熊野・伊勢神宮の総本社
夜須天満児島宮ホームページ
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ようこそ!「朝倉郡夜須」へ日本人の神々のふるさと、筑紫の日向の土地夜須は、古代中国の安邑からやってきた、越王が名づけられ、造られた神殿が松峡宮こと、改め児島宮と申します






【御祭神】

    天満大天神・鵜茅葺合尊・人皇桓武天皇・後鳥羽上皇・児島高徳

【ご鎮座の由来と沿革】  

    日本がまだ開かれて居ないとき、降臨あらわれた神鵜茅葺合尊(ひらやま大神)によって、南越王にご神託が託され、王は神のしきたり道理この土地を夜須と名づけられました。ここに耶麻台がはじまり、民族の統一が進められ、やがて農耕が始まり、王はやすに、神殿を造られました。

稲作の取入れが終わると王は、風習どうり、やすらい斎を行われ、これが今日まで続いている、まつりの、根源です。それから都を奈良に移され、そこを熊野とされ、ここにも神殿を造られました。それ以降神武天皇胤によって、都を移すごとに、その地に神殿を造り、おまりつりを、されたのが、今日に受け継がれています。

神武天皇胤の手によって、再建されたのは、戦国の世が終わりを迎えたときに、京都紫野から、黒田如水と同時に、紫野大徳寺を細川に任せて、夜須のまだ字地名の定まっていなかった、四ヵ村を領主から譲られて、そこを、 四熊と名づけまし。 そして祭主は託宣道理、ここに神殿を造り、天満宮として、祖先の人皇と神を奉祀したのが、始まりです。

 

【耶麻台神話の社】

邪馬台国で知られる「魏志倭人伝」東夷の条に書かれた、言葉の「語」は単語のことで、「語彙」は語の集まりだと考えられます。

(「彙」は「集まり」むすび、つなぎの意味) ここでの耶麻台も、「語彙」

日本はこのむすび、がある。

後鳥羽院歌壇   

を中心に活躍、新古今集撰者となる。これらは祭主にも受け継いで、都江戸の折も甚句をわが国で始めました、それが今も語り継がれている、甚九郎甚句は神事相撲にも、欠かせないものに、なっています。このほか祭主のご先祖は、 宮家児島高徳は、ごだいご天皇の側近として従事「太平記」を書き残しています。                                                                        

 




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