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  (意識)上に浮上させ解放してやれば?
Date: 2017-10-17 (Tue)
どんなに汚れた思えても、清浄なる本性、心の空性は清浄空である本性は、けっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないと言う事ですね。

誰であっても想念帯の中に付着したネガティヴな抑圧されたエネルギーを取り除き本来の自分を取り戻す事はできるのです。

鏡が汚れたなら、その汚れをふき取りすれば鏡に写る現象はそのままを写すのです。

また水面に映し出されたお月さんは波風がなくなったら綺麗に水面にお月さんそのものを映す事ができるのです。

現象として表れていなくても、水面は風や波で荒く波立っているけど、水面深く底は穏やかであっても

その底にはドラマの筋書きと言う原稿用紙が誰にでもちやんと持っているのです。

ネガティヴなものやポジティヴなものもこれらの筋書きがちゃんと書かれていて、いつかは現実世界に現れてくるのです。

その書かれているドラマの筋書きの原稿用紙は、他の誰でもなく自分自身が書いているのです

■ どんなに汚れがあったとしても人は再生できます

人間は生きている限り想念と行為を記憶し続けています。

本来真っ白な何もない無垢な想念帯を持って生まれて来ましたが、

生まれてこのかた想念帯に色々な思い行いが撮影されているのです。

また別の言い方では心の奥底に横たわっているドラマの筋書きが書かれている原稿用紙を誰もが持っているのです。

まるでテープレコダーのように一瞬、一瞬記憶され録音されているのです。

自分などはカルマを開いていますから、悟り(見性)体験後その時にカルマの洗い直しが起こってきました。

まるでテープの逆戻しみたいで、身体器官やチャクラの箇所からタカの爪みたいに深く食い込んでいる抑圧されているエネルギーが、

ほんと沸いては消え頭上に上がって、空間に解き放されて行きました。

想念帯には、カルマの巣みたいにサイダーの泡如くエネルギーが詰まっています。

サイダーの栓を抜いて、その中からいっぱいのカルマのエネルギーがサイダーの泡如くあがってきます。

これらの抑圧されている感情エネルギーを解放する事が、本来の自分を取り戻す事になるのです!

奥深くしまいこんでいる、また抑えつけていた感情エネルギーをもう一度、湖面に(意識)上に浮上させ解放してやれば、罪や穢れは浄化されて行くのです。

ただ、想念帯を開く事は現在では難しいかもしれませんが?

日頃あまりおめに拘わりたくない奥深く溜めつづけた、(不安恐れ、悲しみ、憤り、憎しみ)

また抑えつけていた反吐がでるような、誰にもみせる事のできない秘密が誰にもあると思いますが、

もう一度過ぎ去った過去を省みて、抑圧することなくあるがまま手放しをしていけば良いと思います。

誰でも見たくもない聞きたくもない心の奥深くしまったものを直面する事はとても苦しい事です。

でも誤魔化し続けて押さえつけていれば、火山の如くいつかは爆発するでしよう。

それで事済めばよいのだけど、そんなに甘くはないと思います。

いつまでも回り続ける事にもなりかねない。

もし輪廻転生があるとすれば、非常に重大だとお解りいただけると思います。

そうじゃあなくても、次の世界に還った時の事を考えたら、少しで付着したものをもそり落とす事がどんなに大切な事か?

だから心の問題を克服し新たに良いカルマを(思い行い)を作っていける事が生まれて来た意味もあると思うのですけどね。

まいど何回も私は言いますね。

どんなに汚れた思えても、清浄なる本性、心の空性は清浄空である本性は、

けっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないと思います。

気体(蒸気)になったり、液体(水)から固体(氷)というように、三つの相に変化する。

気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらないといっています。

水は低温になったら固体(氷)となります。

また水は高温度(蒸気)になって沸騰したら、水蒸気になり、また雨となって地上に降下によって再び液体(水)や固体(氷)に変わります。

気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらないようです。。

想念体に例えるなら、気体、液体、固体という三つの相に変化するように、想念の集められた物のエネルギ―も変化していくと思っています。

その心の紐を解くと、心の奥底に横たわっているドラマの筋書きが書かれている原稿用紙を誰もが持っているのです。

原稿用紙は他の誰でもなく、自分が書かれたのです。

輪廻転生とか言えば、まばつゆものとしか思われないけど、

感情の病気や原因不明の病気など殆どが、深層意識の中にある抑圧されているエネルギーなのです。

その抑圧されている感情のエネルギーは自然と消えてはいかないのです。

深層意識の中で異熟され、いつかは顔面に躍り出て来るのです。

軽いものなら中和されて、あまり影響が少なく済むかもしれないけど、強い抑圧されている感情エネルギーなど、

身体や性格に強く色こく現れているのではと思っているのです。

また自己中心な方や我の強い方などは気質として現れているようですが、カルマと言うよりもカルマの巣にネガティヴなものを詰め込んでいるのです。

自分では自然過ぎて自分で解らないから、それがあたり前と思っている。

でも、それらが霧が晴れるように消えてなくなったりしていけば、そうのような癖や気質があったのかと気づく事になると思います。

今気づく事になく改善する事もしないで、その気質持って次の行く世界に行くのは損ですよね。

同魂、類は友を呼ぶ法則がありますが、その同魂が集まっている世界に還るのです。

もし自分で改善していきたい思ったなら、想念帯を綺麗に浄化していけば良いのですね。

ほんと超作していけば、そのような癖として表れているカルマも少しずつ解けて行って改善されていきます。

その為には気づきがあって、心から反省をしてもう二度と同じ過ちはしない事からスタートすれば良いのです。

ただ心から反省しないで、奉仕活動やボランティヤをしていても、何もならないと思っているのです。

それはもしかして天に行く切符を狙っている方もいるかもしれません。

それでは何もならないのです。

もしそうであるならば、動物習性を取り除き、我を取り除く事がいかに大事がお解りだと思います。

それには超作していくのが良いのです。

ほんとうの宝物はいくら探して見てもどこにもない。

心の調和とやすらぎこそが宝物なのです


だれでも自分を高くする者は低くされ自分を低くする者は高くされるからです。

ルカの福音書18章14節

(マタイによる福音18章2節)小池二郎神父著『吉報』巻頭言集 より

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて言われた。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
(マタイによる福音18章1節‐5節)







  人生は全体で象(かたど)っているのです
Date: 2017-10-17 (Tue)
思いは結果、化けてくると言う言葉があります。

顕在意識と潜在能力には隔ててある壁があるのです。

その一部が崩れてしまうと、それまでに抑え付けられていた心の中の抑圧されているエネルギーが顕在意識の表面に上がって行くのです

奥の底から少しずつ湧き上がって行き、上昇するにつけ圧力は次第に大きくなっていきます。

そして水面(意識)まで上がってくると、それがある種のエネルギーだと解ります。

その潜在意識の上層からダムの堰を切ったように、エネルギーの噴出が起こります。

やがてこれまで閉じ込められていた下層から、徐々にダムの堰を切ったようにエネルギーの噴出になります。

これは良く自分はこのように言っています。瞑想とかしていて、期が熟されたなら、
想念体に亀裂がはいって、サイダーの泡如く堰を切ったように湧き上がって行きます

その泡をで尽くせれば、それから精妙な状態を超えて、最後には純粋意識の状態に到達するようです。

ここまで達成する方はあまりいないように思います。

もう一つは観念を見つめる作業を行っていけば、
少しずつブロックが解除されていくとその下にある観念が徐々になくなって行くと、

すると同じようなエネルギー解放が起こって行くのではと思います。

最初の壁が消えてしまうと、その上層からダムの堰を切ったようにエネルギーの噴出がおこり、
徐々に下層までエネルギーが解放されていくのだと思います。
 
苦を滅する道があるとお釈迦が説いておられますが、
お釈迦様と言えば、また宗教とかある色で見られるが大多数だからね。

お釈迦様と言う名前に囚われないで、そうではなくて一人の人間が心の紐を解いて、苦を滅する道がある。

その人間の生き方を説いているのです。
それを伝える事、教えて伝えている偉大な人間であるのです。

自分などは悟り(見性)体験を書いたりしていますが、これはカルマや心の紐を解く事に関係があるのです。

体験すれば理解ができるのですが、悟り(見性)体験後にカルマのが噴出してくるのです

俗にいうカルマの洗い直し

不思議とスピ系で悟り(見性)体験と言っている方は、そんな悟り(見性)体験後にカルマのが噴出の事を言う方はいないようですね。

でも自分だけが特殊ではないのですが、ただ自分が通った道は宗教体験であろうと思います。

これは開祖や一部の修行者が体験して通った道なのです。

それを自分がただ言っているだけに過ぎないのです。

だから勘違いだけはしないでほしいのです。

自分は特別でもなく、偉くも立派でもないのです。

役目と言うよりも、役割りと言うのも言いたくはないから自分はいいません。

理由は種類や形は違いども誰であろうとも、使命や役割りがありますからね

自分のように汚れて、どうにもならないような人間であったとしも蓮のように花を咲かせられる事を伝えたいのです

心の図書館(引用)
泥水が濃ければ濃いほど、はすの花は大輪の花を咲かせます。
泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
ほとんど泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、
蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。

心の図書館に記載されているように、泥水が濃ければ濃いほど綺麗な大輪の花を咲かせられるのです
バケツの中に、押し込められたボールはその圧力の反動によって、小さくもあり、大きくもなります。
深く押し込まれたボールはより高く上るのです。
そんな罪穢れを持っているあなたは誰よりも高く上れる可能性を持っていると言えます。
体験とするならば間違った道はないと思いますが、もし迷った道であるとするならば引き帰せば良いんです
途中で、谷に落っこちたり、怪我して歩けなくなった時は、傷が癒えるまで居れば良いのです。
旅の途中には、スカッとする風景もあり、長く続くトンネルもあります。
また眼を覆いたくなる事もありますが、一つのべろーんとした風景で見て、
人生は全体で象(かたど)っているのです


  まあるい心を取り戻す。
Date: 2016-12-08 (Thu)
宗教やスピ系、輪廻転生と言う言葉に惑わされずに、今自覚を持って偏りのない反省と中道の実践して行くのが良いのです。

スピ系は怪しい、宗教、オカルト信仰一緒ぐたに思われているようですからね。

スピ系全体手垢の付いたものとして、妖しいと眼をそむいて心の実践をしないで。やりたい放題して反省もしないで

この世を過ごしていると、何のために生まれて来たのか?

もしかしたら次の世ではしまったと思う事にも成りかねません。


別に宗教やスピ系でなくても、自然に沿った生き方をしていけばよいのです。

それにはまず、超作する事です。

超作して行くとがんじがらめになったカルマの糸が解けて行くと思います!!

それとスピ系で師のいない方は、自己流で行ったりしていると思いますが、

お寺などでの修行では我を取る事から始まるのです。

お寺修行は宗教だからいけないあれは駄目とは思わず、まず正道を実践しているお寺での修行の体験は良いのです。

体験もしないで。これは駄目だあれは良いと思ってもそれでは絵に描いた餅なのです。

何事も体験して、初めて理解できる事もあるのです。

だからいつも自分は言っていますが、神仏のご加護、師の恩恵によって悟りが開けると言って居るのです。

ほんと師のいない方は、悟れる事はできないと思っているのです。



  希望や光を見続ける限り
Date: 2016-12-08 (Thu)
罪深い事をしたと言う彼が悟ったのです?

バーソロミューの書物に書かれている内容を見て、理解ができるのなら悟り(見性)体験をしている者でもあると同時に

どんなに罪深い行いしても悟れると言う希望や光を見出せるのです。

だから自分としては聖フランチェスコを出さない訳にはいきません。

聖フランチェスコは我々と同じように、世俗の中で多くの罪深い行いをしたようです。

そんな罪深い行いをしたと言われる彼が悟りを開かれた事が重大なのです。

聖なる者が悟りを開くのなら解りますが、罪深い事をした彼が悟ったのです?

これは我々も同じように汚れた心でも悟れる事を見せているようなものです!


バーソロミューの書物に書かれていますね。

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、

イライラと絶望がつのり、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったのです!!


まず、聖フランチェスコは病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかでと言う事みたいですが、

これはクンダリ二ー覚醒やシャーマンが水籠りとかしていて高熱を発したものとは違うようです。

良くシャーマンなどは、水籠りをして高熱を発したりするようです。

聖フランチェスコはそれらとは違い病魔に侵されて高熱を発してのことだからです。

良くクンダリニ―覚醒をして高熱を発する事は聞きますが、覚醒と悟り(見性)は区別しないといけません!!



高熱の時は意識がとんとんとして、 心の境界線が少しずつ崩れてしまいそうですが、

でも聖フランチェスコは狙っての事ではないのですが、偶然起こしたものだったと言うよりも?

愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、悩み続けた結果光明を得たのです。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったのです!!

悩み続けた結果、悩みと一つになり、それによって自分と隔てているものが無くなり

鳥の歌声のパワーによってついに・・・・悟ったのです!!

そんな事を言っても意味が解らないかもしれませんけど!?

鳥が自分で、自分が鳥のように一体になった時に、鳥の生命力あふれる歌声のパワーによって悟りを開いたのです。

確かに歌声のパワーによってと言うものですが、心の境界線が崩れる時にそのように生命力あふれる歌声に聞こえていたのです。

今までに聞いた事のないような歌声、まるで鳥が鳥の歌声ではないような声だったと思います。

そのような不思議な歌声として聞こえていたのです。

それが悟り(見性)体験だったと思います。


それと聖フランチェスコは病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかで、

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・と言う事なのですが、

自分としては心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態の中での良い影響だったと思います。

そんな高熱にうなされる状態の中でも聖フランチェスコは病床で、全身が疑問のかたまりのようになってと言う事なのですが?


いつも言って居る事なんだけど、神仏のご加護、師の恩恵なくしては悟り(見性)体験する事は出来ない!!

ただ、悟り(見性)体験を言うと首をとったとように自画自賛している思われそうだけどね。

謙虚に思われたいから言っているのではなくて、実際クンダリニー覚醒も明けの明星、

悟り(見性)も広大無辺の悟りの中のほんの少し足を入れたぐらいと思っているのです。

だから勘違いしないでほしいのです。

その道は開祖や一部の修行者が通っていった道なのです。

誰もが希望や光を見続ける限り、罪深い事をしたと言われるフランチェスコのようになれるのです!



宗教やスピ系、輪廻転生と言う言葉に惑わされずに、今自覚を持って偏りのない反省と中道の実践して行くのが良いのです。

スピ系は怪しい、宗教、オカルト信仰一緒ぐたに思われているようですからね。

スピ系全体手垢の付いたものとして、妖しいと眼をそむいて心の実践をしないで。やりたい放題して反省もしないで

この世を過ごしていると、何のために生まれて来たのか?

もしかしたら次の世ではしまったと思う事にも成りかねません。


別に宗教やスピ系でなくても、自然に沿った生き方をしていけばよいのです。

それにはまず、超作する事です。

超作して行くとがんじがらめになったカルマの糸が解けて行くと思います!!

それとスピ系で師のいない方は、自己流で行ったりしていると思いますが、

お寺などでの修行では我を取る事から始まるのです。

お寺修行は宗教だからいけないあれは駄目とは思わず、まず正道を実践しているお寺での修行の体験は良いのです。

体験もしないで。これは駄目だあれは良いと思ってもそれでは絵に描いた餅なのです。

何事も体験して、初めて理解できる事もあるのです。

だからいつも自分は言っていますが、神仏のご加護、師の恩恵によって悟りが開けると言って居るのです。

ほんと師のいない方は、悟れる事はできないと思っているのです。



  清浄なる本性
Date: 2016-07-18 (Mon)
ある者にとっては、非常に厳しいものになるかもしれませんが、

原因結果の因果律これは宇宙の法則のようです。

すべての事象は、必ずある原因 によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理だそうです。

本来無垢なままで生まれて来ました。

それが大きくなるにつれ、習慣、思想、癖、観念などいっぱいくっつけて来たのです。

それをもう一度、ジャガイモをゴシゴシ綺麗にするように、

自分のチリやアカを取り除いたなら、本来の自分が現れると言いたいのです。

だから本来そのようであったのだから、何かになったと言うよりも何もならないと言うのです。


深層意識にある重圧されている不純物や不浄なエネルギーを生起させて解放してあげれば、

現在医学で原因不明の難病とかに対して、かなり癒されるのではないかと思っています。

心理学でも不健全な感情を取り組む事は、あらゆる病気自体から解放されるきっかけになると聞きます。

カルマが原因の病気の場合は現在医学の範疇にはないようですが、

これなどは本人のカルマの解消に設けられた試練であり、魂の向上に役立つものだから

根本的に解決するのにはそれなりに時間を要するように思います。

また想念体を開いて、負のエネルギーを解放して行く時には、

カルマが終了して行くためにプロセスが始まったと言うものかもしれません。

ほとんどの原因不明の難病病気は、想念体の中にある(カルマの巣)エネルギーだと思っています。

細胞やDNAにしたって、想念体の中にある(カルマの巣)エネルギーが作用して、

DNAが損傷して細胞が癌細胞に変異したりすると思っています。

感情を取り組む事は、生きて行く為に不可欠な事だと思います。



[245] 自分のまいた種は自分で刈り取る 光のかけ橋 
Date:2013-01-02 (Wed)

前にこう言う事を書いた事がありました。

神仏は道標を用意されてくれているのかもしれませんが、神仏は自分を背負って歩いてはくれません。

神仏は二人で歩いてくれるかもしれませんが、その道を選択して自分自身の足で歩いていかないといけません。


聖書には、原因と結果の法則を自分のまいた種は自分で刈り取るという言葉で表現されていますね。

カルマは原因と結果の法則みたいです。

善の種をまけば自分で善を刈り取り、悪の種をまけば自分で悪を刈り取る。

自分のまいた種は自分で刈り取ると言う事になるのでしよう。


神様や創造主は自分で作ったカルマは自分で乗り越えろというものかもしれません。

他の方に変わって代わりに行うカルマの解消は無理なようです。

カルマは機械的に処理されているような感じがします。

何故なら自分が体験しているから言えるのです。

自分はスピ系で良く言われている受け売りはしません。

自分で体験をして伝えているのです。

自分の都合によって、はい、カルマは解消されたというものはありません。

何回も言いますが、個人の地球の規模のカルマや宇宙規模のカルマを解消できると言うセッションがありますが、

そんなものはあてになりません。

あてにはならないと言うよりは、そんなものはないと思っています。


スピリチャルな事を目指している方もカルマを紐解いたとか、乗り越えた方はあまり出会った事はありません。

それでいて、スピリチャルな事を目指している方やスピリチャルティチャーでもカルマの事について本当の意味で知っている方はあまりいません。

生まれて来る目的の一つにはカルマの解消(乗り越える)だと言われていますから、

だから自分のカルマを開けたのは、偉くもないし特別な存在でもないのです。

ここを間違って受け取られたらいけませんね。


だから自分が体験して、初めて人に伝えられるものかもしれません。

何にしても自分が体験して、それを乗り越えて行った者しか伝えられる事はできないと思います。

ではどうやったらカルマの紐を解くか?

乗り越えていけるのか?

その為にはいろいろなやり方もあると思います。


生まれて来て今までの思い行いが記憶として深層意識の中にあります。

その深層意識を浄化する事は大切だとスピリチャルな事をしていたり、

また心理学者などはそう〜思っていると思いますが、想念体はカルマの巣のようなものです。

この想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放する事が大切なんです。

これはチャネラーを目指している方についても言える事だと思います。、純粋な情報を取ろうと思ったら

想念体の中に抑圧された記憶やエネルギーの解放するのが早道かもしれません。

純粋なる情報と言う意味ではね。


コップの中にある水が濁っていれば、少しずつ真水をいれて行ったら、

コップの中にある濁った水は少しずつ綺麗になると思いますが、これでは随分時間がかかると思います。

水は沸騰したら水蒸気になって、上空にあがり、雨となって地上に降り注ぎます。

また水は冷えると氷にもなるのです。

その水がいくつも変化するのです。元は水なんですよ。

自分は良く思いは結果化けてくると言ったりしていますが、繰り返してくる連鎖を断ち切るのは、

カルマの巣と言われている想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放して行くのが重要なんです。

その為には苦を滅する道があると言われているハ正道がありますね。

このハ正道を行っていくうちに、カルマの解消ができ、悟りに進んでいけるものだと思っています。


光のかけ橋 (日記)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。








  次第に普通の意識状態を超えて
Date: 2016-05-19 (Thu)
バーソロミューの書物には、このように記載されていますね。

聖フランチェスコは病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかで、

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、

イライラと絶望がつのり、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったと言うのです。


自分の見解としては、フランチェスコはその鳥の鳴き声が今までとは全く違うように聴こえたとありますが?

※我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

それまでに聞いていた鳥の声とは全く違った声として聞いたのです。

意識と無意識にある壁?

境界線が崩れた時にそのように感じると思います。

そのような状態になった時に現在聞いていた声や見ていた光景がまったく違がって見えたり聞こえたりするかもしれませんね。

本来は誰もが無垢な状態で生まれて来たのだけど、長年浸み付いて付着したものが、

少しずつ取り除かれて行った時に、ずっと今まで見ていた光景や聞いていた音がまったく違って見えたり聞こえたりします。

それは本来の自分を取り戻して行く時にそのように感じるかもしれません。

だから想念体かに亀裂が入らなくても、そのように感じてしまう事もあると思います!?


本来仏性を持ち合わせているのが人間です。

本来仏なのです。

死んで仏になるのではないのです。


無理なく真理が実践できた時に菩薩行が整ってくると高橋信次師は言っておられましたからね。

何もやりもしないで如来、菩薩ではないのです。

自称天使また如来、菩薩だとしている方は、それなら光り輝かなければならないと思いますよ。

そういった方は自分の幸せの為だけに生まれて来たのではないのです。

そのような方は教師として心の教えを説いたり、それに真理を実践して行かないと何もならないのです。


一部の偽り者の為に真理が穢され歪められ、手垢のついたものとしてスぴ系全体が妖しいと思われてしまうのです。

他人はどうであれ、自分自身の環境を受け入れ、その環境の中でどう行動するか?

試されているのでしようね。

自分を見失わず、神と共にいる。神と一つと言うように実践して行く事がなによりだと思います。

それには自分の心の手綱をしっかり持っていかないといけませんね!


話はそれましたが、フランチェスコは偉大な聖者です。

でも、たとえそうであっても、我々と同じ人間です!!

誰もがフランチェスコの足跡を辿って行くならば、きっと同じような体験ができると思います。

準備が整った時に誰もが体験する事になるかもしれません。

それが今世になるか?

来世、来来世になるかは神のみぞ知るところだと思います。


精神集中が深まってくると次第に普通の意識状態を超えて、そういう心理状態が限界を超えて、境界線が崩れ

最後に一瞬の飛躍があって、その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・聖フランチェスコは悟ったのです!?

またこうも言えるかもしれませんね。

そのように一種の忘我状態になった時に想念体に亀裂が入って、エクスタシ―状態になり?

意識的な自分を超えるなにものかがあり合理的な考えだけがすべてではない。

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います!

このように聖フランチェスコは苦痛の中から悟って行ったのです。

もがき苦しみその異常な環境がなかったら聖人にはならなかったと思われます。

たった一人で悩みもがき苦しみ全身が疑問のかたまりのようになって、悟りを開いたみたいです。

それをたった一人で、悟りを開いたとされる聖フランチェスコはやはり偉大なる聖者だったと思います!!




  まあるい心を取り戻す。
Date: 2016-05-19 (Thu)
気のエネルギーを感じる方もいれば、感じない方もいますからね。

西洋医学だけがすべてだと思っている方が結構多いのです。

でも、霊の影響で病気の現象、感情の病気、カルマの影響もあるんですよ。

信じる者は救われると言うことわざがありますが、

もしかしたら信じられなくなっているのは、宗教での問題やカルマの影響かもしれませんね。

実は気質はカルマの影響があるのです。

そう性格に現れているのです。

いくらうわべを繕っていても、土壇場になると本性が現れるのです。

苦しい流れ作業などしていれば、一発で解ると思います。

子供のような純真無垢な心でなくては天には戻れないのでしょうね。

いつも言っている事なんですが、自己中を無くして動物習性をなくして

まあるい心を取り戻さなくてはなりません。

それには超作する事が良いのです。

損得感情を捨てて、行えばきっと財産宝物になるんですよ!!


マルコの福音書10章13節から16節まで(新改訳聖書)

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。

ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。

まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。



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