行いをきちんと対処していかないといけません。

[192] 不生の仏心で聞く Date:2011-12-22 (Thu)
説法を聞いている時に蝉の声や田んぼの中で鳴くカエルを聞こうと思う、

心を持って聞いたというものはこの禅室には一人もいない。

聞こうと思う念を生じていた故に聞いたというのは、

これを仏心で聞くという事みたいです。

仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと言う事だと思います。

修せざるには現れずといいますからね。

ただ骨組みと筋肉でねらって実際に座るという事が大切です。

因果関係を静かな目でみていながら、それをふりまわされず、

思いを手放し、祗管打座「ただ座禅している」という事が大切です。


道元に、聞くままに、心なき身にしあれば、己れなりけり軒の玉水という歌があります。

無心で座禅をしていると雨だれの音を聞いて、

自己を忘れて、無心に聞く時、軒の玉水がそのまま自己であったというのです。

自己を忘れた時、方法に証せられる。

無相の自己を悟らされるということなんだそうです。


秋月りょうみん禅師の禅のことばに記載されています。
仏性は不生にして霊明なもの

盤珪はいう。

後ろで啼くすずめの声を鳥の声とも聞きたがわず、鐘の声を太鼓の声とも聞きたがわず、

男の声を女の声とも、大人の声を子供の声とも聞きたがわず、

そけぞれの声を一つも聞きたがわず、明らかに通じて分れて、

聞きそこなわず聞き知るは、霊明の徳用(功徳のある働き)と申す。ものでござるわす。

これがすなわち仏心は不生にして霊明なものといいます。

霊明の証拠でござるわい。


只今この座にござる人に、(われは聞こうと思う念を生じていた故に聞いた)という人は、
この場に一人もござるまい。

皆こちらに向いて、身どもがいうことを耳に傾けてよく聞こうとこそしてござれ、

後ろでそれぞれの声のするを聞こうと思うてござる人は、一人もありゃしませぬわい。

したにそよっと不時にそれぞれの声がすれば、通じて分れて聞きたがわずに聞こえますは、

(不生の仏心で聞く)というものでござるわい。

(前方からそれぞれの声がせば、)聞こうと思う念を生じていた故に聞いたという人は一人もこの座にはござらぬ。

それならば(不生の仏心で聞くというものでござるわい)

「説法前編」

[191] 原初の境地 Date:2011-12-21 (Wed)
「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、

いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、きょうは梅一輪の匂いのために、

同じ月が、まったく違って見えるというものです。

また風が吹いて波風が立つと湖面がぐにゃぐにゃになり、お月さんは写らなくなります。

湖面が静まりかえって来ますと、お月さんはお空のお月さんそっくり湖面に現れます。

お月さんだけが浮かんでいるように真我がそのものだけが現れて来るのが、

最終の段階だと言っているマスターもいました。


またゾクチェンはこうも言っています。

ゾクチェンの教えは本質的には存在の原初の境地にかかわっている。

この境地は、すべての始まりから、一人一人の個人そのものに生まれつき備わっている本性なのです。

この境地にはいることは、あるがままの自分を経験すること、

ふつういわれている自我とは別の意味で、

宇宙の中心として、自己を経験することを意味している。

ふつうの自我中心的な意識は、丁度鳥かごのようなものだ。

二元論的な見せかけにまどわされ、限界の中に閉じこめているのである。

この原初の境地を理解することこそが、ゾクチェンの教えを理解することであり、

ゾクチェンの教えの伝授とは、それを悟った者、すなわち単なる潜在的可能性を現実にした者から、

二元論なあり方にとらわれままの生きものに、この境地が、伝えることなのです。

(おおいなる完成)を意味する。


虹と水晶

チベット密教の瞑想修業
ナムカイ・ノルブ



[190] ひっそり咲いている一輪の花 Date:2011-12-16 (Fri)
一輪若い時に禅寺でお世話になり、その寺の草取りのお手伝いをしたことがありました。

その和尚さんがこう言った事がありました。

誰もが眼にとまる美しい大輪の花を愛するけど、

誰にも気にされず、誰の眼にとまらないひそかに咲いている

この小さな花の美しさは誰にも解からない。

見向きもされないけど、立派に咲いている。

この小さくてもひっそり咲いている花を愛するようなものにならなくてはならないと和尚さんは言っていました。


その時に思った事は、この小さく咲いている花を誰も見ようとせず、

後ろで啼いている蝉の声も聞こうと思う心を持って聞いたという人は、この禅寺には他におらない。

この和尚さんと同じ境地に達するのはと、思いめぐらしていた頃をなつかしい思います。

達磨大師はインドから中国までやってきて、面壁9年ただ座禅したと伝われています。

その達磨の残された座禅が東洋に座禅が大きな力となって働いています。

内山興正は黙って10年座ること。さらに10年座ること。その上10年座ることとし、

安泰寺にのこす言葉としています。

座禅を始めた頃はごちゃごちゃぬかさず、ただ黙って10年を坐ると心に決めました。

その10年たった時に何かなったかというと何にもならなかった。

その何にもならなかったのは何にもならないと思われると思いますが、

その何にもならなかったと思う者はもっと何にもならないと思います。

その何にもならなかったものをさらに10年続ける事になりました。

お釈迦様のこんなお話が残っています。

お釈迦様は霊鷲山の集まりで、説法をしたと言われています。

その時に何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこりほほ笑まれました。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったのだと思います。

そこに居た大勢の修行者の方はみんな理解できてなかったというものです。

摩詞迦葉尊者お一人がお釈迦様の悟られた意味を理解できたというものです。


[189] 表裏一体 Date:2011-12-15 (Thu)
自分の考えですが、ネガティヴなものやポジティヴな感情もコインの表裏のように、

表裏一体なものだと思っています。


どっちに転んだとしても貸借対照表のように自分の行った思いと行いが対照表に表れると思います。

もし、善よりも悪と言われる生き方をして来たと思われる方は、後悔してもくよくよ考えも仕方がない事だと思います。

過ぎた過去は変えられないけど、軌道修正して今度は違うものを選択すればいいと思います。

その為には、悔い改めや反省という物差しで軌道修正したらいいと思っています。

常勝思考を取り入れている方などは、反省は暗くなるから駄目だと言う方がいましたが、

暗くならないような反省をして、駄目な自分も良い自分も抱きしめながら、

向上していけるようにもっていったらいいんだと思います、

何よりも八正道を取り入れたらいいんです。

それとこの世は合格・不合格はないと言っておられた高名な和尚さんがいましたからね。

今まで生きてきて、いっぱい悪い事をして来たのなら、今度はいっぱい良い事をして見る。

もう〜すんだ事をいつまでもくよくよ後悔しても、尾びれ・セビレまでくっついてきますからね。

枯れていく花には水をいくらあげても枯れていきます。

まず、善いと思うことは、とりあえずやってみることが良いのではと思います。

やってみると、今まで解からなかった外の世界が、解かってくるかもしれません。


[188] 背反する二つの二元論 Date:2011-12-15 (Thu)
この地球では、背反する二つの二元論(原理や基本的要素から構成されていると思っています

陰陽思想では、世界は陰と陽の二つの要素から成り立っていると考えられているみたいですね。

光と影、昼と夜、男と女、剛と柔などにそれぞれ陽と陰の属性が対応すると考えられた。

この場合二つは必ずしも対立することを意味せず、むしろ調和するもの、調和すべきものと捉えるみたいです


ゾクチェンはこう言っておられます。

修行者は原初的な智恵を体験する。

対象が生じると同時に、それがみずから空性の境地と同じく、空であることを認識する。

空性と顕現の統一の境地、そしてその境地そのものと空性が、ともに存在しているということが、

すべて同時に経験される。

だからすべては[一味である]すなわち主体と対象はいずれも空である。

二元論は完全に克服される。

主体や対象が存在しないしいうかぎりではない。

とだえることはなく、三昧が持続し、自己解脱の修行をつうじて、二元論に限界づけられなくなる

[187] 本来ひらいている悟りをいまここでひらく Date:2011-12-15 (Thu)
弁道話を味わう 内山興正

開悟の〔開〕も〔現成公案〕の現も同じです。

現とは、今までなかったものが現れるという意味での現ではない。

どっちへ転んでも陰顕在没にかかわらぬものをいまここでやるというのが現です。

〔開〕も、これまで閉まっていたものが、いま開くいう開ではない。

開悟といっても、迷っていたのがいま悟りをひらいたいうのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

迷っているとか悟っているとか、いままで迷っていたが、いま俺は悟ったぞ、

そんなものではなくて、悟りも迷いも超えて本来自己ぎりの自己だから、この自己ぎりの自己に座る。

これが自受三味です。

今出会っているところが、生命の実物なのだから、そこに生きる、

その修行をどこまでもやっていくということです


ジャガイモは土から掘り起こしているだけでは、土だらけのじゃがいも、

土のついた汚い部分を振い落としていけば、綺麗なじゃがいもになります。

でも、畑の中に育ったジャガイモは不純物や汚れがいっぱいついているから、

泥を洗い落とし、ゴシゴシ綺麗にしていけば、綺麗なジャガイモになります。

人も同じように罪の子が修行して神の子になるのではないと思います。

本来神の子だから神の子なのです

仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないみたいです

修せざるには現れずという言葉がありますからね。

禅宗ではこんなたとえ話があります。

小坊主僧が川原で瓦を一所懸命磨いていたそうです。

そこに祖師が通りかかられた。お前は何をしているのか?

はい。瓦を磨いて玉にしょうと思って、一生懸命に磨いているのです。

ばか者、瓦をいくら磨いても瓦だ。玉だから磨けば光を発するのだ。

瓦を磨いても玉にはならぬ。

〔玉は琢磨によって器となる。人は練磨によりて仁となる。
いずれの玉がはじめより光ある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし〕

[186] 一瞬の飛躍 Date:2011-12-13 (Tue)
禅宗にはおおきくわけて、中国伝来の禅宗の気風を残している臨済宗と、

禅宗の日本全土に広く浸透している曹洞宗があるみたいです。

方法としては公案という謎のような問題を考えながら座禅するものと、

なにも方法を持たず、ただひたすら座りぬく座禅があるみたいです。


臨済宗では公案という謎のようなものが、師から弟子に与えられると言われています。

これは自分の知り合いで臨済宗のある本山にいた、お坊さんをしていた方から聞いた事がありました。

本山修行では、「隻手の声」とよばれるものがあって、つまり両手を合わせれば音がするけれども、

片手の音が聞こえるかという問題だそうです。

これはいく頭で考えてみてもどうにもならない問題ですが、それなのに独参といわれるものがあって、

何回も老師のもとに引き出されるというものです。。

そして、その回答を要求されるそうです。

そういう心理状態が限界を超えて、次第に普通の意識状態を超えて、

最後に一瞬の飛躍があって、仏性の本来の自己を見るそうです。

これが臨済宗のにおける悟り(見性)だと言っていました。


■聖フランチェスコの悟りとは?

光のかけ橋 日記より Date: 2011-08-24 (Wed)

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。


愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、

そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません。

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います。










[185] 自然の摂理 Date:2011-12-13 (Tue)
若いときに夢の中で、神様をみたいと思ったときに、

あるクシャ顔した、モジャモジャの髪をした男性が現れました(汗)

その時に思ったのは神様がこんな姿ではない。

これはなんかの間違いだと思いました(笑)


後に解ったことなんですが、これがサイババというインドの覚者で、

アバターといって、神の化身だと言われている方でした。

サイババは世界中で、沢山の方に夢の中に現れたりすると言われがありました。


実際はサイババのおこしている現象だけが、取りあげられていますが、

サイババの書物には心を打つものがところ散りばめられています

心の中にはいつも乾き癒えない自分にとっては、かき消す事のできない

宝物になっています。

摩訶不思議な現象を現していた亡きサイババは宇宙のアバターという、

神の化身であると言われるゆえんかもしれません



花は、美しく咲いて人びとを目を楽しませ、虫たちを喜ばせる。

そして、あたりいっぱいに芳香をはなって散り生涯を終えていく。

花は咲き、芳香を放ってゆく。

そうしてまた種となり、別の地で、さらに美しく咲いてゆくのだ。

そのとき花は、以前のことなど覚えてはいない。

周りもまた、それに気づかない。

ただ、咲いて、香り、他の生涯を楽しませる。

この自然の摂理を、お前たちだけが嘆き悲しむ。

花は咲き、芳香とともに散っていく。

それは自然の摂理に違いない。

その花は、種となってまた別の地で花を咲かせる。

それは、世の定めにに違いない。

その花は、他の生命に喜びを与え、たのしませ、何を要求するのでもなく、

何を誇るでもない。だから花は美しい。

しかし、だからこそ花は哀しい。

サンカルパ 青山圭秀 (著)

[184] 眠りから目覚める Date:2011-11-29 (Tue)
沢山の方が眠りから目覚めず、眠っていると言われています。

精神世界の聖者などは、その眠りから目覚める事が大切だとよく言われてますよね。

また禅の和尚さんなどは、死なない命を生きるのが大切なんだと言っていた事がありました。

自分の若い頃は抜け殻の座禅だけはしないように、坐蒲、(ざふ)の上で死にきると思った事です。

すなわち坐蒲、(ざふ)の上で目覚めることなんです。

見性(悟り)の体験してから、眠っていたものから、目覚めるという事が、

よりつかめたように思います。


アラン・コーエンさんは人は死ぬまで生きているように見えますが、

実は、生きるようになるまで死んでいると言っています。

自分も含めて沢山の方が目覚めないで死んでいく方がどんなに多いことかと思います。

また目覚める為に仕掛けられた?試練によって、本性を現し目覚めさせてくれるものかもしれませんね。

まだこの現実社会では自分達には試練は必要なものなんでしょうね。


スピリチャル作家のアラン・コーエンさんがこんなようなことを言っています。

人は死ぬまで生きているように見えますが実は、生きるようになるまで死んでいるのです。

どれだけの道のりを旅したとしても、どんな試練があったとしても、

どんな間違いを犯してしまったとしても、

あなたはそれらのすべてを黄金にかえることができるのです。

あなたが通り抜けてきたことをすべては、「目覚めるために」

仕掛けられたものです。

あなたがどれほど素晴らしいかを神様が思い出させてくれるのを、死ぬまで待つ事はありません。

今、自分自身に思い出させてください。

そして、あなたは人生というゲームを楽しむのです。

「人生の答えはいつも私の中にある」(KKベストセラーズ)より

[183] 3つの離脱体験 Date:2011-10-25 (Tue)
あまり3つの離脱体験した者はあまりいないと思いますが、自分なりの見解を話したいと思います。

体外離脱は案外体験しやすいかなと思います。

これには完全なリラックスが求められると思います。

その完全なリラックスとは深いリラックスですね。

その深いリラックスがバイブレーションを引き起こし、

バイブレーションが強くなった時にタイミングを見計らって、離脱すると言うものです。

自分などはリラックスCDを聞いていて、バイブレーションが湧きおこったりしていて、不安になった事もありました。

その時には異常体質だからと気にはとめませんでしたが、ある時に体外離脱しまして、

やっとバイブレーションの事が解かりました。

どういう訳は解からないですが、離脱した時にはいつも四つんばいな格好になっていますね(笑)

最近はへミシングの体外離脱のCDが出ていますし、へミシングトレーナもいますからね。

体外離脱のセミナーを受ける事が早道かもしれませんね。


夢の場合は寝落ちする場合がありますからね、意識を保つ事が大切です。

体外離脱よりもバーチャル的な離脱の方はリアル感は少し劣る感じがするかもしれません。

夢の中は現実と言っていますからね。

夢の一部を使って夢の中で、意識を保ってバーチャル的な離脱かもしれませんね。

寝落ちしないような工夫が必要ですね。


幽体離脱の体験は重力をまるで感じられなくて、とても軽く爽快そのものですね。

こちらはクラウンチャクラ(サハスラチャクラ)からの離脱でしょうね。

精妙な光の振動みたいに身体が輝いて、意識も鮮明に感覚が濃厚に感じました。

とにかく非常に爽快感があって、筆舌にはとても表せないものです。

シルバーコードというものがあると言われがありますが、実際シルバーコード繋がっているのも解かります。

この三次元世界には戻りたくないような爽快そのものでしたね。

この幽体離脱はクラウンチャクラの活性化や目覚めが必要になってくるかなぁ?と思います。



■ 3つのパターンの体外離脱
Date: 2011-04-02 (Sat)

体外離脱には完全にリラックスする事が離脱には欠かせないものだと思います
それによって、バイブレーションを引き起こし、タイミングを見計らって、離脱すると言うものです。
結構訓練次第では、誰でも離脱できる可能性があるものだと思います。
昔CDを聞いていた時に振動が湧きおこって、これは自分の異常体質だから仕方がないかなぁと思っていましたが、体外離脱をした時にやっとこれかと理解できました

夢の場合は体外離脱と少し違って、リアル感覚は少し落ちている感覚があります。
バーチャル的に夢の一部を使っての離脱かもしれませんね。
寝落ちする事が多いと思いますが、意識を保つようにするには瞑想や座禅とかお勧めします。

幽体離脱はクンダリ二―がクラウンチャクラに上った時に幽体離脱した事がありますが、
その体験は今まで数回程度しか出来なかったですね。
ほんと重力をまるで感じられず、とても軽く爽快そのものでした。
精妙な光の振動みたいに身体が輝いて、意識も鮮明に感覚が濃厚に感じました。
これは非常に爽快感があって、シルバーコードに繋がっている事も解かりました。

クンダリ二―覚醒した時にクラウンチャクラが活性化して、幽体離脱したものだと思いますが、
多分、死の瞬間がやって来る離脱と同じものかもしれませんね。
あるお坊さんは生きている時に死に切れと言っていましたが、死んでも死なない命を生きる事が非常に大切な事だと思いました。

誰もが幽体離脱できるものではないと思いますが、肉体や心の修行をしていて、機が熟したら、
クラウンチャクラの目覚めを体験して、いつかはコントロールできるかもしれません。
この幽体離脱の体験は筆舌には伝えられないですね。

[182] 霊道法(霊子顕道法) Date:2011-10-19 (Wed)
平行次元(宇宙語)について話をしましたが、霊道法も少し話したいと思いました。

宇宙語に比べて華やかさはないし、地味な感じを持たれると思います。

講師の綺羅さんは高次元のエネルギーを繋げてくれて、宇宙語が話せるようにしてくれるみたいですが、

それがもしかして、誘い水なのかもしれません?

興味を持たれる方は宇宙語誘導セッションを受けられたらいいと思いますよ。


霊道法の方はいろんなやり方があるみたいですが、霊子顕道法の方についてのやり方をいいますね。

自分の手を使って、発動するみたいです。

(例)両手を合わせて、手の真んなかの掌を圧する。

その時に掌震動すると自己暗示をするといっそう震動が生じやすい。

まぁ〜だいたいこんなふうですね。

これが誘い水になるんですね

これ以上は専門家に問い合わせしてくださいね。


古い船のエンジンがありますが、ハンドルを回して、エンジンをかける事に似ています。

回転や力不足では、エンジンをかける事ができません。

ハンドルを回して、ある一定の回転状態になった時にキイー(スイッチ)をいれたら、

エンジンは自動的にかかるんですね。

だから誘い水なるものが必要なんですね。


最近、こんな古い船もないし、化石のようなエンジンもないから、

解からないと思います(笑)

まぁ〜これは例えが可笑しいですよね?

小学生の時などは自宅に船がありまして、勝手にエンジンをかけて海に遊びに言っていました。

岸に船を着ける時にスローにして、ゴ―スタンをかけるのだけど、それが間に合わなくて、

船が岸壁にあたってしまい、それを父に見られて、二度と勝手な事をさせてくれませんでしたね(笑)


霊道法もちゃんとした指導者や専門家に師事されたらいいですよ。

諸刃の剣ではないんですが、気違い運動とも言った方もいましたからね。

でも、実際は奥が深くて、カルマの解消や霊言も出てきたりすると言われています。

実際、自分はそこまで行なってませんから何ともいえません。

興味がなかったと言えば、それまでかなぁ〜

一念三千ではないですが、思いと行いを正し、

内面を見つめていかないと、危険な事にも成りかねませんから、

気を引き締めて、心の浄化に努めていかないといけませんね。


■ 霊道法とは、
Date: 2011-04-25 (Mon)

人間は肉体だけではないと思わせる一つかもしれません。

興味があるかたはまず、期待をせずに、霊子術を実行されたらと思います。

実習して行くと、だんだんと身体がユラユラと揺れてくるのです。

身体が動きたいままに任せてユラユラ、グルグルと動いて行きます。

霊子顕道法の中の飛動にもありますが、床から離れてて飛び上がるようになる。

その度合いが激しくなると、室内を飛び回りはじめるという激しい運動に初めはびっくりするかもしれません。

でも、徐々に激しさはおさまって行くと思いますよ。

実際はこの運動は、これがとても気持ちがいいみたいです。

揺れてくる場所は手や腰の辺りであったり、眼球や首だったりと色々みたいですね。


この霊子術は自己の霊が発動して身体の一部、または全部を震わす術だそうです。

この中に「布瑠部 由良由良止布瑠部(ふるべ ゆらゆらとふるべ)」というものがありますが、

布瑠部」は“震え”のことのようです。

松本道別(霊学講座)の中にも記載されています。

自動療法 本能療法 形式に多少の差こそあれ、何れも霊道の一種たるに過ぎないと記載されています。

他の方も活元運動なるものをやっていて「貧乏ゆすりに似てるかも〜」なんて書いていますが、

自分としては霊道と言う呼び名は妖しくドロドロしたものと思われますが、

無意識によくしている貧乏ゆすりみたいなもので(失礼)と光のかけ橋に書いています(笑)

でも、奥が深くて、カルマの解消や霊言も出てきたりすると言われています。

実際は呪文も道具もいらず簡単に実修できるもので、初心の方でも殆どの方が成功すると思いますよ。

神道系の修行法にもあるようなので、専門家や霊動法専門道場に師事される事を望みます。





[181] 平行次元語(宇宙語) Date:2011-10-19 (Wed)
マイミクさんにさせてもらっている綺羅さんがいます。

プロジェクト・ペガサス常任顧問もされていて、宇宙語誘導セッションの講師などもされています。


実は昔、優秀なティチャ―にセッションを受けた事がありましたね。

その時に宇宙語を話せるという事でしたので、

おまけしてもらって、教えて貰った事がありました(汗)

でも、言葉になってないような感じがして、その時に止めたことがありました。


初めはこんな程度で言葉になっていないような感じでしたが、実際はそれを続けて行くと言葉がまた変わって行くみたいですね。

まぁ〜これらに限らず何事も根気よく続けて行く事が大切なんですね。

こんな事をいうと批判されそうですが、スピリチャル系の事はオールマイティにひと通りはこなしてきましたから、

なんだか消化不足で、自分で納得出来なかったとなるとチャレンジしたくなりましたね。

何事も同じ人間なんだから、自分に出来ない事はない。

他の方が出来て自分に出来ない事はないと思っていますからね。

可能性の一つとして、もう一度チャレンジしたくなりました

講師の綺羅さんは高次元のエネルギーを繋げてくれて話せるようにさせてくれるのだけど、

宇宙語を話せるようにする教え方が実にうまいですね。


何よりも華やかさと時代にそった教えを伝えるティチャ―に心が揺れ動いてしまいますね。

才能とセンスを兼ね備えて、華やかさがあり自分なんかは羨ましいかぎりですね。

それにDNAA+12リネージリーディングをされているまいまいさんも、リーディングの能力も目を見張るものがありますね。

どちらかというと、こちらは線香臭いところがありますし、宗教的な匂いのするところがありますからね。

基本は聖書の真理や仏教の教えを伝えたい気持ちが強いのだけど、

こう言った華やかさと時代に沿ったものを少し取り入れていかないといけませんね。


華やかさや卓越した能力は宇宙系を教えている、

またルーツを持っているティチャ―に共通して感じられますね。

最近は宇宙系のスピリットのルーツがある方と縁があります。

それにアンドロメダに縁のあるかたとも不思議と縁が繋がっているようですね。

講師の綺羅さんに宇宙語なるものは大丈夫と言われましたので、

こっそり、一人になった時にモゴモゴしてみょうかと思います(笑)


宇宙語誘導セッションをご希望は綺羅凛さんに問い合わせしてくださいね。
遠隔セッションでもOKかもしれません。
cosmo☆light ヒーリングセラピスト☆綺羅凛
メッセージまたはメールcosmo.light.salon☆gmail.comまで☆

[180] DNAA+12リネージリーディング結果 Date:2011-10-18 (Tue)
まいまいさんはDNAA+12リネージリーディングをされている方なのです。
マイミクにさせてもらっている関係で、DNAA+12リネージリーディングを受けてみたくなり、
まいまいさんに見て貰いました。
DNAA+12リネージリーディングを受けて見たいと思われたなら、まいまいさんに依頼したらいいですよ。

※古庵の質問については、第10次元に書いてありますと言う事でした。
この○○○○の事は言わないことにしましょう。
今まで4人のティチャ―にもそんな事を言われました。
この○○○○だと言うよりも、まぁ〜5本の手だとして、その中の一本の指が自分ではないのかな?
と言う事で質問にさせて貰いました。


DNAA+12リネージリーディング結果ご報告
差出人 まいまいねじまき古庵さま☆

まず12のポイントに光を入れていくのですが、
エネルギーはブロックなくどんどん入っていきました。
特に10番目の知恵(WISDOM)はいつ終わるのかという位光が入りました。(笑)

光を入れている時に感じたことを書かせていただきますね。
第2チャクラ(お腹)と第4チャクラ(心臓)がとても疲れやすいと感じました。
他人の痛みや苦しみをオーラ場を通してダイレクトに感じてしまうからだと思います。
聞こえた言葉は
「プロテクションを明確に行ってください。それを悪いことだと思わないでください。
全てを受け入れなければいけないと、思う必要はありません。」
でした☆^^

続いてリネージです。

☆ソウルタイプ:エンジェリックマスター(くっつけて表現させていただきます)

私たちは、
元はひとつの光(愛・ソース・根本創造主・神ともいいますね♪)から生まれたワンネスである存在です。
すべての魂の源は光です☆
そこから私たちは分離を繰り返して様々な個性(色)を持ち、様々なものを創造し、あらゆる星系を旅してきた存在です。
ですから、私たちは例外なく神の子であり、創造主と同じパワーを持っている存在だということを理解したうえで、読んでくださいね☆

とても早い時期に創造神から放たれた光線で、様々な星系を旅していますが、いずれも天使のスピリットとしてなので、肉体を持ったのはごく最近だと思います。
そのため、非常に違和感を感じているような気がしました。
でも地球には、3次元の時間軸では相当長くいるようです。

★エンジェリックソウル
天国の美の世界を創造するエロヒムを助けるスピリット。
天使たちは肉体を伴って生まれる必要はありませんが、人間の苦しみや痛みを癒すために、ボランティアとして人間としての人生を選ぶことがあります。
でもそのような人間界の苦痛を知らないので、まず自分自身が自らの人生で体験しなければなりません。そのため天使たちは困難な経験を与えてくれる家族を選びます。
天使たちが体験するのは自らの苦痛だけでなく、人間意識の中にあるすべての苦しみです。
人間の機能不全と苦しみを体験したあと、天使たちは自らを癒し始めます。
自らを癒すと、天使たちは人間の集合意識を癒し、痛みと苦しみのあらゆるパターンを解放します。

★マスターソウル
この世界に転生するために創られたヒューマンタイプの魂ですが、人間として生まれる前に、スピリットの転生の一つで完全なるマスター性を体験しています。
ですのであなたは、他者に自分自身をマスターする方法を教えることができます。

☆ソウルカラー:グリーン→シルバー
★グリーンについて
僧侶・オラクル・ヒーラー・サイキックのソウルカラーです。
あなたはこどもの頃に選ばれ、生涯奉仕するために訓練を受けてきました。
このソウルカラーは超感覚能力を備えています。
古の道と聖なる母の知識を復活させるために地球に来ています。
★通常DNAアクティベーションを受けると、ソウルカラーはアダムカドモンソウルカラー3色(ゴールド・シルバー・ブロンズ)に変化するといわれています。
古庵さまのソウルカラーには、既にサイキックとオラクルのシルバー に変わっていますが、DNAAは受けたことがあるんでしたっけ?

続いて12のリネージです

☆神としての自己意識(第12次元 )
神、神聖さ、すべてのものと一つです。これはエクスタシーの状態・至福の状態で、区別や分離というものは存在しません。
これは興味深い意識のレベルであり、悟りといわれています。

☆大天使との繋がり(第11次元):ラファエル
ラファエルは、「神は癒す」という意味の名を持つ大天使です。
ラファエルは強い力で人間も動物も癒します。ラファエルの名を呼ぶ人々には、すぐに癒しがもたらされるのです。
ヘブライ語に「RAPHA」という単語があります。「医師」「癒す者」という意味で、ラファエルをリネージにもつ者はヒーリング能力を携えて地球に来ています。
ラファエルは別名「旅の守護者」とも呼ばれています。宇宙旅行もそうですが、ご自分の内なる世界を探求するのも旅といえるということを覚えていてくださいね☆^^
ラファエルがそばにいるだけで、その場に安らいだ空気が流れ、ストレスと不安を和らげます。

古代あなたがスピリットのときから、古庵さまは呼ばれるとその者のそばに行き、ヒーリングをされています。
ですからヒーリングは生まれながらにできていたのだと思います。
今回私は非常に変わったビジョンをみました。
それは、下半身から透けていき透明な体になっていくというビジョンです。
アセンションと関係があるような気がしますが、古庵さまは、アセンションを信じますか?

☆アセンテッドマスターとの繋がり(10次元):○○○○
やはり○○○○でした。何度も尋ねましたが「あっています」との回答でした☆
私が感じた○○○○は、月(女性性の象徴)ととても縁が深く地球のデータバンクを保持しているというイメージでした。そこには人間のあらゆる歴史と感情が映し出されていて、知識を増やす必要はまったくなく、古庵さまはそこからデータを取り出せるといったイメージを受けました。ようするに、神聖なるもの、神秘なるもの、通常では知ることのできないものと古庵さまをつなげてくれるのが、○○○○のエネルギーなのだと思います☆
でも日本神界との繋がりも深いようですよ。
数人のアセンテッドマスターがサポートしてくれています☆^^

☆グループソウル(第9.8次元):アンドロメダ
ワンネスを創造するために結びついた無数のスピリットとソウルで構成された非常に大きいグループを指し、4つに分類されます。
アンドロメダは神の愛のグループソウルです。
これは感情的な愛ではなく、創造の力としての愛です。
芸術家が工芸品を通して表現する愛とよく似ています。
神は偉大なアイデアを持っています。
神はそのアイデアを愛します。そして創造の力が創造物を現実化しはじめるのです。
第8次元は、物質界における水のエレメントを創造するために個別化します。
これらの存在は、愛のマスターたちです。彼らは水のエレメントのマスターたちであり、常に水の近くにいる必要があります。彼らは現実化と豊かさのマスターです。

☆モナド(第7次元):平和(PEACE)のモナド
スピリチャルな家族のことをモナドといいます。モナドは数えきれないほどあり、12の魂に分かれ、それぞれが違う側面(アスペクト)を違う場所で学び、それらを統合するようです。(12の魂はすべて地球にいるとは限りませんし、ヒューマノイドであるとも限りません☆^^)

古庵さまの源とするモナドは「平和」のモナドです☆
平和とは、簡単にいうと対立のない状態のことです。自分の存在の中心にいて、自分にも周囲の人にも対応できる状態のことです。すべての幸福や愛情や豊かさは「平和」から生まれます。「平和」な状態であればこそ、本当の意味で与え、受け取ることができるのです。

古庵さまは、この地球に平和を体現するためにいらっしゃいました。
平和を体現するために行わなければいけないことって、なんだと思いますか?
それは、ご自分を信頼するということなんです。
マインドの限界を超え、永遠の智慧と繋がるためには、ご自分に対する大きな信頼が必要になります。
信頼とは、誠実で、正確で、正直になるよう激励する内なる知性であり、表面的な思考ではなく、古庵さまの内側の奥深くにあるものです。
ハートを開いてください。
古庵さまが偉大な神と再び結ばれ、心に平和を見出すために、ハートを開いてください。
そこには、別離の痛み、怒りと恐怖などといったあらゆる暗い感情が潜んでいるかもしれません。
それでも、それを見て感じ、その葛藤を手放し、ご自分を信頼することで、内なる平和が訪れます。そしてその内なる平和は外にも体現されるのです。
☆As above so below,as below so above☆

☆ハイアーセルフとの繋がり(第6次元):地球に平和(天国)をもたらす
ハイアーセルフは高次の古庵さまのことです。
といっても肉体はもっていませんので、古庵さまに肉体を使って意図を体現させようとしていると考えてください。
今地球人類の集合意識は、テクノロジーの誤用と惑星規模の汚染という生存の恐怖にさらされています。
この恐怖を取り去るのは、心に平和をもたらすことなのです☆
絶対的な現実というものはありません。
今、古庵さまのいる時空の枠組みは、傷を癒し、天地をひとつにするために大きく拡大しています。まず古庵さまが、鏡に映った幻影を通り抜け、大いなる現実の中に入っていってください。古庵さまには○○○○より、真実を見極めるための宝剣が授けられています。まずは古庵さまが、不信感・恐れ・価値判断・感情的問題という人生の鏡を覗きこみ、その剣ですべての実体無きもの切り払ってください。
ご自分を認めて受け入れて、古庵さまの真の姿を歪めて見せているものを解放して許してください。そしてご自分の心に平和をもたらしてください☆
古庵さまが心のブロックを外し、平和に満たされると、必要な方が集まりはじめます。その方々にヒーリングを施し、平和になる方法を教えてさしあげてくださいね☆^^

☆神話とのつながり(第5次元):ドラゴン(龍)
残念なことに、この素晴らしい火の精は西洋の文化と歴史によって魔物へと姿を変えられてしまいましたが、龍は本来自由で本能的な力をもち、豊かさ、根源的な自然のパワーを授けてくれる存在です。龍からのメッセージは「恐怖と向き合い、それが自分の心から生まれていることを自覚せよ」です☆^^
日本や中国には龍族・龍使いの血統を持つ方がたくさんいらっしゃいます。

☆今の古庵さま(第4次元・3次元)

☆エレメンタルとのつながり(第2次元):ローズクォーツ
愛とハートのヒーリングをもたらすのに重要な石です。
ローズクォーツ は悲しみや孤独を抱える人々が使うのに適した石です。
それは私たちが感情的に満たされないときに、穏やかに私たちを助けてくれます。
ローズクォーツ はハートの周りに創りだしている障害を取り去り、真のバランスをもたらす普遍的な愛のスペースに私たちを繋げてくれます。
またローズクォーツは、男性が自分の内側に持っている女性的な質と女神性に繋がり、攻撃的な男性性エネルギーに優しさと穏やかさをもたらすことを助けます。

☆エレメントとの繋がり(第1次元): 嵐(STORM)
嵐は最も大きな変容を引き起こすエレメントです。このエレメントは地・水・風・火のエネルギーがすべて一緒になることで創りだされます。
この4つのエレメントが組み合わされるとき、ただ混ざり合うよりもはるかに強いエネルギーが創造されます。その力は創造と破壊の瞬間を同時に体現しています。嵐は陰と陽が同時に存在し、その周波数は完璧なバランスと両極とを同時に象徴しています。


最後にチャネリングメッセージです☆
☆この地球に平和をもたらすために、あなたは地球に降り立ちました。
殺戮・干ばつ・水による災害、さまざまなドラマを見て胸を痛めていらっしゃるようですが、
どうか、その現象の裏にあるものを見つけてください。
あなたは、ご自分が多次元に存在するということを覚えていらっしゃいますか?
そして、同時に、あなたはアセンテッドマスターであるということをどうか思い出してください。
全ての生きとし生けるものに愛をもって、忍耐をもって、平和の意味を伝えてください☆


ありがとうございました☆

以上でリーディングを終わります☆



























[179] マニプラチャクラ(ソ―ラプレクサス)が真に目覚める? Date:2011-10-16 (Sun)
このマニプラチャクラ(ソ―ラプレクサス)が目覚める事はとても身体に良い影響があります。

内臓のあまり良くない方はマニプラを活性化するといいですね。

日本中にヨガ講師が沢山いますが、あまり体験を語るティチャ―がいないですから

自分の体験した事を少し書きたいと思います。

自分はヨガの講師ではないですから、

ヨガの講師に主事されたらいいですね。

でも、自分の体験した事が少しでも参考になれば嬉しいですね。


もう〜随分昔になりましたね(笑)

まず、いつものように呼吸を整えていました。

その後にプラナの気とアパナの気がマニプラに合流するイメージを使って続けていると、

爆発ではないんですが、そういう感覚や衝撃がありました。

竜巻(ボルティクス)がマニプラの上に現れて、

それがマニプラの中に入っていったというか?

沈んでいったような感覚を持ちました。

その気と気のぶつかり合いと言うか?

衝撃の大きさには少し不安になりました。

あえて例えるのなら雷がマニプラ付近に落ちて、その振動で内臓全体が、

振動している感じです。

その時の感覚はこれでは膵臓(ホルモン)を痛めるかなぁ〜?

痛める可能性があると感じがしました。

人間の身体はほんと不思議なものですね。

これを言うと語弊があるかもしれませんが、マニプラへの精神集中か?

それともプラナとアパナの結合かわからないですが、実際膵蔵への影響は出来ましたね。

少し膵蔵の数値上がっていました(汗)

だから試みたい方は、経験豊富なヨガ講師に主事された方がいいですよ。


まぁ〜これらの体験だけで目覚める言うのにはどうですかね。

まず心を解放をしないといけないんです。

心の浄化が大切だと思います。

蝶がガラスごとしに外に出でいこうと思っても出て行かれないのと同じなんです。

このガラスごしから自由になって、外に出ないといけないんですね。

意識が広がり、このガラスごとを破って、外の空間に出ていかないといけないのです。

その意識が広がっていかないといけませんね。

それには瞑想を続ける事が大切です。


本山博先生の書物に記載されています。  

へそでプラナとアパナを結合させるのを目的としています。

なぜなら、プラナとアパナの結合によってのみ、脊髄中のマニプラチャクラ(ソ―ラプレクサス)が真に目覚めるからなのです。

シッダナ―アーサナをとり、チャムドラをとって、眼を閉じ、鼻端を見て、眼球を鼻端の方向に集めます。

それから心をへそに集中し、行法第三部の方向にしたがって、吸う息と同時にプラナとアパナかへそに向かうと思念します。

次に息を止め、へそでプラナとアパナが結合すると思念します。

ついで、息を吐きす。この行法を20分〜30〜繰り返すとよいでしょう。


密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法 [単行本]
本山 博 (著)

[178] 経典の中にある明けの明星 Date:2011-10-16 (Sun)
明けの明星とは金星は自ら光っているわけではないのだけど、

地球から見るとどの恒星よりも明るく輝いていると言われています。

「一番星」「よいの明星」「あけの明星」などの名で親しまれていますね。

これから自分がいう明け明星は夜空に輝く金星の輝きやまたたきの事を言っているのではありません。

お釈迦様や弘法大師空海が残している経典の中にある明けの明星の事についてです。


お釈迦様は今からおよそ2500年前南インドにて、12月8日の暁、

菩提樹の繁みの下であけの明星のきらめく頃、悪魔を退け悟りを開かれた言われています。

1000年前に高名な弘法大師空海が阿波の大滝に登り、

土佐の室戸埼で、求聞持法の修業に励んだところ、谷はこだまし明星があらわれたと言われがあります。


また密教超能力の秘密の書物に記載されていますが、空に星が現れるのではない。

内的霊視を物語っいると書かれています。

弘法大師空海が阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸崎でこの法の修業に励んだところ、谷はこだまし明星があらわれると。この法即ち、求聞持法のことであるが、これを鵜呑みにしてはならない。これは内的霊視を物語っているのであって、実際に空に星が現れることをいっているのではない。
(密教超能力の秘密)桐山靖雄著、

もし、それか本当ならサードアイの開花の事を言っているのでしょうかね?

お釈迦様の絵や像を見た事があると思いますが、

お釈迦様の額に、小さなボタンのようなものがついていると思います。

これは眉間にアジナチャクラ(サードアイ)が開花して現れたものを白毫と呼ばれているみたいですね。


第三の眼が開花する前には眉間に蟻のくすぐり、眉間あたりからスースするような感覚があったりするかなと思います。

入浴時に湯船につかって居る時やリラックスしている時などは光点がポツリと出現したりします。


深い澄み切った瞑想状態に入る前には悪魔とか蛇、サソリやいろいろな魔境が現れると言われがあります。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には、悪魔がきれいな女の姿で出て来て盛んに誘惑したり、

恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたことなどが伝えられています。

心の進化の途中では必ず邪魔をする魔が現れたりします

魔の対処の仕方は、この魔はいつかは滅びるもの、どんなに怖くても恐ろしくても、

アワヅブのような存在しかないし、いつかは消えていなくなるものと平気でいる事が大切なんですね。。


自分もあけの明星のままたきの前には、蛇や大蛇、サソリとか得体のしれないものが現れましたね。

これは禅などでは、魔境と言われるものですね。

昔から相手にしなさんなと言われるものだと思います。


そしてとても澄みきった状態になっていたその時に、

暗闇から一筋の紫色の光が眉間の中央に注入して来て、光がまたたき始めました。

この感覚は筆舌に尽くしがたいですね

人間とは何か?
何者か?と思いましたね。

この紫色のまたたきは、生きているアメーバ―のように少しずつ変化しながら、形が変わって行きました。

そして密教などの曼荼羅の絵がありますが、その曼荼羅の絵と同じような感じです。

密教などの曼荼羅絵は宇宙観を表しているのでしょうかね。

その曼荼羅絵のような明星のまたたきは、自分の眉間の奥からはもう〜二度と消える事はありませんでした。

眼を開けていても、閉じていても第三の眼の渦は自分の器官の一部になっています。



虚空蔵菩薩求聞持法

御大師様(弘法大師空海)

「三教指帰」に「阿国大滝嶽に躋り攀ち、土州室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す。」
御大師様(弘法大師空海)が求聞持法を修されたことが書かれております。

御真言(マントラ)壱百万遍、御唱えします。どんな御真言かと言いますと、虚空蔵菩薩の御真言です。

御真言はノウボウアカシャ ギャラバヤ オンアリ キャマリ ボ(ウ)リソワカと言います。

壱百万遍を百日間で唱えるとすると一日、一座一万遍唱えます。又は五十日、七十五日間などもあります。

五十日間で修行する方が多いようです。五十日間ですと一日、二座(二回拝む)一座一万遍で二万遍にな ります。

一座終わるには個人差が有りますが五〜六時間程かかります。いろいろ細かいきまりがあります。

[177] ■悔い改めや反省 Date:2011-10-01 (Sat)
常勝思考を実践されている方や光明思考の実践されている方も沢山いると思います。

自分としては、カトリックの悔い改めや仏教の反省をおもんじています。

光明思想を取り入れている方がいましたが、その方が言うのには、

光明思考には自分の心を曇らさずとも、光明思考光一色になれば心の曇りもないと言われる方もいましたね。

自分が感じた事は、常勝思考と光明思想がごっちゃまぜになっているような感じがしましたけど、

それはその方が心が調和に叶った方だからそう言えると思いましたが、

凡人には何処が間違っているのかさえ解からなくなり、とても危険な事もあると思います。

それはその方の思想でありますから、全ての方が光明思想に適しているとは限らないと思いますよ。

暴走するタイプの方には常勝思考や光明思考はあまり適さないと思いましたね。

そんな方はお釈迦様の言われるような、右にも左にも片寄らない中道の道を歩んで行く事が大切だと思います。

はやく言えば極端に偏らない事なんだと思います。

アクセルだけの自動車は危険だから、自動車にはブレーキもアクセルもいるからと、

昔、常勝思想を取り入れて、実践している方に言った事がありましたね。

その方は常勝思想などは明ると照らせば、影は消えてなくなる。

だから悔い改めも反省もいらないと言っていました。

これは確かに一理はあると思います。

どの思想を持つかは、これは人それぞれの選択ですからね。


昔飲み屋でよく見かけましたが、先輩が後輩におまえのこう言うところがいけないんだ。

くどくど説教じみた事を話していましたが、また何かを言うとお前のこう言ったところが駄目なんだ、

反省しろの繰り返しで、もぐら叩きみたいなものだなぁ〜

側から見ていると、呆気に囚われてしまいました。

これじゃあ〜後輩は何も言われないですよね。

ただ先輩の言っている事にハイハイと合わせないと永遠に説教が続きますからね。

またこう言った事を言いますと、批判と取られてしまいそうですが、

あくまで自分の見解ですからね。

スピリチャルなものに足をツっ込んだりした方によくいるんですね。

何かにつけて、あげ足を取ったり、批判したり、自分の考えを言えばまた、あげ足を取る方がいるんです。

だからあまり書けなくなる時もあります。

自分としてはこう言った方とは、お付き合いはしないですね。

外野の声は聞かないんです(笑)

こう言った方とはまったく合わないですからね。

自分は自分の道をゆくでいいです。


常勝思考や光明思考と言われるものも、もちろん使ったりしていますが、ネガティブな思考になっている時などは特に使ったりします。

振り子の原理ではないですけど、バランスを取り戻さなといけません。

本来の自分を取り戻さないといけませんからね。

でも、良く脱線していますが(涙)

悔い改めや反省のことなんですけど、反省して、ネガティヴになってもっと不安になったという方がいまして、

反省は心暗くなるから駄目だと言っていましたが、自分を向上するようにして行くような反省が大切なんだと思います。

瞑想する時には瞑想して、お酒をのんでワイワイする時はワイワイして、仕事する時にはきちんと仕事をして、
一つ一つをきちんと考え事をしないで、やるという事が大事な事なんですね。

まるで禅の食事の時のようなものです。

自分は食事の時に無意識で、考え事をしていまして、よく和尚さんに怒られました(汗)

それだから座禅中に考え事をするんだ、一つ一つきちんとしなさいと言われましたね。

これは非常に大切な事だとつくづく思いました。


高橋信次師は反省の事についてこう言っています。

釈迦の瞑想の目的は反省にあって一日二十四時間の、正しい生活をめざすものであったと高橋信次師は教えた。

瞑想のための瞑想ではない瞑想的反省は、こうした心のゆがみを修正して本来の丸い豊かな心にするためにあるのである。

反省する場合に大事なことは、まず自分の善い所、長所をしっかりと知り、

自分にはこういうよい所があることを確認した上で、悪い所欠点はないか、ということを反省することである。

そのような反省をすると、欠点を長所に置き替えることが楽になる。

ところが反省というと、悪い欠点だけを探そうとするから、反省することが苦しくなり、

自分がいやになる。そして、悪い所だけ、不満足な点だけを見つけて探し出しているから人生が暗くなり、

自殺者が出たりするのは、そういう反省をするからであると知らねばならない。

 
Youtube-GLA関西本部

http://www.shoho.com/


[175] 思いは結果、化けて出て来るんです。 Date:2011-09-21 (Wed)
自分の評価は対象する存在がいて、自分とを見比べて自分の価値観をはかる見たいですが、

世間の評価などは、実際自分のフイルターを通して評価しているのです。

自分の見かたを変えれば幻想はなくなり、現実の絵は変わって行きます。

蛇をロープと間違って、蛇という知識が消えないかぎり、実体としてのロープの認識知識はやってこないのですね。

見る者になった時に見られている対象物の世界はいつかは消えてゆくのでしょうね。

こういった作用は心が静かになったときに、消えてゆくのですかね。


世間が何を言ったから全て鵜呑みにするのではなく、受取りをキャンセルする事もできます。

お店などは、料理人が作った料理をお客さんに差し出します。

お客さんは、その料理が口に合わないから受け取らなければ料理人の所に返った行きます。

だから、受け取る時には取捨選択しながら、ネガティブなものを取り込まない事が大切だと思います。

深層意識に種を蒔いたら、いつかは踊り出て来ますからね。

日常の考えで強く意識された表層意識は、潜在意識に沈み蓄えられます。

阿頼耶識などは粗一切種子識とも呼ばれているみたいで、そこに沈んだ思念はやがて開化し、実を結び実現するのです。

実現するものは、望むものか、望まないに関わらず現実に躍り出て影響を持ちます。

未来は不幸・幸福は自分が委ねている事みたいですね。

この阿頼耶識は、人の運命を左右する根元であると古い仏典には説かれているみたいですから、

結局は自分が現実を創りあげているのですね。

思いは結果、化けて出て来るんです。


[173] 心の琴線に触れる思想 Date:2011-09-15 (Thu)
人生の中にはジエットコースターのように良い時もあれば悪い時もあります。

それが人生というものだと思います。

その都度、駄目な自分も良い自分も抱きしめながら、

全体性を持って、トータル的に自分を向上していくようにして行き、

成長していけたらいいんだと思っています。

反省する時には反省をし、あまり自分の影を見つめすぎますと背びれ尾びれまでくっついて来ますからね。


花には根っこもありますし、花ビラもありますよ〜

誰も花にあこがれ、花を愛しむみたいですが、花には根っこがあって、それを支えています。

ネガティヴなものやポジティヴな感情もコインの表裏のように、表裏一体なものだと思います。

老子のように全体を使って、トータル的に生きていけたらいいんだと思います。

老子のような思想もその一つだと思いますが、

感情を抑えつけているといつかは火山のように爆発します。

枯れて行く花には自然にまかせて行くのが一番いいと思います。

自動車にはアクセルやブレーキがあります。

そのアクセルやブレーキがあって初めて走れます。

ブレーキのない車なんて、とても危険で走る事はできません。

その為にはブレーキとなる反省や悔い改めを必要なものなんだと思っています。

老子のようにトータル的に生きていき、ブッタやキリスト様のように花をかざるような生き方もあります。

心の琴線に触れる思想を見つけられる事が大切だと思います。


[172] 祭壇の前に手を合わす時には Date:2011-09-15 (Thu)
イエス様も説いておられます。

祭壇の前に手を合わす時には、父や母をそして兄弟と和解をして、

調和をみいだしてから、手を合わせる事が大切だとイエス様が言っておられます。

人の最大の敵は家族の中にもいるのです。

高橋信次先生の教えに、己心の魔というものがあります。

己心の魔とは己の心の中の闇の部分であり、魔の原因は外にあるのではなく、己の心の中に潜んでいるということなんだそうです。

その自分の心の闇の部分が魔を引き寄せるということみたいです。

では、心の闇の部分とはどんなものでしょうかね?

「心の眼」シリーズの井出章彦さんの書物に記載されていますから、参考にしてみれば良いと思います。

人を批判するおもい、人を否定するおもい、人を非難するおもい、人を誹謗するおもい、自分が正しいとしが

ちなおもい、怒るおもい、不平不満、愚痴るおもい、人々を自分が動かそうというおもい、うぬぼれ、

増上慢(ぞうじょうまん)などということみたいです。


サイの河原ではないですが、一つ積み上げては鬼に崩され、

また積み上げても崩され、また積み上げて行くの繰り返しです。

ここで言う鬼とは、自分自身なんですね。

「己心の魔」にやられてしまう原因を己自身が作っているということです(涙)

聖書の中にある真理やハ正道は生涯永遠の課題でもあります。

聖書の中にある真理を自然に実践できるようになると、高い霊性が現れていくのでしょうね。

「己心の魔」にやられてしまう原因を自ら作っているということですから、

己心の魔に陥らないよう、気を引き締めていかないといけませんね(汗)


人の最大の敵は家族の中にいるのです。 光のかけ橋日記より

祭壇の前に手を合わす時には、父や母をそして兄弟と和解をして、調和をみいだしてから、手を合わせる事が大切だと聞いた事があります。、

御経そのものは釈迦の説法書いたもので、教文の意味を悟り、実践している者が教文を読誦する場合は、

迷った霊はその読誦するの波動(光の波動)によって、浄化されます。

したがって、そういう意味ではお教は供養になるといいます。

地上界の子孫の実生活の調和しかないことを知るべし、高橋信次先生は言っておられます。


真理を実践していると、人を取るか?真理をとるかと言う事がは必ず身のまわりにおきてきます。

迷わず、真理を取るようにしなさいと説いている方がいますね。

イエス様は、父母を敬う(愛する)ようにと説き、隣人を自分を愛するように愛しなさいと、説いています。

イエス様がこの世に来て、真理を説く事により、人々(家族等)の中にそれを信じる者と、

信じない者との争いが起こる事は、不思議なことではないと言っています。

イエス様の説く教えに従うか、従わないかによって、人々の間に争い(反抗)が引き起こされると言っています。

イエス様は、イエス様の言葉(普遍の真理)に従うためには、あらゆる例外をもうけず、

何よりも大切なものとするようにと、説いているのです。


わたし以上に父や母を愛する者は、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。

また、わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。

後生大事に自分の命を守ろうとする者は、それを失いますが、

わたしのために、命を失うものは、かえってそれを保つ(自分のものとする)のです」

以上マタイによる福音10章より(ルカ12章、14章)


イエスは、父母を敬う(愛する)ようにと説き、隣人を自分を愛するように愛しなさいと、説いています。

さらに、それ以上に、何よりも大切なものを示しています。

イエスがこの世に来て、真理を説く事により、人々(家族等)の中にそれを信じる者と、

信じない者との争いが起こる事は、不思議なことではありません。


イエスは、イエスの言葉(普遍の真理)に従うためには、あらゆる例外をもうけず、

何よりも大切なものとするようにと、説いているのです。

さらには、イエスの言葉(真理)に従うためには、この地上の命に執着しないようにと言っています。

それが、永遠の命を得ることにつながると、説かれているのです


k-style (引用)

http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index.html#x3


[171] 直感を鋭くするとは、 Date:2011-09-11 (Sun)
イマジネーションをして、会話しているフリして、ガイドに繋がったり、

インスピレーション(直感・ひらめき)を鋭くする方法はスピリチャルを学んでいる方は良くしているものです。

実際はイマジネーションや想像しているものは真実だと言われています。


興味深い事をバシャールは言っていますね。

イマジネ―ション(想像)と空想の違いを使いわけさしてくださいと言っています。

イマジネーションは現実であり、空想は非現実であると考えてないみたいですね。

イマジネーションも空想も両方とも現実であると言っています。

イマジネーションはこの物理次元の中である程度達成できる目標を示し、

空想の方は現実ですが、ただ、この物理次元での生活には応用できないというだけと言っています。


バシャールなどはフィジカマインドをリラックスさせて、イマジネーションやインスピレーション(直感・ひらめき)を通して、
ハイヤーマインドとコミュ二ケートをさせる能力(プログラム)です。

イマジネーションやインスピレーションは2つをつなぐプログラムなんだそうです。


リモ―ト・ビューイングなどは、頭に浮かんだ映像は、間違いである事が多いと言っています。

頭に残っているデータを元に脳がイメージを創り上げてしまうと言われています。

左脳が邪魔をするから右脳がとらえた情報を有効にして、左脳を黙らせる事、

つまり考える事をさけられる事ができたなら、右脳で得た情報を意識に移らせるというこんなんだそうです。

実際のトレーニングなどは、3秒以内に書いたりするようにすれば、

左脳が考える余地を与えないから、間違った情報を排除できると言っています。

また別なティチャ―などは、自分の考えや心の中のおしゃべりを区別すると言う事みたいです。

自分の情報は私にやってきているのですか?

私からやってきているのでしょうか?

こう言ったことで自分で判断できると言うみたいです。

そう言った心のおしゃべりをなくすのは瞑想が適していると言われています。

でも、心を空っぽにしていたり、ネガティヴな思考になっていたりすると、

ネガティヴな存在が入ってきます。

思いや行いを嘘のつけない心で、反省や悔い改めをして、心の浄化に努めないといけませんね。

類は友を呼ぶ法則がありますから、お釈迦様の言われてるように、ハ正道を実践しないといけませんね。


[170] 八正道の大切さ。 Date:2011-09-04 (Sun)
お釈迦様は人生について悩み29歳の時に出家した釈迦は、6年間の修行の末

35歳の時に、真理に目覚め悟りを開いたと言われがあります。


釈迦は初めての説法で修行者たちに次のように説いた。

「苦行で身体を痛めつけ続ける者は、疲労と衰弱で精神の集中が妨げられ、通常の思考すら、

ままにならなくなる。そんな状態で、どうして真理への道を歩いているといえるだろうか」

釈迦は真理への道をたどろうとするならば極端を離れて 「中道」 を歩むべきだと説きはじめた。

お釈迦様のお話の中に、琴の音色の事について話しています。

弦の緩みがあれば音はなりません。

弦を張り詰めると、弦は切れてしまいます。

琴の音色の音を出そうと思えば、丁度良い張りかたがあります。

右にも左にも偏らず、極端な思考や生き方をせず、中道の生き方が大切だとお釈迦様は説いています。


中道とは次の8つの正しい道(八正道) だと示したのである。

◎正見 ( しょうけん ) = 正しく物事を見る

◎正思惟 ( しょうしゆい ) = 正しい心の持ち方

◎正語 ( しょうご ) = 正しい言葉を話すこと

◎正業 ( しょうごう ) = 正しい行いをすること

◎正命 ( しょうみょう ) = 正しい生活を送ること。

◎正精進 ( しょうしょうじん ) = 正しい努力を重ねること

◎正念 ( しょうねん ) = 正しい自覚を持つこと

◎正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすること



[169] 八正道こそ中道の道 Date:2011-09-04 (Sun)
八正道は、人間をして、中道を歩ませる規範であります。天国に繋がるかけ橋です。

左にかたよらず、右に曲がらぬ中道への道、つまり神性、仏性への道、正覚への道なのです。
すなわち、

一、正しく見ること、

一、正しく思うこと、

一、正しく語ること、

一、正しく仕事をなすこと、

一、正しく正しく生活すること、

一、正しく道に精進すること、

一、正しく念ずること、

一、正しく定に入ること、の八っです。

この八つの規範の1つが欠けても、中道の道は歩めないし、正覚を得ることも不可能であると説いています。

また、これ以上であってもいけない。たとえば戒を守れとか、瞑想のみの生活を送れとか、苦行せよ、といったようなものです。

それは釈迦自身が、いろいろな経験を通して得た中道への道は、八正道以外にないと悟ったのであり、

八正道こそ、真理に繋がり、この世に人間が生存するかぎり、その真理は生き続けていくものであるからなのです。

〔高橋信次・心の指示〕

[168] ■ 天地いっぱいの無字 Date:2011-09-01 (Thu)
坐蒲(ざふ)の上で死に切ると言う気がまえぐらいないとね。

座禅は足がへし折れる、足一本や二本ぐらい無くなってもいい〜

そうでないと、とてもなりきるところまでは行かれないと思います?



座禅でも、瞑想していても、次から次へと雑念が浮かんできます

煩悩・妄想は本来根なし草なのだから、決してそれに囚われてはならない。

無念無想になろうとは思ってはならない

妄想を止めよう、やめよう言うこと自体がまた妄想・煩悩になります。

ある師家の方などは、それは血で血を洗うようなものだ。

血は水で洗わなければ、決して綺麗にはならい。

その血を洗い流す水が、無の字なのである


無の字を間断なく続けて行くと、これまでの悪い習慣や知識や自覚は、すべてとろけていきます。

無の境地が自然に純熱して、やがては天地いっぱいの無になりきる時がきます。

天地いっぱいの無字になりきるところまで行かなければ、無の境地を体験した事にはならない。

我を忘れて、無字になりきったすなわち三味、そのものの、それになりきる。

無が爆発して、我を忘れて、無の字になりきった時に、なんらかの感覚の縁にふれて、本来の自己を悟ると言うものです

[167] 真理への道 Date:2011-09-01 (Thu)
釈迦は初めての説法で修行者たちに次のように説いたと言われがあります。

釈迦は真理への道をたどろうとするならば極端を離れて 「中道」 を歩むべきだと説いています。

右にも左にも偏らず、極端な思考や生き方をせず、中道の生き方が大切だとお釈迦様は説いています。

中道とは次の8つの正しい道(八正道) だと示したのである。

◎正見 ( しょうけん ) = 正しく物事を見る

◎正思惟 ( しょうしゆい ) = 正しい心の持ち方

◎正語 ( しょうご ) = 正しい言葉を話すこと

◎正業 ( しょうごう ) = 正しい行いをすること

◎正命 ( しょうみょう ) = 正しい生活を送ること。

◎正精進 ( しょうしょうじん ) = 正しい努力を重ねること

◎正念 ( しょうねん ) = 正しい自覚を持つこと

◎正定 ( しょうじょう ) = 正しい瞑想をすること


調和とやすらぎのない生活をしていれば、低級霊に憑依されかねません。

心が空っぽになっている時などは、低級霊などは簡単に入ってきます。

うらみ、ねたみ、そしり、怒り、情欲、足ることを忘れた欲望、思いやりがない、その他もろもろ執着の想念が、

こうした不調和を作ってしまいます。

ちゃんとした指導者の下で、坐る事をご指導されたほうが良いですね。


そうした執着を善なる己に嘘をつけない心でその歪みを修正し、心の曇りを晴らさないといけませんね。

反省やまたは悔い改めを行い、調和とやすらぎの生活を取り戻して行かないといけません。


高橋信次氏などは、波長の原理によって、心が暗くなるから魔が近寄ってくると言われています。

病気や不幸のどん底にあってどうしても心を明るくできるか解からないと言う人は、

子供時代の幸せであった事などをありありと思い出して瞑想することから始めれば良いと言っています。

そうして、美しい、調和された光の中に、美しい粧われている自分の姿を瞑想する事です。

魔や悪魔があって、油断をすると自分を傷つけるかもしれないと言う恐怖心を、あなたの中から一掃して、

「我は力なり、われはひかりなり、我は常に祝福されているこれからよい事ばかり現れてくる」と信じる事をしなさい。

そうすれば魔に支配される事は絶対にありません。


高橋信次師のことば、
園頭広周 正法出版


[166] 命の贈り物 Date:2011-08-28 (Sun)
命の贈り物の中にこう書いてあります。

食べ物が床にこぼれてしまったら、かがんで食べ物を拾い、掃除するだけの事です。

人生も同じです。

何か間違いを犯したら、ひざまずいて訂正するために必要なことをやって、さらに進んでいけばよいのです。

これも神が私たちに与えてくださっる祝福の一つです。

神は私たちが間違いを犯したからといって、裁いたり、追い詰めるようなことはしません。

そうではなく、間違いをしたならばその間違いをし、後始末を訂正して、

次にはもっとうまくやる事ができる機会をくださるのです。

誰もがこの現実に目覚める必要があります。

そして、この認識を踏み台にして、自分の人生を改善していくのです。

人生は転んだら転んだままというようなものではありません。

転んだら自分で立ちあがって、間違いから教訓を学んで次回にはもっとうまくやっていく、

そして、正しい道にとどまる努力をしていく、それが人生です。


[164] 心の蓋をあける。 Date:2011-08-27 (Sat)
月ぬれず水破れず

人の悟りを得る。水に月に宿るごとし、月ぬれず、水破れず(現成公案)

水に月を宿しても、水はぬけず。水は月を宿るしてしかも水を損なわない、これを(水月の道場)といいます。

「二」が「一」になるのでしなくて、初めから「如」(不二)なのです。

道元百言百話 秋月龍みん
 

光のかけ橋 日記より

瞑想から三昧へと心のカラをを破って機が熟したなら

想念体に亀裂が入り、

その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのチャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、想念体にある想念も澄んでくると思います。

それによって、本来の自己が現れてくると思います。、

原因不明の病気とか今の科学では立証できないカルマ〔因縁〕エネルギーの解消などを取り組む事がとても大切だと思っています。


深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。


瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。









[163] 教外別伝  Date:2011-08-26 (Fri)
お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました

今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、時空を超えて、人の心から心にと伝わったと言われがあります。

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったものだと思います。

お釈迦様の時代に沢山の修行者がいても、ただ一人の摩詞迦葉尊者だけがお釈迦様の蓮の意味を理解できたと言う事なんですね


光のかけ橋 日記より

釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができません

心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところです。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることである。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいでしょう。

弟子は、師匠の日常の立ち居振る舞いを見ながら、自己を磨いていくのです。

何事も自分の努力で体得して、初めて自分のものとすることができます。

また、目に見えないものを見抜いて、初めて心から納得することができるのです。

言葉や文字では、究極のところは伝わりません。



[162] 祗管打坐 Date:2011-08-26 (Fri)
主体と客体の合一

眼の前にあるのは壁、正しい坐相をねらって筋肉と骨格で、思いを手放し

雑念にふりまわされず、祗管打坐して行く事が大事だと思います

主体とは自分自身のことであり、また客体とは対象物を指します。

それが正しい坐相によって、自分が対象物に溶け込み一体となることが、主体と客体の合一な体験であります。


座禅修行や瞑想においては、スカッとする時もありますし、気分が滅入る事もあります。

曇りには曇りなりに、雨の日には雨の日なりに、晴れの日には晴れなりに、

その時、その時の生理現象、心理状態がある事が当然であり、

それはそれにふりまわされず、その風景として手放しをして行くことが大事だと思います。


内山興正禅師は思いを浮かばなくするというよりというより、因果関係を静かな目で見ていながら、

それにふりまわされず、じっと座っていることこそが大切で、祗管打坐(座禅している)ということなんだそうです。

居眠りせぬよう、考え事にならぬよう、いきいきと覚めて、骨格と筋肉で、正しい坐相をねらって、行くことが大切ですね。

道元禅師は座禅することによって、特別な悟りを開くというより、そのための座禅であってはならない。

つまり座禅する、そのことこそが悟りそのものであり、身心脱落であり、

座禅するということは、この悟りを今ここで実際に修行し、実物するのみだそうです。

まず、きちんとした実相をねらって、座禅をするという事が求められると思います。

他の兼ね合いをやめて、打算をやめて、自己が自己をする、ただ座禅が座禅を座禅するということかもしれません。

[161] 我々は改造中の仏だ? Date:2011-08-25 (Thu)
悟り(見性)とは本来の自己、仏に出会うことだと思います

本来の自己とは仏です。

我々は改造中の仏だとインドの覚者が言っていましたね?

改造中の仏だと知っているが、まだ他の方は知らないだけだと語っていますね。


これらの体験は開祖などが経典などに残しているものです。

今の時代では悟り(見性)を開くのは難しいかもしれませんが、

でも、正道を歩んでおられる師の下で坐ったり、行を行えば、

きっとそれなりの体験はできると思います


八正道は小乗っていって、仏教の教えの中にありますが、大乗のほうが素晴らしいと説いてある方がいます。

それはそうかもしれません。

でも、小乗と言われている八正道の実践も出来ていないのに、大乗の実践はできないと思います

禅やメイディションを行っている方は八正道の大切さをよく解かっていると思います。


上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)・旧名称<小乗仏教>
  小乗仏教では修行をしたわずかな人しか救われず、一般の人々は救われません。しかし、釈迦はすべての人々を救いたかったはずであります。
「乗」とは教えの事で、乗り物にたとえられ、小乗とは小さな乗り物です。なぜなら、出家して厳しい修行を積んだ僧侶だけがさとりを開き救われます。したがって、修行をしたわずかな人が救われ、一般の人々は救われません。釈迦の没後の、長い間この思想が定着していました。

★ 小乗仏教(小さな乗り物)という名称は、大乗仏教からつけた差別語なので、  最近では「上座部仏教(じょうざぶ)」といわれています
る、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教です。大きな乗り物ですべての人々を救う事を目的とします。日本に伝えられた仏教は、すべてがこの大乗仏教を基本にしています。
教えの違いにより「顕教(けんぎょう)」と「密教(みっきょう)」とに分かれています。


尋ねよ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん』 新訳 聖書「マタイによる福音書」にもありますからね。、

自分の信じるものを信じて、求めて行ったらいいと思います。

座禅をしたいと思ったら座禅をすればいい。

瞑想をしたいと思ったなら瞑想をすればいい。

今は能力を持ちたいと思えば、能力を持つようにすればいい。

そこで留まりたいと思えば、留まればいい。

でも、その奥に行きたいと思ったなら、始めればいいだけの事です

他の兼ね合いをやめて、計算をやめて、批判(ジャツジ)しない

それはそれにふりまわされず、世間の一切、その風景として手放しをして行ったことが結果的に良い方向に行ったと思います。

ここで言う、正しい道とはお釈迦様の仏教、キリスト様の聖書、沢山の開祖が説いておられる正法です。


眼の前にあるのは壁、正しい坐相をねらって筋肉と骨格で、思いを手放し

雑念にふりまわされず、祗管打坐(ただ座禅)して行く事が大事だと思います。

自己が自己をする、ただ座禅が座禅を座禅するということかもしれません。

正しい坐相をねらって筋肉と骨格で、思いを手放し

雑念にふりまわされず、祗管打坐して行く事が大事だと思います

[158] ■聖フランチェスコの悟りとは? Date:2011-08-24 (Wed)
聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。


愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、

そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません。

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います。


もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。

フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、神の声を全ての中に聴く事だと言います。

死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、

らい病の絶望の中に恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。

これらの音と神の声を分けるものは何もない

この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。

バーソロミューの書物によると、若いときのフランチェスコはあなたがたと同じ情欲や金銭欲を持ち、

酒や女や快楽や権力への欲望を持っていたそうです。

自分の求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたみたいです。

多くの罪深い行いをし、自分の欲望を追求し始めました。

私は欠陥の多い人間である。

善人になるなど不可能。

それなら完璧な罪人になろう。

自分の欠陥を無限におしひろげよう。

その完璧のなかから、自分の人生に喜びと調和が見出せるのではないか、

けれども最後には自分が求めていたものを与えてくれないことを理解しました。


フランチェスコはジレンマに陥り、善人にもなれないし、欲望に身をまかせても幸せをもたされない。

フランチェスコは、意思の深いレベルで、死の現実と対決する事を選択しました。

常に思い病気を選び、その病気によって死にかけました。

その病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態ののなかで、悟りを得たみたいです。

善であること、神の愛が同じであると信じようとしました。

けれどもその二つは同じことではないと解ったそうです。

非常に善い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。

神への愛は神を愛したいと思う気持ちによって決定される。

それまでの自分の考えのあやまちに気がついた瞬間は、フランチェスコの人生にとってこの上もなく重要なものになったそうです。


高熱のなかで、ある問いが繰り返し彼の頭に浮かびました。

神を愛することができるだろうか。どうやって?

神を愛することなくして、生きていくことはできないと思うのに、どうしたら愛せるか解りませんでした。

愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。

これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとそれます。

何日も苦しみが続きました。熱が上がり、不安が増し、イライラと絶望がつのりました。

ある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで一羽の鳥が鳴きました・・・・・。

さしてその泣き声ょフランチェスコは今までとは全く違うように聞いたそうです。

その鳥のかなでる歌声のパワーによって、彼は悟ったのです。

バーソロミュー  マホロバアート
ヒューイ陽子=訳

[157] 仏は自然現れる Date:2011-08-24 (Wed)
また黄檗禅師は思念をやめ思慮なくせば、仏は自然現れると説いていますね。

この悟り(見性)とはどんなものなのか?

一つのものを二つ見ているのが迷いで、一つと見るのが悟りだと言われがあります。

我を忘れて、無になり切る、三味そのものになり切る事が、何らかの感覚にふれて、本来の自己を悟る事だと思います。

何らかの感覚にふれて、初めて仏性を悟ることかもしれません。


「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、
同じ月が、まったく違って見えるみたいです。

自己を忘れて、無心になずなの花を見て、軒の雨ざれを聞いて、自己がそのものになった。

花や軒のあまざれになりきる三昧のとき、自己を悟られされ、本来の自己(仏)現れる。

心も妄念とかある間は見るものも歪んで写ります。

人の心も同じようで、風がふいて波が立つとそこに写っている対象物もぐにゃぐにゃに揺れ写ると思います。

妄念や雑念に支配されなくなるとちょうど、月が湖面に映し出されるように空にもお月さんが浮かんでいるように心そのものだけが現れてくると思います。、

本当の自分をはっきりとつかめないとしてもうっすらぼんやりとかいま見る事ができるかもしれません。


[156] 悟り(見性成仏)とは? Date:2011-08-23 (Tue)
悟ったものでない古庵がいうのもおかしいですが、

香りを少し伝えられたらと思いまして、自分なりの見解を書きます。

弁道話を味わう 内山興正禅師にも記載されていますが、

開悟の〔開〕も〔現成公案〕の現も同じです。

現とは、今までなかったものが現れるという意味での現ではない。

どっちへ転んでも陰顕在没にかかわらぬものをいまここでやるというのが現です。

〔開〕も、これまで閉まっていたものが、いま開くいう開ではない。

開悟といっても、迷っていたのがいま悟りをひらいたいうのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。


道元に、聞くままに、心なき身にしあれば、己れなりけり軒の玉水という歌があります。

自己を忘れて、無心に聞く時、軒の玉水がそのまま自己であったというのです。

三味の話が出ましたが、心の安定・集中の境地と言われています。

座禅をさらに続けて行きますと、だんだん座禅が身についてくると思います。

無心で座禅をしていると雨だれの音を聞いて、

聞くままに、心身にしあれば。己りなりけり軒の玉水。

自己を忘れた時、方法に証せられる。

無相の自己を悟らされる。


ここで言う修行とは?座禅です。

本来めいめい持っていると言われています。

本来の自己すなわち仏です。

悟って仏になったらと言っても何もなにないと、何もプラスされたわけではない。

何もならない思いますが、その何もならないのなら、

何もしない方が良いと思って言っている方がいますが、もっと何もならないと思います。

仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと言う事だと思います。

修せざるには現れず。


この悟りの見性とはどんなものなのか?

秋山さと子さんの悟りの分折を参考にしたら少し感じが解かるかもしれません。

非常に情動的なもので、エックスタシーといえるかどうかわかりませんが、

見性の寸前には、自分がどんな状態であるのかまったくわからないような、一種の忘我状態に入ることはたしかです。

以前、南禅時の柴山老師にうかがったら、最後には師のいる独参の部屋まで歩いて行くのに、

壁に突き当たってやっと曲がり角がわかるというような状態だったと話しておられました。

鈴木大拙先生は、最初の見性のときはなんだか無我夢中でさっぱりわからなかったけど、

後でアメリカに行かれてから、掛軸に〔腕外に曲がらず〕と書いてあったのを読んで、はっと思いあたられたということです。

山田無門老師もこう述べられています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である。


仏教の本の中にも出ていますね。

お釈迦様が蓮の花を見まして、摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれたと言うものです。

お釈迦様の時代に沢山の修行者がいても、ただ一人の摩詞迦葉尊者だけがお釈迦様の蓮の意味を理解できたと言う事なんですね。

これは悟り(見性)をしている者しか理解ができないものだと思います。

筆舌には伝えられないものと思います。

修行しないと現れるものではないし、、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと言う事だと思います。

修せざるには現れずですね。

[155] メディテーション Date:2011-08-23 (Tue)
前の日記にこんな事を書いています。

ドリーン・バーチューも言っていますが、多くのアースエンジェルは片方の耳だけに響く鈴のような高い音を聞くという体験をするといっています。

それとドリーンの言うように天使の生まれ変わりという(アースエンジェル)によってそのような甲高い鈴の音として聞こえてくるものもあると思います。

前の日記に実は自分の見解は2通りあると書いてあると思います。

一つは沈黙の声といって、修行とかしているとチャクラが芽生えたり、それにチャクラが活性化するとアストラルの音がする。

二つめはドリーンのように天使の生まれ変わり(アースエンジェル)によってそのような甲高い鈴の音として聞こえ場合がある。


アースエンジェルの生まれ変わりの方は何の前触れもなく突然聞こえてくることもあるそうですが、

自分なんかは眼を瞑っていてもあけてもサードアイといわれる位置に第三の眼が渦を巻いて見えますし、

耳からは甲高い鈴のような高い音も鳴り止まぬ音として、自分の感覚器官の一部になっています。

そのかん高い音を意識すると不思議に糸を引いたようにもっと音が大きくなってきます。

耳さわりであることも目障りな事も事実ですが、それは諦めというよりもあまり囚われないようになっていくと思います


第三の眼に紫色の渦を巻く光はクンダリ―二覚醒があったからなんとも言えませんが、

その瞬きが現れたのは瞑想中に深い瞑想に入った時に現れました。

初期の段階ではお風呂に入った時にポッリ、ポッリと白いはんてんのような光が現れたりしていたように思います。

瞑想していたらサソリとか蛇とか進化を邪魔をすると言われている魔境も現れましたね。

修行が進んでいくと、そのようなものが現れてきますからね。

それに振り回されず、手放しをして行くことが大切ですね。


瞑想中は澄みきったように深い瞑想に入っていたところ、眼の中の暗闇から

一筋の光が現れ、それがアメーバのように回転して、グルグルと紫色の光が瞬きました。

これがよくいう明けの明星だと言われるものと後から解かりました。

この明けの明星が現れて以来、ずっと自分の眼の中には渦を巻いてある眼があります。

自分の一部になっていますね。

この澄み切った時に表れてきた明けの明星といわれるものは筆舌にはとても表せられないものです。

人間とは何か?

人間とは何者か?とつくづく思い知らさせられましたね。


耳の聞こえる甲高い鈴の音は何時頃かあまり覚えてないんだけど、

たしかクンダリ二―が覚醒して、感覚器官の障害が出てきたのではないかとその当時は思っていました(涙)

鈴以外にフルートや太鼓を叩いているような音も聞こえた事がありましたが、

各チャクラが活性化されたら、そのような対応している音が聞こえると本には記載されていましたから

安心した事がありました。

でも、実際はそんなたやすい事ではないんですよ。

心臓チャクラが活性化した時などは、心臓が痛くてとても不安なった事があります。

そりゃ〜ふつう心臓に100かかっていたエネルギーが1000にも1万にもエネルギーが入ってくるんだから、

たまったものではないんです?

それを乗り越えたものが聖者だと言われるゆえんかもしれないですが、ほんと死に通じるものがありますね。

だから信仰心が試される時がかならずやって来ると思います


修行という言葉はあまり好きではないんですが、自分は坐るという言葉をよく使っています。

修行といいたくないのは、修行自体の言葉に手垢がついてあるような感じがありますし、

世間では言葉自体に拒否反応を持たれる方もいます。

それに自分みたいに生半可な者には真の修行者に失礼だと思っていますからね。


沢山のスピリチャルなものを目指している方と出会ったり、有名どころのティチャ―とも話をしたりしましたが、

自分は思うんだけど、セミナーやワークを通して、瞑想しているのはいいんだけど、霊能力を追い求めたなら、

能力はついてくると思います。そこに留まりたかったならいいんですが、

もし、次を目指して行こうと思ったなら、座禅のように全て手放しをして、筋肉と骨格にまかせて思いを手放しをする事も大切だと思います。

宗教界の開祖が悟りを目指して修行して行った事を心にとめておいてほしいですね。

その足後を辿ってゆけば開祖が昇って行った山頂を目指して、昇っていけると思います。

その足跡を残しておいてくれていますよ。

お釈迦様やキリスト様やそれに宗教界の開祖が正法を残しておいてくれていますからね。

スピリチャルを目指している方はその手本を真似て、学ぶ事が正道を歩むことなれると思います。

今の時代には宗教みたいなものは古い言っているティチャ―もいますが、そんな事はありません。

その時代にそった真理があると思いますが、真理自体は変わらないものですよ。






[154] 内なる存在と決別した日 Date:2011-08-22 (Mon)
若い時にこんな体験がありました。

神仏と決別したのも丁度、内なる存在が現れて、道を誤るなと警告された事があります。

無視続けることで、少しずつその内なる声は聞こえなくなりました。

その内なる存在の声を聞くと、直視できないような苦しい、苦しみの感情が蘇って来ました。

小さい時に封印していた、自分の嫌いな感情でした(汗)

自分で言うのは可笑しいですが、小さい時の素の自分はとても繊細で、

もろくてガラス細工のような壊れやすい心を持っていました。

直視出ない出来事に出会った時にはなかなかその感情から立ち直る事ができなかったです。

それが嫌で、子供の頃は心を隠していて、別なものを演じていたように思います。

自分はいつも普通ではない、自分は○○○○の生まれ変わりではないかと実際思っていました(笑)

普通ではないですよね(笑)

でも、人生の曲がり角には必ず内なる存在は道標を示してくれました。


学生の頃でしたかね?

体験したい、何でも体験したい、体験したいと衝動にかられていました。

何が良いのか?間違っているのか?

体験しないと解からないと内心思っていました。

バンドをしたり、バイクを乗り回したり、もちろん茶髪で、眉毛も線香のように小さくて(笑)

近所ではドラ息子と呼ばれていたことでしょう?

でも、自分のやりたい事をやっているのだから気にしないようにしていました。

それと神仏と決別して、スピリチャルな事も捨てて、それ以外の事で生きて行くと決めていました。

心の中では自分は普通の人間ではないといつも思っていましたが、それでも現実はコントロールできずにいました。

神は何もしてくれない、自分は〇〇世界から生まれて来ているのに、どうしてちゃんとコントロールできない?

不思議な出来事や境遇によって、自分は普通ではないと小さい時から思っていましたが、

霊や自分の感情に対処できなくて、コントロールもできなくて、失望していました。

世の中には実際こんな変な人間もいるんですよ。

実際は低級霊の憑依現象と正常な者との境界線が紙一重ですと言いたくなるようなものですよね(汗)


学生の頃に神仏や内なる存在とも決別をしました。

その神仏に決別した者が聖者の体験や○○○○の生まれ変わりとか言われたりするんですよ。

そんな自分に間違いを犯したからといって、神様は裁いたり、罪を与えたりしませんでした。

まぁ〜実際は体験と言うことならば間違いはなかったと思いますよ〜

それがあるから正道の道を目指す事になりましたからね。


光のかけ橋の日記に書いてあります。

山頂を目指して、登るのにどの方角から登っても結局は同じ山頂にたどりつけると思っています。

真っ直ぐに登りつける者やいつまでも道に迷っている者やそれに間違っている道だと気がついて引き返す者

それでもいつかは同じ山頂に登りつける事ができると思います。


また遊園地に入ると決まっている時に、ジェットコースターから乗るのか?

それともメリーゴーランドや観覧車から?

乗る順番は自由ですが、遊園地に入ると決まっているのは変わりがないですからね。

それとどれから乗るのか?乗る順番は自由意識にまかされるだろうと思いますが、

それも偶然ではなくて、乗る順番も必然かもしれませんね。

犬が鎖に繋がれている範囲の自由があると言えそうです。


運命というものは自分で道を切り開き、転んだら自分で立ちあがって、正しい道を歩まないといけません。

お釈迦様やキリスト様が残されている正法を学び、正道にそって生きて行く事が幸せな道だと思います。

間違った道というものはないと思いますが、転んでもう立ちあがる事が出来ないと思った時には

お釈迦様やキリスト様の正法を学んでほしいです。

絶望の淵から立ちあがり、その時に苦を滅する道があるそれはハ正道であると気が付きましたからね。

それから悟りを目指して行きました。

だから間違いを犯したからといっても、間違いから教訓を学んで次回にはもっとうまくやっていくように神様は道を示してくれますからね。

神仏に求めてください。神仏は必ず道を示してくれます。


(マタイによる福音書7章7〜11節)

神様が造られた宇宙の法則であり、約束です。

求めなさい、積極的に探しなさい、どんどん門をたたきなさい。

求める者は受けられ、探す者は見つけられ、門をたたく者には開かれるのではないでしょうか?
 

求めなさい。そうすれば、与えられる。

探しなさい。そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。

魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。

まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

[153] 想念体の紐が解かれる時 Date:2011-07-22 (Fri)
高橋信次先生の言われているように、想念体の紐が解かれた時はテープレコーダーのように、

今まで体験したすべての想念と記憶したものがエネルギーとして理解できるようになります。


人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 113頁)


光のかけ橋にも載せていますが、この世はあっという間に終わりがやって来ます。

誰であろうともいつかは死を向かざるおえません。

私達がこの世を去るときには、経済も地位も名誉も持っていくことができないんです。


この世に生まれて来る目的は、自分の欠けている課題を克服する為に生まれて来ていると言われもありますね。

多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまうと言われています。


今世の原因が清算されない時には、あの世に持ち越し、来世でおさらいしなければなりません。

もう一度、今世と同じような環境の下で修行し、己の魂をもう一度テストしなければならないのです。

こうしたところ原因があり、悪循環からなかなか抜け出せないのですね。

高橋信次先生などは、悪循環の最たるものは、愚痴、怒り、足る事をしらぬ欲望だと言っています。

この心の山毒をよくよく心してしなければなりません。


宗教やスピリチャルな名前に手垢を付けられたと非常に残念です。

本来の仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

一部のよこしまな団体やオカルトによって、聖なるものに手垢が付けられてしまったと思いますが、

それらに惑わされず、心の進化・心の浄化を努めてほしいんですよ。

何故なら動物的習性を取り除き、人間的あることを超越して、進化した完璧な人間としてまた戻って来なければなりません。

精神的に感情的に霊的に自由を持った存在にならなければなりません。

誰であろうとも例外はなく、同じ目的地・神の懐に戻る事を目指すものと思います。

進化の旅は終わる事無く、常に常勝して行くものかもしれません。

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

何にしても本物と偽物がある思います。

その本物を見る心を養ってほしいんです。

宗教という名前にあまり囚われて、心を置き去りにしていると、

あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

だから私達は一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきだと思います。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんですね。


高橋信次先生の心の発見にも記載されていますが、

常に反省する心は、人間を執着から放して行き、魂の浄化にもなるということである。

私達は日常の生活の中から、怒り、そしり、むさぼり、愚かな心を離れ、一切の苦しみの原因を断ち切らなくてはならない。

心の中に悪にとらわれないことが大切なのだ。

心の中の悪にとらわれから離れるということは、利欲、栄華に惹かれる煩悩を捨て、

一念三千の心を常に光の世界すなわち調和の世界におき、利害損得、情欲、地位、名誉、などの執着から離れることである。

すべて、自ら求めることなく、自然な人徳によって与えられる人々は、己に厳しく、常に謙虚であり、誤りのない正法を実践している人々と言える

高橋信次 心の発見(科学篇)
三宝出版



瞑想から三昧へと心のカラをを破って機が熟したなら

想念体に亀裂が入り、

その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのチャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、想念体にあるカルマ〔因縁〕エネルギーも澄んでくると思います。

それによって、本来の自己が現れてくると思います。、

原因不明の病気とか今の科学では立証できないカルマ〔因縁〕エネルギーの解消などを取り組む事がとても大切だと思っています。


 (光のかけ橋)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。


瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。

[152] がんの特効薬は発見済みだ? Date:2011-07-21 (Thu)
アマゾンのおすすめ商品にがんの特効薬は発見済みだ! [単行本] が載っていました。
アマゾンで本を注文したり、購入する事が多くて良くみています

がんの特効薬が発見されている?
アマゾンのレビューを見てみるとガンの特効薬はベンズアルデヒドである!
ベンズアルデヒドは、生アーモンドに含まれておりという事なんだそうです。
実際にこの本を見てないからなんとも言えないんですけどね。
もしそれが本当の事だとしたら?

エドガーケーシの人生を変える健康法に記載されていますよ。
アーモンドを食べるのは、ケーシ・リーディングを暮らしに活かす人たちの楽しい義務である。
「一日に二、三個のアーモンドを食べる人は、決してガンを恐れる必要はない」(一一五八ー三一)

アーモンドはとても健康によい成分が入っていると前にテレビで特集をしていました。
時どきアーモンドを購入して食べたりしていましたが、、続けて食べたりはしていなくてね。
もしそれで健康が保たれるのなら、とても安い買い物だと思います。

でも、内心は思考パターンの切り替えや遺伝子の組み換えに心の想念の中にあるカルマのエネルギーを解放・浄化しないといけないと思っています。
特に自分が思っているのは、想念体の中に溜まっている・ネガティヴな思考のエネルギーの解放の事を強く思っています。
この想念体と言われるものの中に今まで沢山集めてきたネガティヴな思考のエネルギーやポジティヴなエネルギーもあります。
まぁ〜ぞくに言うカルマの事です。

このカルマの解消を行っている団体も実際ありますね。
インスタントみたいにカルマの解消がハイこれで終わりました。
地球までのカルマの解消が済みました。
そんなバカな事はありません。
何故なら、自分が体験して一番解っていますよ。

カルマの解消を実際出来ていなくて、また行ったりしていない者にはカルマの事は理解できないと思いますよ。

そんな偽りに騙されて、大金をはたいても何にもなりません。
もし本当なら、自分が実験材料になりますよ。
話はそれましたが、またこう言った手ごろで安く健康の為になれるのなら、併用にしたら良いのかもしれませんね。



レビュー対象商品: がんの特効薬は発見済みだ! (単行本)
ふむふむ、、、ガンの特効薬はベンズアルデヒドである!
ベンズアルデヒドは、生アーモンドに含まれており、毎日、30個から50個の生アーモンドを食べれば、初期のガンは治ります!
さっそくアーモンドを購入だー!がんじゃないけど、、、。
愛犬のシロにもあげていれば、、、。
最後に、若さを保つ健康法として、固ゆでタマゴを10個(できれば20個)たべればよい。
そんなに食べれません!ほんまでっか!?でもそれでも買い推奨!

本の内容

がんには、安全に、安価で治せる特効薬があるのに、なぜそれが医学界で黙視され続けてきたのか?。京大医学部を卒業後、アメリカと日本で半世紀近く医療の第一線で活躍してきた著者が、医学界に遺す“遺書”として書き下ろした、衝撃の一冊。

目次

1 本書を出版する理由
2 「がん特効薬」の発見者
3 「特効薬」を認めない背景
4 がん細胞「発生と抑制」のメカニズム
5 特効薬の中味と信頼性
6 治療体験者の「カルテ」
7 「エドガー・ケイシー」の夢予知
巻末付録 若さを保つ、ラクラク健康法

がんの特効薬は発見済みだ! [単行本]
岡崎 公彦 (著)

[151] 心の進化とは Date:2011-06-30 (Thu)
クンダリニー覚醒やサハスラーラ・チァクラに到達することによって、甘露を呼び起こすことや

(悦)の状態の体験をした事によって、

覚者や聖者になったという修行者などは少数いると言われていますが、

それでも幻想や勘違いしているみたいな方は結構いると言われています。

またそんな体験があったとしても、それに囚われず、修行をして行く事が大切な事なんだと言われもあります。

一部のオカルト主義の方や犯罪を犯したり、また起こしそうな団体などは、

聖書の中にある真理の実践や仏の教えの実践の事もあまり語らず、神秘体験や能力開花に重点においている感じがしてなりません。


それに教祖や巷の拝み屋と言われる方の中にも、ワイセツや高額な金銭要求する犯罪もあとを絶ちません。

まぁ〜これは約一部の外道と言われている方のせいで、真剣に求道を追求している方にとっては悲惨なものになっています。

ほんと約一部のよこしまな者によって、全部が同じようなイメージを持たれてしまいそうで悲しいものです。

スピリチャルな道に足を踏み入れてこういった犯罪を犯すものは、本当の意味で良く解かってないんだと思ってしまいます。

聖書の中にある真理や仏教を実践していないのかなぁと?思つたりもしますね。

聖書の真理を心に強く思ったり、また実践して行こうとする過程では、

とてもそんなワイセツなことや高額な金銭要求するような犯罪を犯す事はしません。

弱みに付け込むような事はしないものです。


良心もありますからね、普通なら心が苦しむ事になるのが当たり前だと思います。

自分の中には嘘のつけない心がありますからね。

心の浄化や心の解放を主においてないせいですかね?


一般の方は瞑想や宗教とかスピリチャルな事を興味があったりしたら、そう言ったたぐいのレッテルをつけられているのも仕方がないのかもしれません。

全部の修行者が可笑しいのではなくて、約一部のよこしまな修行者によって、

宗教や心の進化を目指している求道や本来の聖なる宗教そのものに手垢が付けられた感じがしてなりません。

これが本当に残念でなりません。

人はみんな本来は心の成長・進化を目指して行かないといけないのにね。

それを惑わす方がいるんですよ。

それらに惑わされず、心の進化・心の浄化を努めてほしいんですよ。

何故なら動物的習性を取り除き、人間的あることを超越して、進化した完璧な人間としてまた戻って来なければなりません。

精神的に感情的に霊的に自由を持った存在にならなければなりません。

誰であろうとも例外はなく、同じ目的地・神の懐に戻る事を目指すものと思います。

進化の旅は終わる事無く、常に常勝して行くものかもしれません。


その手本があります。マザーテレサやインドのガンジ・ヘレンケラーナイチンゲール・ダイアナ・ダライラマ・

まだ沢山の偉人と言われている方がいっぱいいます。

なにもスピリチャルな事をしなくても、自然に正道の法則を歩んでいて、世間には霊性の高い方がいます。

それに心の成長には手本がまた他にもありますよね?

お釈迦様の慈悲やキリスト様の愛の実践の手本がありますよ。


自然にそれに沿って、正道を実践できる方は良いと思いますが、

心の進化や高い霊性を身に付けたいと、少しでも思っている方は、

仏の教え、聖書の真理の実践が大切ですよ。

体験という事なら、勝ち組・負け組も合格も不合格も実際はないと思いますが、この世はあっという間に終わりがやって来ます。

この世に生命を受けて、誰でもいつかは死を向かざるおえません。

高橋信次先生もあの世へ持って帰れるものは、人生航路で経験した一切の善と悪、記憶された想念と行為であると言っています。

宗教という名前にあまり囚われて、心を置き去りにしていると、

あの世に帰って、しまったと思っても仕方がない事になってしまいます。

正道に沿った生き方を自然にしている方はよいのですが、粗い現実の生活の中では流されてしまう方が大半ではないのではないですか?


多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまうと言われています。

人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

私達がこの世を去るときには、経済も地位も名誉も持っていくことができないこと、

人生経験の善悪に対する一切が記憶された意識、すなわち魂を持っていくのみであることを悟るならば、

私達は、一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきなのだ。

(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 113頁)


あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんですね。

良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践して行く事が大切なんですね。

それにはお釈迦様の説いておられる仏の道。

キリスト様の残されている聖書の真理を実践して行く事が、すなわち高い霊性を身につける事になるのではないですか?


菩薩は仏教の教え、聖書の中にある真理を自然に出来てこそ、菩薩様と言われるものだと思っています。

正法や真理の実践が出来ていない者には修行者という肩書も使うことは許されません。


聖者でも菩薩でも、、またペテン師、詐欺やまやかし・と言われようが、実はどう思われようがどうでも良いんです。

聖書の中にある真理やお釈迦様の仏教を少しでも伝えられたらとそれで良いと思ってはいますが、

そんな事を言ったところで、自分は真理の実践を出来てはいません(涙)


仏の道や真理を知った者と言いたいですが、、しかし知っているとは言われないですね(汗)

本当の意味で知るという事は実践ができているという事ですからね?

これからも何も変わらずに、お釈迦様の説いておられる八正道や聖書の真理を実践して行く以外はないですね。


三宝出版 高橋信次の本

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html



[150] 心の歓喜 Date:2011-06-27 (Mon)
ヨーガ経典にはクンダリニーがサハスラーラ・チァクラに到達する瞬間の記述があって
生起の段階(十二縁起の法)」においては、わたしたちが瞑想を始めると「悦」という歓喜状態を経験すると説かれているみたいですね。

クンダリニーが上昇して、頭頂にあるサハスラーラ・チァクラに到達するのですが、到達することによってサハスラーラ・チァクラの中にある不死の甘露を落とす働きをすると伝えられています。
不死の甘露とはネクターともビンドゥでは呼ばれているみたいで、心を歓喜状態にすることができるというものです。

適切な言葉が見当たらないのですが、神のネクターが滴り落ちるこの気持ちよさは例えようのない気持ち良さですね。
ほんと石清水が滴りおちるみたいに、冷たい石清水が頭上の内部付近から滴り落ちる感覚は清々しくとても気持ちが良いものです。

「至高体験」は喜びと驚きと感謝の念に満たされるといいますが、まさしくその通りですね。  

この悦の体験は筆舌ではとても伝えられないものです。

国際宗教・超心理学会(IARP)会長〜本山博先生のどれかの書物に載っていましたが、流石本山先生です。
適切な体験を的を得るように伝えていますね。

ヨガや神秘体験したいと興味がある方は国際宗教・超心理学会(IARP)会長〜本山博先生にご指導される事を望みます。

「悦」という歓喜状態に達するのはなかなか難しいと思いますが、諦めず目指して行くといつかはそんな体験に遭遇する事になるかもしれません。


古庵の見解は正しい坐相にも書いていますが、瞑想しているとスカッとする時もありますし、気分が滅入る事もありますよ。
そりゃ〜人間ですからね。
生理現象はありますよ。
曇りには曇りなりに、雨の日には雨の日なりに、晴れの日には晴れなりに、その時、その時の生理現象、心理状態がある事が当然であり、それはそれにふりまわされず、その風景として手放しをして行くことが大事だと思います。
この事に付きると思いますよ。


本山 博

本山会長 略歴1925 香川県小豆島に生まる
1951 東京文理科大学(現筑波大学)哲学科卒業
1956 同大学院博士課程修了
1958 東京文理科大学記念賞受賞(「東西神秘思想の研究」により)
1960 宗教心理学研究所所長〜現在に至る
1962 文学博士(哲学・生理心理学)。
  マクドーガル賞(「超心理学の電気生理学的研究」により,アメリカ・デューク大学超心理学研究所より授与。
1963 インド、ラジャスタン大学にてヨガの電気生理学的研究に関し研究と講義
1969〜70 インド、アンドラ大学大学院客員教授(超心理学、生理心理学)
1972 国際宗教・超心理学会(IARP)会長〜現在に至る
    国際心理学会大会、心理生理学セクションの議長
1976 インド、ヨーガ・ビハールスクール(スワミ・サッチャナンダ主宰)顧問
1977 イタリア学士院アカデミア・チベリナ正会員  スペイン,第2回世界超心理学会副会長
1980 アメリカ「ジャーナル・オブ・ホリスティックメディスン」誌 編集委員
1983  インド、ヒンズー大学医学部ヨーガ研究センター海外委員
1988  ブラジル、国際オルタナティブセラピー学会にて特別講演
1989 アメリカ、フェッツアー財団にて特別講演
1990  フランス、第1回人体エネルギー国際大会にて特別講演
1991  南カリフォルニア大学院(SCI)日本校設立・学長
1992  フランス、第2回人体エネルギー国際大会にて特別講演
     カリフォルニア・ヒューマンサイエンス大学院(CIHS)設立・学長
1993  ブラジル、アドバンスド・メディカル・アソシエイション理事
1994  本山人間大学院・日本センター(MIHS)を設立・学長
1995  カナダ、第3回鍼灸医学と自然医学国際大会にて基調講演
1996  J.B.ライン博士誕生百年記念賞受賞
1997  コスタリカ国連平和大学にて講演
    米国UCLAメディカルセンターで行われた「仮想現実と超生物学」シンポジウムで特別講演
2000 コスタリカ政府関係者の招聘による講演会とコスタリカ国立大学でのAMIワークショップ(サン-ホセ)

研究目標1)精神的エネルギーと身体的・物質的エネルギーの相互作用のメカニズムを、
  電気生理学、生物物理学、量子力学的方法を用いて解明する。

[149] 誓ってはならない Date:2011-06-18 (Sat)
「『いったん神に立てた誓いは、破ってはならない。必ず果たさなければならない』といわれている。

しかし、私は言っておくが、いっさい誓ってはならない」

イエスは天にかけても、地にかけても、誓ってはいけないといっています。

「自分の髪の毛一本さえ白くも黒くも出来ないのだから、自分の頭にかけても誓ってはならない、

ただ『はい、そうします』とか『いいえ、そうしません』とだけ言いなさい。

誓いを立てる事で約束を信じてもらおうとすることは、悪いことである」

イエスは人間の心は変わりやすく(常に変わっている)

また、この世のあらゆる事は常に変化していて定まっていないために、

誓いを守りきる事は非常に難しいことを説いています。

それは自分の髪の毛一本さえ白くも黒くも出来ないのだからという言葉によく表されています。

地上に生きている人間には、神に誓いを立てられるほどに確かなものも、確かな力も無いという事でしょう。

誓いを立てる事で約束を信じてもらおうとすることは、それ自体が悪いことであると説かれています。

k-style (引用)
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index.html#x3


[148] 神理の実践の大切さ Date:2011-06-18 (Sat)
お釈迦様の慈悲やイエス様の愛を説いておられる聖書の中にある、神理をごく自然に実践できてこそ菩薩行が調っていくと思っています

誰であろうと心の王国を確立されていなければならない(汗)

実践してこそ霊性が高くなるものだと思っています。

また自然に実践出来てこそ聖者や菩薩と尊敬されるのでしょうね。

その為には正法にかなった思いと行いを実践する以外はないと思っています。


心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周先生も言っておられますね。

まさしくその通りだと思っています


もし自分に役目があるのなら、イエス様やお釈迦様の説いておられる神理を少しでも伝えるのが
役目かもしれません


自分が何回も、クンダリ二―覚醒や○○の生まれ変わりとか馬鹿の一つ覚えのように言うのは、

いくら聖者の奇跡体験しても、聖者でも菩薩でもない。

神理の実践が自然に出来てこそ、聖者と言われるという事を伝える為に自分があえて言っていますが、

この古庵は聖人と言われる体験をしていますが、聖書の中にある神理は実践はできていません(涙)

○○太子・○○菩薩・○○○ヨハネ・1300年前ぐらいに悟りを開いた者・神会からやって来た知恵を持った者または妖精とか・天使の存在とか・今まで沢山の事を言われてきました。


クンダリ二―覚醒や悟り(見性)と言って、スピリチャルな世界でも珍しいと言われる体験をしています(汗)

宗教家の創始者などの方はクンダリ二―覚醒は聖者だと言っています。

ある団体などは、聖人や菩薩、如来の再来だと言う方もいますし、

インドでもなかなか体験している方はいないと言われています。


明けの明星やクンダリ二―覚醒また悟り(見性)など言う方は今まで自分は聞いた事がありません。

それに悟り(見性)と言って、今の時代ではなかなか開けないものも体験しています、

それとあけの明星のまたたきの体験も他にあまり聞いた例はありません。

自分は他の方から特別な存在と言われる事もあります。

またある団体の創立者や幹部の方などはその奇跡体験している者は、聖者だと公言している方もいます。

自分の見解はそうではなくて、体験はあくまで体験であって、聖書の中にある神理を身につけてこそ、

聖者だと思っている違いがあるだけです。


キリスト様やお釈迦様とそれに菩薩と言われている聖人と同じような霊性になってはいないんですよ。

奇跡体験したから高い霊性は身についているのではありません。

体験はあくまで体験です。

聖書の中にある神理を自然と実践できてこそ聖者や菩薩と言われるのではないでしょうか?


マザーテレサのような大きな愛やそれにキリスト様のような聖書の中の真理を自然と実践できてこそ、

聖人や菩薩と言われるレベルに達する事になるのではないでしょうか?


聖書の中にある真理を実践できない者に、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと強く思っています。

奇跡体験をしても、神理を実践できない者には、菩薩や聖人とは言えないと伝えるのが、
もしかしたら自分のお役目かもしれません。

他のティチャ―が言うように菩薩の輝きを伝える為に生まれて来た目的の一つかもしれませんね。
その為に神仏は古庵に奇跡体験を見せてくれたのでしょうね。


それにお釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿っていったからこそ、体験できたと思います。

この古庵を特別な存在だと言われる事もありますが、それは勘違いです。

体験はあくまでも体験です〜体験をしたから高い霊性が身に付いているのではないんです。

誰であろうとも、キリスト様やお釈迦様の残した正法を学べは、きっと同じような体験は出来ると思います。


まぁ〜こんな事をいうから、脅迫や批判もあります。

それでも、止めません(笑)

いくら山を動か力があっても、愛がなければ無に等しいと言われがあります。


あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

ルカの福音書6章27−38節にあるように、神理の実践できてこそ霊性が高くなるのではないですか?

ほんと今まで奇跡体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

これからも聖書の副音書やお釈迦様の説いておられる八正道を実践して行くだけです。



■ 光のかけ橋 (項目)
Date: 2010-10-18 (Mon)

心ない教祖やまやかしの団体にそれにネガティブなオカルト信者によって、宗教と言う名前に手垢が付けられたと思いますが、

本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。

仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への実践を教えていると思います。


人間は皆神の子なんです。本質が同じで、同じ能力・資質を持っています。

例え神の子で、本質が同じで能力も資質を持っていても原石のままでは光輝く事はできません。

それがもしそうであるならば、人間完成に近づいて行ける為には何をしなければならないと、自ずから解かって来ると思います。


お釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿って行ったら必ず体験できると思います。

一回きりの人生なら、何もしなくても良いかもしれませんが、輪廻転生があるのであるならば、今がその時だと思います。

自分にも言える事ですが、永遠の今を目覚めて生きてほしいものです。

[147] イエスの教え(思想) Date:2011-06-17 (Fri)
最も重要な掟

「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
これが最も重要な第一の掟です。

第二も、これと同じように重要です。

自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
律法全体と預言者の教え(真理)は、この二つに基づいているのです」
以上マタイによる福音22章より(マルコ12章、ルカ10章)

イエスは、この二つの戒め(掟)が、すべての戒め(掟)の中で最も大切なもので、この二つを守る事がすべてを守ることになると言っています。
これは、真の愛が、すべての正しい行い(掟)の基になることを意味しています。

ここにはイエスの教えを知るうえで最も大切なことが示されているのです。

神(創造主)を心から(心、魂、思いを尽くして)愛すること、さらには隣人を自分のように愛すること(真の愛、慈愛)がイエスの教え(真理)の基にあることが説かれているのです。

たとえ、どのように掟を守っても、真の愛がなければ偽善となる事をも表しているのです。

この地上に生きている以上、人間は罪からまったく逃れる(掟を守りきる)事は出来ないでしょう。

イエスは、人の行いの善悪の評価には、表面上の行為や結果より、
その人の心(意志、真の愛)が最も重要である、大切(必要)なものであると説いているのです。

k-style (引用)
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index.html#x3


[146] マザー・テレサ語る より Date:2011-06-16 (Thu)
マザーは、心の静けさ(真の内面的な静寂)を得るために、次のようなことを上げています。

他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)

ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)

暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、

私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)

うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、

祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)

すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、

私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

マザー・テレサ 愛のこころ最後の祈りより

マザーは、心の静けさを保つことによって、神の声を聞く特権が与えられると言っています。


k-styleのマザー・テレサの言葉(愛と祈り)引用
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/teresa1.html

[145] 教外別伝 Date:2011-06-16 (Thu)
釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができません。

心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところです。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることである。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいでしょう。

弟子は、師匠の日常の立ち居振る舞いを見ながら、自己を磨いていくのです。

何事も自分の努力で体得して、初めて自分のものとすることができます。

また、目に見えないものを見抜いて、初めて心から納得することができるのです。

言葉や文字では、究極のところは伝わりません。


光のかけ橋 ■ 悟り(見性)とは?
Date: 2010-11-21 (Sun)

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました


今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、時空を超えて、人の心から心にと伝わったと言われがあります。

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心から心に伝わっていったものだと思います。

お釈迦様の時代に沢山の修行者がいても、ただ一人の摩詞迦葉尊者だけがお釈迦様の蓮の意味を理解できたと言う事なんですね


また沢山の修行者やスピリチャルな事を目指している方がいっぱいいますが、こういた体験は極めて稀なことだと言われています。

何故でしょうね?

それは正道を実践されている師の下で、ご指導を仰ぎながら正法を学び、正道を実践する以外は道は開けないものだと思います。

一人よがりの覚醒や霊的目的ばかりを追求していては、危険なゆえに自己満足の世界に浸り、

進化の過程を遅らす事にもなりかねません。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになった意味も、

鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったその意味が解かったとしても、

クンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でも滅多にない体験だと言われても、

覚醒や悟り(見性)体験しても、体験したから霊性が高いと言う事ではないと思います。

体験はあくまでも体験だと思います。

失礼があったらいけないから、これはあえていいますが、古庵個人の見解です。

西遊記の話の中に孫悟空が雲に乗ったりして遠く走り、そこで見つけた柱に自分の名前を書いて得意になって、

帰ってきて報告をしたらそれはお釈迦さまの指に書いた名前だったと言う話がありました。

所詮威張ってみても、やってることは小さいと諭した話がありました。

今まで体験した事は西遊記の話の中のように、お釈迦様の手の中のちっぽけな存在です。

イエス様の愛やお釈迦様の慈悲を説いておられる、実践してこそ霊性が高くなるものだと思っています。

古庵個人の見解は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけだと思っています

[144] 自己の本性を見きわめること Date:2011-06-16 (Thu)
主体とは自分自身のことであり、また客体とは対象物を指します。

それが正しい坐相によって、自分が対象物に溶け込み一体となることが、主体と客体の合一な体験であります。

意識をのり越える時にエックスシーの体験は筆舌では伝えられない限界があります。

素晴らしい気分になり、意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

まさにテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。



禅仏教の教え
禅宗は、釈尊が菩提樹の下で悟られた、その悟りをみずから直接体験することを唯一の目的としています。

http://homepage2.nifty.com/hakurinji/zen.html

見性成仏

直ちに指し示される人心とは、私たちの心の奥にある仏心にほかなりません。この仏心、つまり真の人間性に出会い、まみえて、自分が、ほんとうの自分になることを「見性成仏」といいます。
仏というのは真実の人間のことですから、成仏とは人間完成であり、人間成就のことなのです。見性の「性」とは「心」と同じ意味で、人間の本性のなかに、仏となるべき仏性がひそんでいるということです。借りに、迷いに満ちている醜い心であっても、その心に成仏の因である仏性があり、煩悩(一切の妄念)の心に仏となる功徳が宿っているとみすえるのが見性成仏ということになります。
心というのは、求めても求めてもつかめるものではないし、決まった形がないという事実を、みずから観念ではなく体験として知ることが「安心」を得ることであり、成仏することなのです。

[143] アースエンジェルのなごり Date:2011-06-10 (Fri)
使徒パウロはヘブライ語で次のような言葉を残しているそうです。

見知らぬ人を楽しませることを忘れてはならない。

そうとは知らずに、天使を楽しませる。


すべてのアースエンジェルであるわけではありません。

この役割を与えるため、神は最も大きく、そして最も明るく輝いている光を選びだし、

新しい平和の時代への過渡期である時代に、肉体を持った存在として生み出された。


アースエンジェルではない人々は、成長や休息、そして楽しみと言った目的を抱きながらそれぞれの人生を生きています。

彼らの魂が放つ光は、鈍く、精神世界な生き方とは直結していないように思えまずが、それは違います。

聖なる光は、すべての人の内側できらめいています

人生の目的が人間的な、物質世界的な方向にあるだけなのです。


天使界にいたときの名残として、人が内側に宿した美しさのみ目に映します。

人間が持って生まれているはずの特質を磨くように心から祈っています。

友人や恋人の持てる才能が、中毒症状によって隠されてしまっていることが多いのです。

親しい間柄なので助けることになりますが、やがてその役割となり、

自信を取り戻させ、自分の強さと才能を思い出させるようと全力を尽くします。

しかしこのような関係は双方にとしって不満ばかりが募るものとなってしまうのが常です。

天使の生まれ変わりはパートナーを癒し、普通の状態に戻したいだけなのに、

それを邪魔されているように感じ、パートナーは「自分の何を変えようとしているんだ?」といぶかってしまいます。

天使の生まれ変わりのグループに属する人々は、十分な愛情を注ぎ、

できるだけのことをすれば、最終的に癒しがもたらされると信じ込んでいます。

双方の癒しの必要を感じていて、癒される方に心の準備ができている場合は何の問題もありません。


自分の知り合いに天使のグループに属するような方がいますが、その方に同じような体験を聞いた事があります。

天使のグループに属する人々は、いやなことに対しても「ノ」と言えないそうです。

他人に利用されてばかりいるような気持ちになってしまうと言っていました。

人とは違うという感覚をいつも持っているそうです


人を押しのけたりするよりは、自分が諦めた方を選び、人の頼み事を断って、

人を不愉快にさせるより無理をしてでも引き受ける。

相手の為に尽くしてあげることで生きがいを感じる。

悪い相手に利用されたり、虐待されたりする。


友人が落ち込んでいたり、気落ちしている時などは、ドリーンの言うように自信を取り戻させ、

自分の強さと才能を思い出させるようと全力を尽くすみたいですね。

そのために疎ましく思われようが、結果的にその方の為になるのなら

自分が嫌われようが良しとしているそうです。

何事にも与えすぎてしまう性格だから、心無い者によって虐待される事を恐れているみたいです。

心の中でこの人をどうやって助けようかとどうしたら良くなるのか考えてしまう


著者/ドリーン・バーチュー/宇佐 和通 訳
発行/クレイヴ出版事業部
判型/四六判ソフトカバー

書籍「アースエンジェル」〜自分の魂のルーツと使命を知る!〜ドリーンバーチュー博士
商品コード:1011021

癒すこと、教えること、他人を助けることに情熱を感じ、才能を持っているにもかかわらず、自らが中毒症状や体重、あるいは人間関係に問題を抱えていませんか? 感受性が高く、いかなる形の暴力にも耐えがたい怒りを感じますか? 少しでも思い当たるところがあるなら、あなたはアースエンジェル=地上の天使かもしれません。

[142] アースエンジェルの特徴 Date:2011-06-09 (Thu)
占星術の本に記載されていました。

虐めの対象にされたり、人に尽くすことと、自ら犠牲になることとは違うと言う事を気づかないといけない。

自らの意思で環境や人々との付き合いを決心するまで、運命は変わることがない。

ある人々は天使のような人生を送ったり、人々のために施したり、奉仕したり、教え導く人生を送った。

人を押しのけたりするよりは、自分が諦めた方を選び、人の頼み事を断って、

人を不愉快にさせるより無理をしてでも引き受ける。

相手の為に尽くしてあげることで生きがいを感じる。

悪い相手に利用されたり、虐待されたりする。


それでも天使の生まれ変わりは、与えることのほうが圧倒的に多いといえるのだそうですよ

自己を確立して、心の境界線を保っていかないと、負のエネルギ―で悪影響を受けるから

アースエンジェルのルーツがある方はエネルギー防御と浄化を学ばないといけませんね。

皆さんは心の貸借表にはどちらが沢山ありますか


・ドリーン・バーチュー博士の「アースエンジェル」より抜粋

(天使の生まれ変わりの特徴)

・ハート型の可愛らしい顔をしている。容貌も天使に近い。

・過食気味、体重に関する問題を抱えている。

・人を助ける職業についている。(教師、フライトアテンダント、カウンセラー、看護師など)

・髪の毛を明るく染めたりハイライトを入れたりする。

・人を信じやすい。

・他者を癒し、助けるために生まれてきたため、この人をどうやって助けようかと考えてしまう。

・頼まれると断れない、誰かに助けてもらうと罪の意識を感じる、

・ごめんなさい、という言葉をよく口にする

・癒しやカウンセリングでお金を受け取るのが苦手

・中毒者(アルコールなど)と共依存的な関係を持つ

・天使が大好き、天使のものを集める

・他の人と比べて守護天使の数が多い 

・また天使の生まれ変わりの多くは、人間関係における虐待を経験している。

・エネルギーに敏感なので、慢性疲労症候群の傾向も見られる。

・悪意に満ちたエネルギーに敏感なのも天使の生まれ変わり

・どんな人間であれ関係が長続きする。

・体全体が大きなオーラで包まれているので光っているように見える。


[141] 片方の耳だけに響く鈴の音? Date:2011-06-05 (Sun)
ドリーン・バーチューのアースエンジェルに記載されていますね。

たしか4年ぐらい前に書店で見かけた事がありました。

アースエンジェルは、いくつかのグループに分けられるそうです。

基本として4種類のタイプがあるそうですが、アースエンジェルにはいくつかの種類があるみたいですね。


天使の生まれ変わり
元素霊(精霊や妖精)の生まれ変わり
賢者(魔法使い・魔女の生まれ変わり)
スターピープル(宇宙から)
マーピープル(海の民)

天使の生まれ変わり」「妖精(ドルフィンなど海中の妖精)の生まれ変わり」
「スターピープル(宇宙から来た人々)」「ワイズワン(賢者、と呼ばれる高僧・司祭・魔女だった過去世の多い人たち)」
そのほかにも「ウォークイン」と呼ばれ、肉体を捨てこの世を離れる決心をした魂と合意をして、その肉体に新たに入った魂もあるようですね。


その中にある一つの「アースエンジェルの特徴」としては・・・

☆他の人と違う、距離感がある、遠ざけられているような気がする

☆他者の感情や化学製品、暴力に対する敏感さ

☆目的意識の強さ

☆ 困難な人間関係の経験

☆まったく知らない人から、個人的なことに関する相談を受ける

☆実年齢よりも若く見える

☆自分あるいは家族が中毒症を経験した

☆ 片方の耳だけに響く鈴の音


そのアースエンジェル書物の中にある特徴がいくつ当てはまるかと見て行くみたいですね。

沢山の方は8個中に7つは当てはまるという方はいますが、

片方だけの耳だけに響く鈴の音みたいなものは1,2回は聞いたことがあるみたいですが、

通常いつも甲高い音は聞こえないそうです。

皆さんはいくつ当てはまりますかね?


ドリーン・バーチューも言っていますが、多くのアースエンジェルは片方の耳だけに響く鈴のような高い音を聞くという体験をするといっています。

ドリーンの言うように天使の生まれ変わりという(アースエンジェル)によってそのような甲高い鈴の音として聞こえてくるものもあると思います。

実は自分の見解は2通りあると思います。

沈黙の声といって、チャクラが芽生えたり、それにチャクラが活性化するとアストラルの音がするみたいですね。

何の前触れもなく突然聞こえてくることもあるそうですが、実際は鳴り止まぬ音として、自分の感覚器官の一部になっている方もいると思いますよ。

自分なんかは眼を瞑っていてもあけてもサードアイといわれる位置に三の眼が
渦を巻いて見えます。

耳さわりであることも目障りな事も事実ですが、それは諦めというよりもあまり囚われないようになっていくと思います。

それも自然に受け入れて自分の一部になっていくのでしょうね。

そのかん高い音を意識すると不思議に糸を引いたようもっと音が大きくなってきます。

それと宗教団体の主催者などしている方などは、、蛍はお尻から光をだしている

天使なら天使らしく光ってないといけないというような事を言っていました。
それは一理あると思います。

チャクラの芽生えやチャクラが活性化する事があって、その周波数や振動よって聞こえる場合もありますから、そういった片方の甲高い音が聞こえると言っても全員がアースエンジェルとは限らないと思います。

天使の生まれ変わりや元素霊(精霊や妖精)の生まれ変わりや
賢者であろうと実はどうでも良い事だと思っています。
この世はあっという間に過ぎてしまうものです。
誰であろうと心の王国を確立されていなければならない(汗)

正法にかなった思いと行いを実践する以外はないと思っています。

仏教の徳また聖書の中にある神理をごく自然に実践できてこそ菩薩行が調っていくのでしょうね。


実はこういった天使の生まれ変わりとかの話はあまり言いたくはないし、あえて避けているところもあります。

自分の魂のルーツ探したりして、純粋に楽しむ程度ならいいんですが、

背中に羽が生えていて、ビルの谷間から空を飛んでみたいといっているティチャーもいる事でもありますし、あまり囚われるのもどうかと思います。

あげくのはてには自分には役割や使命があるとか、また私は選ばれた存在で人類を救う使命があります。
それに人類の進化を一つにする使命や役割が私にはあるとか?
とんでもない事を言うようになる方もいます。


実るほど頭(あたま)の下がる稲穂(いなほ)かなと言うことがありますから

学問や徳行が深くなれば、かえって謙虚になる。実る稲田は頭垂る。

自分を見失うことなく、精進しなくてはならないと思っています。


ドリーンの言うように他人と違うという感覚と過敏であり続け、

人と比較できない創造的で世間一般の価値基準に自分を合わせようと悩み続けてきたあなたが負った傷が、
アースエンジェルの本によって癒される事があれば、それはそれとしてとてもよいものだと思います。

その続きはまたにしますね。


著者/ドリーン・バーチュー/宇佐 和通 訳
発行/クレイヴ出版事業部
判型/四六判ソフトカバー

書籍「アースエンジェル」〜自分の魂のルーツと使命を知る!〜ドリーンバーチュー博士
商品コード:1011021

癒すこと、教えること、他人を助けることに情熱を感じ、才能を持っているにもかかわらず、自らが中毒症状や体重、あるいは人間関係に問題を抱えていませんか? 感受性が高く、いかなる形の暴力にも耐えがたい怒りを感じますか? 少しでも思い当たるところがあるなら、あなたはアースエンジェル=地上の天使かもしれません。

[140] ソウルメイトのしるし? Date:2011-05-30 (Mon)
アラン・コーエンの本に記載されています。

目ざす相手を探す旅で、たまたま自分の恋は正しいという合図を受け取ることがあるかもしれません。

なかには、神が送ったとしか思えないような絶妙な合図もあります。


それでは、受け取った合図が正しいかどうか、

どうすればわかるでしょうか?


一緒にいてうまくいけば、

受け取った合図は正しかったのです。


それに対して、相手が興味を示さなかったり、

一緒になれない相手だったりする場合は、

そこでやめることです。


次に挙げるのは、理想の恋人が追いかけるに値する相手であることを示す兆候です。


1.友達や同僚など現実の人であり、現にまともな接触があるか、そうできる。

2.ただ「やあ、どうしてる?」とか、ウォータークーラーの周りで短いやりと
りをする以上の、ちゃんとした会話をする機会がある。

3.相手が結婚していない。あるいは特定の相手がいない。

4.精神的、地理的、宗教的な面で交際が可能である。

5.相手が自分に興味を示す。

6.相手がこの人といっしょにいたいと感じている。



アラン・コーエン著『運命の人を引き寄せる10の法則』

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光のかけ橋の項目にも載せてあるんですよ

本当のパートナーは年収とか学歴とかではなくて、

愛のみしか必要でないので、それを引き寄せるには愛が大事なポイントになってくると思います。

本当のパートナーとは、心・魂で、感じているものであると思います。

魂に響くような出会いをするためには、自分のハートに、開く事が大切なんだと思います(汗)

それには、自分を愛するということが前提にないと、それ相応な相手と巡り会う事になると思います。

バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けてていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、その関わりある期間中はソウルメイトみたいですね。

それとエクトンの書物にもありますが、ソウルレベルでは深く繋がっていると実感できる相手は数十人はいるそうです。

輪廻転生があると言う定義でお話をしますと、ソウルイトは結構いると言われています。

だから70億人の中で自分の運命の相手はたった一人しかいないと考えるのは可笑しいんです。

充分忙しく過ごせるだけの相手はいるそうです。


それと出会い別れは誰もが同じように必然で訪れます。

地球には生まれた以上逃れる事ができないものの一つだと思います。

運命の相手は決まってるのかと良く言われていると思いますが、

ある程度は決まっていると言えるかもしれませんねぇ〜

遊園地に入ると決まっている時に、ジェットコースターから乗るのか?

それともメリーゴーランドや観覧車から?

乗る順番は自由ですが、遊園地に入ると決まっているのは変わりがないですからね。

それとどれから乗るのか?乗る順番は自由意識にまかされるだろうと思いますが、

それも偶然ではなくて、乗る順番も必然かもしれませんね。

犬が鎖に繋がれている範囲の自由があると言えそうです。


運命のは決まっているわけではなくて、これも自分の魂レベルに合う人が引き寄せられて、

その自分の波動に近い人が運命の人になるのではと思います。

どう言う体験をすれば最初も自分らしく成長できるのかと言うことが一番大切だと思います。


どうやら自分の意識レベルの近い人が運命の人になりそうですね。

結局は自分が出している波動次第で、自分が運命の相手を手繰り寄せて行くのでしょうね。

類は友を呼ぶ法則がありますからね。

縁と言うものは不思議でもあります。

[139] 魔境 Date:2011-05-29 (Sun)
首楞厳経のお経中には、五十魔境というものを書いてあると聞きます。

お経を読んでいる時や座禅修行している時など、いろいろな現象が現れる場合があります。

仏様が目の前に輝いて見えたり、悪魔のようなものが現れたり、または身体が宙に浮いたように感じたり、

このような現象は人によっては起こると言われています。

一般の方は信仰心が深くなったと錯覚してしまい、神仏が現れて、認められたとうぬぼれてしまいますから、

魔境現象の起こりやすい方は気をつけないといけません。

師を持たず、能力開発だけを追い求めている方を今まで沢山みました。

スピリチャルな事を目指していたりする方は、魔境の事を心得ていないといけません。


天台小止観にも十二支の動物が現れ化け物がでて人をおどかすと書いてあるみたいです。

人間の心の進化の途中で表れると言う正体は、仏教の覚知魔事では、

煩悩魔、陰入界魔、死魔、鬼神魔の四つを挙げています。

その中のひとつ煩悩魔は心中にあるもう一人の自分、地位、名誉、財産、現世の欲望に執着しょうとする自分の心。

現世な欲望から離れまいとする心、そういった現象を作り出します。

これなんかは、自分の心に打ち勝つ意外はないと思います。

でも、そういっても生きて行く上で現世の欲望は誰にでもあります。

お釈迦様もキリスト様も我われと同じように苦しみ、悩みそれを乗り越えて行ったのでしょう。

お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われているものです。




光のかけ橋 覚醒体験

接心と言って、集中座禅が12月に良く行われている所がありますが、その道場は月一回は必ず、接心を行っていました。
観音山の麓にある寺で、朝4〜夜8時までの座禅で食事、トイレ以外は座りっぱなしでした。

座禅を始まって、あっと言う間に一日は過ぎました。

残る4日間で悟りを開かないと、自分の生命を断つと決めていましたから、

なんとしても明日は悟りを開かないと、心に決めて早朝4時起きて、座禅が始まりました。

睡魔と足の痛さは限界に達していましたが、命をかけていたから気持ちをしっかりと持って座りました。


少しずつ外の物音が聞こえるようになって、観音さんの仏像が見ていくうちに初め見た仏像の時と輝きが違っているのに気が付きました。

そして、それに平行するように、周りの外の音や鐘の合図する時の音はだんだん大きく音がなり響く感じがしました。

今まで、錆ついている心の垢がとれて、見るもの聞くものが、よりはっきり綺麗に見え、聞く音もより聞こえて行く感じです。
これは意識が洗われて言っているんだと思いました。

道場では、いつの間にか師匠と二人きりになっていました。

足が痛くて、意識ももうろうとしている時に、なんと師匠が自分の隣に場所を変えて隣に座りました。

足が痛くて、もう限界に達していた体を動かしていると叱責します。

知らないうちに涙がスーツと一筋落ちて行きました。

この涙は一体なんなのか?

どうして涙が、悲しい事もないのに?後から師匠に聞いたところ真珠の涙と言っていました。

貴重な涙であったんだと、後から思いました。


座禅中には、睡魔に襲われたり、意識がもうろうとして幻想とか見えてきたり、

線香の燃える音まで聞こえてくるようになりました。

これは、魔境と言って、修行者には相手にしなさんなと昔から言われているものです。

意識は限界に達して、足の痛さはもう例えようがないぐらいに痛く、

それでも睡魔も幻想も捨てて、ただ思いを手放しをしていました。

この意識が限界に達している時に、自分は死んだのか?

それとも宇宙にいて、師匠と二人で座っているのかと幻覚に陥りました。

そして、何日経ったとかも今日は何曜日かも解らなくなっていました。

トイレに行く途中で見た山々の山林とかはどうしてこんなに綺麗なのか?
明瞭に美しく輝いて見えます。

座禅中に意思がシャープというか空間がシャープになっているような感じです。

前にこの感情は体験していましたものが、また湧き上がって来ました。

クンダリニー覚醒の前とか、良く心臓にエネルギーが上がって、とても違和感を感じていたものとは少し違うもので、

この感情の感じたものが現れたなら、自分は死ぬとか恐怖を感じていました。

この乗り越えにくいものを、とっさに取放そうとしたところ、その絶妙なタイミングで師匠の恩恵によって、開く事ができました。

立って、立つのも忘れて、座って、座る事も忘れて、意識が限界に達した時に自分はこの感情の怖さ、

恐怖から逃げだそうとしたところ師の恩恵によって、開く事ができました。


この意識をのり越える時にエックスシーの体験は筆舌では伝えられない限界があります。

素晴らしい気分になり、意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

まさにテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。

座禅によって、自分の本性を悟る事が大切だと思います。

まず、結果を求めるのではなくて、なりゆきが大切だと思います。

結果を狙えば、的は外れると思います。

量よりも質と言われていますが、自分は質も量も手放しをして、

あえていうのなら、量の上での質だと言ったほうが良いのかもしれませんね。

座禅は思いを手放しにします。 居眠りをせず考えをせぬようにして、

生き生きと覚めて骨組と筋肉で、正しい坐相をねらって行かないといけません。

それと何よりも正道を学んでいる師匠の下で座り、師の恩恵にて悟りを開く事ができると思います。



[138] 聖フランチェスコの悟り Date:2011-05-22 (Sun)
バーソロミューの書物によると、若いときのフランチェスコはあなたがたと同じ情欲や金銭欲を持ち、
酒や女や快楽や権力への欲望を持っていたそうです。

自分の求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたみたいです。

多くの罪深い行いをし、自分の欲望を追求し始めました。

私は欠陥の多い人間である。

善人になるなど不可能。

それなら完璧な罪人になろう。

自分の欠陥を無限におしひろげよう。

その完璧のなかから、自分の人生に喜びと調和が見出せるのではないか、

けれども最後には自分が求めていたものを与えてくれないことを理解しました。


フランチェスコはジレンマに陥り、善人にもなれないし、欲望に身をまかせても幸せをもたされない。

フランチェスコは、意思の深いレベルで、死の現実と対決する事を選択しました。

常に思い病気を選び、その病気によって死にかけました。

その病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態ののなかで、悟りを得たみたいです。

善であること、神の愛が同じであると信じようとしました。

けれどもその二つは同じことではないと解ったそうです。

非常に善い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。

神への愛は神を愛したいと思う気持ちによって決定される。

それまでの自分の考えのあやまちに気がついた瞬間は、フランチェスコの人生にとってこの上もなく重要なものになったそうです。

高熱のなかで、ある問いが繰り返し彼の頭に浮かびました。
神を愛することができるだろうか。どうやって?

神を愛することなくして、生きていくことはできないと思うのに、どうしたら愛せるか解りませんでした。
愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。

これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとそれます。

何日も苦しみが続きました。熱が上がり、不安が増し、イライラと絶望がつのりました。

ある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで一羽の鳥が鳴きました・・・・・。

さしてその泣き声ょフランチェスコは今までとは全く違うように聞いたそうです。

その鳥のかなでる歌声のパワーによって、彼は悟ったのです。


※愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。
何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。

愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。
我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません。
そのものになりきって、(ものになる)ところに仏本来の自己が現れるものだと思います。


光のかけ橋 日記より  Date:2009-11-19 (Thu)

バーソロミューの書籍に記載されています。

もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。

フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、神の声を全ての中に聴く事だと言います。

死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、らい病の絶望の中に恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。

これらの音と神の声を分けるものは何もない

この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。

バーソロミュー  マホロバアート
ヒューイ陽子=訳


[137] 素質の劣っている人でも悟れるか? Date:2011-05-21 (Sat)
弁道話の中に道元禅師はこう言っています。インドや中国のような文化の優れた所に住んでいる人間は、悟る事ができるでしょうが、

国土も素質も劣った人でも悟る事ができるでしょうかと言う問いに、道元禅師はこう言いました。

人は素質の劣っている人も優れた方でも、区別なく等しく悟る事が間違いなく出来ると言うのです。

仏法伝授する事は本当に悟った人を師匠にとせねばならない。

文字のせんさくに明けくれる学者は、師匠とするには不足である。それでは盲が大勢の盲を導くものようなものです。


光のかけ橋の日記
見性の寸前には、自分がどんな状態であるのかまったくわからないような、一種の忘我状態に入ることはたしかだと言われていますが、

実際に実体験では、何曜日であるのか?
接心の何日目であるのか?
なにがなんだかさっぱり解らないように心理状態に陥りました。
忘我状態に入るのはたしかだと思います。

師の恩恵なくしてはとても開く事は出来なかったと今でもしみじみ感じます。

絶妙なタイミングで師匠の恩恵によって、開く事ができました。


石の上にも三年と言う言葉がありますけど、黙って、三年、10年は修行しないといけません。
そうでないとモノにはなれません。

師匠のいない者は、道に迷い込んでも、道に迷った事すら解らないし

自分の一人よがりの見方しか出来ず、どこが間違っているのかも解りません。


修行とかしていると、丁度、ジャガイモをごしごし洗われる自分に似ています。

それに玉ねぎとかむいで行く過程にも似ていますし深い海底に潜る事にも似ています。

師匠はそれをじっと見ていて、適切な時だけアドバイスをしてくれます。

卵からかえるひな鳥は、少しずつ殻をくちばしで突いて、卵の殻を少しずつ開けていきます。

それと同時に親鳥は見計らって、ひな鳥の殻を一緒に取り除いています。

親鳥がひな鳥よりも早く殻を取ったなら、ひな鳥は死んでしまいます。

親鳥は自然とその事が解っていますから、丁度良いタイミングで、ひな鳥の殻を少しずつ取り除いています。


接心の最中では、立って、立つのも忘れて、座って、座る事も忘れて、意識が限界に達した時に、

この恐怖から逃げだそうとしたところ師の絶妙なタイミングと恩恵によって、開く事ができました。


この意識をのり越える時にエックスシーの体験は筆舌では伝えられない限界があります。

根底が寛がされるほどの強いエックスタシ―が湧きおこり、

意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

まさにテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。


秋山さと子の悟りの分折に記載されています。

臨済宗では、〔光案〕といって合理的な意識では考えられない謎のようなものが゜、師から弟子に与えられます。

〔隻手の声〕と呼ばれるものがあり、両手を合わせれば音がするけれども、片手では音が聞こえるかという問題です。

いくら頭で考えてもどうにもならない問題ですすが、それなのに〔独参〕といわれるものがあって、

何回も老師もとに引き出され回答を要求されるというものです。

答えようとも答えられない。そこで全身が疑問のかたまりのようになっていきます。

そういう状態を超えて、最後に一瞬の飛躍があって、意識の境界を越えて、仏性のような本来のイメージを見るのです。

こりが臨済宗における悟りの体験である見性です。


この悟りの見性とはどんなものなのか?


非常に情動的なもので、エックスタシーといえるかどうかわかりませんが、

見性の寸前には、自分がどんな状態であるのかまったくわからないような、一種の忘我状態に入ることはたしかです。

以前、南禅時の柴山老師にうかがったら、最後には師のいる独参の部屋まで歩いて行くのに、

壁に突き当たってやっと曲がり角がわかるというような状態だったと話しておられました。

鈴木大拙先生は、最初の見性のときはなんだか無我夢中でさっぱりわからなかったけど、

後でアメリカに行かれてから、掛軸に〔腕外に曲がらず〕と書いてあったのを読んで、はっと思いあたられたということです。

秋山さと子 悟りの分折
朝日出版

[136] 人は練磨によりて光輝くようになる。 Date:2011-05-20 (Fri)
道元禅師は次のように言っておられます。

〔玉は琢磨によって器となる。人は練磨によりて仁となる。
いずれの玉がはじめより光ある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし〕

禅宗では、瓦を磨いても玉にはならぬ。

小坊主僧が川原で瓦を一所懸命磨いていたそうです。
そこに祖師が通りかかられた。
お前は何をしているのか?
はい。瓦を磨いて玉にしょうと思って、一生懸命に磨いているのです。
ばか者、瓦をいくら磨いても瓦だ。玉だから磨けば光を発するのだ。

ダイヤモンドも山から掘り起こしているだけでは、輝きはない。
悪い部分を切り取って、さらにカットして磨いていくと綺麗に輝いていきます。

人は神の子と言われています。
ジャガイモのように土から掘り起こしているだけでは、土だらけのじゃがいも、
土のついた汚い部分を振い落としていけば、綺麗なじゃがいもになります。

罪の子が修行して神の子になるのではない。
本来神の子だから神の子になるのです。

でも、年月と共に不純物や汚れがいっぱいついているから、輝きがない。

泥を洗い落とし、ゴシゴシ綺麗にしていけば、もともとは神の子であり、

さらに磨いて行くと光輝くようになります。


光のかけ橋 日記より 2009-12-08

仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと言う事みたいです。

修せざるには現れず。


弁道話を味わう 内山興正

開悟の〔開〕も〔現成公案〕の現も同じです。

現とは、今までなかったものが現れるという意味での現ではない。

どっちへ転んでも陰顕在没にかかわらぬものをいまここでやるというのが現です。

〔開〕も、これまで閉まっていたものが、いま開くいう開ではない。

開悟といっても、迷っていたのがいま悟りをひらいたいうのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。


自受三味とは、迷っているとか悟っているとか、いままで迷っていたが、いま俺は悟ったぞ、

そんなものではなくて、悟りも迷いも超えて本来自己ぎりの自己だから、この自己ぎりの自己に座る。

これが自受三味です。

今出会っているところが、生命の実物なのだから、そこに生きる、

その修行をどこまでもやっていくということです。

[135] あの世へ持って帰れるものは Date:2011-05-19 (Thu)

財産も地位も名誉も肉親も、また肉体もこの世をさる時に持って帰ることはできない。

すべてが、この現象界を修行していく過程のものにすぎず、これが人生の事実である。

あの世へ持って帰れるものは、人生航路で体験した。一切の善と悪、記憶された想念と行為である。

だから私達は一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきだ。

常に反省する心は、人間を執着から放して行き、魂の浄化にもなるということである。

私達は日常の生活の中から、怒り、そしり、むさぼり、愚かな心を離れ、一切の苦しみの原因を断ち切らなくてはならない。

心の中に悪にとらわれないことが大切なのだ。

心の中の悪にとらわれから離れるということは、利欲、栄華に惹かれる煩悩を捨て、

一念三千の心を常に光の世界すなわち調和の世界におき、利害損得、情欲、地位、名誉、などの執着から離れることである。

すべて、自ら求めることなく、自然な人徳によって与えられる人々は、己に厳しく、常に謙虚であり、誤りのない正法を実践している人々と言える

高橋信次 心の発見(科学篇)
三宝出版


[134] 正しい坐相 Date:2011-05-18 (Wed)
瞑想修行又は座禅修行においては、スカッとする時もありますし、気分が滅入る事もあります。

曇りには曇りなりに、雨の日には雨の日なりに、晴れの日には晴れなりに、その時、その時の生理現象、心理状態がある事が当然であり、それはそれにふりまわされず、その風景として手放しをして行くことが大事だと思います。

内山興正禅師は思いを浮かばなくするというよりというより、因果関係を静かな目で見ていながら、それにふりまわされず、じっと座っていることこそが大切で、祗管打坐(座禅している)ということなんだそうです。
居眠りせぬよう、考え事にならぬよう、いきいきと覚めて、骨格と筋肉で、正しい坐相をねらって、行くことが大切ですね。

道元禅師は座禅することによって、特別な悟りを開くというより、そのための座禅であってはならない。
つまり座禅する、そのことこそが悟りそのものであり、身心脱落であり、座禅するということは、この悟りを今ここで実際に修行し、実物するのみだそうです。

まず、きちんとした実相をねらって、座禅をするという事が求められると思います。
他の兼ね合いをやめて、打算をやめて、自己が自己をする、ただ座禅が座禅を座禅するということかもしれません。

また黄檗禅師は思念をやめ思慮なくせば、仏は自然現れると説いていますね。


ラマナ・マハリシの教えに記載されています。

ディヤーナにおいて心せねばならないことはなんでしょうか?
自己(アートマ・ニシュタ)の内確立された人にとって大切な事は、その没我状態から決して動いてはならないということである。

その真実状態からそれると、彼は眼の前に光輝くものを見たい、常に物音を聞いたり、彼の内部や外部に現れる神々のヴィジョンを事実とみなしたりするようになる。彼はそのようなものに欺かれてはならず、彼自身を忘れてはならない。


[133] 現実を変えていく Date:2011-04-25 (Mon)
良く宗教関係ではカルマの洗い流しと言って、瞑想中していると想念体の中に亀裂が入って、その中に集めて来た、エネルギーが少しずつ解放されて、綺麗な状態になる(神我)になって、カルマの解消が行われるみたいですね

その想念体にデータが入っているから、ネガティヴな事やポジティヴが現象界に表れて来るのでしょうね。
それを○○ヒーリングでは根を掘り起こして、新たにダウンロードすれば元のデータがなくなるから、良い状態になると言うみたいですねぇ〜

あまり良い状態にならないという事は、思いこみや思考パターンを掘り起こして、新たにダウンロードすれば解決されると言う事みたいですが、まだ本当の意味で掘り起こしができてないのでしょうかね?

自分の創りあげてきた現実は書き換える事はできないですが、その中にある記録の中の不純物・不浄なエネルギーを取り除きして行かないと本当の意味で、湖面に映るお月さんのようにそのものが現れて行かないのでしょうかね?

掘り起こし以外のものが必要なのか?
掘り起こして、新たにダウンロードして続けて行くのが適切なんですかね?

コップ(無意識)に集めた(ネガティブなエネルギーが)汚れているのなら少しずつコップに(無意識)に綺麗な(ポジティブ)な水を(思考の置き換え)ダウンロード・足せばその汚れている(無意識)水も少しずつ綺麗な水に変わって行くみたいだからこれが○○ヒーリングなのでしょうかね?

常勝思考のようにポジティヴな言葉で現実を作りかえるもの、
○○ヒーリングのように思いこみや思考パターンを掘り起こして、新たにダウンロードして、現実を変えていくのか?

それとも宗教関係のようにカルマの洗い流しと言って、瞑想中していると想念体の中に亀裂が入って、その中に集めて来た、エネルギーが少しずつ解放されて、綺麗な状態になるという事、
自分は3つのパターンを体験していますが、どれも大切なものだと感じています
これからの課題でもありそうですね。


光のかけ橋 病気治しの体験  

若い時にある書籍を見つけました。その書籍には殆ど現在では解っていない原因不明の病気は自律神経の狂いで、それをつかさどっているのは無意識の影響だと書いていたように思います。

その時に無意識がなんだかの影響で、汚れてしまったならそれをつかさどると言われてる自律神経のバランスが狂いそれによって、病気になるのかと思いました。

コップ(無意識)に集めた水が(ネガティブ)汚れているのなら少しずつコップに(無意識)に綺麗な(ポジティブ)水を足せばその汚れている(無意識)水も少しずつ綺麗な水に変わって言って、元の健康体に戻るんでないかと思いました。

まず、毎日ポジティブな暗示を寝起きとかは潜在能力に暗示が入りやすいと言われますから毎日行い、そして気がついた時にはいつも暗示を繰り返すようにしていました。

多少の汚れ(深層意識の因)ならともかくいっぱいのネガティブなエネルギーに綺麗なお水を少しずつあげてもなかなか澄んだ水にはなりません

一旦、深層意識に沈んだ因は捌け口を見つけて、いつかは意識上に踊り出ると思います。

そこで、この綺麗なお水を綺麗にするのは蓋をあけて、いっぱい集めたネガティブなエネルギーとコップをも壊したらと思いました。

それには宗教の言われてる悟りが必要だと何故か思いました。

それを滅する道があるそれはお釈迦様の言われてる八正道だと思いこれが自分の本格的修業の始まりのきっかけだつたかもしれません。

[132] 霊道法とは Date:2011-04-24 (Sun)
人間は肉体だけではないと思わせる一つかもしれません。
興味があるかたはまず、期待をせずに、霊子術を実行されたらと思います。
実習して行くと、だんだんと身体がユラユラと揺れてくるのです。

身体が動きたいままに任せてユラユラ、グルグルと動いて行きます。

霊子顕道法の中の飛動にもありますが、床から離れてて飛び上がるようになる。
その度合いが激しくなると、室内を飛び回りはじめるという激しい運動に初めはびっくりするかもしれません。

でも、徐々に激しさはおさまって行くと思いますよ。
実際はこの運動は、これがとても気持ちがいいみたいです。
揺れてくる場所は手や腰の辺りであったり、眼球や首だったりと色々みたいですね。

この霊子術は自己の霊が発動して身体の一部、または全部を震わす術だそうです。この中に「布瑠部 由良由良止布瑠部(ふるべ ゆらゆらとふるべ)」というものがありますが、布瑠部」は“震え”のことのようです。

松本道別(霊学講座)の中にも記載されています。
自動療法 本能療法 形式に多少の差こそあれ、何れも霊道の一種たるに過ぎないと記載されています。

他の方も活元運動なるものをやっていて「貧乏ゆすりに似てるかも〜」なんて書いていますが、
自分としては霊道と言う呼び名は妖しくドロドロしたものと思われますが、無意識によくしている貧乏ゆすりみたいなもので(失礼)と光のかけ橋に書いています。

でも、奥が深くて、カルマの解消や霊言も出てきたりすると言われています。
実際は呪文も道具もいらず簡単に実修できるもので、初心の方でも殆どの方が成功すると思いますよ。
神道系の修行法にもあるようなので、専門家や霊動法専門道場に師事される事を望みます。

まぁ〜○○○○ようなしぐさを?これをいうと危険ですからね。
ちゃんとした指導者について行う事が一番いいと思います。
何をするのにも、ものになると言う事は、なり切る事なんだと思います。
先仏の手本にして、後仏がそれを学ぶーなねぶーならうと言う事を道元禅師はおっしゃっていますからね。


霊道健康法 Date:2009-02-22 (Sun)

霊道健康法は現在では霊道術、霊道法と呼ばれているみたいです。

自分が知る限りでは古代から伝わる布瑠部の術と聞きました。

呪文も道具もいらず簡単に実修できるもので、初心の方でも殆どの方が成功すると思います。

霊道といってもなんだか妖しく思われますが、憑依した霊が発動するのではなく自己の霊が発動し健康や霊道発揮の基本となるみたいです。

霊の憑依現象とかではなく自己内部の衝動の発動によって起こる運動だと思います。

ヒーリングの一部として、霊道健康法を載せました。

自分としては霊道と言う呼び名は妖しくドロドロしたものと思われますが、無意識によくしている貧乏ゆすりみたいなもので(失礼)

自分で意識的に内部に起こる衝動を意識的に誘発して、運動せしめるものと思います。

◎但し医療行為ではなく、あくまで自己責任・自己判断に従って行うようにしてください。
詳しくは専門家や霊動法専門道場に師事される事を望みます。




[131] 太霊道 Date:2011-04-24 (Sun)
田中守平は1884年、岐阜県の寒村にて生を受ける。

田中守平の名は日本オカルティズムにおいて、彼は出口王仁三郎や友清歓真に匹敵する人物であろう。彼の提唱した「霊子術」こそが戦前の霊術ブームの発端であり、その影響は現代の気功法、レイキ、様々な健康法にも及んでいるという事だそうです。

明治39年、彼は名古屋に出て、「大日本青年会」を設立する。
これは、オカルト団体と言うよりは、政治結社であった。要するに愛国心を青年に教えることを趣旨とした団体だ。
これは高級将校の支持も受けたが、そのスポンサーの急死で頓挫する。
彼を危険視している警察の弾圧を受け、1年の禁固刑の後、またもや故郷に強制送還される。
明治41年のことだ。

故郷では山に篭もり修行を行った後、宇宙の太霊を感得し、「太霊道真典」なる著書をものにする。
こうして、彼の霊術体系、「太霊道」が完成したのである。


霊子術

座式顕動作用
0.正座
正座して姿勢を整える。ただ静かに座る意味ではなく、心身共に正しく座らなけらばならない。
座り方は、前は膝頭を広く、後ろは足の重なりを浅く右足裏は左足裏の上に置き、瞑目し、「全真太霊」〜と謹んで黙唱する。
1.両腕前伸
正座して姿勢を整えたならば、次には左右両腕の筋肉を緊張せしめ、指を閉じた状態で手掌に十分に力を加え前に伸ばすのである。この際、手掌に全力で力を込める。特に注意すべきはベルトなどで身体を締め付けた服装で窮屈にならないようにリラックスできる服装で行う。
2.合掌
両腕の筋肉を緊張させて十分にこれを前に伸ばした後、両肘を水平に張って合掌するのである。合掌の際には左右手掌の中指の下部を中心として力を込め、両肘は横にまっすぐに合掌の親指を胸部から親指1本分離して組む。しばらく瞑目し「全真太霊」〜と黙唱を繰り返す。
3.横動
顕動の修法には真点というものがある、それは力を込める箇所を言うので、座式の時には左右手掌中指の約1センチほど下部である。すなわち正座、合掌、瞑目してこの真点に力を込め黙唱を繰り返すこと早ければ数秒、長くても数分にして横顕動を生じてくる。横顕動とは合掌が前後に横動することである。
4.縦動
すでに横顕動を生じ来るときは、それを継続していると自然に縦顕動すなわち合掌が上下に縦動してくるのである。これに意志を加えると前後上下横動縦動自由である。また横顕動も縦顕動も少しも起こらぬという時は意志を用いて顕動を誘発する動機を与えても差し支えない。同時に意志によって顕動を激しくしてもよいのである。
5.飛動
横顕動が縦顕動になり更に顕動が旺盛になってくると単に手掌両肘のみでなく全身が縦顕動するようになってくる。この全身縦顕動はついに座ったままで座を離れて飛び上がるようになる。すなわち飛動してくるのである。飛動の度が激しくなると共に室内を座したるまま飛び回るにいたる。この飛び上がり飛び回るときには目を開いてもOK
6.叉掌
顕動は、横動、縦動、飛動まで進めばまずもってその要領を得たと言うことが出来る。そしてこの顕動は前に述べた合掌の型式によらずして、左右の指を交差して組んで行うことも出来る。これを叉掌というのであるが、合掌と叉掌とはいずれを用いても差し支えないのである。もちろん叉掌にも横動、縦動、飛動が起こる。
7.曲肘凝掌
曲肘凝掌とは左右の両肘を屈曲させ、手掌に充分の力を込めて顕動を起こすのである。これも初めは前後に横動し、つぎに上下に縱動しその次に全身飛動するに至るのである。上下動し飛動するようになれば、その飛動を強いて抑制することなく、自然に任せておくのがもっとも必要である。抑制すると発達しないから注意を要する。
8.曲肘握掌
曲肘握掌は、両肘を強く屈曲せしめて、手掌を堅く力を入れて握るのである。合掌、叉掌、曲肘握掌共に親指が胸部より約親指一本分離れている必要がある。そしてこれらの顕動の場合には自ら筋肉緊張という生理作用が加わってくるが、これはただ顕動発動の当初のみであって、後にはこのような生理作用は加わらない。
9・伸肘
伸肘は肘を前に伸ばして顕動を起こすのであるが、片肘でも両肘でも自由である上、伸肘に至ってはもはや筋肉を強く緊張させるという生理作用は全く必要がない。ただ単に肘をまっすぐ前に伸ばせばよいのである。もっともそれのみで顕動してこないときは手掌に力を込め肘を軽く曲げるのも差し支えはない。
10.垂肘
垂肘に至ってはただ軽く肘を下にたらし何の力も加えることなく単に顕動作用を発動しようと思うのみで、自由自在猛烈旺盛に顕動してくるものであるが、もし容易に顕動がこないときは、強く手掌に力を込めるか、または意識的に肘を動かして顕動を誘発させることは差し支えないのである。

催眠マグログ (引用)
http://magurootoko.blog7.fc2.com/?mode=m&no=1130

[130] ■ クンダリ二―覚醒とは? Date:2011-04-14 (Thu)
クンダリ二―覚醒を心みる方は性エネルギーを抑制する事が大切です。

若い時の性エネルギーはとてつもなく、勢いと熱を生じさせますからね。

若い時にはただ坐っているだけで、温度計のように脊髄の中で上がったり、下ったりしたり、
エネルギーが心臓に上がったりしていました。
あまり心地のよいものではありませんでしたね。

それと覚醒を目指している修行者などは、わざと少し高い所からお尻から落ちて、
尾てい骨を打ちつけたり、薬品を使って、覚醒したつもりになったりしなくても?

期が熟したら火の蛇は尾てい骨から脊髄に昇って行き、クラウンチャクラまで昇り通って、外側の空間に解放されて行くものだと思いますよ。

最後は天にお任せする事が大切です。
自分の命も捨てる覚悟がないと、恐怖に打ち勝つ事はできないかと思いますよ。

恐怖が昇りゆく火の蛇を自分の意思で、抑制する事にもなりかねません。

クンダリ二―覚醒には信仰心を試される時が必ず来ると思いますよ。。
試みる方は決心と覚悟を決めて、励んでほしいですね。

自分なんかは強烈な苦痛に持ちこたえられず、無意識の中で仰向けになったのか?

解からないですが、一瞬は気絶していたように思いますよ。
そして、気が付いた時にはクラウンチャクラから金色の光線がほとばしっていました。

その後には幽体離脱が起こりましたよ。

クンダリ二―覚醒体験は人間のおかされた究極の体験だと思います。

それを乗り越えた者だけが聖者と言われる所以かもしれませんね。

自分は指導者やグルといわれる方に指導された事もなく、自力で覚醒体験しましたが、
今考えると無謀であったと思っています。
それとその覚醒体験した後が大変でしたよ。
行きは良い良い帰りは怖いという(笑)

インドのヨギ―で素質のあった少女がクンダリ二―覚醒で焼きただれて死んでしまったと言う話も言い伝えられていますからね。
修行者が失敗して、焼きただれたり、廃人になったという噂もあるぐらいですからね。
経験豊富な指導者やグルの下で、指導されることを望みます。





光のかけ橋 日記
[41] クンダリ二―上昇の様子 Date:2010-04-21 (Wed)

脊髄にそって気の流れが上昇し始めてたら、脊髄の中に温度計のように上がったり下がったりする暖かいお湯のようなものを感じたり、

脊髄付近がチクチク痛みがあったりすると思います。

気の熱があまり上がらなくなった時には丁度スヴァディスターナ(下から二番目のチャクラ)のまわりで、

気が萎んでしまいシュシュと水蒸気のようなものが萎んで行く感じがします。

そうなったりしますと、気の熱をまた整えたり性エネルギーを漏らさず、活性化する事が大切だと思います。

暖かい熱エネルギーが上がって行く時に、必死に抑えようとしても、急上昇する時には止める事はできません。


異変を感じて、尾抵付近になにかゴトゴトする感覚と焼き鏝をあてられてる感覚を感じかもしれません。

例えようのない恐怖、胸騒ぎとこれ以上ない心臓の動悸、息切れ地響きではないかと思うぐらい身体の揺れがあったりもする事もあると思います。

または不安や恐怖で髪の毛も逆立ち、もうこれ以上持ちこたえる事が出来ず、意識の限界を感じるかもしれません。

その時には信仰心を試される気持がすると思います。

頭頂からクンダリ二―が抜けて行ったならいいんだけど、クンダリ二―頭頂から抜けていかず、

頭頂に気が集まったらとても違和感を感じて、不安や絶望の中で恐怖を感じるかもしれません。

その時には大周天や小周天をしたりグル(指導者)に相談、指導をお伺いするのが大切です。

それとゲンゴツを叩くのも良いかもしれません。

クンダリ二―覚醒だと思っても殆どは偽の体験に終わった者ばかりと聞きます。

クンダリ二―がハクションしたかもしれないと言う感覚は自分が一番解かってしまうと思います。

準備が整ってないうちにクンダリ二―覚醒をおこしたなら精神異常やクンダリ二―が脊髄を通って、

上に登らず内臓の中に入り内臓が焼きただれて、死にいたる者も今まで居たと聞きました。

インドのヨギ―で素質のあった少女がクンダリ二―覚醒で焼きただれて死んでしまったと言う話も言い伝えられています。

やはり経験豊富な指導者やグルの下で、指導されることを望みます。

それとクンダリ二―覚醒体験は人間のおかされた究極の体験だと思います。

それを乗り越えた者だけが聖者と言われる所以だと思います。



光のかけ橋 クンダリニー覚醒

◆クンダリニー開発のもつ危険性は充分認識しないといけないし、生半可な初学者が独学で実修できるようなものではありません。

◆修業を積んだ経験深い師匠からの明確な指示がない限りこのおそるべき蛇の火の実修を行なうべきではないとされています。

◆宗教(心霊力、超能力)などに興味を持ちクンダリニーを覚醒させようとある種の行法を取り組むことは非常に危険です。

◆必ず修業を積んだ経験深い導師とかに相談することを進めます。

◆なんだかの偶然によりクンダリニーを目覚めさせてしまったなら経験深い師匠に必ず相談してください。

◆この恐るべき蛇の火が目覚めて、コントロールできずに肉体的苦痛や身体組織を損傷し生命さえ奪うこともあるそうです。

◆クンダリニーをおろすことに失敗して高熱を発したまま死んでいった者も随分いると言われていますからヨガの導師や経験豊かな人に指導を受けるようにしてください。

◆このクンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でもごくわずかだと言われていますが、それは世襲的要素が難しく、精神的、肉体的に 資質が関係するように思いますし経験深い師匠がなかなかいないのが実情だと思います。クンダリニー覚醒体験者で、本山博と言う経験深く修業を積んだ巨匠がいますが、必ずそのような経験豊富な修業者に相談する事を進めます。

◆生半可な初学者が(心霊力.超能力)を求めて、修業して摂り返しのつかない事にもなりかねません。

◆修業者は自我を滅して、心の進化させるトレーニングを怠らずに人格者になるように努めなくてはならないと師匠に言われた事があります。

◆自己を練磨して純粋意識を達成するようにせず心霊力、超能力を求める事は非常に危険ばかりか摂り返しのつかない事態が必ず発生するから修業を積んだ経験深い導師、師匠にご指導してもらえるようにしてください。

◆クンダリニー覚醒が起って、如来とか菩薩の再来だと勘違いをし自分を優越感に浸れば本道を踏み外す事にもなりかねません。

◆クンダリニー覚醒は悟りの第一歩だと自分を戒め次のステップに進むように心がけてください。


[129] ゴーピ・クリシュナのクンダリニー覚醒体験 Date:2011-04-14 (Thu)
覚醒・至高体験の事例集に記載されていました。

ゴーピ・クリシュナ

ごく一部の研究家やヨーガ行者のあいだでしか知られていなかったクンダリニーの教説が、

世に広く知られるようになったのは、ヨーガ行者ゴーピ・クリシュナの『クンダリニー 』という著作が1967年に英語で出版されて以来である。

この著作でゴーピ・クリシュナは、自分自身のクンダリニーが覚醒していく過程をつぶさに、

かつ具体的に語り、その身体的・精神的な変容の有り様を克明に記録した。

この著作は、東洋の行法に関心をもつヨーロッパやアメリカの若者たちに広く読まれ、クンダリニーを覚醒をめざしてヨーガ行法を行うものが続出したという。


ゴーピ・クリシュナは、1903年にインド・カシミールに生まれた。父が世捨て人同然の修行者となってヒマラヤに入ってから、

母の期待と愛情を一身に受けて大学に進学。しかし読書に夢中になりすぎて、専門課程への進級試験に落第してしまう。

その挫折を契機にして熱心なヨーガの行者となり、昼はカシミール州政府の中級官吏として黙々と堅実な生活を続けながら、

毎朝早く休むことなく瞑想の行を続けるのである。


それから17年目、34歳の時、突如として予期せぬクンダリニーの上昇を体験する。

それは最初、筆舌につくし難い至上の幸福感をともなったが、しかし直後に死と隣り合わせの危険と辛苦に満ちた体験に変わる。

クンダリニーがシュスムナ管以外のナディ(管)、特に脊髄の右側にあるピンガラから誤って上がると、

心身にきわめて重大な混乱がおこり、制御できない体内熱のために時には死を招くことさえあるという。

彼は、その最悪の場合を体験をしのだ。「体内の器官や筋肉が花火で焼き切られるような、

無数の灼熱の針が身体中を走りまわっているような」苦痛が数週間も続いた。精神錯乱の一歩手前までいったとき、

ふと正気にもどった彼は最後の賭けをする。もしクンダリニーがシュスムナ管の右側のピンガラを上ったのであれば、

その左側の気道イダを開くこどでピンガラの焦熱を中和できるのではないか。


彼は、最後の気力をふりしぼって一心にイダの気道が開くように念じる。すると、それを待っていたかのように奇跡が起こったのである。

 「パチンと気道に音がしたかと思うと、銀色の流れが白蛇の這うがごとく脊髄をジ グザグ状に動いて昇り、

最後に生命エネルギーの光り輝く滝となって脳髄に降りそそいだのである。

それまで3時間あまりも私を苦しめていた火焔にかわり、至福の白光 で私の頭はみたされた。

少し前まで私の神経組織をはせめぐっていた火の流れが、このように突然変わったことに驚き怪しみながらも、

私は苦痛がやんだことに深い喜びを感じていた。」


こうして危機を脱したのちも、クンダリニーの光は、彼の中で不断に発光し続けた。

それはもはや、焼きつくすような熱気ではなく、すべてをいやす快い温かさをともなっていた。

その光によって彼の脳や神経組織は再調整され、意識は、確実に覚醒に向かって拡大していった。

[128] 3 つのパターンの体外離脱 Date:2011-04-02 (Sat)
体外離脱には完全にリラックスする事が離脱には欠かせないものだと思います
それによって、バイブレーションを引き起こし、タイミングを見計らって、離脱すると言うものです。
結構訓練次第では、誰でも離脱できる可能性があるものだと思います。
昔CDを聞いていた時に振動が湧きおこって、これは自分の異常体質だから仕方がないかなぁと思っていましたが、体外離脱をした時にやっとこれかと理解できました

夢の場合は体外離脱と少し違って、リアル感覚は少し落ちている感覚があります。
バーチャル的に夢の一部を使っての離脱かもしれませんね。
寝落ちする事が多いと思いますが、意識を保つようにするには瞑想や座禅とかお勧めします。

幽体離脱はクンダリ二―がクラウンチャクラに上った時に幽体離脱した事がありますが、
その体験は今まで数回程度しか出来なかったですね。
ほんと重力をまるで感じられず、とても軽く爽快そのものでした。
精妙な光の振動みたいに身体が輝いて、意識も鮮明に感覚が濃厚に感じました。
これは非常に爽快感があって、シルバーコードに繋がっている事も解かりました。

クンダリ二―覚醒した時にクラウンチャクラが活性化して、幽体離脱したものだと思いますが、
多分、死の瞬間がやって来る離脱と同じものかもしれませんね。
あるお坊さんは生きている時に死に切れと言っていましたが、死んでも死なない命を生きる事が非常に大切な事だと思いました。

誰もが幽体離脱できるものではないと思いますが、肉体や心の修行をしていて、機が熟したら、
クラウンチャクラの目覚めを体験して、いつかはコントロールできるかもしれません。
この幽体離脱の体験は筆舌には伝えられないですね。
人間とは何か?
何者か?とつくづく思い知らされた事です

多分。3つの離脱体験した者はあまりいないと思いますが、自分としては古庵の自慢を言うつもりもないですし、古庵を大きく見せたいから言うのでもないです。
いつも言っている事なんですが、体験はあくまで体験だと思っています。
体験したから、霊的に優れているとはありません。
ここは勘違いしないようにお願いします

体外離脱を教えたりしている方には失礼なんですが、古庵個人の見解はそれに囚われる事もなく、あくまで体験の領域にしか過ぎません
実際体験してしまえば、それ以上でもなく、以下でもないんです。
でも、興味がないと言えば、実はそうなんです(笑)
あえて言うのなら、幽体離脱だけはしたいなと思ってはいますけどね。
この幽体離脱をコントロールする事は至難の技ですよ

自分の中には根本的に真理が身に付き実践出来てこそと言う思いがあります。
それが根底にあるから、どんな体験しても体験はあくまで体験なんです。
裏をかえせば、真理が身に付いてない、思いも行いも実践できてないと言うことなんです(涙)

その真理を伝えたい思いがありますからね
悟り(見性)体験した時に、その時に感じた事なんですが、自覚が大切なんだと気が付きました。
この体験した時から、言葉に伝えられないものを伝えたい
それには正法を学び正道を実践すれば。誰であろうともその道を進んでいけると言うものです。

それと正道を実践してこそ、悟る事ができると思っています。
それには正法を学び、正道を実践している師の下で学ばないといけません。、
良くグルは大切だと言われていますが、そのグルに出会う事がすべてと言っても過言ではないぐらいだと思っています。
古庵もグル(師匠)に出会わないと生きていける事はできなかったし、今の自分もなかったです。
運命としか言えない、導きであったと思っています。




[127] 釈迦の瞑想 Date:2011-03-23 (Wed)
八正道は、人間をして、中道を歩ませる規範であります。天国に繋がるかけ橋です。

左にかたよらず、右に曲がらぬ中道への道、つまり神性、仏性への道、正覚への道なのです。

すなわち、一、正しく見ること、一、正しく思うこと、一、正しく語ること、一、正しく仕事をなすこと、一、正しく正しく生活すること、一、正しく道に精進すること、一、正しく念ずること、一、正しく定に入ること、の八っです。

この八つの規範の1つが欠けても、中道の道は歩めないし、正覚を得ることも不可能であると説いています。

また、これ以上であってもいけない。たとえば戒を守れとか、瞑想のみの生活を送れとか、苦行せよ、といったようなものです。

それは釈迦自身が、いろいろな経験を通して得た中道への道は、八正道以外にないと悟ったのであり、

八正道こそ、真理に繋がり、この世に人間が生存するかぎり、その真理は生き続けていくものであるからなのです。


高橋信次先生の説いた八正道の中の一つ正定を説明しています。

正定(しょうじょう、正しく反省する・禅定する)

正しく定(じょう)に入るとは、今日一日をふりかえり、八正道の正しさに反した想念と行為がなかったかどうか。

あったとしたら、どこに、なぜ…というように静かに反省し検討することである。

そして正道に反したことは神に詫び、明日からは絶対に二度と再び同じ過失をくりかえさないように努力することである。

つまり、正定の第一歩は禅定という反省的瞑想から始まり、

第二は反省後の心の統一、第三は守護、指導霊との対話‐‐‐第九は釈迦、イエスモーゼの瞑想である。


座禅の目的は心をカラにし、その空の中から己を見い出そうとし、一般的には無念無想になることが仏を見性することになるという。

ところが、釈迦が教えた瞑想はそうではなかった。

釈迦の瞑想の目的は反省にあって一日二十四時間の、正しい生活をめざすものであったと高橋信次師は教えた。

瞑想のための瞑想ではない瞑想的反省は、こうした心のゆがみを修正して本来の丸い豊かな心にするためにあるのである。

反省する場合に大事なことは、まず自分の善い所、長所をしっかりと知り、

自分にはこういうよい所があることを確認した上で、悪い所欠点はないか、ということを反省することである。

そのような反省をすると、欠点を長所に置き替えることが楽になる。

ところが反省というと、悪い欠点だけを探そうとするから、反省することが苦しくなり、

自分がいやになる。そして、悪い所だけ、不満足な点だけを見つけて探し出しているから人生が暗くなり、

自殺者が出たりするのは、そういう反省をするからであると知らねばならない。

 

Youtube-GLA関西本部

http://www.shoho.com/


[126] 己心の魔をなくす方法 Date:2011-03-22 (Tue)
正法が流布される時には、必ず魔が競い立つと言われています。

魔はお釈迦様の教団内に暗躍を重ねて、弟子達の心の中に入り込み、手を変え、品を変え、ゆさぶり続けたと言われています。


イエス様の時代もそまざまな妨害がイエス様の身辺に起こり、常に薄水を踏む毎日であったみたいです。

またモーゼ様の場合でも、外部から直接攻撃があったと思うと、今度は内部から動揺が起こり、神様を信じる人々の心の動揺が広がったと言われがあります。

それらを考えますと、とても自分などの凡人はひとたまりもなく呑み込まれてしまいます。


魔にとって、正法は大敵であって、地上に浸透してき、人々の心をあやつり、地上の欲望を果たしていくみたです。

一念三千の心はどこへでも通じるように出来ています。

人はみな、天使と悪魔の両方を併せ持っているみたいですからね。

魔は良く自分の心にある、内から外へ。外から内に向かって、常に揺れ動くもみたいですね。

魔に支配されそうな人は金銭欲、地位名誉、権力、虚栄心を満たそうとする人々です。


高橋信次氏などは、波長の原理によって、心が暗くなるから魔が近寄ってくると言われています。

病気や不幸のどん底にあってどうしても心を明るくできるか解からないと言う人は、

子供時代の幸せであった事などをありありと思い出して瞑想することから始めれば良いと言っています。

そうして、美しい、調和された光の中に、美しい粧われている自分の姿を瞑想する事です。

魔や悪魔があって、油断をすると自分を傷つけるかもしれないと言う恐怖心を、あなたの中から一掃して、

「我は力なり、われはひかりなり、我は常に祝福されているこれからよい事ばかり現れてくる」と信じる事をしなさい。

歩いている時、仕事をしている時、車を運転している時、掃除をしている時、とにかくとんな時にでも、
「神のみがある」「光のみある」「真我のみがある」「」と、心の中で念じる事

そうすれば魔に支配される事は絶対にないと言う事みたいですね。

その念が強くなると、怒ったり、憎んだり、するような己心の魔はなくなり、あなたの心も、
周囲も光の世界に輝いてくるのです。

善悪二元論の立場に立ち、善なる心を持って、相対的に悪の心をなくしょうと考えている間は悟る事はできないのです。

高橋信次師のことば、
園頭広周 正法出版

[125] イマジネーションは現実 Date:2011-03-22 (Tue)
非物質界では、想像したものは現実だと言われていますから、

自分の信念によって創りだされる現実は真実となるのでしょうね。

非物質界では一瞬にて思った事が現実になると聞きます。

非物質界では人を殺しても、強姦していると想像しても現実になるみたいですね。

ある教祖などは、この現実の世界でも人を殺めることを想像したら、殺人と同じ事だと言っていました。


すべてあなたが想像できるものは現実、あなたが想像してしまうすべて現実みたいです。

天国も地獄も自分達の信念によって具現化してしまうといいます。

結局は地獄や天国は自分が作りだしているみたいです。

自分の中にある自分の信念が創りだして結果が現れてくるみたいですからね。、


興味深い事をバシャールは言っています。
イマジネ―ション(想像)と空想の違いを使いわけさしてくださいと言っています。

イマジネーションは現実であり、空想は非現実であると考えてないみたいですね。
イマジネーションも空想も両方とも現実であると言っています。

イマジネーションはこの物理次元の中である程度達成できる目標を示し、
空想の方は現実ですが、ただ、この物理次元での生活には応用できないというだけと言っています。


BASHAR(引用)

自分がこうだと信じていることによって現実ができます。
あなたが死ぬとすぐに、自分が死んだとき持っていた観念がそのまま現実となって現れて来ます。

キリスト教信者で、死んだ場合、自分は本当に天国に行くと信じていたのなら、
彼らは天国がすぐにやってきます。

仏教徒ならその人が信じている天国がやってきます。
そしてそれを体験している間に自分達の考えがちよっと変わると、すぐにその台本がパッと変わって行きます。

天国や地獄だとか外にあるものではなくて、ほんとうは自分の中にある考え(イマジネ―ション)だと言う事なんだそうです。

おもしろいのは自分が地獄に行くのではないかと思っている人というのは、自分の想像力
を使って自分がそこにいると感じる事ができる。

ところが、地獄にあまり長い間いたいと思う人はいません。
その中で自分の考えが変わったら地獄は消えるといいます。


バシャール [単行本] ニューメタフィジックス
ダリル・アンカ


[124] 八正道の正しい基準は何か? Date:2011-03-22 (Tue)
お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。

高橋信次と言う巨匠がいましたが、八正道とは己の心を中道という調和にひきもどす神の模範であり、

その模範に無理がなく、心が自然についてゆける自分自身になった時に、ひとは初めて菩薩行をなしえるのであると言っています。

そこで正しいと言うのが問題になってきます。八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の言う正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。

お釈迦様は八正道なくして悟りへの道は開かれないと言われていますからね。



[123] 直感を鋭くする。 Date:2011-03-14 (Mon)
イマジネーションをして、会話しているフリして、ガイドに繋がったり、
インスピレーション(直感・ひらめき)を鋭くする方法はスピリチャルを学んでいる方は良くしているものです。

でも、これを言うのは心が少し咎めるんですよ。
自分はこう言ったスピリチャルな事を習ったりはしてはいませんでした。

どちらかと言いますと、密教や座禅寺などにお世話になった方だからね。

これは一般方にはあまり知らなくて、密儀に属するものなのですかね?

実際はイマジネーションや想像しているものは真実だと言われています。

まぁ〜そう言ったセッションやワークを通して、教えているティチャ―に学ぶ事がいいかもしれませんね。


バシャールなどはフィジカマインドをリラックスさせて、イマジネーションやインスピレーション(直感・ひらめき)を通して、
ハイヤーマインドとコミュ二ケートをさせる能力(プログラム)です。
イマジネーションやインスピレーションは2つをつなぐプログラムなんだそうです。

リモ―ト・ビューイングなどは、頭に浮かんだ映像は、間違いである事が多いと言っています。
頭に残っているデータを元に脳がイメージを創り上げてしまうと言われています。

左脳が邪魔をするから右脳がとらえた情報を有効にして、左脳を黙らせる事、つまり考える事をさけられる事ができたなら、右脳で得た情報を意識に移らせるというこんなんだそうです。

実際のトレーニングなどは、3秒以内に書いたりするようにすれば、左脳が考える余地を与えないから、間違った情報を排除できると言っています。

また別なティチャ―などは、自分の考えや心の中のおしゃべりを区別すると言う事みたいです。
自分の情報は私にやってきているのですか?
私からやってきているのでしょうか?
こう言ったことで自分で判断できると言うみたいです。

そう言った心のおしゃべりをなくすのは瞑想が適していると言われています。
でも、心を空っぽにしていたり、ネガティヴな思考になっていたりすると、闇と言うか?
ネガティヴな存在が入ってきます

類は友を呼ぶ法則がありますから、お釈迦様の言われてるように、ハ正道を実践しないといけませんね。
間違っている思いや行動を嘘のつけない心で、反省や悔い改めをして、心の浄化に努めないといけませんね。



[122] 覚醒体験 Date:2011-02-24 (Thu)
バーソロミューの書籍に記載されています。

もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。


お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこりほほ笑まれました。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心から心に伝わっていったものだと思います。

そこに居た大勢の修行者の方はみんな理解できてなかったというものです。


山田無門老師こう述べています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である。


これは覚醒体験を述べられていると思います。

スピリチャルな事をしていたり、またそれを目指している方がいっぱいいますが、

こういた体験は極めて稀なことだと言われています。

それは正道を実践されている師の下で、ご指導を仰ぎながら正法を学び、正道を実践する以外は道は開けないものだと思います。

一人よがりの覚醒や霊的目的ばかりを追求していては、危険なゆえに自己満足の世界に浸り、

進化の過程を遅らす事にもなりかねません。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになった意味も、

鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったその意味が解かったとしても、

クンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でも滅多にない体験だと言われても、

覚醒や悟り(見性)体験しても、体験したから霊性が高いと言う事ではないと思います。

体験はあくまでも体験だと思います。

失礼があったらいけないから、これはあえていいますが、古庵個人の見解です。

西遊記の話の中に孫悟空が雲に乗ったりして遠く走り、そこで見つけた柱に自分の名前を書いて得意になって、

帰ってきて報告をしたらそれはお釈迦さまの指に書いた名前だったと言う話がありました。

所詮威張ってみても、やってることは小さいと諭した話がありました。

イエス様の愛やお釈迦様の慈悲を説いておられる、実践してこそ霊性が高くなるものだと思っています。

古庵個人の見解は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけだと思っています

今まで体験した事は西遊記の話の中のように、お釈迦様の手の中のちっぽけな存在です。


高橋信次先生は言っておられます。

八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃる理由がまさにここにあります。

八正道は小乗であって、小さな悟りと言われているそうですが、正法には大乗も小乗もないそうです。

八正道が実践できてこそ、霊性が高いと言われるものだと思っています。



[121] 人生は思っておるよりも短い Date:2011-02-14 (Mon)
今年の大河ドラマが始まっていますが、信長が江との会話のひとコマの中に、

信長は江の前に進み出て、じっと目を見て、言いました。

「己の信じる道を行け、江」

「思うておるより、時は早い。人生は、短いぞ」というものがありました。

そう〜人生というものはとかく短いものだと思います。

ほんと思っているよりも早いものだと感じています。


多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまっていると言われています。

人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

あの世へ持って帰れるものは、人生航路で経験した一切の善と悪、記憶された想念と行為である。
だから私達は、一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきなのだ。
(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 46頁)

私達がこの世を去るときには、経済も地位も名誉も持っていくことができないこと、人生経験の善悪に対する一切が記憶された意識、すなわち魂を持っていくのみであることを悟るならば、
(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 113頁)

あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。

まずは、良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践されたらと思っています。


[120] お釈迦様の教え Date:2011-02-14 (Mon)
○ 人は人に与えた喜び、悲しみだけをもってあの世に逝くのだ・・・釈迦

  釈迦は来世のために今、世の中に善い事をたくさんして功徳を積めと説かれています。

○ 人間の修行とは、他人に喜びを与えることである

○ 心を作るのは言葉、言葉は心のあらわれ

  人の心を楽にする言葉をいつも心がけて使うことが大切です

○ 心を磨くとは、周囲に感謝し、人に喜ばれる存在になる。

○ 心とからだにいいことをしよう


  ★ 身体にいい事(暴飲・暴食に気をつける。禁煙・適度な運動・バランスのいい食事・休養・など)

  ★ 心にいい事(プラス思考・ストレスを残さない・皆さんに喜んでもらえることをする。
正しい行い・正しい言葉使い・苦難を感謝の心でうけとめる等)

  ★ 仏心(魂)が一番喜ぶ心とは・・・・慈悲の心(他に対する思いやりの心)感謝の心など。
 
  ★ 仏心(魂)が一番嫌う心とは・・・・欲望・怒り・愚痴(道理をわきまえない愚かな心の事)

  ◎ 仏心とは、本来一切の衆生(しゅじょう)に本来備わっている仏性のことで、自分のことはさておいても、
           世のため人のためにつくそうという心です。自分を中心とするから苦しむのです。
           仏心に目覚めれば苦労も生き甲斐に変わるのです。

  ★ 衆生(しゅじょう)とは、この世に生を受けたもの全てを意味する仏教用語。
                特に、業の深き人間を指すことが多い。

   ◎思うままにならないことを思うままにしようとすると、四苦八苦 になるわけですよ。
    思うままにならないことを思うままにしようとしなければ、
    それなりに 楽しく生きる 方法はあるわけです。

(著者:ひろ さちや こころが軽くなる御仏の智恵 より)


高橋信次先生などは、悪循環の最たるものは、愚痴、怒り、足る事をしらぬ欲望だと言っています。

今世の原因が清算されない時には、あの世に持ち越し、来世でおさらいしなければなりません。

もう一度、今世と同じような環境の下で修行し、己の魂をもう一度テストしなければならないのです。

こうしたところ原因があり、悪循環からなかなか抜け出せないのです。

この心の山毒をよくよく心してしなければなりません。

自分の失敗や罪を隠そうとしてはなりません。

内なる神の生命を表現すると言う試練に失敗したということなのですから、

成功するまで試みればよいのです。

だから反省しなければいけないが、いつまでも罪を嘆く必要はないのです。

倒れても起き上がれ、それでも倒れたらまた起き上がれ、あなたはついにそのことを成功するのです。

[119] あらゆる体験 Date:2011-01-31 (Mon)
バーソロミューの旅日記(上)に記載されています。

何を対しても魅力も罪悪感も感じなくなった人が人間業を完了した人と書いています。

こうして見るとあらゆる面を体験し、何ものにも囚われないと言う事が大切なんだと思いました。

この世は合格、不合格はないと光のかけ橋の日記に書きましたが、

この世に生まれてくる時に人生の中で不運、挫折を味わい

これ以上ない苦難によって魂が目覚める体験を設定して生まれてきた者もいます。

失敗体験は成功に至るスティツプでもあり右もあれば左もあるし上があれば、

下もあるまた善もあれば悪もある成功、挫折も二面的なもので、

調度コインの裏表みたいですし両方(裏表)を使って完成すると思います。

偉大なる覚醒者が言うのには自分の中で消化されないものがあるから何度も生まれて、

同じ事を繰り返したり何度も同じ境遇がやってきたり、

そこで得られる理解を得たら今度は別のものを渇望して

体験するように自分を駆り立てると言われますし、

もう二度と体験する必要がなくなればここにいる必要がなくなると言っていました。

沢山の方が眠っていると言われます。

これ以上ない人生の苦難によって、魂が目覚め真理生き方の方向性の向きを変えて、

消化されていないものと向き合わせになり、自分が何者かと知る時がきっと来ると思います


バーソロミューの旅日記〈上〉日本編 [単行本]

あなたはあらゆる種類の人間を演じてきました。

まだしていない人はこれからそうするでしょう。

最終的には、人生のにあらゆる面をすべて体験し、数々の人生経験を通して悟りを得、何を対しても魅力も

罪悪感も感じなくなった人が人間業を完了した人と言えるでしょう。

その人たちは好き嫌いを超えた次元にいるのです。

自分がそんな事をするなんて夢にも考えられないと思うほど嫌悪するという行為がまだ存在する人は、

いつかその行為を体験しなければならないかもしれません。

それをしなくてすむ為には,嫌悪する行為をする傾向が自分にだってほんの少しはあるかもしれないと考えてみ

て、そうした行為にたいする罪悪感を少しずつ和らげることです。

嫌悪するものと自分がまったく無関係の別々のものではないかもしれないと感じはじめると、

嫌悪する行為を生む心理が理解できます。

そうして、はじめて、人は人間の可能性のすべてを含んだ全面的に完全な人間になれます。

自分に嫌悪感を感じさせるものを充分に体験します。

もはや嫌悪感は未来への怖れではなくなり、単に潜在的な可能性の一つになります。


バーソロミューの旅日記〈上〉日本編 [単行本]
バーソロミュー (著), Bartholomew (著), Mary‐Margaret Moore (原著), ヒューイ 陽子 (翻訳), メアリーマーガレット ムーア

[118] 蒔かぬ種は生えぬ。 Date:2011-01-22 (Sat)
天に唾吐けば己に降りかかり、天に石を投げれば己に帰って来る。

捲いた種は自分で刈り取らねばならない。           
 
蒔かぬ種は生えぬ。自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う事は自然の論理だと思います。

それに自分が行ったものはブーメランの如く山彦のように自分に返って来ます。

それは今世の中で返って来るか、来世で返って来るか解からないですが、

これらは真実だと思っています。


人の意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間テープが回転し、

その方の想念と行為を記憶し続けています。

この想念体の中に宿っているエネルギーはカルマの巣だと思います。

その想念体にあるカルマの巣を浄化する事がとても大切だと思っています。

それには、正道を実践しておられる師の元で修行し、釈迦様キリスト様が説いておられる正法や正道を実践する事が大切ですね。

それと八正道を実践する事がなによりも大事な事だと思います。


毎日、生活して行く中に良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践されたらいいんです。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。


バーソロミューの中に記載されています。

カルマなどというものはありません。

ただあるのは、過去の瞬間の記録として人がこの瞬間に持ち込むものだけです。

あなた方は人生を体験する為に創造しているのですから、どうぞ充分に体験してください。

カルマの一時的なものです。

過去の行為にもとづいてカルマを創りたければ、この瞬間、どのような状態でも好きなものを確実に創る事ができます。

あなたはあらゆる瞬間に(自分)を創造しているのです。

あなたは一瞬にして機嫌を直して愛を受け入れ、現在の瞬間に意識を置く事ができます。


こうみてくると業はかぶるものではなく、自分がつくるものだと思います

信者の業を教祖が肩代わりし、

その為に教祖が人の悲しみや苦しみや罪を背負ったとしても、肩代わりはできないと思います。

信者が業を肩代わりして貰って、安心して安らぐ事ができると言う事は、真実や現実からかけ離れているのではないでしょうか?

結局は、自分を救う者は自分しかいないことだと思います。

[117] カルマを解除? Date:2011-01-21 (Fri)

カルマのブロックを取り除いて、カルマを解除すると言うものがあります。、

地球での輪廻転生中、今まで積み重ねてきたすべてのカルマを解除するみたいな目的のワークがありますね。
全カルマ解除○○ワーク?


今まで地球上に転生してきた分、そして今世の「今」の時点までの、

全てのカルマを解消・消滅させることを可能にするテクニックだと言われているものがあります。

はたして本当だろうか?


人間は永遠の魂修行をしているという転生輪廻観にもとずくものなら、

そのいま起こっている試練は実は、貴重な魂修行の機会であると言う事なんではないでしょうか?

その魂修行の貴重な体験を奪う事にもなりかねないのではないですか?

実際は、そんな全カルマの解除なんてありえないと思っています。


あらゆるカルマの解除といわれているワークやセッションなどを行って来ましたが、

インスタントみたいに、全カルマの解除が出来ましたと言う事はありませんでした


カルマの解消の一つになった瞑想法があります。

想念体中には、カルマの巣みたいに、いっぱいのサイダーの泡如く、エネルギーが詰まっています。

その想念体に亀裂が入って?

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

そのような状態になって、カルマが少しずつ浄化されて行くと思いますよ。


自分の見解は、一遍で全カルマの解除が出きるなんて、とても信じられないですね。

それとカルマの解消が終了したなら、もう〜カルマの法則に囚われないと言うものではありません。

例え、カルマの解消が出来たとしても、また新たにネガティヴなカルマを作って行きますからね。


もし、全カルマの解除が行えるというものなら、

太古から今まで沢山の修行者や修行僧が行って来たものを否定する事にもなると思います。

それが三次元から四次元に地球が移行するから、今は全カルマの解除が行えるといいますか?

自分の見解は、そんなまやかしみたいなものではないと思います。

もし、自分が言っている事を、それを否定いるティチャ―がいるならば、

喜んで、自分が実験材料になりますよ。

ご連絡お待ちしています(笑)


光のかけ橋 日記より

滅罪行〔罪障消滅〕仏教系では一定期間を般若心経などお経を唱えて罪障消滅を修法して、

自分の罪障を除法してくださいと願う滅罪行や神道系でも祈願法と言って、

同じように一定期間に祝詞をあげて罪障消滅を修法すると言うものがあります。


インドではシヴァやアガスティア聖者などによって、カルマの解消があります。

カルマの解消を行えば、10あったものが、カルマの解消を行ったら2〜3ぐらいになるとか、

大けがになる予定だったのが、カルマの解消を行えば、打撲程度になると聞きました。

  
今世で輪廻転生持ち越したアセンションプロセスと言って、アメリカで行われているセッションがあります。

それによるとカルマが50パーセント75パーセントが浄化されると言われいます。

殆どの団体や聖者などは他の方に代って、全解除ができるとは言っていないようです。


苦しみは自分の心がつくり出しているに過ぎないものです。

この世に生まれた目的は魂の進化 (悟りの世界に到達する事)であるということを悟らなくてはならない。

それから、生まれたきた理由の一つとして、カルマの解消というものがあると言われがあります。

カルマを人に取ってもらったり、お金を払ってなくしてもらう事などできないと思います。

カルマは、自分で解消しなくてはならないのです。

あくまでも自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う法則がありますからね。

[116] カルマの法則 Date:2011-01-19 (Wed)
私達を導いてくれるのが「カルマの法則だと思います。

この法則が働いている限り、私達は逃れる事などできないと思いますよ。

それらを乗り越えて行った方がお釈迦様やキリスト様だと思います。

現成公案にもありますが、ひな鳥が親鳥の自由に天空に羽ばたくのを見て、

ひな鳥は羽根をパタパタと習う事であり、先仏を手本にして、後仏がそれ学ぶと言う事がありますが、

キリスト様やお釈迦様の通って行った、正法を学び、正道を実践して行かないと、

いつまで経っても、カルマの法則に縛られて、堂々巡りの状態に陥る事に成りかねないですね。


それでも、いつかは神の元に帰る事になるかもしれません。

どんな辛い出来事だとしても、カルマが返ってきたとしても、それはすべて、神の境地に近づくためのステップです。

「カルマの法則」は正しく成長していくように導いてくれる「愛の法則」なのかもしれません。


これらを実践することが魂の進化につながり、悟りの世界に近づくことになりそうです。

この世におきるすべての出来事は 魂の進化 のために必要な出来事ばかりです。

人生に何一つ無駄な出来事はありません。

苦しみは自分の心がつくり出しているに過ぎないものです。

この世に生まれた目的は魂の進化 (悟りの世界に到達する事)であるということを悟らなくてはならない。

それから、生まれたきた理由の一つとして、カルマの解消というものがあると言われがあります。

カルマを人に取ってもらったり、お金を払ってなくしてもらう事などできないと思います。

カルマは、自分で解消しなくてはならないのです。

あくまでも自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う法則があります。


イエス様も神理の中に、因果の法を語られています。

循環の法則を示されているのではないでしょうか?

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり

汝ら人を裁くな、審かれざらんためなり

汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝ら免し給わん

これは夢物語ではなく、現実な真理だと実は思っています。


[115] カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く Date:2011-01-10 (Mon)
自分の見解は座禅とか瞑想修業が進んできますと想念体に亀裂が入って、

その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのチャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、チャクラがより活性化されて、

健康や若返りも可能ではないかと思います。

原因不明の病気とか今の科学では立証できないカルマ〔因縁〕エネルギーの解消などを取り組む事がとても大切だと思います。


思いと行いの大切さ  (光のかけ橋)

まず健康には日頃の思いや行いが大切かと思います。

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。


この深層意識(無意識)いわれるものを意識上にあげるのはなかなか至難の技だと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

昔、ある師匠が催眠とかは暗示で押し込むからあまり良くないから瞑想とか開放した方が良いと言われました。

この説明は日々の思いと行いの正しさを書きましたけど、病気治しに瞑想、座禅をすれば外道の道になりますし、

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。

自分の体験、言葉は少しでも病気や心の世界の一面を知って貰いたかったからあえて、タブーだったものをあえて書きました。

[114] バランスを取り戻すべき Date:2011-01-05 (Wed)
人生に重要な役割を果たしている人々は、みなそれぞれの理由があって出会っていると言われています。

沢山の方は現世での再会するのは、背負っている心の負債を返済するために魂が計画を立てて、

魂レベルで失われたバランスを取り戻すべき相手と出会い成長し合って転生していると思っています。

袖振り合うも多生の縁と昔からよく言われていますよね。


ある強い感情を持つと言う事は、過去世の何処かで、関係に深みに入ってしまったように

理性では付き合うべき相手ではないと強く思ってみても、突き動かされる感情に翻弄され、

なすすべもない状態に陥ってしまう事もあるかもしれません。

それは契約に付き動かされるような契約を交わして、

現世で再会する相手との間にある困難なカルマのバランスを取り戻す為に出会い、転生しているのかもしれません。

転生している時には私利私欲のために、相手を傷をつけた過去があり、

それによってカルマの負債を背負ってしまって、悲劇や復讐によるカルマを作ってしまい、

その負債を返済という形で、バランスを取り戻し、克服することで強さを取り戻し、

自由な自己実現が出きるまで成長する為に、お互い役割をかえ克服するまで、出会いと別れを繰り返すものかもしれません。


二人の誕生前にお互いの(成長)の為に助け合うことを約束し合って転生していると良く聞きます。

バシャールの書物にも記載されています。

バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けてていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、その関わりある期間中はみなソウルメイトだと言っています。

別の意味では、カルマメイトだと言う方もいますね。


天に唾吐けば己に降りかかり、天に石を投げれば己に帰って来る。

蒔いた種は自分で刈り取らねばならない。           
 
蒔かぬ種は生えぬ。自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う事は自然の論理ではないでしょうか?

それに自分が行ったものはブーメランの如く山彦のように自分に返って来ます。

それは今世の中で返って来るか、来世で返って来るか解からないですが、

これも真実だと思います。


イエス様も神理の中に、因果の法を語られています。

循環の法則を示されているのではないでしょうか?

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり

汝ら人を裁くな、審かれざらんためなり

汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝ら免し給わん。


この世と言う大きな人生の舞台で、誰もが主役演じています。

人生と言う大きな舞台には悪役もいれば、脇役もいると思います。

お互い役割を通しながら学び、成長して行くだろうなと思います。

学びが終われば自然に離れて行き、また別の課題をクリアする為に出会いがあり、人生を織りなして行くのでしょうね。

どう言う舞台を演じて、最初も自分らしく成長できるかと言うことが大切だと思っています。


今世の原因が清算されない時には、あの世に持ち越し、来世でおさらいしなければなりません。

もう一度、今世と同じような環境の下で修行し、己の魂をもう一度テストしなければならないのです。

こうしたところ原因があり、悪循環からなかなか抜け出せないのですね。

高橋信次先生などは、悪循環の最たるものは、愚痴、怒り、足る事をしらぬ欲望だと言っています。

この心の山毒をよくよく心してしなければなりません。

多くの人々は、こうした心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまいます。

人の意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

この想念体の中に宿っているエネルギーはカルマの巣だと思っています。

その想念体にあるカルマの巣を浄化する事が大切だと思いますが、これは至難のワザかもしれません。

それには、正道を実践しておられる師の元で修行し、釈迦様の言われている八正道を実践する事が早道かもしれませんね。


人生は短いもので、あっと言う間に過ぎてしまうと言った方がいますが、あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

まず、それが無理だと思われるのなら、良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践されたら良いと思います。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。

[113] 本来ニュートラル(中立的)なもの。 Date:2010-12-26 (Sun)
バシャールは言っていますね。

すべての物事というのは本来ニュートラル(中立的)なものであって、それ自体に意味はないのだといいますね。

ある物事に意味付けをしているのは、ほかでもない、

私たち自身なのだと言っています。


占いなどもそうだと思いますよ〜

沢山の方は占い師から運勢が悪いと言われれば、運勢が悪い、

または運勢が良いと言われれば、運勢は良いと思いますよね?

これなんかは自分を生きていないのですよ〜

占い師に運命を委ねて、舵とりも占い師に運命を委ねていますよね。

たとえ、占い師から占って貰って、良くない占い結果が出たとしても、

良い結果は受け入れ、ネガティヴなものは受け入れないでいいんですよ。

これはある女優が言っていました。


物事は中立なものであったとしても、何回も思念を繰り返していると深層意識に入り込み、

やがて心の奥深い所に宿る記憶の貯蔵庫から熟成されて、現実に踊り出てきます。

この深層意識は一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、

思いは結果、やがて化けて出てくると師匠が言っておられる事にもなると思いますね。

深層意識に沈んだ種子はどんなものでも、やがて開化し、実を結び実現するのです。


カルマなどもこの深層意識にエネルギーとしてあるのです。

直ぐに現れるのなら、自分でも解かると思いますが、熟成期にならないと、

自分では、理解ができないものだと思いますね。

今世で現れるか?来世で現れるかは、その方によって違ってきます。

自分の心の紐を解き、想念体に亀裂が入って、集めたもののエネルギーが、徐々に表れては消えて行く状態になって、

初めて、カルマとは何か?

理解できると思います。


たとえ、占いの結果が悪かったにせよ、その人にプラスになるように伝える事が、

占い師の腕の見せ所なのだと思います。

物事は常にニュートラル(中立)で、それを味付けするのは、ほかならぬ自分自身です。

多くのテレビ番組で「今日の占い」「今日の運勢」をしていますが、あくまでも、お遊びやゲームの一種なのです。

占いはあくまで、統計学だと思います。

運命学などもそうです。

運命だと言われても、決まりきったものなどはないのです。

いつ何時頃に運命の相手が現れると言われていても、運命の相手になれるかどうかは?

自分の行動にかかっています。

行動しないと、その運命は流される事になりますからね。


深層意識は一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、

必ず、熟成期には現実に現れてきますからね。

一念三千どこに心が向いているか?

たえず、自分の心をいつも見張っていないと、不運・不幸を人のせいにしたり、

それが運命だと言ったところで、仕方がないことです。


■ 実現されると言う法則  光のかけ橋 引用

Date: 2010-07-18 (Sun)

仏教の経典にアラヤ意識というものがあると言われます。

アラヤとというものは物をしまって貯蔵しておく蔵の事みたいです。


DVDの中には沢山のデタ―が入っていると思いますが、そのデタ―には沢山のイメージやビジョンが入っています。

そのDVDみたいに、デタ―を貯蔵しているおく蔵の事をアラヤ意識と言うのかもしれませんね。


深層意識の中にインプットされれば、それが未来において実現されると言う法則があると言われます。

ネガティブなものも、ポジティヴなものも深層意識にもろに飛び込んで来て、

自分の未来の元を作る事になると思います。


アラヤ意識の事を記憶種子とも言うみたいですね。

自分の深層意識に沈んだ記憶種子はいつかは異熟して行くと思います。

丁度、お米やこうじをいれたお酒を作る時にも似ています。

いくつかの原料を混ぜてポコボコと異熟されて行くと思います。


ある書物にの中に記載されていましたが、エマーソンはアメリカの哲学者と言われた人みたいでした。

とても面白い事を言っていました。

全ての現象は偶然に起きるのではなくて、後ろから押し出されてくると言う事と言われていました。


そういってみれば、運命の台本を書くのは自分です。

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で選択もできると思います。

こう言ってみれば、自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。


[112] 主の降誕前夜祭〈クリスマスイブ〉. Date:2010-12-24 (Fri)
“マリアは月が満ちて初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。”(ルカ2・7)

2000年前に、イスラエルのベツレヘムという小さな町で、小さな命としてマリア様から生れた救い主は
イエスと名づけられました。神は貧しい幼子の姿で私たちのもとに来られたのです。


イエスがなぜこの世に生まれたのかについて、イエスの言葉があります。

イエスはユダヤ教の大祭司らに捕らえられ死刑にするようにとの訴えで、

時のローマ総督ピラトの前に引き出されます。

そのピラトの「いったい何をしたのか」との質問に答えたのです。

「わたしは真理を伝えるためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来たのです」

以上ヨハネによる福音18章より

イエスはこの世に真理を伝えるために来たと言っています。

イエスのこの言葉は、その後そのとおりに実現することになりました。

イエスの死(復活、昇天)後から現在に至るまで、イエスの言葉(真理)は世界中に述べ伝えられているのです。

さらには、この言葉の持つ一つの大きな意味は、イエスがこの世に生まれる以前もまたイエスがこの世を去った以後も、

イエスの説いた(伝えた)教えは変わらずに普遍に存在する真理であるということにあるのです。

[111] 「見ざる聞かざる言わざる」の格言 Date:2010-12-23 (Thu)
日光東照宮に有名な三猿がありますね。

見ざる、言わざる、聞かざるの意味

見ざる・・・・・・・目に良いことだけを見る

聞かざる・・・・・耳に良いことだけを聞く

言わざる・・・・・口は良いことだけを話す〜だそうです。


「オーラの泉」ゲストの回での美輪明宏さんのお話です。

世の中には人の悪口で溢れていますが、悪口の話をされても
違う話を振ったり、自分からは悪口を言わないようにすれば、

嫌な気持ちにならず、楽な気持ちでいることができます。

人の悪口を言って憂さを晴らそうとしても、逆に嫌な気持ちに
なってしまいます。

自ら気持ちを切り替えることが大事だそうです。

自分に都合の悪いもの(自分の心をまどわすもの)や、他人の欠点は、

見ない、聞かない、言わない、に越したことはない!という意味です。


無能唱元師も言っていますね。

気分が悪くなるような情景は見ないことだ。また、そういう話題を聞かないことだ。

そして、また、話題として、話さないことだ。私は、すぐさまチャンネルを他に切り替える。


運命の台本を書くのは自分ですよね?

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で取捨選択ができると思います。

自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。

光のかけ橋の日記にも書いていますが、

お釈迦様の言う八正道の中に最初の3つがあります。

正見 (正しく見る) 正思 (正しく思う)正語 (正しく語る)


日光東照宮の「見ざる・聞かざる・言わざる」はお釈迦様の八正道の通じるものがありますね。

お釈迦様がおっしゃっています。

苦を滅する事ができると言う八正道がありますが、その中に正しくと言う事が書かれています。

その正しくとは何か?

そこで正しいと言うのが問題になってきます。八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の書物の中に記載されていますね。

正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。

正道を通して、実践している沢山の修行者が八正道なくして悟りへの道は開かれないと言われていますから、

「見ざる聞かざる言わざる」すなわち正見 (正しく見る) 正思 (正しく思う)正語 (正しく語る)

その入る時や出る時の思考をしっかり押さえておく事を、日々心して実践したいものです。

[110] 心がけを正すという正道 Date:2010-12-15 (Wed)
スピリチャルなものや能力開花を目指している方や、一般の方にも必要な事が書かれていますね。

自分の心がけを正すと言う正道なくして、成長はないと思います。

自分の心を振り返り、心を正すだけでいいのです。


天空編NO2017 (天使のつぶやき)引用

こう記載されています。


お母さんを結界で守るという話しです。

これは、やめましょう。

といういのは、これをしてしまうとお母さんが、幻聴が聞こえるような状態になったことから抜け出ることができないからです。

こうゆう状態は、悪霊が憑いて起こる現象です。

でも、悪霊が憑いていても、心を明るくして素直になれば、悪霊は離れていきます。

素直になるには、心を反省して、自分の心の欠点を減らしていけばいいのです。

とっても難しいように感じますが、やっていけばできないことはないのです。

それをPさんが結界などで、介入するようにすると、一番の原因である、お母さんの心の状態が変化しません。

そうなるとPさんのしたことはお母さんの心の成長を阻害したことになってしまいます。

心を変えることなしで、

「裏の世界」

のものに頼ろうとする風潮があります。

占星術にしても、パワーストーンにしても、○○占い、霊能者の霊視などにしても、

「裏の世界」

の話です。

ヘビの祟りの話しも、あまりそちらの方へ目を向ける習慣を捨てるようにしてください。

霊視などをする人はほとんどが、キツネやタヌキが憑いてしゃべっています。

そしてヘビの祟りなどと教えます。

でも、卵などを供えて一時的によくなっても、こんどは霊視をしたキツネやタヌキが憑いてきます。

これからは結界に頼ることはほどほどにして、まず心を穏やかにして、日頃のありかたを反省するようにしてみてください。

考えてみたら結界はお守りではありません。

正しい心を持った人を悪霊や月人の攻撃から護ってくれるのが結界ですので、乱用は慎んだほうがいいようです


心を明るく素直にしてしまえばいいのです。

明るい素直な心というのは、悪霊の波動とは全然別ですので接点がありません。

家に悪い波動があっても、それを感じることができなくて自分の良い波動が、その家を明るく浄化してしまいます。


「反省することがどれほどの力を発揮するか」

を知る時なのでしょう。

反省するためには、まず自分の心を見つめなければなりません。

見つめる時に

「被害妄想症候群」

があったり

「自己憐憫症候群」

があると、反省ができません。

理屈をつけて自分をかばってしまいます。

まず、自分をかばうことを止めて、自分の欠点や日頃の心の使い方をじっと見つめてください。

自分をかばう気持ちを見つけたら、一刻も早くそれらと縁を切るようにしてください。

そうゆう悪い精神状態と縁を切るわけです。

縁を切ることは今まで習慣になっていない場合は急には難しいのですが、

「心には大きな力がある」


天使はいつも、三日月藻が天使の心に近づこうと努力してトライしようとするのを期待されています。

悪霊というのは、心が素直で明るい人には、寄って行くのが辛いのです。

だから、悪霊は、悪い波動を出している人にだけ寄っていきます。

もし悪霊に寄ってきて欲しくなかったら、自分の心を素直に明るくするだけでいいのです。

Pさんを悩ましているのは月人が関わっているのかと思っていましたが、現象が長すぎるようです。

月人は、三日月藻を長くいじめるほど暇ではありません。

そんな長期にわたる悪行をするのは、そこらへんにウロウロしている悪霊の手下の動物霊ぐらいです。

こんなものを追い払うのは、超簡単です。

心を素直にして、ハハハと明るく笑っていればいいのです。

ミカさんもそれで成功しておられます。

「○○の仕業」

「○○が邪魔している」

「○○に狙われている」

などの発想に陥ると、より、自分を守ろうとする意識が強くなりすぎるために、 自分の心以外のものに頼ろうとしてしまいます。


まず心がけを正すという正道でいきましょう。

自分の心を振り返り、心を正すだけでいいのです。

「自分の心を省みて磨くこと」


天空編NO2017 引用
(天使のつぶやき)

http://slicer93.real-sound.net/0-z-space-2017.html




[109] マザーテレサはこんなことを言っています。 Date:2010-12-09 (Thu)
どんな人にあっても、まずその人のなかにある、

美しいものを見るようにしています。



この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?

そこから始めようとしております。



そうしますと、かならず美しいところが見つかって、

そうすると私はその人を愛することができるようになって、

それが愛のはじまりとなります。

 ―― マザーテレサ ―― 

[108] 試される環境 Date:2010-12-07 (Tue)
霊的に高い人ほど、試される環境に身を置かれる事が多いのかもしれませんね。

辛い体験を選択して、生まれて来た者の中に強さを見てあげてほしいと言った聖人がいました。

その環境を通して、より優れた人格を築いていくためには、

あまい環境のなかでは、霊的に成長できる事は難しいと言われています。

苦しみを通して、魂を鍛えるものかもしれません。


腹をたててはならない。

「兄弟(家族、仲間、同胞等)に腹を立てる者は裁きをうける。

兄弟をのろったり馬鹿呼ばわりするなら地獄の火に投げ込まれる」

イエスは互いに愛し合うようにと説きました。

人に腹を立てる事(怒り)をいましめています。

イエスは、あわれみ(真の愛)深い心と、あわれみ深い行いを、天の国に入るために大切な(必要な)ものと説いています。


イエスの説いた愛はアガペ(理性の愛、慈悲)とも呼ばれます。

イエスは、自分を愛するように人を愛しなさいと説きました。

この言葉には、真実の愛が表現されています。

自分を愛する事は大切な事なのです。

それは、真理に従って示される愛(真の愛、慈愛)を意味しています。

自分だけを大切に思う自己愛(利己愛)ではありません。

また、この世の命(肉体)だけに強く執着する自己愛でもありません。

自分を真に愛する(大切に思いやる)という事は、人間として自然で、当然のこととして、前提されているのです。


自分がつらく苦しい時には、自分をいたわるでしょう。

悲しい時には、なぐさめるでしょう。

さみしい時には、暖かく励ますでしょう。

傷つき痛みのある時には、優しくいやすでしょう。

うれしい事があった時には、心から喜こぶでしょう。

楽しい時には、心弾ませて笑うでしょう。

もしも、怒った時には、静かにいさめるでしょう。

人は、たとえ自分がどのような状況になっても、

その時、だれ一人思うような愛情をしめしてくれなくても、

自分は、精一杯の愛情を、今現在の自分に注ぐでしょう。


自分自身を真に愛せない人は、様々な事が身に起こるこの地上において、正しく生き抜く事が困難となるでしょう。
まして、天国に入る事は出来ないでしょう。

自分を愛せない人は、真に他の人を愛する事も出来ないでしょう。

イエスは、自分を愛しなさい、

そして、自分を愛するように人を愛しなさいと説きました。


天国に入る(永遠の命を得る)ためにそれが大切(必要)なことであると説いているのです。

神の掟(真理)は、愛を伴って行われるときに成就します。

イエスは、自分のしてほしいと思うことを、人にもしてあげなさい、と表現しています。

その真の愛は、欲望の情愛とは異なります。

一方、人をのろったり、軽蔑したり、侮辱したり、怒ったりする事は、天国へ入ることの反対の行いといえるでしょう。
イエスは強い言葉で、やがて地獄の火に投げ込まれると説いています。





[107] 人の最大の敵は家族の中にいるのです。 Date:2010-11-24 (Wed)
祭壇の前に手を合わす時には、父や母をそして兄弟と和解をして、調和をみいだしてから、手を合わせる事が大切だと聞いた事があります。、

御経そのものは釈迦の説法書いたもので、教文の意味を悟り、実践している者が教文を読誦する場合は、

迷った霊はその読誦するの波動(光の波動)によって、浄化されます。

したがって、そういう意味ではお教は供養になるといいます。

地上界の子孫の実生活の調和しかないことを知るべし、高橋信次先生は言っておられます。


真理を実践していると、人を取るか?真理をとるかと言う事がは必ず身のまわりにおきてきます。

迷わず、真理を取るようにしなさいと説いている方がいますね。

イエス様は、父母を敬う(愛する)ようにと説き、隣人を自分を愛するように愛しなさいと、説いています。

イエス様がこの世に来て、真理を説く事により、人々(家族等)の中にそれを信じる者と、

信じない者との争いが起こる事は、不思議なことではないと言っています。

イエス様の説く教えに従うか、従わないかによって、人々の間に争い(反抗)が引き起こされると言っています。

イエス様は、イエス様の言葉(普遍の真理)に従うためには、あらゆる例外をもうけず、

何よりも大切なものとするようにと、説いているのです。



わたし以上に父や母を愛する者は、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。

また、わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。

後生大事に自分の命を守ろうとする者は、それを失いますが、

わたしのために、命を失うものは、かえってそれを保つ(自分のものとする)のです」

以上マタイによる福音10章より(ルカ12章、14章)


イエスは、父母を敬う(愛する)ようにと説き、隣人を自分を愛するように愛しなさいと、説いています。

さらに、それ以上に、何よりも大切なものを示しています。

イエスがこの世に来て、真理を説く事により、人々(家族等)の中にそれを信じる者と、

信じない者との争いが起こる事は、不思議なことではありません。


イエスは、イエスの言葉(普遍の真理)に従うためには、あらゆる例外をもうけず、

何よりも大切なものとするようにと、説いているのです。

さらには、イエスの言葉(真理)に従うためには、この地上の命に執着しないようにと言っています。

それが、永遠の命を得ることにつながると、説かれているのです



k-style (引用)

http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index.html#x3



[106] 天地いっぱいの無字 Date:2010-11-24 (Wed)
座禅でも、瞑想していても、次から次へと雑念が浮かんできます

煩悩・妄想は本来根なし草なのだから、決してそれに囚われてはならない。

無念無想になろうとは思ってはならない

妄想を止めよう、やめよう言うこと自体がまた妄想・煩悩になります。

ある師家の方などは、それは血で血を洗うようなものだ。

血は水で洗わなければ、決して綺麗にはならい。

その血を洗い流す水が、無の字なのである


無の字を間断なく続けて行くと、これまでの悪い習慣や知識や自覚は、すべてとろけていきます。

無の境地が自然に純熱して、やがては天地いっぱいの無になりきる時がきます。

天地いっぱいの無字になりきるところまで行かなければ、無の境地を体験した事にはならない。

我を忘れて、無字になりきったすなわち三味、そのものの、それになりきる。

無が爆発して、我を忘れて、無の字になりきった時に、なんらかの感覚の縁にふれて、本来の自己を悟ると言うものです。


なんやかんやと自分はほざいて来ましたが、生半可な古庵の言う事など、聞かずに禅門の門をたたいて見てくださいね

禅宗には沢山の素晴らしい和尚さんがいます。

思い切り、座禅を出きる所もありますよ。

足がへし折れる、足一本や二本ぐらい無くなってもいい〜足がへし折れてもいいと言う気がまえぐらいないと、

とてもなりきるところまでは行かれないと思います


山田無門老師こう述べています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である。

[105] 悟り(見性)とは? Date:2010-11-21 (Sun)
お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました


今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、時空を超えて、人の心から心にと伝わったと言われがあります。

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心から心に伝わっていったものだと思います。

大勢いた修行者の方はみんな理解できてなかったのだと思います。


日本古代の開祖もお釈迦様の悟りが、心から心に伝わって、また開祖から沢山の修行者に伝わって行ったものだと思います。

このお釈迦様が蓮の花を見まして、摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれたと言う事なんですが、

これは悟り(見性)をしている者しか理解ができないとものだと思います。

お釈迦様の時代に沢山の修行者がいても、ただ一人の摩詞迦葉尊者だけがお釈迦様の蓮の意味を理解できたと言う事なんですね。


この悟り(見性)とはどんなものなのか?

若輩者の自分がいうのも変ですが、一つのものを二つ見ているのが迷いで、一つと見るのが悟りだと言われがあります。

我を忘れて、無になり切る、三味そのものになり切る事が、何らかの感覚にふれて、本来の自己を悟る事だと思います。

何らかの感覚にふれて、初めて仏性を悟ることかもしれません。

古代の開祖が伝えている悟り(見性)を古庵が言うのでしょう?

それは古庵が○○の生まれ変わりや○○○の生まれかわりだからと言うティチャ―もいますし、

1300年前に悟りを開いた者と言う方もいますが、

それは違います。


誰でも、お釈迦様やイエス様の示されている正法・正道を実践し、

正道を実践しているの師匠の下で、修行していたら、道は必ず開かれます。

でも、残念ですか、沢山の方はお釈迦様やキリスト様の示しているものではなく、能力的なものを追い求めている感じがします。

能力的なものを追い求めていたら、その能力は開けると思いますが、

それは心の進化の過程であって、副作用や副産物だから?

それで止めるのではなくて、それをも捨てて行けば、きっと悟り(見性)が開ける事ができるかもしれません。

本来、人間は悟りを開く為に生まれて来るとか、因縁解消をする為に生まれて来ると言われていますが、

その道に沿って、行くことが大事だと思います。


沢山の方が宗教アレルギーを起こしているかもしれませんが、心なき者が宗教と言う聖なるものに手あかを付けた事は非常に残念です。

何事も本物や偽物もあると思います。

全ての宗教が偽物でもないし、学んでいて、可笑しくなるとは思いません。

生きて行く為に書かれた教科書がちゃんとあるんだから、それを学ぶ事が大切だと思います。

本物を見つける眼を持たれたらいいんですよ。



光のかけ橋の項目にも載せてあります。

意識をのり越える時にエックスシーの体験は筆舌では伝えられない限界があります。

素晴らしい気分になり、意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

座禅によって、自分の本性を悟る事が大切だと思います。

座禅は思いを手放しにします。 居眠りをせず考えをせぬようにして、生き生きと覚めて骨組と筋肉で、正しい坐相をねらって行かないといけません。

それと何よりも正道を学んでいる師匠の下で座り、師の恩恵にて悟りを開く事ができると思います。

まさに悟りをテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。



無心で見て聞く  

道元に「聞くままに、また心なき身にしあらば、己れなりけりの軒の玉水」と言う歌があります。

自己を忘れて、無心に聞く時、軒の玉水がそのままで自己であったと言うのです。

芭蕉が松島を見たとき、「松島や あ、松島や松島や」
松島以外の言葉がでていませんでした。

「花は紅、柳は緑」といいます。きのうなずなの花を見、柳の木を見ていたのですが、きょうは全然違って見えたというのです。

白秋は「ばらの木にばらの花咲く何事の不思議なけれど」
歌っています。

「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、
同じ月が、まったく違って見えるみたいです。

自己を忘れて、無心になずなの花を見て、軒の雨ざれを聞いて、自己がそのものになった。

花や軒のあまざれになりきる三昧のとき自己を悟られされると思います。

心も妄念とかある間は見るものも歪んで写ります。

人の心も同じようで、風がふいて波が立つとそこに写っている対象物もぐにゃぐにゃに揺れると思います。

妄念や雑念に支配されなくなるとちょうど、月が湖面に映し出されるように空にもお月さんが浮かんでいるように心そのものだけが現れてくると思います。、

本当の自分をはっきりとつかめないとしてもうっすらぼんやりとかいま見る事ができるかもしれません。

道元や芭蕉のように無心で見て聞く極致になってみたいものです。

[104] そのものになり切る。 Date:2010-11-19 (Fri)
それもなり切る事、なりきった事でと言う事を前にもいいましたよね?

チャネリングでもそうだと思いますが、誘い水をして、会話をしてみたらいいんです。

誘い水を使って、子供が天使と会話しているように、空想でもいいし、

イマジメ―ション使って、会話してなり切る事が大切なんですね


ここで一番重要なのは、心の調和とやすらぎを見出せない方は、

その心の中のガラクタ、ゴミがなくなるまではお勧めできません。

お釈迦様の八正道を実践する事が大変大切なんです

で、ないと、天使と思って会話し続けているつもりでも、

実は低級霊だったりして、低級霊に支配されてしまい、

あげくの果てに、精神分裂になりかねない事になりますからね


チャネリングとか習って、見えない、聞こえないと言う方がいると思いますが、

映写機の光の強さによっては、見えるものが見えないと思うかも知れませんね。

ちゃんと映像には、映像が映っているのだけど、手動のタイミングが合っていないから

見えないと決めつけている方もいます。

自分なんかは、チャネリングのティチャ―を受け入れるのには、少し時間がかかりました。

自分の眼の中には、第三の眼と言って、渦があります。

明けの明星と言って、お釈迦様が言っていますよね。

この明けの明星のまたたきと言われるものなんです。

だから、同じものを見ても、見るものが違いますし、

そういったものから、開く方がいますが、心の中の葛藤や重圧を解放しないと、

いけないんですよ


それと無意識の葛藤に心の重圧とか強い場合は、少し難しいと思います。

その影響がおさまるというか?澄んで行く過程を通り過ぎてしまうまで、行って行く事ですね。

よくサードアイが開いているとか言う方がいますが、それは鮮明にみれる方かもしれませんが、

第三の眼が現れている方もいますし、それだけではダメで、心の広がりがあり、

心を解放して自由にして行く方もいますから、いろいろだと思います。

カルマのパンドラを開けている者もいます

そのカルマのエネルギーというか?サイダーの泡の如く、湧きあがってきます。

それを解放して、波立っている湖面がいつかはおさまり、湖面がおだやかになって

お月さんが湖面に映るようになり、そのもので見るようになる方もいると思いますよ。


それと反省や悔い改めをして、心の浄化に努めないと非常に危険です。

また、こんな事をいいますと、他のティチャ―に嫌われますね(汗)


常識的なものや風習、習慣を一度、改めて、手放しにして、

なり切るとはどうなんだろうと?

今まで無理と投げ出していた事を、全部手放しをしたらいいんですよ。

それと期待する事を止めて、ただ行うと言う事が必要です。

自分は悟りを目指して、深山深くの山寺に入って、坐った事がありますが、

行く途中は、身体から炎があがるぐらい大きな声で気合いをいれて行きましたが(笑)

道場で、修行が始まった時に、眼の前にはただ壁がある。

変な妄想も、怖いものも何もない、ただあるのは、眼の前にある壁だけと集中していました。

でも、集中と言っても、睨みつけるのではなくて、一点からあまり眼を離さずにいて、

思いも湧いてきますから、それも手放しして行きました。

まして、悟りとかも坐った時には期待も手放しでしたね。

ほんと不思議なものですね〜

茶髪をして、バンドしたり、調子にのっていたものが、

実は一番、相応しくない者だったんですよ(笑)


霊道法や魂ふりとかありますが、できないというのではなくて、まず、期待をせずに、

誘い水を使って、なり切ってみてはいいと思いますよ。

例えば、霊道法とかありますが、憑依現象のように○○○○ようなしぐさを?

まぁ〜これをいうと危険ですからね。

ちゃんとした指導者について行う事が一番いいです。

これも素質というか?思い行いと心の浄化に努めている方には、

自分は無償で教えています。

何をするのにも、ものになると言う事は、なり切る事なんだと思います。

先仏の手本にして、後仏がそれを学ぶーなねぶーならうと言う事を道元禅師はおっしゃっていますからね。

こちらは禅に興味がある方は、秋月先生の書物も参考にしたらいいですよ

[103] 座禅とは? Date:2010-11-19 (Fri)
道元禅師の座禅の中では、只管打座がでてきますが、

無情の悟りを悟るのには、無上の無為の妙実があると言うのです。

仏が仏に伝えきた自受用三味というのが、標準であると言っています。


受用するというのは、法をわが身に受けて用いるのだそうです。

自分が悟って、その道を味わって、その道を生きて行くのが、自受用、

それを他人に向かって説いて、他人を悟らせると言うのが。他受用と言う事みたいです。


自受用三味と出て来ましたが、三味とはなんだろう?

三味とか、それ一つになり切る。


道元禅師の言う座禅で、はっきりと只管打座という言葉が出て来ます。

ひたすらと言うと言うよりも、ただと読む方が良いと言っている方がいます。

只管打座して、ただ座禅して、身心脱落する事を絵よと言っています。

身心脱落するという事は、身と心が脱落するという事なんだそうです。

先程の三味と出て来ましたが、一つになり切ると言うことみたいですが、

それ一つになり切るとは?


現成公案にもありますが、ひな鳥が親鳥の自由に天空に羽ばたくのを見て、

ひな鳥は羽根をパタパタと習う事であり、先仏を手本にして、後仏がそれ学ぶと言う事みたいですね。


そのなり切ると言う事が出て来ましたが、丁度よい例え話があります。

コマがうまく回転している時には、丁度一点に静止しているように見えるそうです。

そのものになり切って、ものになると言う事も言われていますが、

車の運転でも、スキーでも上達すれば、ものになったと言われますね。


道元に、聞くままに、心なき身にしあれば、己れなりけり軒の玉水という歌があります。

自己を忘れて、無心に聞く時、軒の玉水がそのまま自己であったというのです。

三味の話が出ましたが、心の安定・集中の境地と言われています。

座禅をさらに続けて行きますと、だんだん座禅が身についてくると思います。

ただ、もう〜忘れて、無心で座禅をしていますと、無心と言う事がどんなことか、体験して行くと思います。、

無心で座禅をしていると雨だれの音を聞いて、

聞くままに、心身にしあれば。己りなりけり軒の玉水。

自己を忘れた時、方法に証せられる。

無相の自己を悟らされる。

修行しないと現れないと思います

ここで言う修行とは?座禅です。

本来めいめい持っていると言われています。

本来の自己・本来の悟り。


悟って仏になったらと言っても何もなにないと、何もプラスされたわけではない。

何もならない思いますが、その何もならないのなら、

何もしない方が良いと思って言っている方がもっと何もならないと思います。

修行しない現れるものではないと思いますが、本来めいめい身に持っているものが現れて、

自分が悟って実証してみないと、はっきりとそれを掴む事ができません。


余談な話をしますが、能力的な事やチャネリングとかものにしている方がいますが、

それもなり切る事、なりきった事で、そういった能力が開花して、ものになったと思います。

あえて言いますが、座禅とは瞑想ではありません。


骨格と筋肉にまかせて、思いを手放しをするという事が求められます。

若輩者の自分が、座禅のお話をするのは、心が咎めますが。、

座禅は奥の深いものです。

自分が語ったのは、少しでも香りが伝えられたらと思いましたが、何せ語る資格のない者です

禅宗には素晴らしい沢山のお坊さんがいて、いくらでも座禅をさせてくれますからね?

骨格筋肉にまかせてと言うよりも、ただ、ひたすら座禅をしてくださいね


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