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  次第に意識状態を超えて?
Date: 2018-07-14 (Sat)
この最後の一瞬に至る心理状態と言うものが少し解るかもしれませんね?

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。

愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、

そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません!?

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います。


臨済宗では公案という謎のようなものが、師から弟子に与えられると言われています。

これは自分の知り合いで臨済宗のある本山にいた、お坊さんをしていた方から聞いた事がありました。

本山修行では、「隻手の声」とよばれるものがあって、つまり両手を合わせれば音がするけれども、

片手の音が聞こえるかという問題だそうです。

これはいく頭で考えてみてもどうにもならない問題ですが、それなのに独参といわれるものがあって、

何回も老師のもとに引き出されるというものです。。

その回答を何回も要求されるそうです。

そして普通の心理状態ではなくなり、次第に普通の意識状態を超えて、

最後に一瞬の飛躍があって、仏性の本来の自己を見るそうです。

これが臨済宗のにおける悟り(見性)だと思っているのです!?


  次第に意識状態を超えて?
Date: 2018-07-14 (Sat)
この最後の一瞬に至る心理状態と言うものが少し解るかもしれませんね?

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。

愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、

そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、

最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。

我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません!?

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思いますパー


臨済宗では公案という謎のようなものが、師から弟子に与えられると言われています。

これは自分の知り合いで臨済宗のある本山にいた、お坊さんをしていた方から聞いた事がありました。

本山修行では、「隻手の声」とよばれるものがあって、つまり両手を合わせれば音がするけれども、

片手の音が聞こえるかという問題だそうです。

これはいく頭で考えてみてもどうにもならない問題ですが、それなのに独参といわれるものがあって、

何回も老師のもとに引き出されるというものです。。

その回答を何回も要求されるそうです。

そして普通の心理状態ではなくなり、次第に普通の意識状態を超えて、

最後に一瞬の飛躍があって、仏性の本来の自己を見るそうです。

これが臨済宗のにおける悟り(見性)だと思っているのです!?




  一つの山を征服したのなら、また別の山を
Date: 2018-07-06 (Fri)
登山家のように一つの山を征服したのなら、また別の山を征服したいと衝動に駆られる

新たにチャレンジしていく登山家のようにまだいくつかの山は聳え立つているのです。

それをまた征服していくと、それが偉大なる登山家と言われるようになるのでしようね。

一つ大きな山を征服したから、それで良しとするか?

また違う風景を見てみたくなって、新たに別の山を求めて山頂を目指して行くのか?

もし偉大な登山家だとしても、今見る風景を良しとし、あるいはもっと別の風景が見たいと思うか?

ひとそれぞれのその違いがあるのかもしれませんね。

どこまで良しとするか!!

ひとそれぞれだけども、でもいったん入り込んだ山は途中で引き返したとしても危険はあります。

どうせ引き返しても、引き返さなくても危険が伴うのなら、途中で引き返すのも後悔して心残りになるかもしれないからね。

最後まで頂上を目指して行きたいものですね。


ほんと山の頂上に至るまでは、いろいろな障害もあり危険な面もあると思います。

でも途中でやめてしまう事も危険が伴います。

どこまで追求するか?違った風景を見てみたいと衝動に駆られるかは本人次第ですね。

ほんと山を征服するように心の進化も目指していきたいものです!?


クンダリニーにしてもね、確かに想像を絶する体験だったけど、

これは世の中あるどんなものよりも、人間における究極の体験だと思います

人間とはいったい何なのか?

何者なのかと思いしらされる究極の体験だと思います。

ほんとつくづく思いしらされた体験になりました。


ただそんな覚醒をしそれを乗り越えていったものだけが、聖者や覚者と言われるゆえんかもしれませんね。

でもクンダリニー覚醒でそれで止まっている方もいるような気がしています。

それですべてが終わったのではないのですが、少なくても意識の広がり、心の解放、心の自由なくしてはならないと思っているのです。

これなどは、師がいないものは、少し難しいかもしれません。

何故なら自分が体験して、そう思ったのです。

悟り(見性)体験にしてもそうなんです。

後につくづく神仏や師の恩恵によって開く事ができたと思い知らされました


ただクンダリニーや悟り(見性)などは、自己流での行はお薦めはできないですね!!

やはりその道の卓越されている師や導師のご指導なくしては危険だし、

それを一人で乗り切るだけの強い気力や体力もいると思いますが、死に切ると言うか?ほんと死の淵を垣間見る

それを乗り切る事は、神仏のご加護に師の恩恵や後は信仰心だと思います。

岩をも通す強い心、どこまで自分を信じられるかと言うことが問われる事になると思います!?


それとクンダリニーに体験をしたら太師や聖者とかなったと自分で公言している方もいますが、

自分はそうじゃあない。進化の過程だと思っているのです。

そう個人的にはは聖者や太師に至る体験だとしています。

そこで覚醒して霊的なものをが現れたから、それで良しとされる方もいると思いますが、

個人的には意識の広がり、心の自由を求めていかないといけないとは思っているのです。


ほんの広大無辺と言われている悟りの中のほんの二三歩程度足を踏み入れたぐらいだと思っているのです。

それに第二関門、三関門と乗り越えて行かないといけない壁が聳え立っています。

それと何回も言いますが、心の自由、意識が広がっていかないね。


いくら奇跡体験してとしても自分はあくまで体験だとしています。

ある師と言うか?八正道や聖書の真理が無理なく実践できた時に菩薩行が整っていくとおっしゃつていました。

そう〜自分もそう思っているのです。


それに誰であろうとそんな奇跡体験はできるのです!!

でも悟り(見性)体験などは、自分一人ではそんな体験はできないと思います。

お釈迦様なら一人でもできるかもしれないけど、生身の人間でしかもこの時世

そんな粗い波動の社会の世界では、なかなか難しい事だと思います。

ほんと雑音や騒音の社会では難しいかなと思っているのです。

だから出家したり、人里離れての修行とかするのでしようね。

自分の体験上、神仏のご加護とそれと師の恩恵によって開けると思っているのです。


ただ、そう言った奇跡体験しても、その後の生き方が大切になってきます

天使が天から落ちる(堕天使)とかありますからね。

ここをしっかりと押さえておかないといけませんね!!

また正法が伝えられる時は、こぞって魔が競い立つと言われがありますが

正法が伝えられる?伝えられてない時代?にも関わらず、

人が進化を目指していく途中には、進化を邪魔しようと魔の妨害とかあります。


確かにある進化する過程に、魔は現れて来たりします。

それが現れないとまだ大した事はないと言われたりする方もいましたが、ほんとそうかもしれません。

ほんと天使が天から落っこちてしまう(堕天使)と言うことは、普通の我々人間はひとたまりもありません。


魔にも人々を悩ませ、仏道修行を妨げる4種類のものがあるみたいだからね。

人間のもつ執着や欲望である煩悩ぼんのう魔、苦しみを生じさせる陰魔おんま(五陰魔・五蘊魔ごうんま)、

死そのものの死魔、人々が正しい道に進むことを妨げる他化自在天魔(天魔波旬)をいう。『大辞林 第三版』


だから現世がどんな過酷な環境の中でも自分を見失わず、我を取り除き、動物習性を取り除き

心の超作、自分づくりを目指していかないといけませんね。

ほんと霊的なものばかり重点に置かずにデコボコした心の角を取り落として、

まわるい心を取り戻す為に、まず気づきがあって始めて対処できますからね!?

その為にも反省や悔い改めしたり、心の浄化に努めてただ超作して行くのが良い事だと思っているのです。





  意識の広がり
Date: 2017-11-29 (Wed)
心解放、心の自由、意識が広がりガラス越しから外に出て広がっていかないといけないのです。

蝶がガラスごとしに外に出て行こうと思っても、外に出て行かれないのと同じなんです。

このガラスごしから自由になって、外界に羽ばたいて行かないと自由にはなれないのです。

ガラスごとを破って、外の空間に出ていかないといけないのです。

心が自由になってその意識が広がっていかないといけませんね。

でないといつまで経っても 蝶は外界に羽ばたく事はできなくて自由に空に飛び立つ事はできないのです。

ガラスの枠を取り外して、ガラス越しから飛んでいかないとね。



  (意識)上に浮上させ解放してやれば?
Date: 2017-10-17 (Tue)
どんなに汚れた思えても、清浄なる本性、心の空性は清浄空である本性は、けっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないと言う事ですね。

誰であっても想念帯の中に付着したネガティヴな抑圧されたエネルギーを取り除き本来の自分を取り戻す事はできるのです。

鏡が汚れたなら、その汚れをふき取りすれば鏡に写る現象はそのままを写すのです。

また水面に映し出されたお月さんは波風がなくなったら綺麗に水面にお月さんそのものを映す事ができるのです。

現象として表れていなくても、水面は風や波で荒く波立っているけど、水面深く底は穏やかであっても

その底にはドラマの筋書きと言う原稿用紙が誰にでもちやんと持っているのです。

ネガティヴなものやポジティヴなものもこれらの筋書きがちゃんと書かれていて、いつかは現実世界に現れてくるのです。

その書かれているドラマの筋書きの原稿用紙は、他の誰でもなく自分自身が書いているのです

■ どんなに汚れがあったとしても人は再生できます

人間は生きている限り想念と行為を記憶し続けています。

本来真っ白な何もない無垢な想念帯を持って生まれて来ましたが、

生まれてこのかた想念帯に色々な思い行いが撮影されているのです。

また別の言い方では心の奥底に横たわっているドラマの筋書きが書かれている原稿用紙を誰もが持っているのです。

まるでテープレコダーのように一瞬、一瞬記憶され録音されているのです。

自分などはカルマを開いていますから、悟り(見性)体験後その時にカルマの洗い直しが起こってきました。

まるでテープの逆戻しみたいで、身体器官やチャクラの箇所からタカの爪みたいに深く食い込んでいる抑圧されているエネルギーが、

ほんと沸いては消え頭上に上がって、空間に解き放されて行きました。

想念帯には、カルマの巣みたいにサイダーの泡如くエネルギーが詰まっています。

サイダーの栓を抜いて、その中からいっぱいのカルマのエネルギーがサイダーの泡如くあがってきます。

これらの抑圧されている感情エネルギーを解放する事が、本来の自分を取り戻す事になるのです!

奥深くしまいこんでいる、また抑えつけていた感情エネルギーをもう一度、湖面に(意識)上に浮上させ解放してやれば、罪や穢れは浄化されて行くのです。

ただ、想念帯を開く事は現在では難しいかもしれませんが?

日頃あまりおめに拘わりたくない奥深く溜めつづけた、(不安恐れ、悲しみ、憤り、憎しみ)

また抑えつけていた反吐がでるような、誰にもみせる事のできない秘密が誰にもあると思いますが、

もう一度過ぎ去った過去を省みて、抑圧することなくあるがまま手放しをしていけば良いと思います。

誰でも見たくもない聞きたくもない心の奥深くしまったものを直面する事はとても苦しい事です。

でも誤魔化し続けて押さえつけていれば、火山の如くいつかは爆発するでしよう。

それで事済めばよいのだけど、そんなに甘くはないと思います。

いつまでも回り続ける事にもなりかねない。

もし輪廻転生があるとすれば、非常に重大だとお解りいただけると思います。

そうじゃあなくても、次の世界に還った時の事を考えたら、少しで付着したものをもそり落とす事がどんなに大切な事か?

だから心の問題を克服し新たに良いカルマを(思い行い)を作っていける事が生まれて来た意味もあると思うのですけどね。

まいど何回も私は言いますね。

どんなに汚れた思えても、清浄なる本性、心の空性は清浄空である本性は、

けっして失われたり、そこなったり、曇ったりすることはないと思います。

気体(蒸気)になったり、液体(水)から固体(氷)というように、三つの相に変化する。

気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらないといっています。

水は低温になったら固体(氷)となります。

また水は高温度(蒸気)になって沸騰したら、水蒸気になり、また雨となって地上に降下によって再び液体(水)や固体(氷)に変わります。

気体、液体、固体という三つの相に変化しても、水の本性H2Oには変わらないようです。。

想念体に例えるなら、気体、液体、固体という三つの相に変化するように、想念の集められた物のエネルギ―も変化していくと思っています。

その心の紐を解くと、心の奥底に横たわっているドラマの筋書きが書かれている原稿用紙を誰もが持っているのです。

原稿用紙は他の誰でもなく、自分が書かれたのです。

輪廻転生とか言えば、まばつゆものとしか思われないけど、

感情の病気や原因不明の病気など殆どが、深層意識の中にある抑圧されているエネルギーなのです。

その抑圧されている感情のエネルギーは自然と消えてはいかないのです。

深層意識の中で異熟され、いつかは顔面に躍り出て来るのです。

軽いものなら中和されて、あまり影響が少なく済むかもしれないけど、強い抑圧されている感情エネルギーなど、

身体や性格に強く色こく現れているのではと思っているのです。

また自己中心な方や我の強い方などは気質として現れているようですが、カルマと言うよりもカルマの巣にネガティヴなものを詰め込んでいるのです。

自分では自然過ぎて自分で解らないから、それがあたり前と思っている。

でも、それらが霧が晴れるように消えてなくなったりしていけば、そうのような癖や気質があったのかと気づく事になると思います。

今気づく事になく改善する事もしないで、その気質持って次の行く世界に行くのは損ですよね。

同魂、類は友を呼ぶ法則がありますが、その同魂が集まっている世界に還るのです。

もし自分で改善していきたい思ったなら、想念帯を綺麗に浄化していけば良いのですね。

ほんと超作していけば、そのような癖として表れているカルマも少しずつ解けて行って改善されていきます。

その為には気づきがあって、心から反省をしてもう二度と同じ過ちはしない事からスタートすれば良いのです。

ただ心から反省しないで、奉仕活動やボランティヤをしていても、何もならないと思っているのです。

それはもしかして天に行く切符を狙っている方もいるかもしれません。

それでは何もならないのです。

もしそうであるならば、動物習性を取り除き、我を取り除く事がいかに大事がお解りだと思います。

それには超作していくのが良いのです。

ほんとうの宝物はいくら探して見てもどこにもない。

心の調和とやすらぎこそが宝物なのです


だれでも自分を高くする者は低くされ自分を低くする者は高くされるからです。

ルカの福音書18章14節

(マタイによる福音18章2節)小池二郎神父著『吉報』巻頭言集 より

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて言われた。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
(マタイによる福音18章1節‐5節)







  人生は全体で象(かたど)っているのです
Date: 2017-10-17 (Tue)
思いは結果、化けてくると言う言葉があります。

顕在意識と潜在能力には隔ててある壁があるのです。

その一部が崩れてしまうと、それまでに抑え付けられていた心の中の抑圧されているエネルギーが顕在意識の表面に上がって行くのです

奥の底から少しずつ湧き上がって行き、上昇するにつけ圧力は次第に大きくなっていきます。

そして水面(意識)まで上がってくると、それがある種のエネルギーだと解ります。

その潜在意識の上層からダムの堰を切ったように、エネルギーの噴出が起こります。

やがてこれまで閉じ込められていた下層から、徐々にダムの堰を切ったようにエネルギーの噴出になります。

これは良く自分はこのように言っています。瞑想とかしていて、期が熟されたなら、
想念体に亀裂がはいって、サイダーの泡如く堰を切ったように湧き上がって行きます

その泡をで尽くせれば、それから精妙な状態を超えて、最後には純粋意識の状態に到達するようです。

ここまで達成する方はあまりいないように思います。

もう一つは観念を見つめる作業を行っていけば、
少しずつブロックが解除されていくとその下にある観念が徐々になくなって行くと、

すると同じようなエネルギー解放が起こって行くのではと思います。

最初の壁が消えてしまうと、その上層からダムの堰を切ったようにエネルギーの噴出がおこり、
徐々に下層までエネルギーが解放されていくのだと思います。
 
苦を滅する道があるとお釈迦が説いておられますが、
お釈迦様と言えば、また宗教とかある色で見られるが大多数だからね。

お釈迦様と言う名前に囚われないで、そうではなくて一人の人間が心の紐を解いて、苦を滅する道がある。

その人間の生き方を説いているのです。
それを伝える事、教えて伝えている偉大な人間であるのです。

自分などは悟り(見性)体験を書いたりしていますが、これはカルマや心の紐を解く事に関係があるのです。

体験すれば理解ができるのですが、悟り(見性)体験後にカルマのが噴出してくるのです

俗にいうカルマの洗い直し

不思議とスピ系で悟り(見性)体験と言っている方は、そんな悟り(見性)体験後にカルマのが噴出の事を言う方はいないようですね。

でも自分だけが特殊ではないのですが、ただ自分が通った道は宗教体験であろうと思います。

これは開祖や一部の修行者が体験して通った道なのです。

それを自分がただ言っているだけに過ぎないのです。

だから勘違いだけはしないでほしいのです。

自分は特別でもなく、偉くも立派でもないのです。

役目と言うよりも、役割りと言うのも言いたくはないから自分はいいません。

理由は種類や形は違いども誰であろうとも、使命や役割りがありますからね

自分のように汚れて、どうにもならないような人間であったとしも蓮のように花を咲かせられる事を伝えたいのです

心の図書館(引用)
泥水が濃ければ濃いほど、はすの花は大輪の花を咲かせます。
泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
ほとんど泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、
蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。

心の図書館に記載されているように、泥水が濃ければ濃いほど綺麗な大輪の花を咲かせられるのです
バケツの中に、押し込められたボールはその圧力の反動によって、小さくもあり、大きくもなります。
深く押し込まれたボールはより高く上るのです。
そんな罪穢れを持っているあなたは誰よりも高く上れる可能性を持っていると言えます。
体験とするならば間違った道はないと思いますが、もし迷った道であるとするならば引き帰せば良いんです
途中で、谷に落っこちたり、怪我して歩けなくなった時は、傷が癒えるまで居れば良いのです。
旅の途中には、スカッとする風景もあり、長く続くトンネルもあります。
また眼を覆いたくなる事もありますが、一つのべろーんとした風景で見て、
人生は全体で象(かたど)っているのです


  まあるい心を取り戻す。
Date: 2016-12-08 (Thu)
宗教やスピ系、輪廻転生と言う言葉に惑わされずに、今自覚を持って偏りのない反省と中道の実践して行くのが良いのです。

スピ系は怪しい、宗教、オカルト信仰一緒ぐたに思われているようですからね。

スピ系全体手垢の付いたものとして、妖しいと眼をそむいて心の実践をしないで。やりたい放題して反省もしないで

この世を過ごしていると、何のために生まれて来たのか?

もしかしたら次の世ではしまったと思う事にも成りかねません。


別に宗教やスピ系でなくても、自然に沿った生き方をしていけばよいのです。

それにはまず、超作する事です。

超作して行くとがんじがらめになったカルマの糸が解けて行くと思います!!

それとスピ系で師のいない方は、自己流で行ったりしていると思いますが、

お寺などでの修行では我を取る事から始まるのです。

お寺修行は宗教だからいけないあれは駄目とは思わず、まず正道を実践しているお寺での修行の体験は良いのです。

体験もしないで。これは駄目だあれは良いと思ってもそれでは絵に描いた餅なのです。

何事も体験して、初めて理解できる事もあるのです。

だからいつも自分は言っていますが、神仏のご加護、師の恩恵によって悟りが開けると言って居るのです。

ほんと師のいない方は、悟れる事はできないと思っているのです。


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