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[260] 感情を良く吟味して、愛して解放する。 Date:2013-04-20 (Sat)
深層意識の中に潜勢力を潜めていると言われている記憶種子があるみたいですが、

この記憶が熟成されて、異熟され、この業種子の記憶が将来現れてくるというものです。

この深層意識の入ってきている原因が古くから言われている業と言われるものです。

でも、清浄なる本性の土台はけっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないのです。

私達の感情のエネルギーは意識しょうが、すまいがしっかりと無意識に記憶されています。

深層意識の中に溜め込まれている感情のエネルギーは、解放されるまではいつまでも影響されます。

原因不明の病気や免疫系などにも感情エネルギーが影響している場合が結構あります。


深層意識の中に溜め込まれている感情のエネルギーには、(カルマの素)

人によっては憎しみや悲しみ・不安・恐れ・恐怖などのネガティヴなものが沢山ある方もいます。

ネガティヴな感情エネルギーは、原因不明の病気や奇病また運勢にも表れて来るのです。

こう言った感情のエネルギーの解放や扱いは、心理学では解っているようです。

また自分としては、催眠などによって、過去にあった現象を再現して、

その時に感じた感情の解放を行えば、その現象に囚われなくなって解放されると言うものみたいですが、自分は少し疑問を持っています。


催眠などによって、解放していく方法も良いと思いますが、あらたに作っていく業種子に

自分で気づき変えて行かないといけないと思います。

そうでなかったなら、堂々巡りになってしまいます。

カルマの洗い流しと言う言葉があるみたいですが、あまり囚われるのも良くないから、

自分でできる範囲で行ったら良いと思います。

誰でも内なる秘密があって、あまりお目に係りたくないものがあると思います。

まず内面に深く入っていき、その見たくもない反吐がでるような感情を良く吟味して、

その部分を愛して、解放して行くと良いと思います。

感情エネルギーは抑えつけて、引っ込めるのではなくて、

良く吟味して解放していけば、変化していくと思います。

実際はいろんなやり方や改善する方法があると思いますから、自分で納得するものを見つけたらいいんですよ。


また自分の体験上、瞑想とかしていて心の蓋が取れたりすると、

深層意識の中に溜めこめられた感情エネルギーが解放されて行きます。、

身体の中に散らばったエネルギーやチャクラに染み込んでいたエネルギーも解放されて行きます。

それによって、崩れていたバランスが元の状態に戻り本来の健康体を取り戻す事ができるのです。

この業種子の影響によっては、自律神経のバランスが崩れて、その影響によって、

内臓の機能が衰えたり、またそれによって内臓冷えたりして、

不健康になっていたものが、元の状態に戻り内臓が活発に活性化されて行くのです。

その影響では、現在医療ではまだ解明されていないものまで含まれています。

また無意識の中にあるネガティヴな感情のエネルギーなどには暗示で押さえつけたりするよりは、

解放してあげるほうが良いんです。

思考を変えると運命が変わると言われがありますが、感情のエネルギーも解放して行く事がとても大切なんです。

この思考の切り替えと感情のエネルギーの解放を、

二つの両輪をもって運命が変わるはたらきをすると言いたいのです。

これは自分の体験上、伝えたいものの一つでもあるのです。



清浄なる本性、心の空性は清浄空である本性は、

けっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないと思います。

気体(蒸気)になったり、液体(水)から固体(氷)というように、三つの相に変化する。

気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらないといっています。

水は低温になったら固体(氷)となります。

また水は高温度(蒸気)になって沸騰したら、水蒸気になり、また雨となって地上に

降下によって再び液体(水)や固体(氷)に変わります。

でも、その水の本性は変わらないのです。

またお皿の上におかずの汚れものがあれば、洗えば綺麗になって皿だけになります。

そのおかずの汚れものを取り除く事によって、綺麗な皿だけになります。

そのように原初土台は不純物がたとえ付着したとしても浄化する事ができます。


悪しき習慣や知識や自覚は想念体にあるカルマのエネルギーとなり、

異熟され、実を結び、結果となって自分に返ってきます。

たとえそのような現象が現れていても、清浄なる本性はけっして失われたり、

そこなったり、曇ったりすることはないのです。

人間の心も悪しき習慣やカルマはブーメランのように自分にかえってきます。

でも、その本性である本質土台は変わらないのです。


では、その悪しき習慣の循環原理を終わらせるのにはどうすれば良いのか?

どぶ水はどぶ水で洗っても綺麗にはなりません。

ある師家の方などは、それは血で血を洗うようなものだ。

血は水で洗わなければ、決して綺麗にはならい。

その血を洗い流す水が、無の字なのであると言っています。

そのためには本性の土台に到達することがなによりも大切な事だと思います。

すべての現象は心の中の出来事は現実経験される対象でもあり、現れ続けるみたいですが、

悪しき習慣やカルマを終焉を迎えさせるためには克服する必要があると思います。

[259] 感情エネルギーの解放する作業 Date:2013-03-21 (Thu)
心の中にあるネガティヴなブロックを解除した事によって、これらの事をカルマを解消した、

カルマ解消が出来たと言っている方もいます。


また因縁によって、出会うべきして出会いによって、解消されたから

それでカルマは果せたから、カルマは解消したと思っている方が殆どみたいですねぇ〜

それでいて、ブロック解除や契約を解消すれば、カルマは解消されると思っている方が沢山います。

自分が言っている想念体の中にあるエネルギーの事は知らないみたいですね。

この想念体はカルマの素だと思っています。

この想念体を開けた方はあまりいないようですが、

その想念体の中に、これから苦しんで行くであろう方やいつまでも同じ繰り返している方などは業種子の記憶として

将来それと同じようなものがあり続け、現れてくる原因があると思います。

これが古くから言われている業といわれているものです。

この中に原因があるのです。

想念体の中にある業種子の記憶や感情のエネルギーの解放がいかに大切かお分かりだと思います。

自分は自分であえて作ったと言うカルマを乗り越え、少しでも伝えたい気持ちがあります。


業を持って生きて行くのか?

また来世・来来世にまで持ち込むのか?

その責任は全て自分が受け取ったのです。

それを手放しにして解放しないと、いつまで経っても繰り返して巡ってくると思っています。


思いは結果、化けてくると言う言葉があります。

でも、それでも瞑想とかしていると、無意識レベルではエネルギーの解放をしているとは思いますが?


顕在意識と潜在能力には隔ててある壁があるのです。

その一部が消えてしまうと、それまでに抑え付けられていた心の中のエネルギーが顕在意識の表面に上がって行くのです。

奥の底から少しずつ湧き上がって行き、上昇するにつけ圧力は次第に大きくなっていきます。

そして水面(意識)まで上がってくると、それがある種のエネルギーだと解ります。

その潜在意識の上層からダムの堰を切ったように、エネルギーの噴出が起こります。

やがてこれまで閉じ込められていた下層から、徐々にダムの堰を切ったようにエネルギーの噴出になります。

これは良く自分はこのように言っています。瞑想とかしていて、期が熟されたなら、

想念体に亀裂がはいって、サイダーの泡如く堰を切ったように湧き上がって行きます。

その泡をで尽くせれば、想念の源が意識上に入ってきます。

それから精妙な状態を超えて、最後には純粋意識の状態に到達するようです。

ここまで達成する方はあまりいないように思います。


もう一つは観念を見つめる作業を行っていけば、

少しずつブロックが解除されていくとその下にある観念が徐々になくなって行くと、

すると同じようなエネルギー解放が起こって行くのではと思います。

最初の壁が消えてしまうと、その上層からダムの堰を切ったようにエネルギーの噴出がおこり、

徐々に下層までエネルギーが解放されていくのだと思います。




[258] 仏の教えや聖書の言葉を実践する Date:2013-03-21 (Thu)
誰もが神という大いなるものは存在すると思っています。

仏教にしてもキリスト教にしても、いろんな宗派があったり、

宗派によっては枝葉別れしている違いがあるだけで、元を辿れば大いなる存在(神)一つだろうと思います。

お釈迦様にしてもキリスト様にしても崇めろと言ってはいません。

自分の生活を通して、仏の教えや聖書の言葉を実践することである。


神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、

見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。Tテモテ6:16


ヨハネ14:7-9、11、21

「あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。

しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。

ピリポはイエスに言った。 主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。

イエスは彼に言われた。 ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、

あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。

どうしてあなたは、“私たちに父を見せてください。”と言うのですか。」


イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。

わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。ヨハネ14:9


イエス様は言われます。「わたしは道であり、真理であり、命で

ある。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを

知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既

に父を見ている。」「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だ

れも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも

知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。





[257] 正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を Date:2013-03-21 (Thu)
第1テモテ6章11〜16節

6:11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

6:12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

6:13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。

6:14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、


[256] 永遠の命 Date:2013-03-21 (Thu)
大きな利得(6・2b〜21)―富者(※8)と永遠の命

異なる教えを説き(6・3)、信心は金儲けのためと考える者との間には、絶え間ない論争が起きます。

金銭の欲は、人を滅亡と破壊に陥れる、すべての悪の根源です(6・3〜10)

しかし、お金より、もっと大きな信仰の利得があります(6・6)それは永遠の命です。

ですから、神の人(テモテ)はこの富の誘惑を避けなさい(6・11)

キリスト再臨のとき、この永遠の命という、大きな利得を得るためには、「6・11、

正義、信心、愛、忍耐、柔和を追い求め」、生涯続く、信仰の戦いを立派に勝ち抜くことです(6・11〜16)

金持ちには、施しをし不確かな富に望みを置かぬように、命じなさい(6・17〜19)

6:18 善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように

6:19 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと、

[255] 真理 Date:2013-03-21 (Thu)

「真理とは何か」 及川 信(引用)


ヨハネによる福音書 18章28節〜38節 

イエスは八章四六節では、「わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。

あなたたちが聞かないのは神に属していないからである」と言われるのです。


イエス様の言葉は神の言葉なのであり、その言葉は、神に属している者、

つまり信仰によって新たに神から生まれた者だけが聞くことができると言われるのです。

その信仰を拒絶している限り、ピラトであれ誰であれ、イエス様の言葉を聞くことは出来ない。

理解することは出来ないのです。 いつも言いますように、私たちは理解したから信じるのではないのです。


キリストは、信じて初めて理解できるのです。キリストの言葉である聖書は、信じて初めて理解できるのです。

そして、それが信仰による理解である時、それは単なる知識ではなく、救いをもたらし、服従を呼び起こし、讃美を呼び起こすものとなる。


だから、キリストを信じている私たちは、毎週、キリストを礼拝しているのです。礼拝せざるを得ないのです。 

「真理」に関して、もう一つ絶対に忘れてはならない言葉は、一四章の言葉です。そこで主イエスはこうおっしゃっています。

 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことは出来ない。

あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」






[254] 自身が取り組む課題 Date:2013-01-16 (Wed)
心理学者ユングは相手の性格の中で一番魅力を感じる部分が、その人自身が取り組む課題なのだとされています。

誰かに行為を感じるのは、その方があなたの内面に反映しているとも言っています。

ソウルメイトなどは無意識レベルの原型によって、偶然出会った方に強い愛情を感じたり、

心を揺り動かされる出会いなどは元型のイメージによって、現実化した相手と出会った時などに起こる現象なのだと言った事がありました。

相手の中に原型のイメージや理想像を見たのかもしれません。

これなどはカルマレベルで持っている理想像や異性のイメージによって魂が揺り動かされたようです。


またそれらとは別にフェロモンに反応して強く惹かれる場合もあるみたいです。

ソウルメイトとソウルメイトもどきがあるという前提で見分ける事が大事なんですが、これは難しいですね。


また運命の方になかなか出会えない方などは、カルマの時間時計が動きだしてないのでしょうね。

良く波動が変われば現実が変わると言いますよね。

だから自分で波動を変えるようにして行くのが良いと思います。

カルマの時間時計がなかなか進展しないとなると、カルマの正体を突き止めて見てみるのも大切な事だと思います。

そう言っても、自分の事が一番難しいんですよね。

第三者のように客観的に物事を見るように、日頃から行ったりするといいのかもしれませんね。

カルマの予定よりも早く進ませる方法としては、心の成長が進展を早めさせる事になるのかもしれません。

成長している方などは、現世でカルマを作った場合でも早く自分にカルマが返ってくるみたいです。


ある女性はこんな事を言っていました。

結婚はしたい、でも今の彼とは結婚はしたいとは思わない。

でも、結婚したい男性が現れないから、今の彼氏とは別れたくない。

そういう結婚しても良いと思われる男性が現れたら結婚をすると言っていました?


自分としては気が済むまで好きなようにしたら良いと思いますが、心の成長が進展を早めさせる努力をしないと、

そのうち賞味期限が過ぎて、第二候補・第三候補、もう〜無理(笑)

まあ〜偉そうな事を言いましたが、何よりも自分は説得力がない

幸運の女神様は後ろ髪はない」ということわざがあります。

チャンスが訪れたらすばやくこれをつかまなければならない。

行ってしまってから後悔しても遅いという教訓を示しているみいたです。


前にも日記を載せた事があるんですよ。

バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、

その関わりある期間中はソウルメイトみたいですね。

それとエクトンの書物にもありますが、ソウルレベルでは深く繋がっていると実感できる相手は数十人はいるそうです。

輪廻転生があると言う定義でお話をしますと、ソウルメイトは結構いるのかもしれません。

またバシャールは全体的な意味では、相手というのは決まっている。

その相手は複数ある場合や人生のテーマ上、自分が何かを体験するか選択する中で、変わって行く可能性があると言っています。


自分が思うのは運命は決まっているわけではなくて、これも自分の魂レベルに合う人が引き寄せられて、

その自分の波動に近い人が運命の人になるのではと思います。

どう言う体験をすれば最初も自分らしく成長できるのかと言うことが一番大切だと思います。

どうやら自分の意識レベルの近い人が運命の人になりそうですね。

結局は自分が出している波動次第で、自分が運命の相手を手繰り寄せて行くのでしょうね。

類は友を呼ぶ法則がありますからね。


運命の相手を引き寄せるには愛が大事なポイントになってくると思います。

本当のパートナーとは、心・魂で、感じているものであると思います。

魂に響くような出会いをするためには、自分のハートに、開く事が大切なんだと思います(汗)

それには、自分を愛するということが前提にないと、それ相応な相手と巡り会う事になると思います。

その為にはほんとうのあなた自身でいる必要があります。

自分自身でいると相手は必ずあなたを見つけ出します。

貴女を見せてあげる事が大切だと思います。



[253] 繋がりや深く関わるポイント? Date:2013-01-15 (Tue)
スピリチュアルな事をして、高次元のコンタクトを取ってリーディングをしていたりする方は結構いますね。

またリーディング結果に縁が強いと出たなら、占星学の星の配置など見比べたりしたら結構面白いと思います

ニューメタフィジックスにも記載されていますが、パシャールはこのように言っています。

占星術は単に主観的な道具というだけではなく、

集合意識体に選択された同意の波動パターンをある程度反映しているからです。

同時に、集合意識と潜在意識からの情報も少なからず反映されているみたいな事を言っています。


高次元のリーディング結果やこういった占星学的なものと、照らし合わして総合的に判断されたら

また違って物事がもっと深く見られるかもしれません

知っているエンジェルティチャーがいます。

このティチャーもこんな事を書かれていました。

自分や相手のベスタ―やジュノーと、相手の太陽などの主要な惑星や、

もしくは、アセンダントなどの主要な感受点が、なんらかの強いアスペクトを持っていると、

その二人の結末は、ゴールインする可能性が高いみたいな事を書かれていました。

またドラゴンなどの拘わりも、前世でのカルマ今世に持ち越したカルマ、来世に持ち超すもの

ドラゴンは月の軌道と太陽の軌道の交点をドラゴン・ヘッド&ドラゴン・テイルと言います。

その軌道と太陽の軌道の昇交点をドラゴン・ヘッドと呼び、

人間関係の繋がりや前世に深く関わるポイントと考えられているみたいです。


またブログ仲間やマイミクさんと仲よくさせて貰ったりしています。

たまにプロフィールにお誕生日などを載せている方がいますが、それらを参考にしたりしていますが、見てみると星の絡みが不思議と沢山あるんですよね


袖振り合うも多生の縁と言う例え話があります

見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるというのも、前世からの深い因縁によるものであるということもあるみたいですね。

人と人との関係は単なる偶然によって生ずるわけではないので、大切にしなくてはならないという仏教的な考え方があります。

多生」とは仏教の言葉で、この世に何度も生まれ出ること、生と死を繰り返す「輪廻転生」「生まれ変わり」の思想です。

道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の世の縁によるもので、

すべては理由のないただの「偶然」ではなく、縁によって定められた「必然」である。

仏教の基本理念である「因果応報」につながる考え方と言えると思います。


袖振り合うも他生の縁と言いますからね。

袖が振れ合うというような、偶然でほんのささやかな出会いであっても、

それは前世からの深い緑で起こると言う事みたいです人との絆を大切にしたいものです。


[252] 難病とかいろいろ思ったりします Date:2013-01-10 (Thu)
病院に行っても原因の解らないものは自律神経失調の病名を付けられ

医者からさじを投げられる方は結構いると思います。

気が小さいから、気を大きく持つようにと気休め程度ぐらい言われるかもしれません。


難病とかいろいろ思ったりしますが、

病気になったりすると身体のバランスが崩れたりしています。

その原因を見ると日頃の生活習慣やストレスから来ているものもあれば、潜在意識にあるプログラムなものまであると思います。

自分でバランスを取って、本来の健康状態ように戻して行く事が良いと思います。

健康状態が当たり前というようなプログラムをして、好ましい内容に変わるような

プログラムが変わればね、それに伴う自分を虐げるような引き寄せはなくなると思います。

でも、軽いものはそれで好転するかもしれませんが、根本的にはなかなか難しいと思います。

でも、バランスを取っている時には、バランスが保たれ一時は良い状態になるのですが、

これを続けていかないと、好ましい状態は続かないのです。


心の病によっては深層意識に憎しみや悲しみ・不安・恐れ・恐怖などがあれば、

自律神経のバランスが崩れて、原因不明の内臓疾患や心因性の胃潰瘍や免疫系などにいつかは影響が出てくると思っています。

反吐が出るような、あまり思い出したくない出来事などは、思い出さないように無意識にしているかもしれません。

でも、ほおっておいてもいつかは、はけ口を探して現れてくるかもしれません。

あまりにも大きな悲しみや憎しみなどがあれば、精神分裂を起こす可能性もあると思うから、

心療内科の先生などに相談したら良いと思います。

また自分で耐えられる程度のものなら、原因になっている事柄を追体験をして解放したら思います。

もし、どうしても許す事ができない方がいれば、スピリチュアル的なセッションで行っている炎で燃やしたり、

また原因になっている相手を祝福したり、愛したり自分で納得できるようにしないといつまでも解決できないですし、

問題になっているものがいつまでも解決ができないと思います。

自分のあったやり方を見つけてほしいです。


ではどのようにして行くのが良いのか?

自分としてはバランスを取りながら、潜在意識にあるプログラムを変えて行くのが良いのだと思います。

潜在意識は自律神経をつかさどり、大きな影響があると言われていますね。

その潜在能力を書き換えたり、思考を切り替えたりすればいいんだけどね。

催眠とかは、暗示で潜在意識を書き換えたりするようですし。

またシターヒーリングやマインドバスターなどはブロックの書き換えや思考の切り替えなどして

潜在能力を書き換えて行くみたいです。

確かにとても良いメソットだと思います。

ただし、プロティシュナ―さんが間違ったイメージを受け取ったりすると効果は出にくいかもしれませんね。

また軽いものならそれでも良いと思いますが、思考の切り替えやブロックの書き換えと同時に感情のエネルギーの解放なくしては

根本的にはどうかなぁ?と思っています。


でもね、とても良いいくつかのメソットがありますが、

自分としては抑圧されていた記憶を浄化しても、エネルギーの解放がなければならないと何回も言っています。

想念体の中にあるネガティヴなエネルギーの解放を行う事がどれほど大切な事か自分は良く解っています。

原因不明の難病とか現在では解明できていないものまで、抑圧されていた記憶やエネルギーの解放によって、

随分、健康を取り戻せると思っています。

想念体はカルマの素みたいなものですからね。

体験しないとなかなか理解はできないかなと思いますが、

思考の切り替えやブロックの書き換えと感情のエネルギーの解放を、二つの両輪をもって運命が変わると言いたいです。

また生活習慣を見直したり、DNAの遺伝子損傷、遺伝子組み換え、細胞の浄化なども行ったりしていけたら

随分、健康を取り戻せるような感じがします。



原因不明の病気などは 光のかけ橋
テーマ:心の世界と繋がる癒しのエネルギーブログ

2012-11-21 21:55:03
ネガティヴな感情のエネルギーは、身体に流れているエネルギーシステムを乱す原因にもなっています

私達の感情のエネルギーは意識しょうが、すまいがしっかりと無意識に記憶されています。

無意識の中に溜め込まれている感情のエネルギーは、解放されるまではいつまでも影響されます

不安神経症や神経痛や原因不明の病気などは感情エネルギーが影響している場合が結構あります。

また心因性の胃潰瘍や免疫系なども含まれていると思います


無意識の中に溜め込まれている感情のエネルギーには、

人によっては憎しみや悲しみ・不安・恐れ・恐怖などがある方もいます。

こう言ったネガティヴな感情エネルギーは、自分が自分の身体を痛めつけるリュウマチや膠原病

や癌などにも影響している場合があると思います。

また無意識の中にあるネガティヴな感情のエネルギーなどには暗示で押さえつけたりするよりは、

解放してあげるほうが良いんです。

思考を変えると運命が変わると言われがありますが、感情のエネルギーも解放して行く事がとても大切なんです。

この思考の切り替えと感情のエネルギーの解放を、二つの両輪をもって運命が変わるはたらきをすると言いたいですね

トラウマが解消できると言う事は病気に及ばす、運勢までも影響してきますからね。

運命改善を考えておられる方にも、良いヒントになるかもしれませんよ?

トラウマを解消できるメソットがいくつかあるみたいです。

それには自分に合ったものを見つけて、行った良いと思います








[251] 自分をも対象をポンと捨てないと開けてこない Date:2013-01-07 (Mon)
開祖や修行僧とかが通った道を辿りながら、正道を歩めば

伝説の中や今まで物語りとしか思われていなかったものを体験できる事もあるかもしれません。


黄檗禅師は思念をやめ思慮なくせば、仏は自然現れると説いていますね。


精神集中に集中と言う言葉が妥当かどうか疑問ですが、

精神集中と言えば、一生懸命に目の前にある壁を睨み付けている事が精神集中だと頑張っていた方がいました。

実際は精神集中に集中できている自分をも対象をポンと捨てないと開けてこないと思います。

禅的には正しい坐相をねらって筋肉と骨格で、思いを手放し

雑念にふりまわされず、祗管打坐して行く事が大事だと言う事になるのではと思います。


精神集中に集中できている自分をも対象をポンと捨てないと開けてこない

集中できている自分もポンと捨てないと、悟りの手前までともう少しと言うところまで来ている状態なのに

元のもくやみになってしまいます。

それには神仏のご加護・師の恩恵なくして到底達成はできないと何回も自分は言っています。

体験すればきっと理解ができると思いますよ。

自分一人では到底達成できないと後からつくづく思い知らされますね。


正しい坐相をねらって、思いを手放し雑念にふりまわされず、続けて行くと、

普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、意識の境界線を越えて、

最後に一瞬の飛躍があり、主体と客体の合一な体験をする事になるかもしれません。


その体験後は変容意識のような状態になるかもしれません。

「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、

いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、同じ月が、まったく違って見えるみたいですね。

月が湖面に映し出されるように空にもお月さんが浮かんでいるように心そのものだけが現れてくると思います。

今まで色眼鏡で見て見ていた風景が、眼鏡を取ったなら見ている風景までもまったく違って来るのです。



[250] 意識状態を超え、意識の限界に達した時、 Date:2013-01-06 (Sun)
聖フランチェスコは、このような道を通って行ったと思われます。

覚者と言われる者と普通の方との分け隔てるものは何か?

愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、

これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとあります。

ついに、

聖フランチェスコは、普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、

主体と客体の合一な体験をして、目覚めたのだろうと思います。

聖者と言われる者は、少なくともこのような道を通って行ったのでしょう。

その道を辿って、いけば必ず高い霊性が身に付くだろうと思います。



バーソロミュー―大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ [単行本]
バーソロミュー (著), ヒューイ陽子 (翻訳), メアリーマーガレット・ムーア

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。

愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、

そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。


フランチェスコはジレンマに陥り、善人にもなれないし、欲望に身をまかせても幸せをもたされない。

フランチェスコは、意思の深いレベルで、死の現実と対決する事を選択しました。

常に思い病気を選び、その病気によって死にかけました。

その病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態ののなかで、悟りを得たみたいです。

善であること、神の愛が同じであると信じようとしました。

けれどもその二つは同じことではないと解ったそうです。

非常に善い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。

神への愛は神を愛したいと思う気持ちによって決定される。

それまでの自分の考えのあやまちに気がついた瞬間は、フランチェスコの人生にとってこの上もなく重要なものになったそうです。

高熱のなかで、ある問いが繰り返し彼の頭に浮かびました。

神を愛することができるだろうか。どうやって?

神を愛することなくして、生きていくことはできないと思うのに、どうしたら愛せるか解りませんでした。

愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。


これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとあります。

何日も苦しみが続きました。熱が上がり、不安が増し、イライラと絶望がつのりました。

ある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで一羽の鳥が鳴きました・・・・・。

さしてその泣き声ょフランチェスコは今までとは全く違うように聞いたそうです。

その鳥のかなでる歌声のパワーによって、彼は悟ったのです。

[248] 対象物に溶け込み一体になる Date:2013-01-05 (Sat)
正しい坐相によって、自分が対象物に溶け込み一体となることが、主体と客体の合一な体験であります。

対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです。

眼の前にあるのは壁、正しい坐相をねらって筋肉と骨格で、思いを手放し

雑念にふりまわされず、祗管打坐して行く事が大事だと思います

主体とは自分自身のことであり、また客体とは対象物を指します。


座禅修行や瞑想においては、スカッとする時もありますし、気分が滅入る事もあります。

曇りには曇りなりに、雨の日には雨の日なりに、晴れの日には晴れなりに、

その時、その時の生理現象、心理状態がある事が当然であり、

それはそれにふりまわされず、その風景として手放しをして行くことが大事みたいです。



精神集中の対象をも捨てる事 光のかけ橋
テーマ:心の世界と繋がる癒しのエネルギーブログ

2012-06-29 09:39:13
精神集中に集中できている自分をも対象をポンと捨てないと開けてこない

集中できている自分もポンと捨てないと、悟りの手前までともう少しと言うところまで来ている状態なのに

元のもくやみになってしまいます。

それには神仏のご加護・師の恩恵なくして到底達成はできないと思います


本山先生は言っておられます。

悟りに達するには、一切への無執着と、行の極で自分と神仏に全託する事こそ肝心

この対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです。

精神集中の対象になりきっる程に集中ができているのに、

その集中して対象になりきっている自分をも対象をポンと捨てられないと、

悟りの道程の九分九厘迄行っていて、定から出てくると又元の処に戻ってくる。

悟りの境には達しない。

このポン自分をも精神集中の対象をも捨てる事こそ、

乾坤一擲(けんこんいってき) というか、悟りを開ける一番肝心の所です。

ところで対象になりきっている自分とその対象をポン捨てる事、

そして一躍して悟りの境に入するには、人間だけではでない。

そこに神仏の力が加わらねばできない。

神仏に自分の総てを託する。

任せねばなりません。

その時神様が、その人の自己の殻を破り捨て、高い悟りの境に上げて下さる。

本当にそこまでなりきっているか、菩提心がどれだけ強いか、それは神様しか解らない。


心の確立と霊性の開発

本山博




[247] 結果を求めるのではなくて、なりゆきが大切 Date:2013-01-05 (Sat)
この小さく咲いている花を誰も見ようとせず、

後ろで啼いている蝉の声も聞こうと思う心を持って聞いたという人は、この禅寺には他におらない

悟りはまた狙って悟れるものではないんです。

悟りを求めて悟る事を執着しているうちは悟れないんです。

生命ひっくるめて、生命ぐるみで坐り、思いを手放して行かないいけません。

悟といっても、迷っていたのがいま悟りを開いたというのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

またこう言う事を言う人が必ず出てくるんですよね。

本来悟りを開いているのなら、何もしなくても悟っているんだから、何もしなくても良いと言っている方もいましたが、

いいですか?本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

だからここを勘違いしてはいけません。


悟りというものは悟りたいと思っているうちは悟れないんです。

自分の言っている事はなかなか理解できないかなと思います。

悟り、悟るとか?そう言っているうちは開けないと老師や覚者も言っておられますね。

悟りを目指して。悟りたいと思っているうちは悟れないと思います。

弓道は的は狙ったりすると矢は外れると聞きます。

いかに自然体が大切だと言っていました。

結果を狙えば、的は外れると思います。

結果を求めるのではなくて、なりゆきが大切だと思います。

これは悟りに関わらず何事に対しても同じ事だと思います。


[246] 心の安らぎと調和 Date:2013-01-05 (Sat)
釈尊は「苦」を滅する方法として八つの正しい道を解き明かしました。

これが、正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の方法です。

お釈迦様がおっしゃっている苦を滅する事ができると言う八正道がありますが、それはどういうものか?

その中に正しくと言う事が書かれています。

そこで正しいと言うのが問題になってきます。

その正しくとは何か?八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の書物の中に記載されていますね。

正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。


またこうも言っておられます。八正道とは己の心を中道という調和にひきもどす神の模範であり、

その模範に無理がなく、心が自然についてゆける自分自身になった時に、

ひとは初めて菩薩行をなしえるのであると言っています。

ハ正道を実践して心の調和や安らぎを見いだしていくうちに、初めて菩薩行がなしえると言う事みたいですから、

それが出来ずに高い霊性が身についているとは言われないものですね。

また霊動が開花したり、また天使とコンタクトが出来たからと言って、聖者ではないし同じ霊性ではないのです。

人はみな神の子・仏の子であると言われがありますが、たとえ本質がそうであっても原石は原石です。

その原石が光輝くようになるのには、道元禅師が言うように

〔玉は琢磨によって器となる。人は練磨によりて仁となる。

いずれの玉がはじめより光ある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし〕

高い霊性を身に付けるのには八正道や聖書の真理を実践したり、心の調和や安らぎを見いだして菩薩行を行っていく以外はないと思います





[245] 自分のまいた種は自分で刈り取る Date:2013-01-02 (Wed)
前にこう言う事を書いた事がありました。

神仏は道標を用意されてくれているのかもしれませんが、神仏は自分を背負って歩いてはくれません。

神仏は二人で歩いてくれるかもしれませんが、その道を選択して自分自身の足で歩いていかないといけません。


聖書には、原因と結果の法則を自分のまいた種は自分で刈り取るという言葉で表現されていますね。

カルマは原因と結果の法則みたいです。

善の種をまけば自分で善を刈り取り、悪の種をまけば自分で悪を刈り取る。

自分のまいた種は自分で刈り取ると言う事になるのでしよう。


神様や創造主は自分で作ったカルマは自分で乗り越えろというものかもしれません。

他の方に変わって代わりに行うカルマの解消は無理なようです。

カルマは機械的に処理されているような感じがします。

何故なら自分が体験しているから言えるのです。

自分の都合によって、はい、カルマは解消されたというものはありません。

何回も言いますが、個人の地球の規模のカルマや宇宙規模のカルマを解消できると言うセッションがありますが、

そんなものはあてになりません。


生まれて来る目的の一つにはカルマの解消(乗り越える)だと言われていますが、

スピリチャルな事を目指している方もカルマを紐解いたとか、乗り越えた方はあまり出会った事はありません。


それでいて、スピリチャルな事を目指している方やスピリチャルティチャーでもカルマの事について本当の意味で知っている方はあまりいません。


それは自分が体験して、初めて人に伝えられるものかもしれません。

何にしても自分が体験して、それを乗り越えて行った者しか伝えられる事はできないと思います。


ではどうやったらカルマの紐を解くか?

乗り越えていけるのか?

その為にはいろいろなやり方もあると思います。


生まれて来て今までの思い行いが記憶として深層意識の中にあります。

その深層意識を浄化する事は大切だとスピリチャルな事をしていたり、

また心理学者などはそう〜思っていると思いますが、

想念体はカルマの巣のようなものです。

この想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放する事が大切なんです。

これはチャネラーを目指している方についても言える事だと思います。、純粋な情報を取ろうと思ったら

想念体の中に抑圧された記憶やエネルギーの解放するのが早道かもしれません。

純粋なる情報と言う意味ではね。


コップの中にある水が濁っていれば、少しずつ真水をいれて行ったら、

コップの中にある濁った水は少しずつ綺麗になると思いますが、これでは随分時間がかかると思います。

水は沸騰したら水蒸気になって、上空にあがり、雨となって地上に降り注ぎます。

また水は冷えると氷にもなるのです。

その水がいくつも変化するのです。元は水なんですよ。

自分は良く思いは結果化けてくると言ったりしていますが、繰り返してくる連鎖を断ち切るのは、

カルマの巣と言われている想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放して行くのが重要なんです。

その為には苦を滅する道があると言われているハ正道がありますね。

このハ正道を行っていくうちに、カルマの解消ができ、悟りに進んでいけるものだと思っています。


光のかけ橋 (日記)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。






[244] カルマは一遍にはなくならない。 Date:2013-01-02 (Wed)
過去世とばかりにカルマの原因があると言う方もいますが、

でも過去世とばかりではありません。

今現実に現世でも知らず知らず、原因を作っているのです。

その原因に気づき修正しないと来世に持ち越す事になると思います。

また精神的に進んでいる方は、早くカルマが帰ってくると言われもあります。

この世の事はこの世で修正して、悪い種を蒔かないようにしたいものですね。

正道に叶った生き方をしていけば良いと思いますが、一部の心無いオカルト信者や外道と言われてる方達の為に


宗教自体が手垢がついてような感じにされているのが残念です。

宗教自体に拒否反応を持たれる方は、自然に沿った生き方をされるようにしていけば良いと思います。

[243] 死んでも死なない命を生きる Date:2012-11-22 (Thu)
死んでも死なない命を生きる事が大切だと思います

自分としては生きると言う事は死に切れと言いたいです。

その死んでも死なない命の自己を悟る事が大切だと思います。

実際は目覚めていると思っていても、実は魂が眠りから目覚めてないのです

これ以上ない苦痛や苦難絶望のなかで、人は追い詰められ逃げ道がなくなってしまう時があると思います。

良く本性を現すと言いますよね?

人は追い詰められ逃げ口がなくならないと、本性を現すことはなかなかできないかもしれません。

人はずる賢いところがありますからね

その意味で、不運・挫折は宝物になりうるのでしよう。

あまりにも苦難・苦しみによって死を選択するものもいると思いますが、

そこに鍵が隠されていると思います。

そのどん底に落ちていると思ったなら、底をうっているのでこれ以上はないのです。

後は上を向いていくだけです


人生は旅にたとえられると思います

旅の途中で、休憩して居る人もあれば暗いトンネルの中に居る者や、

また急いで先を行っている者もいろいろ居ると思います。

全ての方が今のままで、完璧だと言われています。

旅の途中にはトンネルもあれば綺麗な所もあるし見たくない所もあります。

スカッと気持いい事もあれば、眼を覆いたくなる所もあると思いますが、

それでも道はありますし、前を向いて歩いて行かないといけないんです。

いつかは皆同じ所にたどり着くのかもしれません。

同じ旅だったら楽しみながら歩いて行きたいですし、ただ、歩くだけではなくて、

花を見たり花の香りを嗅いだり、鳥のさえずりや小川のせせらぎと友に歩いていきたいものです。


自分の周りでも、数名の方が自ら命を絶たれた方がいました。

自分の命を絶つと言う事は、勿体ないと思います。

精魂尽きて、生きる望みもなく死を選択したものだと思いますが、

沢山の方がどんなに苦しくても、生を全うしているのです

宇宙はたえず進化していると言っている方もいます。

人間も進化・成長しないと、そこにいつまでも留まって居る事はできません。

立ち止まっていると言う事は、後退を意味します。

まして、自らの生命を途中で放棄したのなら、また同じ問題に出合って、

それを解決しないといつまで経っても、乗り越えて行く事はできないと思います。

一人よがりで生命を放棄して、それで良いと思っているかも知れませんが、

残された家族はどんな気持ちになるか解りますか?

あの世に帰って、その影響を思い知る時が来るかもしれません。

その時にしまったと後悔しても、もうどうにもならないんです。

精魂尽きて、生きる望みもなく死を選択したものでしょうから

あなたの選択は自分で決めたのだから間違ってはいないと思います。

神様は神と同じ創造を人間に与えていると言われていますからね。

どのように選択するかは、本人の自由意識に任されていると思います。

でも、もう一度同じ事をやり直すようになるかもしれません。

不運・挫折は宝物になりうる、そこに鍵が隠されていたんですよ。

魂が眠りから目覚める体験をせずに、死を選択したのだから、

その方達の境遇を考えると、複雑な気持ちになります。

どうにもならなかったとしても、死を選択をする前にもう一度会いたかった


偉大なる覚者が言うのには、自分の中で消化されないものがあるから何度も生まれて、

同じ事を繰り返したり何度も同じ境遇がやってきたり、

そこで得られる理解を得たら今度は別のものを渇望して、

体験するように自分を駆り立てると言われますし、

もう二度と体験する必要がなくなれば、ここにいる必要がなくなると言っています

[242] 抑圧されていた記憶やエネルギー Date:2012-11-02 (Fri)
随分前にアシユタールはこういっていました。あなた自身が作っている契約をあなた自身で解除すればいいのです。

でもね、ここでいう契約を破棄する事は他のティチャーも行っていたり、実際してはいるんですが、

どうも、ブロックが少しずつなくなれば、それまで抑えつけられていた深層意識の中にあるデタ―が徐々に意識表面に湧き上がって来ると思います。

そうするとそれまで抑圧されていた記憶やエネルギーが少しずつ意識上に上がってきます。

それが解放されるというものと思いますが、

この深層意識の中にあるエネルギーはサイダー泡如く、一旦、ビンの蓋を抜くと炭酸が噴出してくるように

これまで閉じこめられてきた深層意識の中にあるエネルギーが噴出してきます。

またビンの蓋(深層意識)をあけないで、契約を解除してもエネルギーはなくならないと思うだけどね。

どうも機械的に処理されているような感じを持ちます。

カルマは原因と結果の法則みたいです。

聖書には、原因と結果の法則を自分のまいた種は自分で刈り取るという言葉で表現されていますね。

善の種をまけば自分で善を刈り取り、悪の種をまけば自分で悪を刈り取る

自分のまいた種は自分で刈り取ると言う事になるのでしよう。

生きている間に刈り取らなかった者は、死後にそれを刈り取ることになると言われもありますが、

来世もその続きはあるかもしれませんね。


■ 愛と光が重要なポイント
テーマ:心の世界と繋がる癒しのエネルギーブログ

2012-06-30 22:52:23
アシュタールのリーディングの結果 (随分過去)

アシュタールさんに聞きました。

もう〜自分は生まれてきたくない

もっと高い11次元の存在のアシュタールさんのように高い次元で指導したいなと思っていますと言う問いに(アセ)

アシュタールはこう言いました。

できる限りそのようにチャクラのクリアリングして自分軸をもっていく

自分自身本来のあなた自身の本質としっかり繋がっていくと言うことが必要になっていく。


愛と光が重要なポイントなってきます。


あなたが今地球上で選んで選択して転生してきた目的の一つに

あなたの魂のレベルアップ・成長したいあなたのチャレンジ精神がそうさせています。

エネルギー体でいる魂のほうが成長というものから遠のきます。

肉体をもつ魂は困難が多く待ち受けられ、肉体を持つことにより感情がはいります。

その感情と上手につきあっていくそのことが魂のレベルを成長させていく

そこに繋がっていきます。

あなたがおかれている環境を冷静に客観的に何の判断もジャツジも下さず見てみる

そういう高い所からふかんするあなた自身というものをあなた自身がトレーニングふかんして見ていく

そういうトレーニングをお勧めします。

それによりあなた自身の成長がドトンドン上向きに成長していくでしょう


[241] ブロック解除 Date:2012-09-30 (Sun)
縁あってマインドブロックバスターのインストラクターさんにセッションをしてもらう事ができました。

ほんと無理いって申し訳がなかったと思います。

マインドブロックバスターのインストラクターさんが潜在能力を読み取って、ブロックのイメージを見て、

どんなイメージでブロックが外れるかを見て、それをポジティヴなイメージを入れ替えてしまうという技法かもしれません。

セッションはインストラクターさんと自分との共通するブロックのイメージが現れたりして、

ほんと府に落ちるというか?納得できました。

優れたインストラクターさんとは、お互いが共通するイメージを感じられるかもしれませんね。


大体は自分の思っていた手法と似か寄っている感じがしました。

ブロック解除はいくつもの手法があります。

封印解除とか何種類もいろいろありますが、ブロック解除して貰ったりしますと心が軽くなったり、

現実に対してより幸せ感も多く感じるようになると言う方も結構いるみたいです。

ブロックだと感じているものがあれば、そのイメージを形として、解放していって行えば、

透明感あふれる本来の自分に戻って行くのだと思います。

後は手法の違いがあるかなぁと思います。

結局のところは統合されると本来の高い波動になって行くのでしようね。

また別の意味でいいますと、想念体の中にあるエネルギーの解放も同じように本来の自分を取り戻す事ができます。

それによって、高い波動になって行くのだと思います。

でも、何回もいいますが、想念体の中にあるエネルギーは解放しないとなくならないのです。

まぁ〜これはこれからの課題でしようね

もっと時代が進んだ時にはそのような事が簡単に誰でも出来るようになるかもしれません。


思考や感情にはエネルギーがありますからね。

思考を入れ替えたとしても、残像しているエネルギーは残っていると思います。

現実は今ですよね、過去は過ぎ去っているのだけど、過去はなくならないのです。

その過去にブロックとかあれば、過去のブロックが現実に対して、強い影響を持っているのです。

その過去のネガティヴなイメージや思考や思い込みを気にしなくなったり、

解放されれば現実の今を生きる事ができるようになると思います。。

良くフォーカスするとかいいますよね?そのフォーカスしている事が、現実を引き寄せしたりしているので

ポジティヴなものにフォーカスするようにできるようになったらいいんですよ。

その為にはブロック解除をしたり、インストラクターさんにブロックを取り除いて貰ったりしたらいいと思います。

だからブロックがあれば、解放して行くことがとても重要になって行くのです。


今までいっぱい付けたネガティヴな思考や思い込みの付着したものを取り除けば、

本来の無垢であった自分を取り戻せる事になれると思います。

本来は無垢のものであっても、長い年月を経てば無垢であったものが、 

変色して本来の光沢や色は影をひそめ、それによって無垢の良さや輝きが失われる事になると思います。


ブロックなどネガティヴなものを手放せば、違和感や心の思い込みが軽くなって行くと思いますが、

とても強いブロックなどは、もし取ってもその下にあるものが出てくると思いますから、

またブロックを感じたりしたら、その都度行ったら良いと思います。

現実を創り出しているのは思考や思い込みと言われていいますからね。

現実は中立なんです。感じているのは自分ですからね、

そういうものが出てきたら形にして解放したり、また手放しをして行くようにしたら良いんだと思いますよ。


ただ、一度手放したブロックをもう一度引き戻すような事をする方がいます。

これなんかはいったん種を植えた物をもう一度掘り起こすようなものです。

ちゃんと目が出たか?

腐っていないか見る方がいますが、これなんかはブロックを再現してもう一度その波動を引き戻しているんです。

だから肝心なことはそのようなブロックを感じたなら、いったん横に置いて解放して行くようにしないといけないですよ。

それには優秀なマインドブロックバスターのインストラクターさんや、

またシターヒーリングのプロティクショナーさんとかがいますからね。

ブロック解除や解放されたいと思われたなら、そのような方に聞いて見たらいいですよ。

[240] 自分の望んでいるのは Date:2012-09-30 (Sun)


マインドブロックバスターやシターヒーリングは思考パターンやブロック解除をすると言うものみたいですが、

ほんと良い時代になったものです

自分の若い頃にこんな技法があったら、どんなに自分が救われたか思うと羨ましいです。

それに思考パターンやブロック解除に関する事は、これからもっと進化すると思うと嬉しくなりますね

でも、それに反して想念体の中にあるエネルギーはどうも取り除く事はできないようです。

それにエンジェルヒーリングや他のあらゆるどんなセッションを通して試みても無理みたいですね。

神様や創造主は自分で作ったカルマは自分で乗り越えろというものかもしれません。

それとカルマは機械的に処理されているような感じがします。

他の方に変わって代わりに行うカルマの解消は無理なようです。


ネガティヴな思考を取り除いて、新たにポジティヴな思考を再構築すれば、

ネガティヴなブロックはなくなり、現実は変わって行くと言うものですが、

これで変わっていく・また治るんだと思ったら本当に変わったり治ったりするのでしようね

でも、想念体の中にあるエネルギーはなくならないのです。

自分が言っているところの想念体の中にあるエネルギーはカルマの素みたいなものだと思います。

この想念体の中にあるエネルギーの解放を言っている方はあまりいません。

何故ならこれは悟り(見性)の領域に属するようだからです。

その体験を持っている方はあまりいません。

何故なら本格的な修行及び、神仏や師の恩恵によってのみ開けるみたいですからね。

例えを出しますと、伝説の中や開祖が通って言ったもので悟りに属するからです。

だからスピリチャルな事をして、セッションやワークを通して得られるものとはまた違うのです。

ハイ・覚醒しました〜ハイ霊動が開きましたとは違うのです。

だから沢山のスピリチャルな事をしている方でも、開祖や本格的な修行されている体験を理解できる事はかなかできません。

自分は体験したから、あなた達より優れていると言っていないのです

ここを勘違いはしないでくださいね

自分が体験できた理由の一つには、誰でもちゃんと正道を歩んでいれば、

素質がうんぬんと言うよりも、今世か来世にはその目が出てくるし、

いつかはその想念体と言われているカルマの素を開けられると伝えるものがあるのかもしれません。

また使命やお役目があるとか?そんな言葉を言う方がいますよね?

自分としてはそんなものはありません。

想念体を開けた者として伝えたいと思っています。


また創立者や団体の会長さんなどは、こんなものについては言えるものではないんです。

自分が立派ではないし、その自分だから言えるのです

また有名な団体の会長さんだから体験できているとはいえないし、

名もなくても、もくもくと修行されている方は開いているかたもいるんですよ。

そんなものを手放しをし、その上でなお修行に励んでいる方もいるんです。

自分は幸いにどこの団体も入ってないし、何もしがらみもありません。

クンダリニー覚醒したから聖人になったと言っている方とは違う見解を持っています。

決して偉くならなくても良いんです。

体験したから聖者ではないんです。

体験はあくまで体験であって、さらなる成長しないといけないんです。

あくまで聖者に至る通過点に過ぎないと思っています。

広大無変な悟りの中の一ページを開いただけですし、第一歩を進んだ程度だと思います。

それに想念体と言われているカルマの素の浄化がいかに大切かと言う事を伝えたいから

こうして話しているのです。

もっとこの地球の次元が進んで、誰でも想念体の中にあるエネルギーの解放ができたら

どんなに世の中が変わったり、人もカルマの影響からもっと自由になれるかもしれません。

いつか偉大なる方や師とか出てきて、その想念体を簡単に楽に開かせる技法などが出てくるのを望んでいます。

まだ実際のところは神仏や師の恩恵によってのみ開けるしかないのでしょう。

[239] ■ 聖者が残したと言われている葉の検索 Date:2012-09-10 (Mon)
もう〜随分昔になりました。

知り合いのアガスティアの代行者とは議論を結構しました。

彼女が言うのにはたぶん、今は意味がわからないだろうし、

偽物しかないとお考えのようですが、

そのうち、時間がくれば分かると思います。

ただ、今は準備段階であり、時とタイミングを見ている時間。

古庵さんが二章開いて、いい勉強が出来たといいますが、

本当はこれから一番いい勉強ができるチャンスが訪れる事でしょうと言うことでした。

カルマは必ず向かい合わなくてはならないと聞きますが、

今世ではなくて来世にでも巡り巡って来るのでしょうかね?

偽物とか本物とかよりも学ぶ体験が自分には必要であったと思っています。

彼女の言うようにあれから随分時も経ち、一番いい勉強ができたチャンスが訪れたかもしれませんね。

ちなみにシヴァの検索内容とアガスティアの検索内容はまったく正反対の内容でありました。

どちらが本物か?偽物か?それとも両方とも本物?偽物?

自分の見解は・・・


シヴァの葉やアガスティアの葉は、おおよそこのようなものです。

カルマの解消祈願をすれば良い影響になるであろうと断定はしていません。

そう言った流れになるかもしれないと言っているだけにすぎません。

ポイントは文章の中に殆どがあろうと言う事です。(断定はしていませんね)

インド寺院にてカルマの解消祈願をすれば良い影響になるであろうと言う事みたいですが、

インドだけがカルマの解消を行えるとは限りません。

自分のカルマ解消の請求金額は何十万でした。

インドで検索するナディーリーダがそのような金額を提示していました。

その中の一部の料金が代行者に入るみたいなんですが、

インド物価を考えても、とても大金なんですよ。

インド人に請求する金額と日本人が依頼する金額との差がこんなに違うのはどうだろうか?

それを日本人に大金を請求するとは?

弱みにつけこむようなものだと思いました(失礼)

ただ、全部の葉が偽物とは言いません。

こう言った疑問や疑いがあれば、静かになってよくよく考えて見たらいいですよ。

気が滅入っていたり、落ち込んだ時などは、判断できないような状態になっていますからね。

悪徳商法には騙されないように、しっかりと判断してくださいね。


あまりにもカルマの解消祈願の請求書が高額だったので、カルマの解消祈願はキャンセルさして貰いました。

もし、それで不幸が訪れようが、怪我や災難が起ころうとも自分は受け入れる事にしました。

シヴァの葉の検索のカルマの解消祈願をしなかったけど、あれから数年経ちましたが、

○○―○○歳の間に> 彼の結婚は行われるであろう?

結局まだ結婚はしていませんよ(笑)

それはインド寺院にてカルマの解消祈願を行わなかったからと言われるかもしれませんが?

検索の殆どがあろうと言う事です。(断定はしていませんね)

自分としてはそのあるかないか解らないようなものに何十万の大金は出せません。

またカルマの解消を行わなかった場合は、怪我や災難が起こるかもしれないけど?

インド寺院にてカルマの解消祈願をすれば大難が小難で済む?

まるで厄年祈願やお守りを買うようなものですね。

カルマの解消を行ったから、災難はやって来ないと思う心が運命を作っているのです。

不安を持つ方もいると思いますが、その不安が深層意識の中に種を蒔く事になりますからね。

その思いが、自分の運命を決めているのです。


潜在的なカルマは過去や未来を現在の瞬間に引きずり込んで、

悲劇の主人公を仕立てようとしているのかもしれませんが、

今の瞬間の意識に向けて、浮かんでは消える想念を風景として眺め、

たえず変化する風景を眺めるようにしていく事が大切だと思いますが、それがなかなか難しいかもしれません?

いくら開運祈願や開運グッズを持っていようが、深層意識の中にあるプログラムがあれば

思いは結果化けてくると思っていますからね。

だから気が落ち込んでいたりした時には、判断する事が難しいと思いますが気をつけてくださいね。


光のかけ橋 日記[ カテゴリ未分類 ]

若い時に自分はインドにとても興味がありまして、

知っている方に星の改善にナヴラハマホ―マやプ―ジャーとか頼んだ事がありました

その知り合いの代行者にインドにて星の祈願を頼みました。

星の改善ができると言う祈願のナヴラハマホ―マは良心的で、2500円で自分と家族の星の改善祈願をして貰いました

他の代行者に頼んだら3万ぐらいかかるみたいでした。

この差額は一体なんだろうか?

こう言った悪徳なビジネスが横行しているのでしょうね?


その知り合いの代行者によると日本でもマスコミに取り上げられたアガスティアの葉と言って、

聖者アガスティアが残した個人の予言書と言うものがあると聞きました。

ナヴラグラハのプ―ジャーのついでにアガスティアの検索も依頼したら、安くなると言う事でしたので、

アガスティアの葉の代行もついでに知り合いの方に依頼しました。


アガスティアの葉とは、聖者アガスティアが5000年くらいに昔にシバ神やガネーシャを拝んで神の声を聞き、

個人の未来を書き残した個人レベルの預言書と言われているものです。

このアガスティアの葉の検索内容はまたいつかお話をしたいと思っています。


話は変わりますが、そのアガスティア葉の予言よりもさらに、グレードアップした別のシヴァの予言書があると聞きました

そのアガスティア葉の予言よりもシヴァの葉の予言書の内容が濃いくて、

もっと多くの情報が載せられていると言う事みたいです。

シヴァの館では膨大な葉っぱの中から個人の葉っぱを探し出すのに親指の指紋を取り、

はい,いいえ形式の質問を受けるみたいです。

予言は約5千年前に書かれ、そこに読みに来る人だけの予言書が存在しているという。

両親の名前、自分の名前、仕事などを言い当てられ自分の葉っぱに行き当るそうです。

文字は古代タミル語で書かれていて、それを専門に読み取るナディーリダ―がインドでは居るらしい。


この予言書も因縁解消の祈願をインドにて行うとそのように良い結果が現れるであろう?と言う事みたいです。

自分の見解は高額な金額まで出して、インドの寺院にして貰わなくても、

日本でも因縁解消の祈願はできると言う持論を持っています。

一応、カルマ解消は行う事はしませんでしたが、その当時は第1室と第7室を知り合いに依頼しました。

知り合いの代行者に頼んだ検索の内容に該当すると思われる人物2名を知り合いの方が割り出してくれました。

会ってお茶でもしてきなさいと言っていましたが、ご期待に背きそのままにしていました(笑)

もう〜随分昔の事でしたから、今更いろいろ言うも可笑しいですが、

もし興味があってインドにて検索を行って貰おうと思っている方がいましたら、 自分はお勧めはしたくないんですよ〜

何十万も出しても良いと言う方は別にして、

弱みに付け込まれない為にも自分の気持に負けないようにしてくださいね

因縁解消(神への捧げものや恵まれない方に施しをして、

沢山の方が喜ばれるから、その徳によって、罪が軽くなると言っていました。

その為には高額な金額を請求されると言う事になると思います。

日本でも同じように祈願したら良いかなぁと?自分は思います。

ちなみに自分のカルマ解消の請求金額は何十万でした。

インドで検索するナディーリーダがそのような金額を提示していました。

その中の一部の料金が代行者に入るみたいなんです。

あまりにも高額だったのでカルマの解消祈願はキャンセルさして貰いました。


それとカルマの解消は他の方に変わって貰えないものと思っています。

何故なら今まで沢山のセッションとか行ってきましたが、カルマは徐々に浄化してはいっています。

でも、一遍に無くなりはしませんでした。

それは潜在能力の枠を開けている自分が一番良く解かっているからです。


良く全カルマの解除とかセッションを行っている団体とかありますが、自分は疑問に思っています。

自分はカルマの巣と言って、パンドラの箱と開けています。

その想念体に亀裂が入って、その枠の中からカルマのエネルギーが湧き上がって、頭頂から解放されて行きます。

そのエネルギーの強さに為すすべもなく、現実を翻弄されながら今まで生きて来ました。

その体験がありますから、本当にすぐに無くなるのなら、

是非行ってみたくて団体に問い合わせしたところ返事は貰えなかった。

この日本でも沢山のティチャーがいますが、我こそはと思った方がいれば自分にご連絡してくださいね。

喜んでお待ちしています。


もし全カルマの解除が偽りだったなら、受取りはその方に帰って行くものと思います。

それに該当すると思われる方がもし仮にあったとしても、運命の相手やソウルメイトだったとしても、

決まったものではないと思っています。

人の心は自由意識に任されていますからね。


検索結果は○の個所ばかりでごめんなさい。

当時この検索の事はあまり囚われないようにしていました。

それに何千年前にカシの葉に残したと言われるものですから、

真実を証明するものもないし参考にしていただければと思って書きました。

ポイントは文章の中に殆どがあろうと言う事です。(断定はしていませんね)

そう言った流れになるかもしれないと言っているだけにすぎません。

(インド寺院にてカルマの解消祈願をすれば良い影響になるであろうと言う事みたいです。)

カルマの解消と言って、弱みに付け込まれない為にも、

常識的な考えを持って貰いたいと思ってあえて検索結果を公開しました。

それに悪徳な商法者もいますし、何らかの参考になれればいいなと思っています。

でも、自分の検索結果を公開すると言う事はほんと勇気がいりますね(汗)


○○の検索結果

○○―○○歳の間に
> 彼の結婚は行われるであろう。

訪れるであろう花嫁となる人物は、神への帰依心と好ましい性格の持ち主である。

はじめに、彼は彼女を好きなり、後に結婚をするであろう。

彼はこのような女性と結婚をするであろう。

その花嫁となる者の家は彼の家から「北」 または 「北西」の方角にあるであろう。(生まれた場所から見た方角)

彼女の家までの道のりは2時間程であろう。(これは徒歩や鉄道、車の可能性もあるし、

インドでも良く解かっていないとの事でした。)

彼女は神への帰依心の持ち主である。

彼女は仕事についている。彼女は神への帰依心を持ち、好ましい態度の人物であろう。

彼女の顔にはおそらくマークやMOLE(しみ・ほくろ・あざ)などがあるだろう。

彼女の手、足、首にはマークやMOLEなどがあるだろう。

彼女は○○の子供ではないであろう。彼女の両親は存命である。

彼女には3人以内の兄弟姉妹がいるであろう。

彼女良い収入を得ているであろう。

彼女の家は 「東西」の通りに位置しており、○向きの家であるだろう。

彼女は神への帰依心を持つ人物である。

彼女の家に行く途中には、4つの通りが交差した場所であるだろう。(生まれた場所からの位置)
(確かに自分の生まれた場所から4つの通りが交差している場所はあります。)

彼女家に行く途中には、寺院、学校などがあるだろう。

彼女の家は、 「市街地」 にあるであろう。(インドから見た日本の田舎でも市街地だそうです。)

始めに彼は、その好ましい女性との間に交友関係を持ち、

それから結婚をするであろう。

彼女の名前は 「○行」  で始まるかもしれない。そして次の文
字と最後の文字は 「○行」 または 「○行」 または 「○行」 または 「○
行」 または 「○行」 または 「○行」 または 「○行」 のいずれの文字が
来るかもしれない。彼女は現代的な名前と、ファミーり苗字をもつであろう。

彼女のホロスコープは彼女のラグナは木星、または、金星から数えて、「〇番目」 または 「〇番目」

または 「〇番目」 または 「〇番目」 の部屋に位置するだろう。太陽、水
星そして、金星はひとつの部屋に位置しているか、

隣り合った部屋に位置するだろ

う。土星は〇〇座に位置するであろう。

木星は〇〇座に位置するであろう。

このように彼はこれらの条件にふさわしく、ほとんどが一致するような好ましい娘と恋愛結婚をし、

平穏な生活に恵まれるであろう。(これは何回も言いますが、インドにてカルマの解消祈願すれば、

こう言った流れになるであろうと言う事みたいです。)


http://www.youtube.com/watch?v=2-8DHorK3pY

アガスティアの葉の検索画像




[238] コオロギの声と自分が一体 Date:2012-09-10 (Mon)
秋の気配がしてきましたね。

まだ日中は暑いのだけど、朝方とか随分涼しくなりました。

自宅の周りでは、コオロギが鳴いていて、とても気持ちがいいですねぇ〜

このコオロギの鳴く声を聞いていますと、17歳ぐらいだったかなぁ?

友達が部屋に泊まりに来た事がありました。

その時に友達の声が微かに聞こえているんだけど、コオロギの声と自分が一体になったようになって、

とても不思議な体験をしました。

何とも言えない気持ち良さを感じたのを思い出します。

この気持ちよさは、筆舌にはとても伝えられないものです。

もう一度この気持ち良さを体験したくて、その状態になるようにした事がありました。

何回か同じような状態近くにはなりましたが、初めての体験のような強烈ではなかったけど、

それなりの気持ち良さを体験しました。


インドではこんなお話が伝えられています。

ある有名なヨガの行者のところに青年がやってきたそうです。

その青年が自分も行をしたいから、弟子にしてくれと頼んだのです。

行者は弟子を受け入れ、さっそく精神集中から始めさせたようです。

それがどういう訳かうまく精神集中ができません。

いろいろ手を変え品を変え、やって見てもうまく行かないんです。

その行者は、弟子になった青年にこう尋ねたそうです。

お前の一番好きなものはなんだ?

するとその青年は自分の飼っている牛がいて、その牛が非常に可愛い。

その子牛が世界中でも何より好きだと言うのです。

そこで行者は青年に、それならもう精神集中などしなくていいから、

朝から晩まで部屋に坐ってお前の好きな子牛の事を考えていろ。

鼻面形・眼の形・耳・角・全身を頭の先からしっポの先まで、

何度も細かく頭の中に描いていればいいと教えました。

それから数週間、部屋にこもって子牛のことばかり考えていた青年に、行者が声をかけました。

「もういいよ、出て来なさい。」すると部屋のなかから、青年がこう答えたというのです。

「出て行きたいんだけど、角がつかえて出られません。

つまり自分の好きな、子牛の事を一心になって考えていた青年は、

数週間もそれが続いている間に、自分がその子牛なってしまい、

部屋を出ようとしたときに角がつかえて出られなくなってしまったというわけです。

対象になりきってしまうというのは、まさにこの青年の状態で、

こんな状態を「三昧」と本山師も言っておられます。


精神集中 対象になりきった自分をも捨てる 
Date: 2012-06-29 (Fri) 光のかけ橋

精神集中に集中できている自分をも対象をポンと捨てないと開けてこない。

集中できている自分もポンと捨てないと、悟りの手前までともう少しと言うところまで来ている状態なのに

元のもくやみになってしまいます。

それには神仏のご加護・師の恩恵なくして到底達成はできないと思います。


本山先生は言っておられます。

悟りに達するには、一切への無執着と、行の極で自分と神仏に全託する事こそ肝心

この対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです。

精神集中の対象になりきっる程に集中ができているのに、

その集中して対象になりきっている自分をも対象をポンと捨てられないと、

悟りの道程の九分九厘迄行っていて、定から出てくると又元の処に戻ってくる。

悟りの境には達しない。

このポン自分をも精神集中の対象をも捨てる事こそ、

乾坤一擲(けんこんいってき) というか、悟りを開ける一番肝心の所です。

ところで対象になりきっている自分とその対象をポン捨てる事、

そして一躍して悟りの境に入するには、人間だけではでない。

そこに神仏の力が加わらねばできない。

神仏に自分の総てを託する。

任せねばなりません。

その時神様が、その人の自己の殻を破り捨て、高い悟りの境に上げて下さる。

本当にそこまでなりきっているか、菩提心がどれだけ強いか、それは神様しか解らない。


心の確立と霊性の開発

本山博

[237] 一瞬の飛躍 Date:2012-09-03 (Mon)

聖フランチェスコの悟りと、臨済宗の公案修行における悟りとの共通するものを見てくださいね。

覚者や悟りを開いたとされる聖者などは、少なくてもこのような道を究めて行ったものだと思います。

精神集中や修行されるいる方などは、期が熟され普通の意識状態を超え、意識が限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識が境界線を越えて、本来の自己が現れるのでしょう。

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

そのとき初めて、仏性を悟ることかもしれません。

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います。

今の時代では、悟り(見性)難しいされてといるものですが、神仏のご加護や師の恩恵によってのみ

開けると言っても過言ではないと思っています。

そう言ったって生半可なものでは、開けないと思いますが、修せざるには現れずといいますからね。

仏性というものは人間のすべてめいめいの上に豊かに具わっているもので、衆生は本来仏です。

けれども修行しないと現れないし、それを自覚体験しないと攫む事は出来ないと言う事だと思います。


臨済宗では公案という謎のようなものが、師から弟子に与えられると言われています。

これは自分の知り合いで臨済宗のある本山にいた、お坊さんをしていた方から聞いた事がありました。

本山修行では、「隻手の声」とよばれるものがあって、つまり両手を合わせれば音がするけれども、

片手の音が聞こえるかという問題だそうです。

これはいく頭で考えてみてもどうにもならない問題ですが、それなのに独参といわれるものがあって、

何回も老師のもとに引き出されるというものです。。

そして、その回答を要求されるそうです。

そういう心理状態が限界を超えて、次第に普通の意識状態を超えて、

最後に一瞬の飛躍があって、仏性の本来の自己を見るそうです。

これが臨済宗における悟り(見性)だと言っていました


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[158] ■聖フランチェスコの悟りとは? Date:2011-08-24 (Wed) 光のかけ橋

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、高熱のなかで、

ある問いが繰り返し彼の頭に浮かびました。

神を愛することができるだろうか。どうやって?

神を愛することなくして、生きていくことはできないと思うのに、どうしたら愛せるか解りませんでした。

愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。

これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとそれます。

ある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで一羽の鳥が鳴きました・・・・・。

そしてその泣き声ょフランチェスコは今までとは全く違うように聞いたそうです。

その鳥のかなでる歌声のパワーによって、彼は悟ったのです。

バーソロミュー  マホロバアート
ヒューイ陽子=訳

[236] 本来の見ていた風景や音を思い出す Date:2012-08-16 (Thu)
覚醒は霊能力開花の事について言っているのだろうと思いますが、

意識は変わらず今まで通りで、エクスタシーはないと言っている方もいますね。

だから悟り(見性)体験しても同じようなものだと思っているのかもしれません。

しかし違うのです。

霊能力開花との違いなんだけどね。

霊能力開花を目的にしたものであれば、霊道が開けてくるのでしよう。

悟り(見性)とは想念体の中にある不純物を取り除く事によって、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、

そのもので見たり、聞いたりする事が本来の見ていた風景や音を思い出す事になると思います。

今のまま霊能開花を目的にし霊能を開くのと、心に溜まっている不純物を取り除いて、

見たり聞いたりする事の違いを考えてほしいですね。


開祖が通って行った道は書物に残されています。

それを辿って言ったならば、高い霊性も身に着ける事ができるかもしれません。

霊能開花を目的にしたものであれば、霊能開花が目的なのだから開花するでしょうね。

自分は宗教体験とセミナーを通した体験を両方も体験しています。

ただ、宗教もセミナーも目的が違うみたいですが、セミナーだから駄目と言ってはいないんです。

覚醒はそれでも開花するかもしれませんが、宗教の悟り(見性)は今の時代ではほんと難しいと思います。

やはり出家しない無理だと思います。

在家でも、悟り(見性)を体験するかたも稀にいるかもしれませんが、

それほどお釈迦様や開祖が通った悟り(見性)と言うものは、生半可な事では開けないと思います。

いつも自分が言っているように、神仏のご加護や師の恩恵なくしてとても悟る事なんてできません。


光のかけ橋日記から引用

「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、

いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、同じ月が、まったく違って見えるのです。


またお釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました

今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、時空を超えて、人の心から心にと伝わったと言われがあります。

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったものだと思います。

お釈迦様の時代に沢山の修行者がいても、ただ一人の摩詞迦葉尊者だけがお釈迦様の蓮の意味を理解できたと言う事なんですね



[235] 偉大な血筋 Date:2012-08-15 (Wed)
★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*・★


ロナ・ハーマンはマイケルからの贈り物でこんな事を言っています。

最初は創造主のハートセンターから生まれた。

しかし出生は天使界あるいはその他の偉大な血筋を引いている可能性があると

「神聖な存在」の「小さな」火花であるとロナ・ハーマンが言っています。


すべての方は創造主から分かれた御霊分かれ、神様から分かれた魂と言われたりしますが、

ロナ・ハーマンが言っているように、血筋を引いている・神聖な存在・火花と言われている方は

少なからず、こういった系譜のお持ちの方はいると思います。


人はなんらしかの御霊分かれだと思いますが、その偉大なる御霊分かれの魂により近い方が、

生まれてきている。

ある者は偉大なる魂のままで、生まれてきている。

また多くの方が、そう言った魂の流を持っている方もいるみたいです。

その偉大なる魂に近い御霊分かれの方は、それだけ影響のある仕事をしているのかもしれません。


自分のマイミクさんの一人にも、そう言われているティチャーがいます。

自殺を何回も試みたり、体も不自由になつて一時車椅子の状態になっていたと言っていました。

今では苦難をを乗り越えて神がかりの現象などがあるみたいですね。

自分のオリジナルエネルギーを持っていて、ネット以外でも結構知れ渡っているようです。

そのマイミクさんが、古庵の波動に合わせしたら涙が出て止まらなかったと言っていました?


このマイミクさんと比較するのはどうだと思いますが、自分としては現象よりも

神理の伝道やDNAリネージのように古の道と聖なる母の知識を伝えるのが、魂の傾向でもあるのかもしれません。

だから現象と言うよりも、神理の伝道をしたいと心の底から湧き上がってきます。

現象としての上で、神理を伝えられたらほんとはそれが良いんだけどね。

どうしても神理伝道がしたいと心から湧き上がってきます。

ほんと損な立ち回りかもしれません。こればかりはね(涙)

自称と我は○○なりと言っている方もいますが、こう言った事は自分で言わなくても周りから

言われるようになるみたいですからね。

でも、それだからどうしたと本人も思っておられるかもしれませんね。

そりや〜それだけ他の方にない強い魂修行がありますからね。

それでいて、やっと人生の後半で幸せが開花したようです。

ほんと良かったですね。

羨ましい限りです。

自称○○と言っている方は優秀なティチャーや11次元に存在するといわれている

アシュタールなどに聞いたらいいと思います。

自分が思っているよりも、より具体的に納得できるかもしれませんね。




DNAA+12リネージリーディング結果
Date: 2011-10-18 (Tue)

まいまいさんはDNAA+12リネージリーディングをされている方なのです。
マイミクにさせてもらっている関係で、DNAA+12リネージリーディングを受けてみたくなり、
まいまいさんに見て貰いました。
DNAA+12リネージリーディングを受けて見たいと思われたなら、まいまいさんに依頼したらいいですよ。

※古庵の質問については、第10次元に書いてありますと言う事でした。
この○○○○の事は言わないことにしましょう。
今まで4人のティチャ―にもそんな事を言われました。
この○○○○だと言うよりも、まぁ〜5本の手だとして、その中の一本の指が自分ではないのかな?
と言う事で質問にさせて貰いました。


DNAA+12リネージリーディング結果ご報告
差出人 まいまいねじまき 古庵さま☆

まず12のポイントに光を入れていくのですが、
エネルギーはブロックなくどんどん入っていきました。
特に10番目の知恵(WISDOM)はいつ終わるのかという位光が入りました。(笑)

光を入れている時に感じたことを書かせていただきますね。
第2チャクラ(お腹)と第4チャクラ(心臓)がとても疲れやすいと感じました。
他人の痛みや苦しみをオーラ場を通してダイレクトに感じてしまうからだと思います。
聞こえた言葉は
「プロテクションを明確に行ってください。それを悪いことだと思わないでください。
全てを受け入れなければいけないと、思う必要はありません。」
でした☆^^

続いてリネージです。

☆ソウルタイプ:エンジェリックマスター(くっつけて表現させていただきます)

私たちは、
元はひとつの光(愛・ソース・根本創造主・神ともいいますね♪)から生まれたワンネスである存在です。
すべての魂の源は光です☆
そこから私たちは分離を繰り返して様々な個性(色)を持ち、様々なものを創造し、あらゆる星系を旅してきた存在です。
ですから、私たちは例外なく神の子であり、創造主と同じパワーを持っている存在だということを理解したうえで、読んでくださいね☆

とても早い時期に創造神から放たれた光線で、様々な星系を旅していますが、いずれも天使のスピリットとしてなので、肉体を持ったのはごく最近だと思います。
そのため、非常に違和感を感じているような気がしました。
でも地球には、3次元の時間軸では相当長くいるようです。

★エンジェリックソウル
天国の美の世界を創造するエロヒムを助けるスピリット。
天使たちは肉体を伴って生まれる必要はありませんが、人間の苦しみや痛みを癒すために、ボランティアとして人間としての人生を選ぶことがあります。
でもそのような人間界の苦痛を知らないので、まず自分自身が自らの人生で体験しなければなりません。そのため天使たちは困難な経験を与えてくれる家族を選びます。
天使たちが体験するのは自らの苦痛だけでなく、人間意識の中にあるすべての苦しみです。
人間の機能不全と苦しみを体験したあと、天使たちは自らを癒し始めます。
自らを癒すと、天使たちは人間の集合意識を癒し、痛みと苦しみのあらゆるパターンを解放します。

★マスターソウル
この世界に転生するために創られたヒューマンタイプの魂ですが、人間として生まれる前に、スピリットの転生の一つで完全なるマスター性を体験しています。
ですのであなたは、他者に自分自身をマスターする方法を教えることができます。

☆ソウルカラー:グリーン→シルバー
★グリーンについて
僧侶・オラクル・ヒーラー・サイキックのソウルカラーです。
あなたはこどもの頃に選ばれ、生涯奉仕するために訓練を受けてきました。
このソウルカラーは超感覚能力を備えています。
古の道と聖なる母の知識を復活させるために地球に来ています。
★通常DNAアクティベーションを受けると、ソウルカラーはアダムカドモンソウルカラー3色(ゴールド・シルバー・ブロンズ)に変化するといわれています。
古庵さまのソウルカラーには、既にサイキックとオラクルのシルバー に変わっていますが、DNAAは受けたことがあるんでしたっけ?

続いて12のリネージです

☆神としての自己意識(第12次元 )
神、神聖さ、すべてのものと一つです。これはエクスタシーの状態・至福の状態で、区別や分離というものは存在しません。
これは興味深い意識のレベルであり、悟りといわれています。

☆大天使との繋がり(第11次元):ラファエル
ラファエルは、「神は癒す」という意味の名を持つ大天使です。
ラファエルは強い力で人間も動物も癒します。ラファエルの名を呼ぶ人々には、すぐに癒しがもたらされるのです。
ヘブライ語に「RAPHA」という単語があります。「医師」「癒す者」という意味で、ラファエルをリネージにもつ者はヒーリング能力を携えて地球に来ています。
ラファエルは別名「旅の守護者」とも呼ばれています。宇宙旅行もそうですが、ご自分の内なる世界を探求するのも旅といえるということを覚えていてくださいね☆^^
ラファエルがそばにいるだけで、その場に安らいだ空気が流れ、ストレスと不安を和らげます。

古代あなたがスピリットのときから、古庵さまは呼ばれるとその者のそばに行き、ヒーリングをされています。
ですからヒーリングは生まれながらにできていたのだと思います。
今回私は非常に変わったビジョンをみました。
それは、下半身から透けていき透明な体になっていくというビジョンです。
アセンションと関係があるような気がしますが、古庵さまは、アセンションを信じますか?

☆アセンテッドマスターとの繋がり(10次元):○○○○
やはり○○○○でした。何度も尋ねましたが「あっています」との回答でした☆
私が感じた○○○○は、月(女性性の象徴)ととても縁が深く地球のデータバンクを保持しているというイメージでした。そこには人間のあらゆる歴史と感情が映し出されていて、知識を増やす必要はまったくなく、古庵さまはそこからデータを取り出せるといったイメージを受けました。ようするに、神聖なるもの、神秘なるもの、通常では知ることのできないものと古庵さまをつなげてくれるのが、○○○○のエネルギーなのだと思います☆
でも日本神界との繋がりも深いようですよ。
数人のアセンテッドマスターがサポートしてくれています☆^^

☆グループソウル(第9.8次元):アンドロメダ
ワンネスを創造するために結びついた無数のスピリットとソウルで構成された非常に大きいグループを指し、4つに分類されます。
アンドロメダは神の愛のグループソウルです。
これは感情的な愛ではなく、創造の力としての愛です。
芸術家が工芸品を通して表現する愛とよく似ています。
神は偉大なアイデアを持っています。
神はそのアイデアを愛します。そして創造の力が創造物を現実化しはじめるのです。
第8次元は、物質界における水のエレメントを創造するために個別化します。
これらの存在は、愛のマスターたちです。彼らは水のエレメントのマスターたちであり、常に水の近くにいる必要があります。彼らは現実化と豊かさのマスターです。

☆モナド(第7次元):平和(PEACE)のモナド
スピリチャルな家族のことをモナドといいます。モナドは数えきれないほどあり、12の魂に分かれ、それぞれが違う側面(アスペクト)を違う場所で学び、それらを統合するようです。(12の魂はすべて地球にいるとは限りませんし、ヒューマノイドであるとも限りません☆^^)

古庵さまの源とするモナドは「平和」のモナドです☆
平和とは、簡単にいうと対立のない状態のことです。自分の存在の中心にいて、自分にも周囲の人にも対応できる状態のことです。すべての幸福や愛情や豊かさは「平和」から生まれます。「平和」な状態であればこそ、本当の意味で与え、受け取ることができるのです。

古庵さまは、この地球に平和を体現するためにいらっしゃいました。
平和を体現するために行わなければいけないことって、なんだと思いますか?
それは、ご自分を信頼するということなんです。
マインドの限界を超え、永遠の智慧と繋がるためには、ご自分に対する大きな信頼が必要になります。
信頼とは、誠実で、正確で、正直になるよう激励する内なる知性であり、表面的な思考ではなく、古庵さまの内側の奥深くにあるものです。
ハートを開いてください。
古庵さまが偉大な神と再び結ばれ、心に平和を見出すために、ハートを開いてください。
そこには、別離の痛み、怒りと恐怖などといったあらゆる暗い感情が潜んでいるかもしれません。
それでも、それを見て感じ、その葛藤を手放し、ご自分を信頼することで、内なる平和が訪れます。そしてその内なる平和は外にも体現されるのです。
☆As above so below,as below so above☆

☆ハイアーセルフとの繋がり(第6次元):地球に平和(天国)をもたらす
ハイアーセルフは高次の古庵さまのことです。
といっても肉体はもっていませんので、古庵さまに肉体を使って意図を体現させようとしていると考えてください。
今地球人類の集合意識は、テクノロジーの誤用と惑星規模の汚染という生存の恐怖にさらされています。
この恐怖を取り去るのは、心に平和をもたらすことなのです☆
絶対的な現実というものはありません。
今、古庵さまのいる時空の枠組みは、傷を癒し、天地をひとつにするために大きく拡大しています。まず古庵さまが、鏡に映った幻影を通り抜け、大いなる現実の中に入っていってください。古庵さまには○○○○より、真実を見極めるための宝剣が授けられています。まずは古庵さまが、不信感・恐れ・価値判断・感情的問題という人生の鏡を覗きこみ、その剣ですべての実体無きもの切り払ってください。
ご自分を認めて受け入れて、古庵さまの真の姿を歪めて見せているものを解放して許してください。そしてご自分の心に平和をもたらしてください☆
古庵さまが心のブロックを外し、平和に満たされると、必要な方が集まりはじめます。その方々にヒーリングを施し、平和になる方法を教えてさしあげてくださいね☆^^

☆神話とのつながり(第5次元):ドラゴン(龍)
残念なことに、この素晴らしい火の精は西洋の文化と歴史によって魔物へと姿を変えられてしまいましたが、龍は本来自由で本能的な力をもち、豊かさ、根源的な自然のパワーを授けてくれる存在です。龍からのメッセージは「恐怖と向き合い、それが自分の心から生まれていることを自覚せよ」です☆^^
日本や中国には龍族・龍使いの血統を持つ方がたくさんいらっしゃいます。

☆今の古庵さま(第4次元・3次元)

☆エレメンタルとのつながり(第2次元):ローズクォーツ
愛とハートのヒーリングをもたらすのに重要な石です。
ローズクォーツ は悲しみや孤独を抱える人々が使うのに適した石です。
それは私たちが感情的に満たされないときに、穏やかに私たちを助けてくれます。
ローズクォーツ はハートの周りに創りだしている障害を取り去り、真のバランスをもたらす普遍的な愛のスペースに私たちを繋げてくれます。
またローズクォーツは、男性が自分の内側に持っている女性的な質と女神性に繋がり、攻撃的な男性性エネルギーに優しさと穏やかさをもたらすことを助けます。

☆エレメントとの繋がり(第1次元): 嵐(STORM)
嵐は最も大きな変容を引き起こすエレメントです。このエレメントは地・水・風・火のエネルギーがすべて一緒になることで創りだされます。
この4つのエレメントが組み合わされるとき、ただ混ざり合うよりもはるかに強いエネルギーが創造されます。その力は創造と破壊の瞬間を同時に体現しています。嵐は陰と陽が同時に存在し、その周波数は完璧なバランスと両極とを同時に象徴しています。


最後にチャネリングメッセージです☆
☆この地球に平和をもたらすために、あなたは地球に降り立ちました。
殺戮・干ばつ・水による災害、さまざまなドラマを見て胸を痛めていらっしゃるようですが、
どうか、その現象の裏にあるものを見つけてください。
あなたは、ご自分が多次元に存在するということを覚えていらっしゃいますか?
そして、同時に、あなたはアセンテッドマスターであるということをどうか思い出してください。
全ての生きとし生けるものに愛をもって、忍耐をもって、平和の意味を伝えてください☆


ありがとうございました☆

以上でリーディングを終わります☆







[234] 眼がキラキラしている。 Date:2012-08-14 (Tue)
瞑想とかしている方は眼の輝きが違いますから、一目見てから解るんですね。

眼がものをいうのです。

眼がキラキラと輝いているのです。

瞑想とかしていると、心も澄んできますからね。

また怪しい方などは、眼の輝きが不自然な光り方をしていると思います。

修行者は修行者の顔つきになっていきますからね。

でも、悲しい事に人間離れしたような顔つきになるのです。


瞑想していると自分と対象するものとの境界線が崩れて、その枠がなくなったりするとガードがなくなりますからね。

守っているガードが無くなれば、簡単に低級霊は入って来ます。

鬱の傾向のある方やネガティヴな思考を持っている方などは、

精神分裂を起したり、鬱病になったあげく取り返しのできない精神異常者になったりしますからね。

瞑想はお勧めはしません。

精神病棟には同じように金色が見えたり、そこからキリストが舞い降りたと言う方もいますからね。

霊能者ときちがいは紙一重と言われがありますから、

ネガティヴな思考の方や鬱の傾向のある方は、そういったスピリチャルなものを一旦止めて

普通の生活に戻して、安らぎや調和を取り戻していかないといけません。


謙虚に良いように思われたいと言っているのではありませんが、

古庵はブレないのではなくて、ブレないようにしているのです。

それでもブレる時も結構ありますよ。

その度に、思いと行いを神理に照らし合って、自分軸を取り戻すようにはしていますが、

でも、あまりにも衝撃的な事があったり、周りでゴタゴタするような事があったら、

なかなか自分軸を取り戻す事はできません。

それは誰にも当てはまる事なんだと思います。


アシュタールの言うように、

肉体をもつ魂は困難が多く待ち受けられ、肉体を持つことにより感情がはいります。

その感情と上手につきあっていくそのことが魂のレベルを成長させていく

そこに繋がっていきます。

あなたがおかれている環境を冷静に客観的に何の判断もジャツジも下さず見てみる

そういう高い所からふかんするあなた自身というものをあなた自身がトレーニングふかんして見ていく

そういうトレーニングをお勧めしますと言うことですからね。


だから、祈りから始まり、結界までは結構時間がかかります。

多分、そんなに長くなくてもいいのにと言われそうですが、自分はこう言った祈りとか結界はあまり苦にならないんですよ。

また祈りと言っても、感謝の祈りなんですね。

お金もちになりたいとか、運命の相手と巡り合うような祈ったりはしません(笑)

古庵は決して、優秀でもなくインテリーでもないんです。

自分の醜いところやずる賢いところも、客観的に見るようにはしています。

神理を説いていた団体の方などは、初めの頃は良かったみたいだけどね、

いつの間にか豹変していると噂をされているようですが、自分を客観的に第三者のように自分を見て行かないといけません。


宇宙系やチャネラーさんは良くネガティヴな思考になっていたら、ポジティブな思考に切り替えますから、

反省は暗くなるから、反省は使わなくてもいいような事を言っているティチャーもいますが、

思考の切り替えはとても良いのですが、反省・悔い改めを行ったりすればその良さが解ると思いますよ。

是非、実行されたらいいですよ。

5歳〜10歳・10歳〜20歳・20歳〜30歳と一区切りで、今まで生きて来た思いと行ってきた事を、

もう一度再現して見て見るといいですよ。

これらを反省して、心が澄んできて、霊道が開花された者もいると言われがありますからね。


高橋信次師はこんな事を言っておられます。

常に反省する心は、人間を執着から放して行き、魂の浄化にもなるということである。

私達は日常の生活の中から、怒り、そしり、むさぼり、愚かな心を離れ、一切の苦しみの原因を断ち切らなくてはならない。

心の中に悪にとらわれないことが大切なのだ。

心の中の悪にとらわれから離れるということは、利欲、栄華に惹かれる煩悩を捨て、

一念三千の心を常に光の世界すなわち調和の世界におき、利害損得、情欲、地位、名誉、などの執着から離れることである。

すべて、自ら求めることなく、自然な人徳によって与えられる人々は、己に厳しく、常に謙虚であり、誤りのない正法を実践している人々と言える

高橋信次 心の発見(科学篇)
三宝出版






[233] 覚醒と悟りの違い。 Date:2012-08-14 (Tue)
覚醒と悟り(見性)を混合にしている方が結構いると思います。

覚醒したと言うものは、霊能開花の事を言っているのでしょうか?

それにはエクスタシ―はないから、普通の感覚で悟りも覚醒もみな同じようなものだと思っているかもしれません。

それでいて能力開花した事が覚醒したというみたいですね。

これが主にチャネラーさんの言うところの能力開花だと言うものみたいですね。


悟り(見性)とかは、宗教の書物などに載っていたり、伝説のように伝え続けられているものですが、

これはエクスタシーというかどうか解りませんが、強烈な感覚があります。

人生がいっぺんにひっくり返ったような感覚になったりします。

この昂揚する素晴らしい感覚が沸き起こり、筆舌にはとても伝えられない感覚です。

一種の忘我状態に入ったり、またシーマンや巫女さんが水籠りをして、

熱を発してエクスタシーの状態になったりするというものもあるみたいですね。

またクンダリニー覚醒は背骨の下から火の蛇のエネルギーを上昇させて、

チャクラと呼ばれる中心点を通るときに、高熱を発する人がいると言われがあります。

それにヨガでいう、悦の感覚はそれはセックスの感覚とはまった比べものにならないようなものだと言っている覚者もいます。


霊能開花の覚醒と、宗教の覚醒や悟り(見性)とは違いがありますが、

宗教の修行者は心の進化の過程であって、物事にも囚われず、何ごとにも執着しない自由な心のなせるもので、

心の進化なくして得るものではないと、心の進化させるトレーニングを忘れて、

自分には力があると自惚れていては、やがて消えていく事にもなると言っています。


この能力開花の目的と心の進化の過程での違いはステージとしても違いがあります。

これは入り方の問題で、山頂を目指していくのには、どの道からは行ってもいいと思いますが、

そこに至るまではやはり経験豊富な師が必ずいる事が大切です。

で、ないと癖がついたり、何処が間違っているのか?解らないですからね。

そのような時に師匠というものは有難いものです。

セミナーを通しての師、宗教の修行の師との違いを理解できたなら良いんだけどね。

一人よがりの修行していては、たいては迷路に入り込んで抜け出る事が難しくなります。

チャネラーさんでも、素晴らしいティチャーの方もいっぱいいますが、

大多数のチャネラーになったと言う方には師がいなくて、

セミナーを通して、教え学んだりする時にそのティチャーが師となるみたいですが、

ここが目的の違いだからしょうがないのかもしれませんね?

宗教のほうでも、悟った師という者は身近になかなか居ないものですからね。

大きい団体などに言っても、指導される事は難しいと思います。

となると、やはり出家して本格的に本山などで修行しないと在家での修行は大変かもしれません。

古庵は運よく師に巡り合い、在家で体験できたのが奇跡のようなものでした。

それには神仏のご加護や師の恩恵なくして到底達成できるようなものではないと思います。


78] 約2通り求め方 Date:2010-08-11 (Wed) 光のかけ橋

スピリチャルな事を目指している方は沢山いると思います。

大まかに分けて、色分けすれば約2通りあると思います。


道場である一定の規律の中での修行をしている修行僧や巫女さんとセミナーやセッションの中でのティチャ―から教えを受けて、

能力的なものを開発して行こうとする方に分れるかなぁ?と思います。


沢山のティチャ―を見まして、殆どの方はセミナーやセッションを通して能力重視で伸ばすほうに目指しているみたいと思いました。

自分はどちらかと言いますと、チャネリングなどの能力的なものではなくて、何も求めない瞑想(座禅)を主にしていました。

それから縁あって、セミナーやセッションなど受ける事ができましたから、その両方の良いところも解かりますし、

良くない所と言えば語弊がありますけどね。


ただ、セッションやセミナーではなかなか悟る事はできないと思いました。

これは能力覚醒を目的にしているセミナーだから

悟るという言葉を自分は使っていますが、夢物語りではなくて、開祖が通って言った悟りの事を自分は言っています。

自分個人の考えでは、ある一定の規律の中での修行をしていて、

その上で?(併用)?セミナーやセッションとか受けられたら良いと思いました。


正道を歩んでいて、悟った師でないと、何処が間違っているとかも解からないし、

堂々巡りでメイロの中に入って、いつまでも出られなくなるような状態になると思いました。

チャネリングなど習って能力開発を目的にしているから仕方がないのかもしれませんが、

師が居るのと居ないのでは、随分違ってきますし何処が間違っているのか?癖がついたりして、

良くない影響も出てきそうですね。


また、能力開発を目的にしていなかった自分には、聖人と言われているクンダリ二―覚醒や悟りと言われている

お釈迦様の悟りを開かれたと言う、物語りと思われている悟り(見性)体験をしました。

それにカルマ(解消)と言われていて、カルマのパンドラの箱や明けの明星の瞬き体験もさせて貰いました。


これも能力開発を目的にせず、正道を学んでいる師がいたからこそ体験が出来た事だと思います。

本来なら能力開発の目的などしなくても、仏教なら仏教、キリスト教なら純粋なるキリスト教を学んだら

開祖の通った足跡を辿っていけるものだと思います。


自分の見解は良くティチャ―の方などはチャネリングをして、天使や聖人をコンタクトしているから、

天使や聖人と同等の霊格が身につけていると言っている方がいますが、まったくの勘違いだと思います。


少なくても、開祖が通って行った、悟りの香りも伝える事はできないと思います。

沢山のティチャ―がいっぱいいますが、自分のような体験をしたと聞いた事はありません。

ある団体などは、聖人や菩薩、如来の再来だと言う方もいますし、

インドでもなかなか体験している方はいないと言われていますが、


体験したから霊性は身についているのではありません。

体験はあくまで体験です。

マザーテレサのような大きな愛やそれにキリスト様のような聖書の中の真理を身につけてこそ、

本物の聖人や菩薩と言われるレベルに達する事になるのかもしれません。

自分の心の中は、乗り越えていけれない壁をなかなか乗り越えれない自分にもどかしさがあります。

いくら奇跡の体験をしても、それはあくまで体験であって、キリスト様の霊性を身につける事はなかなかできません。

決して、謙虚に言っているのではないし、良く思われたいから言っているのではないんですよ。

自分は聖書の中の真理を身につけてないから、菩薩や聖人になってはいないといいます。

カリスマ性を持っている宗教家の創始者などの方はクンダリ二―覚醒は聖者だと言っていますが、

自分はそうではなくて、体験はあくまで体験であって、ルカの福音書などの聖書の中の真理を身につけてこそ、

聖者だと思っている違いがあるだけです。


スピリチャルな事を目指している方は、もっと本来の仏教やキリスト教を学んで、

仏教や聖書の中の真理を身につけてこそ、本来のスピリチャルな事を目指す目的ではないんでしょかね?

その為には六波羅蜜やハ正道を実践して行きたいと自分は思っているだけなんです。


あまり仏教やキリスト教と言われている宗教に拘らない方は、世間で言われているスピリチャルな事と言われているものを目指さなくても、

自然に沿った生き方をして、心の成長を目指していけたらそれでいいんだと思います。

[232] 瞑想して澄み切った状態 Date:2012-08-14 (Tue)
瞑想して澄み切った状態になったりする事が、、サードアイの芽生えに繋がるものだと思います

下手にクンダリニーをサードアイに上がらせたりするようなものではなくて、

自然に芽生えるまで座禅なら座禅・瞑想なら瞑想を行っていけばいいんですよ。

またサファイヤなどをサードアイ付近に置いて、瞑想すればサードアイが開花すると言っている方もいますが、

そんな物でたやすくできるようなものではないと思います

それは活性化するのではいいのかもしれませんが、商売の範囲だと思います

頭に気が集中しても良くないし頭温足冷になってしまって、万病の元になります。、

バランスが崩れると大変ですからね。

自然に芽生えるまで、無理に芽生えを目指さないでもいいと思います。

チャクラの活性化と芽生えの違いがありますからね。

それは自分で体験すれば理解できますよ

サードアイの芽生えは追い求めるものではなくて、

結果を狙わず、成りゆきに任せて、

そんな思いも手放しをして、瞑想していけばきっとそれなりの自力がついていくと思いますからね


■ 経典の中にある明けの明星
Date: 2011-10-16 (Sun)

明けの明星とは金星は自ら光っているわけではないのだけど、

地球から見るとどの恒星よりも明るく輝いていると言われています。

「一番星」「よいの明星」「あけの明星」などの名で親しまれていますね。

これから自分がいう明け明星は夜空に輝く金星の輝きやまたたきの事を言っているのではありません。

お釈迦様や弘法大師空海が残している経典の中にある明けの明星の事についてです。


お釈迦様は今からおよそ2500年前南インドにて、12月8日の暁、

菩提樹の繁みの下であけの明星のきらめく頃、悪魔を退け悟りを開かれた言われています。

1000年前に高名な弘法大師空海が阿波の大滝に登り、

土佐の室戸埼で、求聞持法の修業に励んだところ、谷はこだまし明星があらわれたと言われがあります。


また密教超能力の秘密の書物に記載されていますが、空に星が現れるのではない。

内的霊視を物語っいると書かれています。

弘法大師空海が阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸崎でこの法の修業に励んだところ、

谷はこだまし明星があらわれると。この法即ち、求聞持法のことであるが、

これを鵜呑みにしてはならない。これは内的霊視を物語っているのであって

実際に空に星が現れることをいっているのではない。

(密教超能力の秘密)桐山靖雄著、


もし、それか本当ならサードアイの開花の事を言っているのでしょうかね?

お釈迦様の絵や像を見た事があると思いますが、

お釈迦様の額に、小さなボタンのようなものがついていると思います。

これは眉間にアジナチャクラ(サードアイ)が開花して現れたものを白毫と呼ばれているみたいですね。


第三の眼が開花する前には眉間に蟻のくすぐり、眉間あたりからスースするような感覚があったりするかなと思います。

入浴時に湯船につかって居る時やリラックスしている時などは光点がポツリと出現したりします。


深い澄み切った瞑想状態に入る前には悪魔とか蛇、サソリやいろいろな魔境が現れると言われがあります。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には、悪魔がきれいな女の姿で出て来て盛んに誘惑したり、

恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたことなどが伝えられています。

心の進化の途中では必ず邪魔をする魔が現れたりします

魔の対処の仕方は、この魔はいつかは滅びるもの、どんなに怖くても恐ろしくても、

アワヅブのような存在しかないし、いつかは消えていなくなるものと平気でいる事が大切なんですね。。


あけの明星のままたきの前には、蛇や大蛇、サソリとか得体のしれないものが現れます。

これは禅などでは、魔境と言われるものですね。

昔から相手にしなさんなと言われるものだと思います。

こういった魔境がまだでないようでは、本物ではないと言われています。

修行者が進化・成長していく時には、こういった魔が邪魔をして、

進化を止めようと魔が競いたつみたいです。


そしてとても澄みきった状態になっていたその時に、

暗闇から一筋の紫色の光が眉間の中央に注入して来て、光がまたたき始めました。

この感覚は筆舌に尽くしがたいですね

人間とは何か?

何者か?と思いましたね。

この紫色のまたたきは、生きているアメーバ―のように少しずつ変化しながら、形が変わって行きました。

そして密教などの曼荼羅の絵がありますが、その曼荼羅の絵と同じような感じです。

密教などの曼荼羅絵は宇宙観を表しているのでしょうかね。

その曼荼羅絵のような明星のまたたきは、自分の眉間の奥からはもう〜二度と消える事はありませんでした。

眼を開けていても、閉じていても第三の眼の渦は自分の器官の一部になっています。


虚空蔵菩薩求聞持法

御大師様(弘法大師空海)

「三教指帰」に「阿国大滝嶽に躋り攀ち、土州室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す。」
御大師様(弘法大師空海)が求聞持法を修されたことが書かれております。

御真言(マントラ)壱百万遍、御唱えします。どんな御真言かと言いますと、虚空蔵菩薩の御真言です。

御真言はノウボウアカシャ ギャラバヤ オンアリ キャマリ ボ(ウ)リソワカと言います。

壱百万遍を百日間で唱えるとすると一日、一座一万遍唱えます。又は五十日、七十五日間などもあります。

五十日間で修行する方が多いようです。五十日間ですと一日、二座(二回拝む)一座一万遍で二万遍にな ります。

一座終わるには個人差が有りますが五〜六時間程かかります。いろいろ細かいきまりがあります。

[231] 怒りを二つに分けて、怒りと一つにならないように Date:2012-08-14 (Tue)
怒ったりしたらこれは怒りだと、怒りと一つにならないように怒りを解放してあげないといけないといけません。

怒ったりしたらこれは怒りだと怒りを二つに分けて、怒りと一つにならないように解放していけばいいんだと思います。

その方法はいくつもありますが、

怒りをイメージに形にして、解放して行ったり、「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」「南無阿弥陀仏」と

怒った時の感情をかわす事も大切だと思います。




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[93] 自分の波動をあげる必要 Date:2010-10-16 (Sat) 光のかけ橋日記

人間としてこの地球に生きている限り、ありとあらゆる感情を持っています。

普通はポジティヴな感情は問題にはならないと思いますが、

厄介な問題なのは、ネガティヴ(怒り・批判・恨み・嫉妬・憎しみ)感情を持つと言う事です。

それは人間として、喜怒哀楽を持っているんですからね。

仕方がない事だと思います。

そこでネガティヴな思考に陥った場合、どうすれば良いのか対処法を考えないといけません。


光のかけ橋の日記にも書いた事があります(アセ)

怒ったらいけないと教えとかあると思います。

でも、人間だから怒りはありますよ。

毎日の生活の中で、怒った時などは一瞬怒ったらいけないと思うでしょ。

でも実際は怒りはあります。

怒りを使わないと目標をたてて努力していても、怒りは突然湧き上がってきます。

そこでしまったと思ったりしますが、後のお祭り。


自分が思うんだけど、怒りを抑えていたりしたら、火山の爆発みたいにいつかは爆発すると思いますね。

それをしまったと、自分を駄目だとくよくよしても人間だから怒りもあります。

それをいつまでも気にしていたり、しまったと思っていると、枯れていく花に水をあげるのと同じ事だと思いますね。


枯れていく花には自然に任せていたほうが良いと思います。

毎日の中で、怒ったり悲しんだり、苦しんだりする事もありますよ。

怒ったりしたらこれは怒りだと、怒りと一つにならずに怒りを解放してあげないといけないと思っています。


スピリチャルな事を目指している方などは、聖なるものを見つめすぎますと、自分の影ばかりが浮き彫りになると思います。

だから影も使ったらいいんですよ。

自分はあえて影を使えと言っているんではないんです。

影を持つ事もありますよ。それは生きているんだから仕方がない事もありますよ。

その影によって、自分を責めたり悔やんだりしても、もっと影を増やしてしまうと思います。

花には根っこもありますし、花ビラもありますよ〜

全体を使って、トータル的に生きていけたらいいんだと思います。

ネガティヴなものやポジティヴな感情もコインの表裏のように、表裏一体なものだと思います。

聖なるものをあまりにも見つめすぎますと、自分の醜さ・愚かさに苦しむようになって来ますからね。

それには、ダメな自分も良い自分も抱きしめながら、自分を向上できるようにして行ったらいいんだと思います。

だから全体を使って完成できたらと思っているんですよ。





[230] 理論よりも実践しないとね Date:2012-08-14 (Tue)
教学を学んでも、神理の実践をしないと絵に描いた餅と同じです。

どんなに上手に描かれていても、絵に描かれた餅は見るだけで食べられません。

神理を実践をしないと、教学を学んでも絵に描いた餅と同じです。


理論よりも実践しないとね、絵に書かれた餅のように食べれないですからね。

本当に神理を学んで心の中でそう思ったのなら、行動していますからね。

まだ行動に移してないとなると、心の中で思ったと言っても本当には思っていないんですね。

本当に思ったのなら行動していますからね。

教学をいくら学ぼうと、実践していかないと実体験に結びつかないんですね。


真理を実践していくと、人を取るか?真理をとるかと言う事が必ず身のまわりにおきてきます。

それには迷わず、真理を取るようにしなさいと説いている方がいますね。

イエス様は、父母を敬う(愛する)ようにと説き、隣人を自分を愛するように愛しなさいと、説いています。

イエス様がこの世に来て、真理を説く事により、人々(家族等)の中にそれを信じる者と、

信じない者との争いが起こる事は、不思議なことではないと言っています。

イエス様の説く教えに従うか、従わないかによって、人々の間に争い(反抗)が引き起こされると言っています。

イエス様は、イエス様の言葉(普遍の真理)に従うためには、あらゆる例外をもうけず、

何よりも大切なものとするようにと、説いているのです。


わたし以上に父や母を愛する者は、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。

また、わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。

後生大事に自分の命を守ろうとする者は、それを失いますが、

わたしのために、命を失うものは、かえってそれを保つ(自分のものとする)のです」

以上マタイによる福音10章より(ルカ12章、14章)


イエスは、父母を敬う(愛する)ようにと説き、隣人を自分を愛するように愛しなさいと、説いています。

さらに、それ以上に、何よりも大切なものを示しています。

イエスがこの世に来て、真理を説く事により、人々(家族等)の中にそれを信じる者と、

信じない者との争いが起こる事は、不思議なことではありません。


イエスは、イエスの言葉(普遍の真理)に従うためには、あらゆる例外をもうけず、

何よりも大切なものとするようにと、説いているのです。

さらには、イエスの言葉(真理)に従うためには、この地上の命に執着しないようにと言っています。

それが、永遠の命を得ることにつながると、説かれているのです。


[229] 自覚体験しないと攫む事は出来ない Date:2012-07-17 (Tue)
お釈迦様の時代に沢山の修行者がいても、ただ一人の摩詞迦葉尊者だけがお釈迦様の蓮の意味を理解できたと言う事なんですね。

この悟りの見性とはどんなものなのか

秋山さと子さんの悟りの分折を参考にしたら少し感じが解かるかもしれません。

非常に情動的なもので、エックスタシーといえるかどうかわかりませんが、

見性の寸前には、自分がどんな状態であるのかまったくわからないような、一種の忘我状態に入ることはたしかです。

以前、南禅時の柴山老師にうかがったら、最後には師のいる独参の部屋まで歩いて行くのに、

壁に突き当たってやっと曲がり角がわかるというような状態だったと話しておられました。


また山田無門老師もこう述べられています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である。


自分の体験上、開ける寸前には自分がどんな状態であるのかまったくわからないような状態になるのは確かでした。

何がなんだか解らないような状態になって、異変な状態を意識している自分に気がつきましたが、

それを手放をし、そのような状態から無我の境地になってポンと開けて行く所まで来たときに、

不安と恐れみたいな感情が蘇ってきました。

この盛り上がっていく感情は何回か体験してきましたが、とっさの判断でこの異変な状態から

避けたい気持ちで、自分は避けました。


この感情を避け時に師が見計らって、絶妙なタイミングで開かさして貰いました。

後から考えますと、自分一人ではこの感情を乗り越える事ができなかったと思いました。

自分はクンダリニー覚醒の影響があったから、こう言った異変な状態になった時には無意識で避けてしまようなところがあると思います。

何回かこう言った状態になった事がありましたが、ポンと開ける手前まできているのにまた元のもくやみみたいになっているようでした。

 
これらにはヒョウコが卵から少しずつくちばしを使って、外に出ょうと思っているヒヨコみたいですね。

いっぺんに殻を取り除いたら、ヒヨコはダメージを受け、

死んでしまうみたいです。

だから自分の呼吸で、ゆっくり少しずつ殻を取り除いていかないといけません。

そこを見計らって、親鳥がタイミングよく、殻を少しずつ取り除いていくのでしょ。

このヒヨコと親鳥のように師と弟子の間もこのようなものかもしれませんね。

グルに出会う事がすべてであると言っても過言ではないと何回も言うのはこういう事がありますからね。

神仏や師匠のご加護なくして、開けないと言っていますが、

スピリチャルに限らず、何事もそうですよね。

師の影響は計り知れないものがありますね。

現成公案にもありますが、ひな鳥が親鳥の自由に天空に羽ばたくのを見て、

ひな鳥は羽根をパタパタと習う事であり、先仏を手本にして、後仏がそれ学ぶと言う事があります。


宗教と言うものに手垢がつけられて、拒否反応を持たれている方が大勢いると思います

本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、

その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。

仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への事を教えていると思います


光のかけ橋 日記より

釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができません

心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところです。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることである。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいでしょう。

弟子は、師匠の日常の立ち居振る舞いを見ながら、自己を磨いていくのです。

何事も自分の努力で体得して、初めて自分のものとすることができます。

また、目に見えないものを見抜いて、初めて心から納得することができるのです。

言葉や文字では、究極のところは伝わりません。

[228] 自分の心を素直に明るくするだけでいいのです。 Date:2012-07-14 (Sat)
天空編NO2017 (天使のつぶやき)引用

悪霊というのは、心が素直で明るい人には、寄って行くのが辛いのです。

だから、悪霊は、悪い波動を出している人にだけ寄っていきます。

もし悪霊に寄ってきて欲しくなかったら、自分の心を素直に明るくするだけでいいのです。

でも、悪霊が憑いていても、心を明るくして素直になれば、悪霊は離れていきます。

素直になるには、心を反省して、自分の心の欠点を減らしていけばいいのです。

とっても難しいように感じますが、やっていけばできないことはないのです。

結界に頼ることはほどほどにして、まず心を穏やかにして、日頃のありかたを反省するようにしてみてください。

考えてみたら結界はお守りではありません。

正しい心を持った人を悪霊や月人の攻撃から護ってくれるのが結界ですので、乱用は慎んだほうがいいようです

心を明るく素直にしてしまえばいいのです。

明るい素直な心というのは、悪霊の波動とは全然別ですので接点がありません。

家に悪い波動があっても、それを感じることができなくて自分の良い波動が、その家を明るく浄化してしまいます。

まず心がけを正すという正道でいきましょう。

自分の心を振り返り、心を正すだけでいいのです。


[227] 記憶された想念と行為 Date:2012-07-14 (Sat)
お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。


瞑想から三昧へと心のカラを破って機が熟したなら

想念体に亀裂が入り、その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは月を移す綺麗な湖面のように、想念体にあるカルマ〔因縁〕エネルギーも澄んでくると思います。

それらによって、本来の自己が現れてくると思います。、



高橋信次 心の発見(科学篇)引用

多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまっていると言われています。

人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

あの世へ持って帰れるものは財産も地位も名誉も肉親も、また肉体もこの世をさる時に持って帰ることはできない。

すべてが、この現象界を修行していく過程のものにすぎず、これが人生の事実である。

あの世へ持って帰れるものは、人生航路で体験した。一切の善と悪、記憶された想念と行為である。

だから私達は一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきだ。

常に反省する心は、人間を執着から放して行き、魂の浄化にもなるということである。

私達は日常の生活の中から、怒り、そしり、むさぼり、愚かな心を離れ、一切の苦しみの原因を断ち切らなくてはならない。

心の中に悪にとらわれないことが大切なのだ。

心の中の悪にとらわれから離れるということは、利欲、栄華に惹かれる煩悩を捨て、

一念三千の心を常に光の世界すなわち調和の世界におき、利害損得、情欲、地位、名誉、などの執着から離れることである。

すべて、自ら求めることなく、自然な人徳によって与えられる人々は、己に厳しく、常に謙虚であり、誤りのない正法を実践している人々と言える

高橋信次 心の発見(科学篇)
三宝出版

[226] 意識をのり越える時のエックスシー Date:2012-07-14 (Sat)
山田無門老師もこう述べられています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である


自己の本性を見きわめること  Date:2011-06-16 (Thu)

主体とは自分自身のことであり、また客体とは対象物を指します。

それが正しい坐相によって、自分が対象物に溶け込み一体となることが、主体と客体の合一な体験であります。

意識をのり越える時のエックスシー体験は筆舌では伝えられない限界があります。

素晴らしい気分になり、意識的に自分を超えるなにものかがあり、合理的な考えだけが全てではないと言うことです。

自然と一体と言うか、山々の木の音や風の音とこの世では聞いた事もないような鳥のさえずり、

鳥が自分であって、自分が鳥のようでした。全てが一体で、自然が自分でした。

あらゆる音や見える景色もまったく今まで見たものとは明らかに違っています。

まさにテッペンカケタカのホトトギスのひと声です。



禅仏教の教え
禅宗は、釈尊が菩提樹の下で悟られた、その悟りをみずから直接体験することを唯一の目的としています。

http://homepage2.nifty.com/hakurinji/zen.html

見性成仏

直ちに指し示される人心とは、私たちの心の奥にある仏心にほかなりません。この仏心、つまり真の人間性に出会い、まみえて、自分が、ほんとうの自分になることを「見性成仏」といいます。
仏というのは真実の人間のことですから、成仏とは人間完成であり、人間成就のことなのです。見性の「性」とは「心」と同じ意味で、人間の本性のなかに、仏となるべき仏性がひそんでいるということです。借りに、迷いに満ちている醜い心であっても、その心に成仏の因である仏性があり、煩悩(一切の妄念)の心に仏となる功徳が宿っているとみすえるのが見性成仏ということになります。
心というのは、求めても求めてもつかめるものではないし、決まった形がないという事実を、みずから観念ではなく体験として知ることが「安心」を得ることであり、成仏することなのです。

[225] 機が熟されたなら、 Date:2012-07-09 (Mon)
瞑想から三昧へと心のカラを破って機が熟したなら

想念体に亀裂が入り、

その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

この想念体はカルマの巣のようなものです。

生まれてこのかた、思い行いもネガティヴなものやポジティヴなものまで、

まるでテープレコーダーのように刻まれています。

その想念対の中にあるカルマのエネルギーを解放していく事が何よりも大切です。

またパンドラの箱とも言っている方がいます。

ティチャーなどは開けたらいけないような事を言っている方もいますね。

そんな事はありません。

開けてみると開けたらいけないと言わないかもしれないし、

また開けみて、取り返しのできない事をしたと絶望するかもしれません(汗)

でも、偉大な開祖さんや正道を歩んでいる先人の方は瞑想をして、必ずここを通って言ったのです。

それを乗り越えて行き、もっと奥にあるものまで辿りついたのです。


自分などはこの開けたらいけないような箱を開けていますが、別にこじ開けたりしていません。

沢山のティチャーを見ていると、この想念体の中にあるカルマの巣のエネルギー解放を行っている方は

あまりいないように思います。

生まれてくる目的の一つにカルマの解消があるみたいですが、

その想念体の中にあるカルマのエネルギーを解放する事が大切なんです。

禅や瞑想修行していると機が熟されたなら想念体に亀裂が入って、

このあけたらいけないと言われるようなパンドラの箱も開く事にもなるかもしれません。

これらには神仏のご加護や師匠の恩恵なくしてなかなか開けるものではないと思っています。

自分の体験上は師匠なくしては、到底達成する事は無理なような気がしています。

それぐらい師匠やグルと言われている方の影響ははかり知れないのです。

聖フランチスコのような方なら師がいなくても、そのような事はできるかもしれませんが、

凡人の自分には到底無理でした。

禅や瞑想していて、そのような事もありうるかもしれませんからね。

正道を歩んでおられる師匠の元で、禅や瞑想を行うようにしてください。



光のかけ橋 (日記)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。


瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。


[224] 背反する二つの二元論 Date:2012-07-07 (Sat)
自分の人生を紐を解くと両極端の人生を通ってきました。

反吐のでるような場面をいくつも見てきました。

見たくもない聞きたくもない事を体験を通して、悲しみ苦しみを共有して、

その方々の少しでも為になれればと思っています。

クンダリ二―覚醒・悟り(見性)を体験して、聖者だと言うものも言われ、

また暴○団の監禁、殴り殺しのように殴られた事もありますし、

殺○者に付け狙われた事もありました。

ありとあらゆる底辺だと思われている世界を体験して来て、多少自分なりに理解ができたかなぁと思います。


この地球では、背反する二つの二元論(原理や基本的要素から構成されていると思っています。

陰陽思想では、世界は陰と陽の二つの要素から成り立っていると考えられているみたいですね。

光と影、昼と夜、男と女、剛と柔などにそれぞれ陽と陰の属性が対応すると考えられた。

この場合二つは必ずしも対立することを意味せず、むしろ調和するもの、調和すべきものと捉えるみたいです。


ラムサもホワイトブックでこう言っています。

自分の存在の内に最初も重要な学びほもたらしてくれる幻を最後まで演じ切るために、

あなたはそれを演じる舞台を提供してくれる高台に向かって進んでいくのだ。

その舞台の上では、王や乞食、愛する者や愛される者、奴隷や自由民など、

どんな幻にでもなれる自由があり、

それらの幻は、あなたの魂がそれ自身を満たす為に必要としている理解を、あなたに提供してくれるのである。

(ラムサ・ホワイトブック)


また自分のモデルに照らし合わせれば、間違いはないと神との対話(二―ル・ドナルド・ウイシュ)も言っていますね。

世界には犠牲者もなければ、悪にもいない。

誰も、他者の選択の犠牲者ではない。

ところがあるレベルでは、あなたがたはみんなで唾棄するものを創り出している。

創りだしたということは、それを選んだと言うことだ。

これは進んだレベルの思考だ。

すべての<マスター>は遅かれ早かれ、このレベルに到達する。

すべての責任を引き受けたときにはじめて力を得て、ほんの一部でも「変える」このことができるようになる。

「こんな目に合う」のは何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない。

「わたしの責任だ」と言ったときはじめて、それをかえられる。

なにごとであれ、それを変える第一歩、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ。

個人として責任があると思えなければ、わたしたちはすべて一体であるという理解を通じて、認めなさい。



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光のかけ橋 (日記)

舞台の上で加害者や被害者が一緒になって演じたと思いますから

今では貴重な体験をさせて貰いまして、心から感謝しています。

自分の人生を紐を解くと両極端の人生を通ってきました。

周りの事件といか?トラブルがあった時には必ずと言って良いほど自分はその場にいました。

見たくないもの聞きたくはないものまで、見せられた感じがします

これなんか言ったら語弊がありそうですが、偏見や思い込みを持たないで

大きな心で受け止めてほしいなと思います

暴○団○○所に連れて行かれたり、殴り殺しのように殴られた事もありますし、

殺○者に付け狙われた事もありました。

スラム街みたいな場所で三軒長屋2室を借り、両隣からいつでも逃げれるようにしている住宅もありました。

そこで○人がいて、その部屋にも連れて行かれた事がありました。

これらは裏社会で、普通の生活を営んでいる方やまっとうな生活をしている方などは無縁でしょう。

またスピリチャルを歩んでいる方もこんな裏世界の事は理解はできないかと思います。

自分は今回の世でいっぺんに沢山の体験をしたい、魂が渇望しているからそのような体験があったのだと思います。

高い設定をして生まれてきたと言われるのはこんなところてしょうね。

苦難・苦行を乗り越えこそ魂の糧になるのだろうか?

良い言う意味では、平凡無事で過ごしているだけなら人を導く事はできないものかもしれませんね。




[223] 普通の家庭に生まれて、普通に育って Date:2012-07-06 (Fri)
母の若い時は戦争中で食べる物もなかった時代に、

山村から物々交換をしに来た方がいっぱい居たと言っていました。

何日も食べてない方が家にきたそうです。

母は可哀そうになって、自宅であげ食べさせてあけだそうです。

帰りには手土産をその方に持たせて帰らせたと言いました。

それからお爺さんがまだ新品みたいな下駄がなくなっている事に気が付き

おいはぎを自宅にあげ食事までして、手土産までもたし、

挙句の果ては新品みたいな下駄まで盗まれたと母を叱ったそうです。

これなんか母から聞きますと、こういう例え話を思い出しますね。

昔、おいはぎにあって金銭を取られたら、その方は身ぐるみまで差し出したと聞いた事がありました。

また天使とはそのようなものなのかもしれませんね。

母がこのような天使だと言うつもりはないれど、たとえ話を思い出しましたね。

[222] 自分の人生は命の綱渡り Date:2012-07-05 (Thu)
四国に可愛いくて素晴らしい能力のあるティチャーがいます。

このティチャーにひょんな事からモニターを受ける事になりました。

もう〜随分前だったと思いますが、その頃はシタ―ヒーリング事はあまり解らなかったのです。

シタ―ヒーリングの手法は創造主に繋がり思い込みを引っこ抜いたり、

掘り下げたデータの入れ込みを行ったりすると言うものでした。


是非創造主に自分のカルマの事について聞いてみたくなりました。、

あばよくば、カルマを取り除いてほしいと思っていました(笑)

その可愛いティチャーにあなたは○○○○の○○○○の光の輝きを伝える為に来ている。

他のグループもこの時期に降りて来ているみたい。

だから一人だけ苦しんでないからと言われたことがありました。


今まで数人のティチャーに言われてきましたが、内心は面白くはありません。

こんな辛い体験をして、いつか体験を持って帰る事になるのだけど、

自分のオバーソウルがあちらに居て、自分はこんなに辛い体験をしてありとあらゆる苦しみを体験する?

もう〜こんなしんどいものなら生まれて来たくない気持ちがあります(涙)


たとえおかれている環境を冷静に客観的に何の判断もジャツジも下さず見てみる。

その感情と上手につきあっていくそのことが魂のレベルを成長させていく

あなたがおかれている環境を冷静に客観的に何の判断もジャツジも下さず見てみる。

そういう高い所からふかんするあなた自身というものを、

あなた自身がトレーニングふかんして見ていくと言うことをアシュタールは言っていました。

でも、あまりにもしんどいものなので、自分に負けそうです。


ただ、人は花ビラしか見ない。ちゃんと根っこがあります。

ちゃんと根っこもあって、全体で花を飾っているのですよ。

また人は結果しか見なくて判断をしています。

自分としては結果もさる事ながら成りゆきが大切だと思っています。

だからトータル的に見てほしいなと思っていますが、

もし○○○○と魂を持っていたとしてもそれ相応の苦難・強い魂修行があります。

まるで自分の人生は命の綱渡り 薄氷の上を歩いてきた人生だったと思います。


アシュタールが言うようにあなたは多くの方々のためになりたいと、愛と光でいたいと信念をお持ちのようです。

そこから考えてください。

あなたは多くの方々を救うためにあなた自身が経験をし、

乗り越えてきた事は心の糧になります。

あなた自身の行動を決して罰することがないようにあなたの人生を認めてくださいと言うことなんですが、


またDNAリネージのようにあらゆる苦しみを体験すると書いていましたね。

体験するのは自らの苦痛だけでなく、人間意識の中にあるすべての苦しみですと言う事なんですが、

それはともかく、それに通じるような出来事は沢山ありました(涙)


自分の信念は愛と光でいたいとアシュタールは言いましたが、

他の方は聞かされても漠然と解らないと思います。

救うというおこがましい事はいいません。

ウルトラマンではないんですからね(笑)

救うとか愛と光でいたいと言うのは他の方が苦しんでいるものを自分が体験して共有し、

その苦しみを乗り越えてその方の為になれる可能性があると言う事なんだと思います。

アシュタールはそれを少しずつ乗り越えてきたと言うかもしれません。

現実社会には他の方の解らない底辺と思われている社会があります。

その底辺と思われている方の苦しみや苦難をあえて魂が体験し、

それらの体験のカルマを自分で作り、それらを乗り越えてきたのかと思います。

自分の魂だからこそ、あえて引き受けたものかもしれませんが、

ありとあらゆる苦しみ苦痛を通ってきた感じがします。

それが他の方のためになれるのなら報われますが、何にもならないとなると解放してほしい気持ちをもっています。


またそのような環境を通って来たのならまだしも、またこれ以上の苦難というものが襲ってきました。

世界中で一番苦しんでいるのではないかと思ったりする事があります。

あえて言えば、テレビで報道特集をしていましたが、体から釘が出てくるとか?

また聖痕が現れて苦しんでいるとか?

ここでは言うつもりはありませんが、少しずつ苦難・苦しみを乗り越えてきました。

それらが終わってもこんなものまで体験しないといけないなんて(涙)


もう〜自分は人生後半を過ぎました。

ざっと半生を紐を解くと幼少の頃から人には言えない体験はありました。

虐め虐待・泥棒扱い・いろいろありましたね。

クラスで物が噴出した事がありました。

先生と生徒が誰が泥棒だと思うとトーナメントでクラスで行った事があります。

その犯人が古庵だと思う一番になってしまいました。

狭い田舎で、噂をされて、年下から泥棒とか言われたりもしました。

どんなに傷がついたか解りますか?

これなんかは現在版の魔女狩りのようなものですよね。

また随分虐めもありました。

挙句の果て喘息になったりもしましたが、それでも登校拒否しませんでした。

また虐めで自殺は考えなかったですねぇ〜

もっと幼少の時にこの世界は違うと言うだけで、何回か自殺を試みましたが、

死ねなかったので今度は死ぬのを諦めた時から自殺願望はなくなりました。

虐めにあってから今度は強くならないといけないと、別の自分を演じるようになっていきました。

引いても駄目なら今度は押してみよう?

そのぐらい手探り状態で少しずつ乗り越えて行った感じがします。

これなどは舞台の上で加害者や被害者が一緒になって演じたと思いますから

今では有難いと思っています。


周りの事件といか?トラブルがあった時には必ずと言って良いほど自分はその場にいました。

見たくないもの聞きたくはないものまで、見せられた感じがします。

これなんか言ったら語弊がありそうですが、偏見や思い込みを持たないで

大きな心で受け止めてほしいなと思います。

暴○団○○所に連れて行かれたり、殴り殺しのように殴られた事もありますし、

殺○者に付け狙われた事もありました。

スラム街みたいな場所で三軒長屋2室を借り、両隣からいつでも逃げれるようにしている住宅もありました。

そこで○人がいて、その部屋にも入った事がありました。

これらは裏社会で、普通の生活を営んでいる方やまっとうな生活をしている方などは無縁でしょう。

またスピリチャルを歩んでいる方もこんな裏世界の事は理解はできないかと思います。

自分は今回の世でいっぺんに沢山の体験をしたい、 魂が渇望しているからそのような体験があったのだと思います。

高い設定をして生まれてきたと言われるのはこんなところてしょうね。

苦難・苦行を乗り越えこそ魂の糧になるのだろうか?

良い言う意味では、平凡無事で過ごしているだけなら人を導く事はできないものかもしれませんね。


また原因不明の病気になり、自律神経症・不安神経症・心臓病・胃・膵臓・腸・肝臓

絶体絶命の中で、乗り越えてきた感じがします。

ありとあらゆる不運な体験だったと思います。

これらの体験があったからこそ、絶対絶命の中で追い詰められ、魂が目覚めさせられた感じがしてならない。

これらの体験が悟り(見性)の体験に通じたと思います。

こういう絶対絶命体験をしないと自分のようにスピリチャルな世界から遠ざけよう〜

普通の生活をしたい思っている自分だからこそ、

魂があえて追い詰められるような体験をするように設定して来たのかもしれませんね(涙)


それでいて、スピリチャルな世界ではクンダリニー覚醒体験・悟り(見性)などの体験した者はなかなか居ないと聞きます。

原因不明の病気をして、現在医学では治らないと絶望の中でそこで辿りついたものは、

苦を滅する道がある。

それはお釈迦様の八正道だと言っておられる八正道でした。

禅や瞑想していると想念体の中にあるカルマのエネルギーの浄化・解放がいかに大切であるかと思い知らされましたね。


ある書物を手にした時に現在では、解っていない原因不明の病気は自律神経の狂いで、

それをつかさどっているのは無意識の影響だと書いていたように思います。

今の現在医学でも解らない・

スピリチャルなティチャーも誰も言わない想念体の中にあるカルマのエネルギー

この現在医学にない難病などはこう言った想念体の中にあるカルマのエネルギーがあると思っています。

自分は想念体の中にあるカルマのエネルギーを浄化・解放していかないと生きていけないような状態になっていました。


どうせ生きて行くことができないのなら、最後に悟りを開いてみょう

それが無理なら命を絶とうと、決心をし覚悟はできていた時に悟り(見性)体験をしました。

この時の感激は筆舌には表せないものです。

道場での接心中に飛び跳ねて師匠のもとに行き、怒られましたねぇ〜

まだ終わりではない修行中であるど(汗)

そりゃ〜接心が終わり、この接心で悟り(見性)出来なかったら命を絶とうと決めていましからね。

飛び跳ねる気持ち解りますか?

悟ったら生きれる、悟らなかったら死を選択する

二つに一つの絶対絶命ですからね。


人間追い詰められ、絶体絶命の極限状態になった時は魂が目覚めるのですね。

ほんと両極端の人生を渡ってきた感じがします。

こんな事があって、お釈迦様の八正道や聖書の中にある神理の実践がいかに大切か

霊能力よりも心の進化成長がなによりも大切だと言うようになりました。


自分の魂はこんな体験までしてみないといけないものかと思います。

人の悲しみや苦しみを共有し、それで他の方の為になれれば自分は報われます。

そうでないのなら、この苦しみから解放して下さいと、

神様や想像主にいくら祈ってみても祈りは聞きとどけてくれません(涙)

そうであるならば、自分で乗り越えてみせる。

他人が変わって解消できるものではありませんからね。

カルマの解消とかはそのようなものかもしれませんね。

だから自分で乗り越えていかないといけないのです。

[221] 原因不明の難病など Date:2012-07-05 (Thu)
若い時に一冊のある書物を手にしました。

殆どの病気や原因不明の病気は自律神経の狂いで、

それをつかさどっているのは無意識の影響だと書いていたように思います。


現在でも解っていない原因不明の難病なども深層意識が影響しています。

深層意識の浄化・解放を行わずして、根本的な癒しにはならないだろうなと思っています。

またシタ―ヒーリングの手法などは創造主に繋がり思い込みを引っこ抜いたり、

掘り下げたデータの入れ込みを行ったりすると言うものですが、最近は良いものがありますね。


今の現在医学でも解らない難病などは、こう言った想念体の中にあるカルマのエネルギーが影響していると思います。

スピリチャルなティチャーでも想念体の事を言う方はいません。

この現在医学にない想念体の中にあるカルマのエネルギーの浄化・解放を行えば、

新たな癒しに繋がるものだと思います。


光のかけ橋(日記) 病気治しの体験

若い時にある書籍を見つけました。その書籍には殆ど現在では解っていない原因不明の病気は自律神経の狂いで、

それをつかさどっているのは無意識の影響だと書いていたように思います。


深層意識がなんだかの影響で、汚れてしまったならそれをつかさどると言われてる自律神経のバランスが狂いそれによって、

原因不明の病気になったりするのではないのか?と思いました。

コップ(無意識)に集めた水が(ネガティブ)汚れているのなら、

少しずつコップに(無意識)に綺麗な(ポジティブ)水を足せばその汚れている(無意識)

水も少しずつ綺麗な水に変わって言って、元の健康体に戻るんでないかと思いました。

まず、毎日ポジティブな暗示を寝起きとかは潜在能力に暗示が入りやすいと言われますから毎日行い、

そして気がついた時にはいつも暗示を繰り返すようにしていました。

多少の汚れ(深層意識の因)ならともかくいっぱいのネガティブなエネルギーに綺麗なお水を少しずつあげてもなかなか澄んだ水にはなりません

一旦、深層意識に沈んだ因は捌け口を見つけて、いつかは意識上に踊り出ると思います。

そこで、この綺麗なお水を綺麗にするのは蓋をあけて、いっぱい集めたネガティブなエネルギーとコップをも壊したらと思いました。

それには宗教の言われてる悟りが必要だと何故か思いました。

それを滅する道があるそれはお釈迦様の言われてる八正道だと思い

これが自分の本格的修業の始まりのきっかけだつたかもしれません。

[220] 愛と光が重要なポイント Date:2012-06-30 (Sat)
アシュタールのリーディングの結果 (随分過去)

アシュタールさんに聞きました。

もう〜自分は生まれてきたくない。

もっと高い11次元の存在のアシュタールさんのように高い次元で指導したいなと思っていますと言う問いに(アセ)

アシュタールはこう言いました。

できる限りそのようにチャクラのクリアリングして自分軸をもっていく

自分自身本来のあなた自身の本質としっかり繋がっていくと言うことが必要になっていく。


愛と光が重要なポイントなってきます。


あなたが今地球上で選んで選択して転生してきた目的の一つに

あなたの魂のレベルアップ・成長したいあなたのチャレンジ精神がそうさせています。

エネルギー体でいる魂のほうが成長というものから遠のきます。

肉体をもつ魂は困難が多く待ち受けられ、肉体を持つことにより感情がはいります。

その感情と上手につきあっていくそのことが魂のレベルを成長させていく

そこに繋がっていきます。

あなたがおかれている環境を冷静に客観的に何の判断もジャツジも下さず見てみる

そういう高い所からふかんするあなた自身というものをあなた自身がトレーニングふかんして見ていく

そういうトレーニングをお勧めします。

それによりあなた自身の成長がドトンドン上向きに成長していくでしょう。



あなたは地球の転生が少ない。

何回ぐらいの転生で地球になじんでない。

どうもあなた自身が不安のお持ちのようです。

あなたの不安・焦りを解除されたなら

あなたは素晴らしい役割りを達成できます。

宇宙が恋しくて不安を持っている。

あなたのチャレンジ精神で魂のレベルアップに来ています。

あなたはビュアな魂をお持ちです。

5次元6次元ぐらいでは○○○○とは別々の魂。

高次元ぐらいでは○○○○のそのような状態なる存在かもしれません。


ある程度の能力を持っている方が6・8次元あたりの情報をキャッチし、

高次元ではそのような状態になりますよって伝えきれていない。


地球にいる事はさどお辛いでしょうが、しかし我々はサポートさせて貰います。

あなた自身は諦めず、愛と光を持ち続け、もっともっと光輝き

素晴らしい魂をもっともっと皆さまに光をわけ与えると思われます。

自分軸を地球に地を張り宇宙と繋がってください。

あなた自身は高いレベルを設定して来ています。

精神性を解除して、瞑想・ハイアーセルフと繋がり、

地球と宇宙と繋がり、あせりが不安が解除できます。

あなたの相応しいレベルを引きよせる事になります。

そしてあなたの役割りが達成できます。


カルマについて聞いてみました。

自分が愚かだったから請け負ったのか?

それともブループリント・心の進化を共有したくて

あえて魂が設定してきたのか?


あなたは多くの方々のためになりたいと愛と光でいたいと信念をお持ちのようです。

そこから考えてください。

あなたは多くの方々を救うためにあなた自身が経験をし、

乗り越えてきた事は心の糧になります。

あなた自身の行動を決して罰することがないようにあなたの人生を認めてください。

そしてあなたのカルマというものに対して、あなた自身がそれをあなたの自身の潜在意識が作りあげている幻想だと気づいてください。

あなた自身が作っている契約をあなた自身で解除すればいいのです。


アシュタール(Ashtar)について
《アシュタールとは》

アシュタールとは、キリストやブッダなどの高次元の存在とともに働く11次元のアセンデッド・マ

スターであり、宇宙連合の司令官、コマンダー・アシュタールとして全宇宙に愛と平和の光をも

たらすことを使命としています。


アシュタールという名前は金星の言葉で「愛」を意味し、地球が愛で満たされた平和な星になる

よう幾人かの地球人をとおして、メッセージを送り続けながら地球のアセンションを見守り、

サポートしています。


《スターシードとは》


はるか遠い昔、アシュタールは青く美しい惑星である地球が、科学文明の発達とともに破壊の

プロセスに向かう未来の可能性を予測しました。そこで銀河の星星から勇者の魂を集め、彼らに

未来に予測される地球の姿について語りました。すると勇者の魂たちは青き惑星を救うために、

地球に転生することを願い出たのです。アシュタールは、そんな彼らのハートの中に契約の証

として「アシュタールの星の種(スターシード)」を埋め込みました。彼らはスターシードと呼ばれて

います。星の種はアセンションが近付くとはじけ、意識が上昇を始めます。目覚めたスターシード

たちは、自然と世界を見る目が変わり、人生に対する意識も変化していきます。まさに今、彼らは

その時を迎えようとしているのです。地球を愛と癒しで包み、宇宙の平和へと繋げていく任務を

遂行するためにー。              

愛と光信念を持っている。

[219] 精神集中の対象をも捨てる事 Date:2012-06-29 (Fri)
精神集中に集中できている自分をも対象をポンと捨てないと開けてこない。

集中できている自分もポンと捨てないと、悟りの手前までともう少しと言うところまで来ている状態なのに

元のもくやみになってしまいます。

それには神仏のご加護・師の恩恵なくして到底達成はできないと思います。


本山先生は言っておられます。

悟りに達するには、一切への無執着と、行の極で自分と神仏に全託する事こそ肝心

この対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです。

精神集中の対象になりきっる程に集中ができているのに、

その集中して対象になりきっている自分をも対象をポンと捨てられないと、

悟りの道程の九分九厘迄行っていて、定から出てくると又元の処に戻ってくる。

悟りの境には達しない。

このポン自分をも精神集中の対象をも捨てる事こそ、

乾坤一擲(けんこんいってき) というか、悟りを開ける一番肝心の所です。

ところで対象になりきっている自分とその対象をポン捨てる事、

そして一躍して悟りの境に入するには、人間だけではでない。

そこに神仏の力が加わらねばできない。

神仏に自分の総てを託する。

任せねばなりません。

その時神様が、その人の自己の殻を破り捨て、高い悟りの境に上げて下さる。

本当にそこまでなりきっているか、菩提心がどれだけ強いか、それは神様しか解らない。


心の確立と霊性の開発

本山博





[218] 結果を求めるのではなくて、なりゆきが大切 Date:2012-06-06 (Wed)
開悟といっても、迷っていたのがいま悟りを開いたというのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

またこう言う事を言う人が必ず出てくるんですよね。

本来悟りを開いているのなら、何もしなくても悟っているんだから、何もしなくても良いと言っている方もいましたが、

いいですか?本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

だからここを勘違いしてはいけません。


悟りというものは悟りたいと思っているうちは悟れないんです。

自分の言っている事はなかなか理解できないかなと思います。

悟り、悟るとか?そう言っているうちは開けないと老師や覚者も言っておられますね。

悟りを目指して。悟りたいと思っているうちは悟れないと思います。

弓道は的は狙ったりすると矢は外れると聞きます。

いかに自然体が大切だと言っていました。

結果を狙えば、的は外れると思います。

結果を求めるのではなくて、なりゆきが大切だと思います。

これは悟りに関わらず何事に対しても同じ事だと思います。


その悟りたいという執着を手放しにしないと悟り(見性)体験はできないかと思います。

その意味においては覚醒や悟り(見性)を開くのに何も必要なものはなく、足りないものもありませんが、

だからと言って足りないものはないし、今のままで完璧だからと悟らなくともよいと言うのではありません。


覚者は悟りといっているうちは悟れないと言っていますが、完璧だから何もしなくて良いとは言っていないんです。

悟りにこだわるから悟れないと言っているだけなんです。

その為には必要なものもないし、足らないものはないといっているに過ぎません。

本来完璧なんだ、その事を忘れていた、気がついた、そこで留まっているのです。


四番を打つホームランバッターはホームランを期待されています。

四番打者はホームランを狙って打つバッターもいますが、

ホームランを狙って打ってもなかなかホームランは打てないと言っていました。

またヒットの延長上にホームランは出てくるとも言っていました。

この延長上にホームランは出てくると言う事がポイントですね。

その足る足らない。必要なものはない、そういう思いもすべてひっくるめて、

瞑想なら瞑想・座禅なら座禅を行って行く以外はないと思います。


また悟ったからすべて悩みがなくなるように思っている方がいると思いますが、

違うんですよね。

悩みが無くなっても、また新たな悩みは出て来ますよ。

生きているんだから、仕方がない事です。

それに囚われず、思いを手放しをして行かないといけません。


自分が言っている悟り(見性)の事については、本来の自己を見るということなんです。

本来の自己とは?

悟りはまた狙って悟れるものではないんです。

悟りを求めて悟る事を執着しているうちは悟れないんです。

生命ひっくるめて、生命ぐるみで坐り、思いを手放して行かないいけません。


野球選手がヒットの延長上にホームランが出るような事をホームランバッターは言っていますよね。

何事もそうだと思います。これにつきますね。

チャネリングにしてもそうだと思います。

自分の時間を惜しんでも休みにセミナーなどを通して、随分大金を使ったり、

また高次元に叶う心を持つ為に、結界を張ったり、祈ったり、瞑想したりしながら

その結果高次元とコンタクトできようになったとあるティチャ―が言っていました。

また体外離脱や霊道法もリーディングや悟り(見性)もオラ―ソーマ―や占星術もすべて同じ事だと思います。

第一線で輝いているティチャ―などは、ごちゃごちゃ言わず、道を究めて行ったものだと思います。

黙って10年坐れとある老師はいいました。

ものになるとはどういう事か一度考えたほうがいいかなと思います。

誰も結果をみるだけど、経過、なりゆきを人は見ません。

これはスピリチャルな事に留まらず、何にして同じ事だと思いますが、

石の上にも三年と言う言葉がありますが、ある老師が黙って10年坐り・10年行ったら、さらに10年と言っていました。

ただ、瞑想なら瞑想・座禅なら座禅を行う事が大切なんです。




[217] 自分がどのポジションか見極めないといけません。 Date:2012-06-06 (Wed)
スピリチャルという野球場に一旦参加されたのなら

そこでプレーを一所懸命にするという事が大切です。

自分がどのポジションか見極めないといけません。

一番バッターなら一番バッターの役割りがあります。

二番バッターなら一番バッターをおくる役目があるでしょ。

四番を打つホームランバッターはホームランを期待されています。

四番打者はホームランを狙って打つバッターもいますが、ホームランを狙って打ってもなかなかホームランは打てないと言っていました。

またヒットの延長上にホームランは出てくるとも言っていました。

それはそれぞれの役割があると思います。

またダイリ―ガのように大物の助っ人として呼ばれる選手もいますし、

大物として、リーグを強くする為に他球団から呼ばれて来た選手もいます。


ブロ野球の世界に入ってきたのだから、練習を怠ったり、力が衰えたりしたら、

一軍でのプレーはできません。

まだしも八百長などは論外です。

いくら自分には力があると思っていても、結果がでないと一軍でのプレーはできなくなります。

見ている選手やお客さんは解かりますからね。

これらは二軍やプロ野球を去っていく以外はありません。

一軍のプレーをできなくなっているのですからね。


[216] 師と弟子の間 Date:2012-05-30 (Wed)
沢山のお坊さんがいて、もくもくと悟るために坐り続けていますが、

それでも一体どれだけ、こう言った体験ができるのか解りません。

今世が無理なら来世と、今世を縁とし、

来世には必ず、悟るためにもくもく修行に励んでいる方もいます。

それには師の恩恵や神様のご加護なくしてはなかなか開く事はできないかもしれません。

卵から少しずつくちばしを使って、外に出ょうと思っているヒヨコみたいにね。

いっぺんに殻を取り除いたら、ヒヨコはダメージを受け、

死んでしまうみたいです。

だから自分の呼吸で、ゆっくり少しずつ殻を取り除いていかないといけません。

そこを見計らって、親鳥がタイミングよく、殻を少しずつ取り除いていくのでしょ。

このヒヨコと親鳥のように師と弟子の間もこのようなものかもしれませんね。

グルに出会う事がすべてであると言っても過言ではないと思います。

[215] 神人合一の体験は不立文字です。 Date:2012-05-30 (Wed)
悟り(見性)の事をときどきいいますが、師のご指導なくしてはとても達成できるものではないと思います。

これは佛教界の開祖などが、経典に残されているものです。

それを体験するというのは、今の時代では尚難しいと思われます。

スピリチャル系の方でも、こう言った体験を語る方はいませんでした。

また徳の高いと思われている団体の創立者の方などもあまりいないように思います。

これは正道を歩んでおられる師匠の恩恵によって開けると思えますが、自分で体験する以外はありません

神人合一の体験は不立文字です。

人間とは何か?

何者か?とつくづく思い知らされる体験だと思います

師匠の元に偶然めぐり合ったのは神様や仏様の計らいだったと思います。

神様はどこに居ようとも地球の裏側にいる師を見つけだし、

連れて来てくれると聞いた事があります。

きっと神様に祈ったりしたら、巡り合うように計らいをしてくれるのでしようね。

自分も成長できる師に巡り合いたいと祈ったりしていましたからね。

だからそのように祈ったりしていけば、きっとグル(師)とめぐりあうようになれると思います。

[214] 進化の過程 Date:2012-05-22 (Tue)
仏教の中にも悟りとか昔から伝えられたリ、一度は聞いた事があると思いますが、

これは仏教の開祖さんとかが、経典にも残されていますね。

こういった悟り体験は絶無に等しいというものみたいです。

それは今の時代ではそういった悟りを開く事は難しいとされています。

それには師の恩恵なくして、悟れる事はないと思いますし、

神仏のご加護がなければ、悟る事はできないと思います。

正道を実践されている師の下で、ご指導を仰ぎながら正法を学び、

正道を実践する以外は道は開けないものだと思います。


[213] 心から心へ直接の体験 Date:2012-05-22 (Tue)
今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、お釈迦様の悟りが修行僧の心から心にと伝わったと言われがあります。

正道の実践の積み重ねによって悟りが開かれて行くのでしょうね。

実際は言葉や文字では、究極のところは伝わりません。

釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができないと思います。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました。

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったものだと思います。


心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところと言われています。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることみたいです。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいと思います。

弟子は、師匠の日常の立ち居振る舞いを見ながら、自己を磨いていくのです。

何事も自分の努力で体得して、初めて自分のものとすることができるというものです。

また、目に見えないものを見抜いて、初めて心から納得することができるのです。


[212] 鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・ Date:2012-05-21 (Mon)
聖者と言われる聖フランチェスコは、このように悟って行きました。

聖フランチェスコはその病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかで、

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、

イライラと絶望がつのり、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の鳴き声が今までとは全く違うように聴こえたとありますが?

それは次第に普通の意識状態を超えて、そういう心理状態が限界を超えて、

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います。

最後に一瞬の飛躍があって、その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・聖フランチェスコは悟ったのです。

[211] 正道の実践の積み重ねによって Date:2012-05-20 (Sun)
聖フランチェスコは悟りを開いたとされていますが、

すくなくても、聖者と言われる者はこのような進化の過程を通って、

聖者と言われる者になったと思います。

すべては神の子だと言われていますが、それは本質的な事であって、

あなたも私も聖者ではないのです


外窓の向こうでは、一羽の鳥が鳴いたそうです。

鳥の鳴き声が今までとは全く違うように聴こえたとあります。

聖フランチェスコは次第に普通の意識状態を超えて、そういう心理状態が限界を超えて、

最後に一瞬の飛躍があって聖フランチェスコは悟ったみたいです。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったそうです


光のかけ橋日記より  Date: 2012-03-05 (Mon)

イエスキリストは、イスラエルに生まれたときは、大工という職人の子供としてである。

つまり人は、生まれによって、聖者になるのではなく、正道の実践の積み重ねによって悟り、

他人が聖者と呼称するのだ。

聖者は、偉大なる智恵と勇気によって、最善の努力をし、

すべて足ることを悟り、一切の執着から離れ、

迷える衆生に愛の手を差しのべ、救済して、太陽のように暖かく、

広い大きな心で常に謙虚、人類は皆兄弟だということを悟っているのだ。

著者・高橋信次

[210] 苦痛の中から悟って行く。 Date:2012-05-20 (Sun)
聖フランチェスコは苦痛の中から悟って行った事で、

もがき苦しみその異常な環境がなかったら聖人にはならなかったと思われます。

聖フランチェスコという聖者は素晴らしい聖人だったのだと思います。

たった一人で悩みもがき苦しみ全身が疑問のかたまりのようになって、

それをたった一人で、悟りを開いたみたいです。

悟りを開いたとされる聖フランチェスコはやはり偉大なる聖者だったと思います。


外窓の向こうでは、一羽の鳥が鳴いたそうです。

鳥の鳴き声が今までとは全く違うように聴こえたとあります。

聖フランチェスコは次第に普通の意識状態を超えて、そういう心理状態が限界を超えて、

最後に一瞬の飛躍があって聖フランチェスコは悟ったみたいです。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったそうです。

[209] 死んでも死なない命を生きる Date:2012-05-18 (Fri)
聖者などは、その眠りから目覚める事が大切だとよく言われてますよね。

アラン・コーエンさんは人は死ぬまで生きているように見えますが、

実は、生きるようになるまで死んでいると言っています。

自分としては生きると言う事は死に切れ

死んでも死なない命を生きる事が大切だと思います。

その死んでも死なない命の自己を悟る事が大切だと思います。


霊性の高い方は、お釈迦様の八正道やキリスト様の聖書の中にある真理を身につけているのです。

また八正道や聖書の中にある真理を知らなくても、自然に真理を身に付けておられる方もいると思いますが、

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道への道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。

高橋信次と言う巨匠がいましたが、八正道とは己の心を中道という調和にひきもどす神の模範であり、

その模範に無理がなく、心が自然についてゆける自分自身になった時に、

ひとは初めて菩薩行をなしえるのであると言っています。

ハ正道を実践して心の調和や安らぎを見いだしていくうちに、初めて菩薩行がなしえると言う事みたいですから、

それが出来ずに高い霊性が身についているとは言われないものですね。

また霊動が開花したり、またリーディングが出来たから、

聖者とは言わないのです。

だからあなたも私もすべてが聖者ではないのです。

人はみな神の子・仏の子であると言われがありますが、たとえ本質がそうであっても原石は原石です。

その原石が光輝くようになるのには、道元禅師が言うように

〔玉は琢磨によって器となる。人は練磨によりて仁となる。

いずれの玉がはじめより光ある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし〕

高い霊性を身に付けるのには八正道や聖書の真理を実践したり、心の調和や安らぎを見いだして菩薩行を行っていく以外はないと思います。

聖者とは眠りから目覚めた者です。

聖者は眠りから目覚めなさいという事でしょうね。

サイババさんの書物に記載されていました。

私は神を知っているが、あなたはまだ神を知らない。

またあなた達は改造中の仏とも言っていました。



[208] 間違いから教訓 Date:2012-05-17 (Thu)
聖フランチェスコは自分の考えのあやまちに気がついた瞬間は、フランチェスコの人生にとってこの上もなく重要なものになったそうです。

バーソロミューの書物によると、若いときのフランチェスコは自分達と同じ情欲や金銭欲を持ち、

酒や女や快楽や権力への欲望を持っていたそうです。

そして多くの罪深い行いをし、自分の欲望を追求し始めたそうです。

それでも自分の求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたみたいです。

私は欠陥の多い人間である。

善人になるなど不可能。

それなら完璧な罪人になろう。

自分の欠陥を無限におしひろげよう。

その完璧のなかから、自分の人生に喜びと調和が見出せるのではないか、

フランチェスコはジレンマに陥り、善人にもなれないし、欲望に身をまかせても幸せをもたされない。

フランチェスコは、意思の深いレベルで、死の現実と対決する事を選択しました。

常に思い病気を選び、その病気によって死にかけました。

その病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかで、悟りを得たみたいです。



光のかけ橋日記 命の贈り物 

命の贈り物の中にこう書いてあります。

食べ物が床にこぼれてしまったら、かがんで食べ物を拾い、掃除するだけの事です。

人生も同じです。

何か間違いを犯したら、ひざまずいて訂正するために必要なことをやって、さらに進んでいけばよいのです

これも神が私たちに与えてくださっる祝福の一つです。

神は私たちが間違いを犯したからといって、裁いたり、追い詰めるようなことはしません。

そうではなく、間違いをしたならばその間違いをし、後始末を訂正して、

次にはもっとうまくやる事ができる機会をくださるのです。

誰もがこの現実に目覚める必要があります

そして、この認識を踏み台にして、自分の人生を改善していくのです。

人生は転んだら転んだままというようなものではありません。

転んだら自分で立ちあがって、間違いから教訓を学んで次回にはもっとうまくやっていく、

そして、正しい道にとどまる努力をしていく、それが人生です。




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